譲り特急
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譲り特急
『情けは人の為ならず』という諺がある。
他人に情けをかけると、その情けがめぐりめぐってやがて自分に返ってくる。そういう諺である。
その諺が何を言いたいのかは理解できる。しかし、めぐりめぐってやがて自分に返ってくるという事が、俺には想像できない。
小学生の時、国語の授業で初めてこの諺を習った時に、俺は先生に1つ質問をした。
――先生、自分がかけた情けが、どうやって自分に戻ってくるんですか?
――具体的な例を挙げろ、と言われると難しいですね。情けがどうやって自分に返ってくるのか、自分で考えてみたらどうですか? きっと面白いですよ。もし、いい例を思いついたら、ぜひ先生にも教えて下さいね。
俺の質問に対して、先生は『自分で考えてみたらどうか』と提案した。
高齢の先生だった。高齢になると、自分が小学生の時の記憶は遠い昔の事となり、小学生がどんな生き物であるのか忘れてしまうものかもしれない。
自分で考えろ、と言われて実際に自分で考える小学生がどれ程いるというのか? それとも、この子は考える事ができる子だと期待されていたのだろうか?
そんな記憶も昔のことである。
俺は今や社会人。社会人としてはまだまだ新米な年齢であるが、だいぶ社会人としての常識と自覚が身についてきたと自分では思っている。
そして俺は現在、ニッポンで1番の大都会、都京の中心の駅、都京駅に来ている。
平日の朝。都京駅は、通勤や通学の人々でごった返している。スーツを着て会社に向かうサラリーマンたち。普段は俺も、あの『サラリーマンたち』の構成要素の1つだが、今日は違う。
今日、俺は通勤のために都京駅にいるのではない。仕事で繁忙期を乗り越えた俺は、休暇をとって温泉にいくのである。
温泉に行くのは俺1人ではなく、もう1人いる。そいつが来なければ俺は動き出せない。
「おお、もう来てるね速川!」
金古鉄郎(かねこ てつろう)が、俺の名前を呼びながら近づいてきた。
「じゃあ、早速ホームに行こうか」
そう言って金古は歩き出す。俺は何も考えずについていくだけだ。
金古鉄郎(かねこ てつろう)。俺の高校時代の友人の鉄道マニアである。鉄道マニアをこじらせて、ついに鉄道会社に就職した強者である。
俺は今日、金古と共に列車で大滋温泉という観光地に行くのである。鉄道会社で駅員として働いている金古は、不規則勤務なので、平日や土日はあまり関係ない。列車が関連する事は全て、プロの金古に任せてある。俺は一切知らない。
前を歩く金古は、迷うことなく都京駅を進んでいく。
金古についていき、プラットホームへたどり着いた。
目の前には、特急列車が停車している。乗降のドアは1車両に1個存在するだけで、座席は全て進行方向を向いている。まさに、列車で座ることを目的に作られた車両。普段、通勤に使っている一般の車両とはオーラが違う。
ホームの上にある電光掲示板に目を向ける。
『特急スーパーえちみね5号 8:00 大慈温泉』と書いてある。
なんだ、都京駅からこの列車で1本で行けるのか。知らなかった。
金古は足早に列車の中に入っていった。長い付き合いだから分かる、あいつは列車に乗るのが楽しみでワクワクしている。お前、駅員だろ。毎日列車を見てるだろ。飽きないでよくやるなアイツも。
俺と金古が乗っている列車は、午前8時0分の発車時刻ピッタリに動き出した。
金古に窓際を譲ってもらった俺は、窓から外を眺めることにした。実は俺は、特急列車が大好きだ。
誤解無きよう言っておくが、俺は決して鉄道マニアではない。ただ単に、優先されるものが好きなのだ。
俺は、他人に優先される事が好きで、他人を優先することが嫌い、というやっかいな性格なのだ。狭い道で対向から人が来ても、自分から譲ることは絶対にしない。高速道路で車を運転する時は、常に追い越し車線を走行する。
同じ理屈で、特急列車も好きだ。鉄道における特急列車は、その路線において最上位の存在である。特急列車を抜かす者は存在せず、特急列車の前を走る他の列車は、特急のために道(線路)を開けて、特急列車が通り過ぎるのを待つ運命にある。
俺が外の景色を見るのも、抜かされる列車、つまり俺たちを優先している者たちを見るためだ。さあ、下等列車どもよ、我ら特急列車のために道を開けるのだ!
「まもなく、日比沼に到着します。お出口は、右側です」
停車駅が近づいたことを知らせる自動放送がかかった。え、もう停車するのかよ? まだ発車して5分も経ってないぜ? もっと優先されてもいいんじゃないの? くそう、金古に質問してイライラを解消してやる。
「金古、もう停まるのかよ? 全然、特別に急いでないじゃん」
さあ、どう答える金古? 納得する答えを聞かせてもらおうか?
「いやあ、しょうがないでしょ。日比沼駅は大きい駅だし。この後からは、かなり駅を通過するから」
あまり納得できる答えではなかった。しかし、日比沼駅に停車し、人が多く乗ってくるのを見れば、停車するのも仕方がないと思うしかない。
日比沼駅を出発してすぐ、再び車内の自動放送が流れる。
「ご利用の列車は、スーパーえちみね5号、大滋温泉行きです。途中の停車駅は、国府原、鼎川、中小町、和士別、九頭谷、越峰成田、越峰曇天山、越峰鷲巣、終着の大滋温泉です」
その他にも、列車が何両編成だとか、トイレが何号車にあるかなど放送していたが、あまり聞いていなかった。1つ驚いたことがあった。
「次、国府原まで停まんないのか?」
「そう。けっこう停まらないでしょ?」
国府原は、都京からかなり離れた場所にあったと思う。さすがに100kmは離れていないと思うが、50km以上は離れていたと思う。この間にはけっこうな主要都市もあったと思うが、全部無視するらしい。
これこそ特急列車の特権だと思う。特急列車が停まらない駅は、ある意味では自分の意見を飲み込み、特急列車を優先しているのだと思う。
自分が優先されていると思うと、突然ワクワクしてきた。
「まもなく、国府原に到着します。お出口は、右側です」
そう自動放送で流れてきた。もうすぐ国府原に着くらしい。
ここまでの行程はなかなか面白かった。都心を走っている時は、前の列車が詰まっているせいで遅い速度でノロノロと走っていたが、それでも列車を抜かせる駅を通る度に1本ずつ確実に前の列車を抜かしているので、自分が優先されている事を実感できた。
都心を抜けてからは、かなりの速度で走り、数々の駅を飛ばしていった。かなりスピード感があったし、優先されたことで短い時間で目的地に近づいていると感じたのだ。
ふと視線を横にやる。金古は分厚い時刻表とにらめっこしていた。駅名と時刻がひたすらに羅列されたページが一瞬目に入ってくる。自分が乗っている列車が、何時にどこに停まるのか確認しているのだろうか。
車の運転とは違い、列車は発車する前から既に到着時刻が決められている。それを思う時、ふと、特急列車に乗っている自分が優先されているのが錯覚なのではないか、と感じてしまった。
俺は、自分が優先されているから通常よりも早く次の駅に着いたと思っているが、時刻表の上では『通常よりも早く着く』という偉業が、最初から予言された決定事項なのである。
言うなれば、努力によって己の限界を超えた自分の前に、神が突然現れて「お前が限界を超えることは最初から決まっていた事だから。別にすごい事でもなんでもないよ」と言われたような気分である。
そんなメルヘンな想像をしていると、俺の視線に気がついた金古が声をかけてきた。
「国府原から先は、単線なんだよ」
「単線?」
「都会を走る鉄道のほとんどは、上り列車と下り列車で線路が分かれてるでしょ? あれを複線って言うんだけど、逆に列車が少ない田舎は、1つの線路を両方の列車が走るんだ。これが単線」
「それって、反対方向から来る列車と正面衝突しないのか?」
「さすがに今のニッポンでそんな事故はなかなか聞かないね」
会話している間に、列車は国府原駅を出発した。
金古の話では単線だと言う話だったが、素人目には特に普通と変わらないように見える。
「まもなく、鼎川に到着します。お出口は、左側です」
そう自動放送が流れ、列車の速度が下がっていく。
やがて列車が停まった。しかし、ふと外に目をやると、駅名標には坂々井駅と書いてある。あれ? 鼎川駅じゃないのか? 金古に聞いてみよう。
「次の駅って、鼎川駅じゃないのか? 外に坂々井駅って書いてあるけど」
「ああ、ここは停車駅じゃないよ。ドアも閉まったままだし」
ドアが閉まったままって、なんで分かるんだよ? 座席からはドア見えないだろ? そもそも、なんで停まってるんだよ? そう俺が思っていると、それに答えるかのように放送が入る。今度は自動放送ではなく、車掌による肉声放送だ。
「えー、対向列車の行き違いのため停車しております。4分程お待ち下さい」
列車の行き違い? ああ、そういえば金古が単線だって言っていたな。そうか、線路が1本しかないから、向こうの列車が来るまで先に進めないのか。
窓から外の様子を見る。この坂々井駅には、自分たちが乗ってる列車が占領している線路の他に、もう1本の線路があった。
いや、でも待てよ。こっちは天下の特急列車だぜ? 向こうが先に待っていて、後から来た我らが特急列車を先に通すのが筋ってもんだろ? だいたい、向こうの列車を待ってたら、我らが特急列車が遅れるだろ? ああ、その遅れすらも時刻表が予言してるから問題無いのか。それでも待たされるのは納得いかないが。
3分くらい経った時、反対側から来た特急列車が坂々井駅を通過した。
反対側も天下の特急列車だったのか。対等な関係なら、先に来た方が待つのは仕方ないか。いや、ちょっと待てや。俺たちはずっと待っていたのに、あっちはただ通り過ぎるだけなのかよ? 納得がいかないぞ金古!
「なあ金古、俺たちはずっと反対側の奴らを待ってたのに、反対側の奴らは俺たちを無視していって、そんなのアリか?」
金古が少し呆れた顔をした。一見、表情を変えてないように思えるが、長いつきあいの俺には分かる。
金古が口を開いた。
「言っておくけど、僕たちが乗ってる列車も、反対方向に向かう特急が停まっている駅を通過したことあるからね。気づいてないと思うけど」
マジで?
「いつ?」
「国府原を出た直後で」
金古がさらに言葉を続ける。
「単線なんだから、譲り合うしかないでしょ」
譲る。俺の中には無い言葉だな。理屈は理解できるが、なんとなく納得はできない。
事件はそれだけで終わらなかった。
待たされた坂々井駅を出発後、わずか2分で次の停車駅の鼎川に到着した。見ればこの駅、線路が3本あり、上りと下りの行き違いができそうな駅である。
「なあ金古、俺たちがさっき4分も待たなくても、この駅で行き違いをすればよかったんじゃないのか?」
俺の質問に対し、金古は窓の外の鼎川駅を見渡した後で答えた。
「今、僕たちの列車が停まっているホーム、階段を使わないで改札口まで行けるよね」
言われて、俺は駅の構造を見る。
1階にある駅舎から改札口を抜けると、いきなり1番線のホームがある。1番線は俺たちの列車が停まっている場所だ。
2番線と3番線のホームに行くには、階段を使う必要がありそうだ。
金古の説明が再開される。
「この駅で特急同士を行き違いさせると、どちらかの特急は2番線と3番線側のホームに追いやられる。つまり、どちらかのお客さんは、階段を上らされる訳だよ。優先されるべき特急列車に乗っているにも関わらずね」
なるほど。優先とは、なにも早く着くことだけではない。快適さでも優先されなければいけない。色んな人の、色んな優先を考えた結果、今の形があるのか。
列車は鼎川駅を出発した。俺はトイレに行くために席を立った。座席が並ぶスペースを抜け、金古に教えられたトイレのある号車を目指す。
車両の繋ぎ目は、通れる場所が狭くなっている。ここで、対向から大きな荷物を持った人が歩いてくるのが見えた。おそらく鼎川駅から乗ってきて、自分の指定席に向かっている途中なのだろう。
俺は道を譲ることなく、構わずに進んだ。いくら狭い場所といっても関係ない。俺たちは人間であり、線路を進む列車ではない。狭い場所でもすれ違うことができる。
それに、相手はただ単に自分の座席へ移動している途中だ。対して俺はトイレに向かう途中である。急いでいるのは俺の方。列車で言うなら、特急列車は俺のハズだ。
強い意思で狭い道を進んでいく。相手は、『自分が通り抜けるまで待ってろよ』と言いたげな視線だが、関係ない。
相手は立ち止まり、仕方なく持っている荷物を体の片側によせた。予想外に大きな荷物で、すり抜けるのに時間がかかった。
ふと、家の近くの道を思い出した。
家の近くにも狭い通路がある。当然、俺は道を譲ったことがない。いつでも強気で道を譲らない俺をみた友達が、俺をたしなめたこともある。
――速ちゃん、たまには道を譲れば? ほら、よく言うじゃん「情けは人の為ならず」って。譲った情けは、いつか自分に返ってくるよ
相手が知っている人物であれば、情けは返ってくるかもしれない。しかし通行人は知らない人である。その場限りの知らない人に与えた情けが返ってくる確率など0%だろう。ならば情けを与える必要性はない。
とにかく、俺は今大きな荷物をすり抜け、トイレにたどり着いた。
列車は、鼎川の次の停車駅の中小町を出発してしばらく時間が経った。列車は森の中を走っているらしく、周りの風景はとにかく森である。
列車が速度を落とし始めた。そろそろ次の駅かと思うが、次の停車駅の接近を知らせる自動放送は流れない。まさか、また列車の行き違いか?
列車は小さな駅に停まった。木々田駅と書いてある。ここで、車掌による肉声放送が入った。
「え、列車の行き違いのため停車しております。発車まで……え、2分程お待ちください」
2分ぐらいなら我慢してやろう。そう思ってなんとなく駅を眺めることにした。
しかし事件は起きた。
対向から現れた列車は、特急列車ではなく普通列車だった。
おいおい、我らが天下の特急列車は、いつから普通列車の為に待つようになったんだ?
いくら行き違いでも、我ら天下の特急列車が、普通列車に待たされるなんて事があって良いのだろうか? 金古に訊いてみよう。
「なあ金古。こっちが特急なのに、なんで普通列車を待たなきゃいけないんだ?」
金古は俺の問いに対して時刻表を開き、やがて納得した様子を見て、今度は俺の方を向いた。金古は時刻表に乗っている路線図を俺に見せながら説明を始める。
「今、僕たちは木々田駅にいる。1つ先に塩池駅がある」
「ああ」
「この木々田駅で対向の普通列車を待った後、今度は先にある塩池駅で特急列車と入れ違う。これは相手側が先に着いて待っている」
ん? ちょっとまて。1つ先の塩池駅で入れ違い? つまり塩池駅は入れ違いができる駅? だったら……
「だったら、普通列車を先に塩池駅で待たせておいて、後から来た俺たちが塩池駅を通過すれば済む話なんじゃないか?」
思った事をそのまま口に出した。そうだよ。普通列車が塩池駅を発車するからダメなんだ。塩池駅でおとなしく我らが特急を待っていればいいのに。さあどうなんだ金古? 納得いく説明をしてもらおうか? 俺は金古の反論を待った。
「それが、そうは上手くいかない。向こうから来る普通列車のすぐ後ろには、特急列車が後を追っている。もし、塩池駅で僕らと普通列車が行違ったら、その先(僕たちが今から向かう方向)の特急列車を処理できない」
「じゃあ、その向こうからくる特急は、塩池駅よりも先のどっかの駅に待たせておけばいいだろ?」
「残念。塩池駅より先は、駅を3つ行かないと行き違い可能な駅が無い」
あれ? けっこう上手くいかないもんだな。いや、まだ何か解決方法はあるハズだ。考えろ。金古を論破するんだ。何かないか? ああ、そうだ。
「だったら、塩池駅で対向の普通列車と出会った後、我ら特急はそのまま塩池に留まって、後からくる対向の特急を待てばいいだろ? なにも木々田駅で普通列車が来るのを待つ必要はないだろ?」
我ながら良い考えだと思う。そうだよ。1つの駅で2回行き違いをしてはいけないなんてルールは無いだろ。さあ金古、反論はあるのか? ……ありそうだな。目が語ってる。お前の考えは違うって。金古が口を開く。
「それこそ対向列車待ちを、今やるのか、後回しにするか、の違いだと思うけど。先に普通列車を待つか、後で特急列車を待つか、この違い。しかも後者の方が待ち時間が長い」
一旦区切り、再度金古が口を開く。
「今の問題は、いかにして僕らの待ち時間を少なく奥にいる対向の特急列車と入れ違うか、この1点。その場しのぎで普通列車と待ち時間を少なく入れ違っても意味は無い。
・まず時刻表に書いてある実際のダイヤを考えると、木々田で普通列車を待つ時間は2分、塩池では相手が先に待っているから特急列車を待つ時間は0分。合計で2分。
・対して速川の案だと、木々田で普通列車を待つ時間は0分だけど、問題は塩池での待ち時間だ。塩池に僕たちが停まった後、普通列車が発車する。列車は安全第一だから、列車の間隔が開かないと列車は進めない。道路を走る車みたいな感覚じゃないんだ。だから普通列車が去った瞬間に、後ろの特急が即座に塩池に入ることはできない。特急が入ってくる頃には2分くらいは経っていると思うね」
マジか。相手を待つ事。相手に道を譲る事。これを実行する方が自分自身も早く目的地に着くことができるのか。鉄道とはなんという怪奇なものだ。
そして今度、金古は俺の性格について言及する。
「だいたい速川は昔から、せっかちで短絡的だ。その場限りの利益だけ考えて、後のことを考えない。高校の時もそうだ。部室棟になってた旧校舎の狭い廊下。あそこでお前、絶対に道を譲らなかったよな。お前が道を譲れば、お前自身も早く目的地に着けるような状況、何回もあったぜ」
そんな訳あるか。と言いたいが、鉄道の時刻表の世界では相手に道を譲った方が自分も早く目的地に着けるという例を知ったばかりだ。もしかしたら、その怪奇な現象が起こるのは鉄道だけでなく、この世界では普通に起きていることなのかもしれない。
『情けは人の為ならず』という諺がある。
他人に情けをかけると、その情けがめぐりめぐってやがて自分に返ってくる。そういう諺である。
しかし現実には、めぐりめぐらずとも、一瞬で自分に返ってくることがあるのかも知れない。
列車は和士別駅を発車した。
金古を議論したせいか、喉が渇いた。財布から500円玉を取り出し、自動販売機に向かう。自動販売機がある号車は金古が教えてくれた。
車両の繋ぎ目は、通れる場所が狭くなっている。ここで、対向から人が歩いてくるのが見えた。
特に大きな荷物を持っている訳ではなく、頑張ればすれ違えそうだが、車両の繋ぎ目に先に到着した相手に俺は道を譲った。
相手は俺に一礼をして去っていった。相手に道を譲ったことで、果たして譲らなかった時よりも早く目的地に着けるかと聞かれれば、首をかしげざるを得ない。
しかし、道を譲ったことで分かったことが1つある。相手に道を譲っても、そんなに時間のロスにはならない。
道を譲る事は、自分の人生の多くの時間が無駄になるように思っていたが、実際にやってみると、拍子抜けするくらい短い時間の出来事であった。
いくつか車両を抜け、自動販売機がある号車へ辿り着いた。
反対側から、自動販売機に向かって歩いてくる人がいた。自動販売機からの距離は、俺も相手も同じくらいだ。強引に自動販売機に近づけば俺が先に買える。だが、あえて相手に先を譲ることにした。他人に先を譲るという自分にとっては未知の行動は、何か新しい発見を俺にもたらすかも知れないからだ。
相手は俺に一礼して、自動販売機に小銭を入れようとする。相手は一瞬、小銭を入れる手を止め、それから別の小銭を取り出して入れ、即座にボタンを押して飲み物を買った。お釣りは無かった。
相手は去り際に自動販売機をチラッと見てから去っていった。何か気になったことでもあったのか。
俺は500円玉を入れて120円の飲み物を買った。お釣りがジャラジャラと出てくる。ふと自動販売機を見ると、買う前には無かったランプが点いている。10円玉の釣銭切れを知らせるランプだ。
ああ、俺より先に買った人が気にしてたのはこれか。釣銭切れだったから10円玉に変えたんだ。買った後に釣銭切れが消えたから、俺には何も言わずに去っていったのか。
俺は小銭を500円玉しか持っていなかった。もし俺が先に買ってたら、話がややこしくなっただろう。相手に、「10円玉で先に買ってくれませんか」と頼んで。二度手間だ。
『情けは人の為ならず』という諺がある。
他人に情けをかけると、その情けがめぐりめぐってやがて自分に返ってくる。そういう諺である。
そういう事は日常的に起きているのかもしれない。しかし俺たちはなかなか気がつかない。鶴の恩返しのような大きい見返りを期待するあまり、小さな見返りに気がついていないのかもしれない。
大滋温泉で休暇を過ごす間、少し譲ることを心がけてみようか。そして、どうやってその情けが俺に返ってくるのか想像し、考えるのも面白そうだ。
列車は、終着の大滋温泉駅に向かって走り続ける。対向の列車にときどき道を譲りながら。
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