批評家
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第一章
批評家
リヒャルト=ワーグナーは新聞に書かれていることを読んでそのうえでだ、家の中で甚だ憤慨して言っていた。
「また彼だよ」
「ハンスリック氏ね」
「そう、エドゥアルト=ハンスリックだよ」
こう事実上の妻であるコジマ=フォン=ビューローにも言うのだった。
「彼が私のことを書いているが」
「厳しい批評なのね」
「全く、いつもいつも」
苦々しい顔でだ、ワーグナーはさらに言った。
「よくここまで書けるものだ」
「あの人はブルックナーさんが好きだから」
「そして私の音楽はだ」
「否定しているわね」
「だからいつも書いてくれる」
批判的な批評をというのだ。
「私を叩く者は多いが」
「その中でもね」
「彼は特にだよ」
とかく敵の多いワーグナーだが彼は特にというのだ。
「いつも書いてくれる、こうなったら」
「こうなったら?」
「反撃だ」
ワーグナーは強い声で言った。
「やられたらやり返せだ」
「それでなのね」
「この批評には私も応じる」
強い声でまた言った。
「断固としてな」
「新聞に書くの?」
コジマは事実上の夫に問うた。
「そうするの?」
「新聞か」
「ええ、どうして反撃するの?」
「そうだな、新聞に書くのも手だ」
反撃のとだ、ワーグナーは事実上の妻の言葉にまずは頷いた。この事実上という言葉に二人の複雑な関係が出ている。
「前はそうしたな」
「そうね」
「匿名でな、しかし」
「今回は、というのね」
「そう、正攻法でいこう」
「正攻法?」
「私は音楽家でありだ」
そしてとだ、ワーグナーはコジマに自分自身のことも話した。
「脚本も書いている」
「つまり作品の全てを行っているわね」
「そうだ、だからだ」
「作品で応じるのね」
「丁度これまでとは違う作品を考えていた」
ワーグナーは作曲家、脚本家の顔になった。もっと言えば演出家でもある。即ち彼の作品の全てを行っている者としてだ。ついでに言えば指揮も行う。
「喜劇をな」
「これまでは違ったわね」
「妖精からな」
彼が二十歳の時に作った作品である、とはいっても彼自身はこの作品を含めて初期の作品については肯定的ではない。
「私は基本悲劇を作ってきた」
「そうだったわね」
「しかし今回は喜劇を作る」
「それでその作品の中でなのね」
「彼に対しよう」
「そうするのね」
「是非な、見ているのだ」
笑みを浮かべてだ、ワーグナーは言った。そして。
作曲に脚本を行っていった、彼は完璧主義なので作品はかなりの歳月がかかった。だが完成してだった。
コジマにだ、会心の笑みでこう言った。
「ではだ」
「反撃ね」
「その時が来た」
憎きハンスリックにというのだ。
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