Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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ボス初戦
時間は夜8時過ぎ。
攻略会議が終了し、解散となった。ボス攻略は明日の朝10時に噴水広場に集合し、全員で出発することになった。
トールバーナの街の中心部、噴水広場の片隅に置かれた素朴な木製ベンチに座った紺髪の傷痕剣士は、ぼそぼそと粗い黒パンを食べていた。少しずつちぎって噛んでいると、それなりに美味しいと思えるのが妙に不思議だった。ベータテスト時代にもこういった黒パンの他にあらゆるメニューが販売されていたが、俺は一切買わなかった。
この世界での飲食の空しさたるや筆舌に尽くしがたい。どれほど豪華な食べ物でも、現実に存在する本物の肉体には何も満たされないのだ。食事というシステムも空腹感・満腹感も存在しなければいいと思うが、実際に腹は空くし、その感覚は仮想の食べ物を摂取するまでも解消されない。
そんな考えがあるからこそ、こんな安物の黒パンを食している。そう思うと、仮想世界の自分が、現実世界の自分でなくなってしまうようだった。いつの間にか大きなパンが、半分にまで消滅していた。
その時。
「けっこう美味いよな、それ」
右側からそんな声が聞こえた。パンをちぎろうとしていた手を止め、鋭く一瞥する。
立っていたのは、午後4時頃にボス攻略会議でパーティーを組んだキリトだった。黒髪に、黒いコートを着た片手剣使い。そして傷痕剣士である俺と同じ、元ベータテスター。
半月型になった黒パンを両手に保持したまま固まっていると、キリトは小さく咳払いしてから、ボソリと言った。
「隣、座ってもいいか?」
しかし、紺髪の片手剣使いは硬直したまま動こうとせず、口も開こうとしなかった。
俺の硬直を是認と解釈したのか、キリトはベンチの右端に最大限距離を取って腰を下ろし、コートのポケットを探った。出てきたのは、黒褐色の丸形オブジェクト。今食べているのと同じ、黒パンだ。
「……本気で美味いと思ってんのか」
無意識の内に小声でそう訪ねた。するとキリトは心外そうに眉を動かしてから、深く頷いた。
「もちろん。この街に来てから、1日1回は食べてるよ」
「………」
不意に、彼はこの世界に馴染んでいる、と思った。
俺は俯きながら、隣に座る剣士に言った。
「……俺達は美味いものを食うために、こんなところまで来たわけじゃない。わかってるのか」
「ならお前は、何のためにここにいるんだ?」
キリトの声は、ことさら美声というわけではないものの、耳障りな部分が一切ない、どこか奇麗な響きを持っていた。俺はこの世界に来て誰にも話したことのない自分の本音を口に出した。
「……現実に帰還するために決まってるだろ。どれだけ月日が経とうと……このゲームはクリアされるべきだ。ボスにも、この世界にも……負けるつもりはない」
__スレイド・フェルザーの血塗られた過去は、戦いの連続だった。
SAOを始めるほんの数ヶ月前に終わった、あの悲惨な事件が俺を大きく狂わせた。それからもずっと戦い続け、それら全てに勝ち抜いてきた。敗北すれば、その人の全てが終わるに等しい。
戦いの果てに、俺を待ち受けていたのは、この《ソードアート・オンライン》だった。ここは現実とは違い、余りにも未知で異質なルールと文化もさることながら、個人の力だけではどうにもならない種類の戦いなのだ。
課せられた解放条件は、アインクラッドの天辺である第100層に辿り着き、そこにいるボスを倒すこと。しかし、ゲーム開始から1ヶ月で、プレイヤーの5分の1が退場し、残された戦力は余りに少ない。こんな状態で100層に辿り着けるのかと思うと、気力が落ちるようだった。
しかし、それでも俺は自分の意地を貫き通そうとしている。目標に到達するためなら、どんな苦痛にも耐えるつもりだ。
黒髪の片手剣士は無言で聞き入っていたが、やがて黒パンを食べ終え、小さく言った。
「お前は俺のパーティーメンバーだ。だから簡単には死なないでくれよ」
「……無論、そのつもりだ。もし、ボス戦で死ぬとしたら……俺もそこまでの男だったということだ」
右頬に2つの傷痕を持つ片手剣士が最後の言葉でピリオドを打ち、それからはお互い無言で、何も話すことはなかった。
2022年、12月3日、午前10時。
トールバーナの噴水広場に集合し、ディアベルと共に第1層《森のフィールド》を移動する45人のプレイヤーは、現時点で望み得る最高の戦力をかき集めた集団と言っても過言ではないだろう。このメンバーが万が一全滅すれば、その噂はあっという間に《はじまりの街》にまで伝わり、《SAOはクリア不可能》という諦念が第1層を覆い尽くすだろう。
2回目の攻略舞台を再編成するのにも、時間がかかる。あるいは、二度とボスに挑めないということもあり得る。レベルを上げて再戦しようにも、第1層のモンスターではもう経験値効率が事実上の限界に達してしまっている。
全ては、ボスモンスターたる《イルファング・ザ・コボルドロード》の強さがベータテスト時から変更されているかどうかにかかっている。俺が記憶しているコボルド王のままなら、死者ゼロで倒すのも不可能ではないはず。あとは皆が、本物の命を賭けた戦いで、最後まで連携を保てればいい。
午前11時、迷宮区到着。
午前12時半、最上階踏破。
とりあえず、ここまで死者が出なかった。 何せ、レイドパーティーに近い人数での行軍は、この場の大部分が初体験のはずなのだ。当世界では、《初めて》がつく行為は例外なく事故の危険を内包している。
実際、三度ばかりヒヤッとする場面もあった。長槍や斧槍といった長い装備者ばかりを集めたF隊、G隊が、通路の横道から近接攻撃タイプのコボルドの奇襲を受けた時などだ。 SAOでは、混戦中に武器がプレイヤーに偶発ヒットしてしまってもダメージはないが、障害物接触扱いで通常攻撃もソードスキルも停止する。長い装備は当然ながらその危険性が高いため、近接モンスターに奇襲されるのは相当にヤバい。
そんな小ピンチに、ディアベルは的確な指揮能力を見せた。部隊のリーダー1人を残して周囲の全員を大胆に下がらせ、重めのソードスキルを使わせてモンスターをノックバック、すかさず近距離武器装備のメンバーとスイッチ。
そして、ついに姿を現した巨大な2枚扉を、俺は集団の後方からややつま先立ちになって仰ぎ見た。
灰色の石材表面には、恐ろしげな獣頭人身の怪物がリレーフされている。コボルドと言えば、他のMMOでは雑魚中の雑魚モンスターだが、ことSAOに限っては亜人型というだけで侮りがたい強敵だ。なぜなら奴らは剣や斧などの武器を操り、ソードスキルをも使いこなす。
今日の戦いを生き残れば、この場にいる全員がきぅとアインクラッド中にその名を轟かすだろう。恐怖と絶望に挫かれかけた数多のプレイヤー達を、希望へと導くだろう。だがそれは、元ベータテスターという烙印を負った《彼ら》には果たせない。
ボス戦との決意をグッと呑み込み、俺は正面を向いた。前方では、ディアベルが7つのパーティーを綺麗に並ばせ終えたところだった。
続いてディアベルは、銀の長剣を高々と掲げると、大きく一度頷いた。他のレイドメンバーも、同じようにそれぞれの武器を翳し、頷き返した。
青いロングヘアーを靡かせて振り向き、騎士は左手を大扉の中央に当てて……
「行くぞ!」
短く一言だけ叫び、思い切り押し開けた。
こんなに広かっただろうか。
ほぼ4ヶ月ぶりに第1層迷宮区ボス部屋を見て、俺はまずそう感じた。
奥に向かって延びる、長方形の空間。左右の幅をおよそ20メートル、扉から奥の壁までが100メートル。ボス部屋以外ほぼマッピングされているのだから、その数値的サイズは地図の空白エリアを見れば割り出せるが、それでも実際眼にすると数字は遥かに超える奥行きを感じる。
この距離が、大いにくせ者なのだ。
アインクラッドのボス部屋は、戦闘が開始されても大扉が閉まったりはしない。だから敗色濃厚となった場合は全滅を待たずに逃走することは可能なのだが、ただ後ろを向いてダッシュするだけでは長射程ソードスキルを背中に喰らって行動延長、へたをすれば行動不能だ。ゆえに体はボスに向けたまま後退せねばならないのだが、いざその状況になると100メートルが無限に思えるほど長い。瞬間的なテレポートが可能となるが《転移結晶》を入手できる上層階のボス戦のほうが、いっそ撤退は楽かもしれない。だが、転移結晶は高価なので、撤退後の赤字額が激増するのも確かだ。
そんなことを考えていると、ほぼ暗闇に沈んでいたボス部屋の左右の壁で、ボッと音を立てて粗雑な松明が燃え上がった。ボッ、ボッ、と松明は次々に奥へ向かって数を増やしていく。
光源がジェネレートされるにつれ、内部の明度も上昇する。ひび割れた石床や壁。その各所に飾られた大小無数のドクロ。部屋の最奥部には粗雑かつ巨大な玉座が設けられ、そこに坐する何者かのシルエット……。
騎士ディアベルが高く掲げたままの長剣を、さっと前に振り下ろした。
それを合図に、総勢44名からなるボスモンスター攻略部隊は、盛大な鬨の声を上げつつ一気に大部屋へと雪崩れ込んだ。
まず最前列で突進したのは、鉄板じみたヒーターシールドを掲げるハンマー使いと、彼に率いられるA隊だ。その左斜め後方を、斧戦士エギル率いるB隊が追う。右には、ディアベルと彼の仲間5人によるC隊と、長身の両手剣使いがリーダーのD隊。更にその後ろを、キバオウ率いる遊撃用E隊と、長柄武器装備のF隊、G隊が3パーティーで並走する。
そして一番しんがりに、オマケ部隊の3人。
A隊リーダーと玉座との距離が20メートルを切ったその瞬間、それまで微動だにしなかった巨大なシルエットが猛然と跳んだ。空中でグルリと1回転し、地響きと共に着地。オオカミを思わせる顎門をいっぱいに開き、吠える。
「グルルラアアアアッ!!」
獣人の王、《イルファング・ザ・コボルドロード》の外見は、全て俺の記憶にあるとおりだった。赤灰色の毛皮を纏った、2メートルを軽く超える逞しい体躯。血に飢えた赤金色に爛々と輝く眼。右手に骨を削って作った斧、左手には革を貼り合わせたバックラーを携え、腰の後ろには差し渡し1メートル半はある湾刀を差している。
コボルドロードは、右手の骨斧を高々と振り翳すと、A隊リーダーに向けて力任せに叩き付けた。分厚いヒーターシールドがそれを受け止め、眩いライトエフェクトと強烈な衝撃音が広間を揺らした。
その音が合図だったかのように、左右の壁の高い所にいくつも開いた穴から、3匹の重武装モンスターが飛び降りてくる。取り巻きの《ルインコボルド・センチネル》だ。キバオウ率いるE隊と、それを支援するG隊が3匹に飛び掛かり、タゲを取る。俺とキリトが顔を見合わせると、一番近くのセンチネルに向かってダッシュした。
こうして、ついに最初のボスモンスター戦闘が開始された。《イルファング》のHPゲージは4段。3段目までは右手の斧と左手の盾を武器に戦うが、4段目に突入するとそれらを捨て、腰のタルワールを抜く。そこで攻撃パターンがガラッと変わるのが最大の難関だが、アルゴの攻略本にはそれも余さず書いてあった。最初の骨斧はもちろん、タルワールに切り替わってから放たれるソードスキルの種類と対処法は昨日の会議でキッチリ確認済み。
E隊、G隊からこぼれてきた《センチネル》の相手をしつつ、俺は視界の端で最前線の様子も捉え続けたが、戦術が破綻する気配は感じ取れなかった。壁部隊と攻撃部隊のスイッチ及びPOTローテーションは充分に余裕があるようだし、視界の左端に小さく表示されている格レイドパーティーの平均HP残量も8割あたりで安定している。
……切り殺してやるよ……、データの化け物が。
《悪魔》と戦う時以外はあまりないことだが、俺は全身全霊で突っ込んでいく。
あらゆる動作から無駄が排除され、それゆえに技は速く、剣は重い。重武装のコボルド衛兵が振り回す恐ろしげな長斧を、一瞬の斬撃で遥か上空にまで弾き返し、「スイッチ!」というキリトの一言と共にフワリと飛び退く。代わりに俺がコボルドの前に飛び込んでも、敵はまだ激しく仰け反ったままで、がら空きになった胸元の弱点に《レイジスパイク》を撃ち込むのは簡単だった。
喉の急所に《レイジスパイク》を撃ち込まれたコボルド衛兵のHPゲージが、わずかに残った。ソードスキルを放った後の硬直が解けるや否や、同じ場所を最小限の動きでチクッと突く。それで敵のHPはゼロになり、青い破片を撒き散らして消滅。
その時、ボスコボルドの最初のHPゲージが消えた。最前線でディアベルが「3本目!」と叫び、壁の穴から追加の《センチネル》が飛び降りてくる。
自分達はオマケ部隊だということも忘れ、俺は手近な1匹に向かってダッシュした。
……アルゴリズムで動くモンスターがこの世界の《戦い》なら、俺がつい最近までしていた現実の《戦い》とは似て非なるものだった。
本来の感情とは無関係に、まだまだ戦いは続いていく。この世界は仮想が作り出した幻で、全てが偽物だとしても……俺やプレイヤー達が、ここに存在しているのは紛れもなく真実だ。
衛兵が振り下ろした斧を、黒紫髪の剣士が高々と打ち返していく。次の瞬間、自ら「スイッチ!」と叫び、片手剣と共に敵に向かっていく。
コボルドの王とその衛兵対プレイヤー45人の戦いは、予想を上回る順調さで推移した。
ディアベルのC隊が1本目のHPゲージを、D隊が2本目のゲージを削り、現在はF隊G隊がメイン火力になって3本目を半減させている。ここまで、壁役のA隊B隊メンバーが何度かHPをイエローゾーンまで追い遣った程度で、赤の危険域にまで落ちたことは一度もない。取り巻きの重装兵も、E隊とオマケ3人で余裕を持って処理できたので、途中からG隊をメイン戦場の支援に回したほどだ。
ことに目覚ましいのは、細剣使いアスナの奮戦だった。レイピアから放たれた《リニアー》は、衛兵コボルド達を追い詰め、初心者状態の頃とは大違いの強さを見せた。
まだ技は《リニアー》しか覚えていないが、この調子で今後知識を増やし、センスを磨けば、まさに鬼に金棒だと容易に想像できる。
HPが赤の危険域に落ちたコボルド王は、右手に持っていた骨斧、左手に持っていた盾を同時に投げ捨てた。高らかに吠え、右手を腰の後ろに持っていく。ぼろ布が粗雑に巻かれた柄を握り、凶悪に長い湾刀をぞろりと引き抜く。
ベータの初期に、何度もみた攻撃パターン変更モーションだ。ここからは死ぬまで曲刀カテゴリーのソードスキルだけを使う。バーサク状態で荒ぶる様は恐ろしいが、対処そのものは今までよりやりやすい。使う技が直線長射程の縦斬り系ばかりなので、技発動時の軌道をしっかり把握すれば、ボスに貼り付いたままでも回避可能なのだ。
ボスの無敵モーションが終了し、ちょうど戦闘が再開されるところだ。最初にタゲを取った青髪の騎士が、落ち着いた動作でボスの初撃を捌こうとしている。
イルファングが轟然と吠え、緩く湾曲した右手の刃を高々と……
「!?」
不意に、俺の頭の芯に《何か》がピリッとくる感覚が走った。
違和感。何かが違う。あのボスモンスターは、ベータテスト時のコボルド王とどこか違う。名前ではない。サイズでもない。顔でも声でもない。違和感の源は、ボス本人ではなく……右手の武器だ。
俺の位置からではほとんどシルエットしか見えないが……あの剣は細すぎる。緩く反った刃は確かにベータ時代と同じなれど、幅と輝きが違う。それは粗雑な鋳鉄のテスクチャではない。鍛えられ、研ぎ上げられた鋼鉄の色合い。あれと良く似た武器を、俺はベータ時代に第10層で見たことがある。赤い具足に身を包んだ、ベータ時代の強敵達が持っていた曲刀。プレイヤーには扱えない、モンスター専用カテゴリーの……
「まさか……!」
喉から、引き攣れたような音が漏れた。
しかし、既に時遅く、イルファングの巨体がどうっと床を揺るがせ、垂直に跳んだ。空中で体をギリリと捻り、武器に威力を溜める。落下すると同時に、蓄積されたパワーが、深紅の輝きに形を変えて竜巻の如く解き放たれる。
軌道は水平。攻撃角度は360度。
刀専用ソードスキル、重範囲攻撃《旋車》。
迸った6つのライトエフェクトは鮮やかに赤く、まるで血柱のように見えた。
視界左に表示されるC隊のHP平均値ゲージが、一気に5割を下回ってイエローに染まった。指先でゲージに触れれば6人の個別HPを見ることができるが、今は展開しても意味はない。
C隊全員がほぼ同値のダメージを喰らったのは明らかだ。
範囲攻撃のくせに一撃でHPを半分以上持っていく威力も凄まじいが、技の効果はそれに留まらない。床に倒れ込んだ6人の頭を、回転するおぼろな黄色い光が取り巻いている。一時的行動不能状態……スタンしているのだ。
SAOに十数種存在するバットステータスの中では、麻痺や盲目ほどには恐ろしいものではない。効果時間は最長でもせいぜい10秒。しかし発動が即時なうえ、回復手段が存在しない。それゆえ、前線メンバーがスタンした場合は、仲間がスイッチを待たずに飛び込み、タゲを引き受けねばならない。
だが、
動ける者は、1人としていなかった。事前に綿密極まる作戦会議をしていたこと。ここまでずっと楽勝ムードが続いていたこと。そして、頼るべきリーダーのディアベル本人が一撃で打ち倒されてしまったこと。それらの理由が複合して、C隊以外の全員の体を縛った。奇妙な静寂の中、コボルドロードが超大技を出した後の長めの硬直から回復した。
そこでようやく我に返り、キリトが叫ぼうとした。
「追撃が……」
同時に前線のほうで、両手斧使いエギル以下の数名が援護に動こうとした。
だが、間に合わなかった。
「ウグルオッ!!」
獣人が吠え、両手で握った刀を床すれすれの軌道から高く斬り上げた。ソードスキル《浮舟》。狙われたのは、正面に倒れる騎士ディアベルだった。薄赤い光の円弧に引っかけられたかのように、銀色の金属鎧を着込んだからだが高く宙に浮く。ダメージはさほどではない。しかし、コボルド王の動きも止まらない。
オオカミに似た巨大な口が、ニヤリと獰猛に笑った。
刀の刃を、再度赤いライトエフェクトが包む。《浮舟》はスキルコンボの開始技なのだ。あれをまともに喰らって浮かされたら、無駄に足掻こうとせず、体を丸めて最大防御姿勢を取らねばならない。しかし、初見ではそんな対処は不可能だ。
ディアベルは、空中で長剣を振りかぶり、反撃のソードスキルを撃とうとした。だが、システムはその不安定な動作をスキルの開始モーションとは判定しなかった。空しく剣を翳す騎士を、巨大な野太刀が正面から襲った。
眼にも止まらぬ上、下の連撃。そこから一拍溜めての突き。3連撃技、確か名を《緋扇》。
騎士の体を包んだ3連撃のダメージエフェクトは、その強烈な色彩と衝撃音で、全てがクリティカルヒットだったことを示していた。仮想体は20メートル近くも吹き飛ばされ、レイドメンバーの頭上を超えて、最後方でセンチネルの相手をしていた俺のすぐ近くに、ほとんど突き刺さるように落下した。そのHPゲージは既に全体が真っ赤に染まり、右端から急速に滅り始めていた。
「………」
ネザーは無言のまま、正面から迫るセンチネルの長斧を、ありったけの力を込めた《スラント》で撃った。斧の柄が半ばからへし折れ、立ったまま短いスタンに陥るコボルドの喉を、キリトが片手剣の根元まで埋まる勢いで貫く。
モンスターの爆散エフェクトすら見届けず、俺は体を翻し、倒れるディアベルに向き直った。
「……1人で突っ込もうとするとはな。勇敢か……さもなきゃ大バカ者か」
初めて近距離で騎士の顔を見ながら呟く。
今の呟きを聞いていたのか、ディアベルは弱々しく眼を開き、震える唇で、俺に言った。
「……お前も……元ベータテスターなら、わかるだろ」
「………!?」
不意に、ディアベルの一言は、俺の脳裏に刺激を働かせた。
……この男も……元ベータテスター……。
キリトの時とは違い、ディアベルが元テスターだとは、すぐに気付けなかった。そしてこれも同じく、気付けなかった。
「……ラストアタックボーナスによる、レアアイテム。それが狙いだったのか」
俺はようやく全てを察した。
この男は、過去を隠したまま今日まで戦ってきたのだ。そして隠したまま、仲間すら作ったのだから、プレッシャーも相当受けたいたのだろう。
俺はこのディアベルというプレイヤーを知らない。
だが、逆にディアベルは俺のことを知っているのだろう。そうでなければ、俺が元ベータテスターの1人だということもわからなかったはず。以前、ベータ時代のアインクラッドで顔を合わせたことがあるのかもしれない。しかし、あの頃はアバターと現実の容姿が同一化されていなかったため、当然今の姿で顔を合わせたことはない。おそらく、俺の性格あるいは雰囲気で正体を察したのだろう。ベータ時代も、俺の態度は今と大して変わらない。
フロアボスのレアドロップアイテムは世界に唯一の高性能品であり、入手すれば戦闘力を大幅にアップできる。SAOがでスゲームとなってしまった今、戦闘力は存在力と同義だ。ディアベルは、今後もこの世界を生き抜くために、あらゆる手段を講じてイルファングの落とすレア装備を手に入れようとした。
俺の考えを、倒れるディアベルも察したようだった。髪と同じく青みがかった双眸が一瞬歪み、しかしすぐに、ある種の純粋な光を宿した。唇が震え、弱々しい音量の言葉が流れた。
「……後は頼む。ボスを、倒して……」
最後まで言い終えることなく、アインクラッド初のボス攻略レイド指揮官、騎士ディアベルは、その体を青いガラスの欠片へと変えて四散させた。
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