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世界最年少のプロゲーマーが女性の世界に

作者:友人K
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10話

 
前書き
番外編製作中ですがまだかかりそうなので本編と同時進行でいきます。 

 

 IS学園に存在する治療用の病室で鬼一は静かに目を覚ます。

「……うっ、ぐぅ……」

 目を覚ました鬼一は全身を蝕むそれに、思わず苦痛に満ちた声を漏らした。全身が焼けるような熱さと、身体の内側から針で突き刺されるような痛みが断続的に襲いかかる。加えて頭蓋に亀裂が入るかと思うような鋭い痛み。様々な痛みに意識が強引に現実を呼び覚ます。

 ―――何を、していたんだ。僕は……?

 セシリアの時と同様に鬼一は自分が何をしてこうなったのか思い出すことは出来ない。セシリア戦を超える疲労感と初めて味わう身体の激痛に混乱する。 

 鬼一の右手には小さな注射針が刺さっており針にはチューブが繋がれていて、そのチューブの先には薬液が入ったパックが吊るされていた。その点滴が鬼一の身体の状態の一端を示していた。

 身体をベッドから起こそうしたがそれは叶わず、限界を超えた酷使に身体はほとんど動かすことが出来ない。『人格』が変わったことによる負担が頭痛を生み出していた。だが、鬼一はそれを知らない。

 セシリア戦で見せた勝負の場、e-Sportsを何よりも重んじ、その上で勝利を握るために情報を集め、戦略、対策を生み出す『表』の鬼一。プロゲーマーとしての顔。

 一夏戦の序盤中盤で見せた、勝つためには傷つけることを躊躇わず実行し、容赦なく対戦相手を潰そうとする鬼一。冷酷で無慈悲、人として歪んでしまった顔。

 そして終盤で見せたのは月夜 鬼一の持つ全てのポテンシャルを発揮した、勝敗にどこまでも真摯に、どこまでも勝利を渇望し、どんな格上であろうとも死に物狂いで掴み取る、言わば鬼一の本質の一端を表している顔。

 月夜 鬼一には複数の人格が存在する、3つの存在を知っている人間からはそう評されている。だが、あくまでもそれはプレイスタイルがまったく違うものに変貌する様から、そう言われていたのだが。しかし、鬼一はそれを自覚できない。戦いの中身を思い出すこともできないし、後に試合の内容を動画などで見たとしても、それが当時の自分が導き出した最善なんだと信じることしかできないからだ。

 悲鳴を上げる身体の痛みを無視して、鬼一は再度身体を起こそうとしたがやはり出来なかった。

 しかし、身体を起こそうとする鬼一の背中を支えて手助けをする人間がいた。

「鬼一さん、ご無理をされてはいけません」

 労わるように、慰めるように、慈愛に満ちた声色と優しい手つきで、控えていたセシリアは鬼一を支える。身体を起こした鬼一は、底に溜まっている熱を吐き出すように深呼吸を繰り返す。

「……セ、シリア、さん……?」

 意識がハッキリとしていないのか、熱に浮かされたような声で鬼一は問いかける。視界が明るくなっておらず、誰がいるのか分かっていないみたいだ。眼鏡がないこともそれに拍車をかけていた。ただ、友人であり理解者の声を忘れることはない。

 セシリアの細く、白い手が鬼一の左手を触れる。鬼一の左手についている手袋は外されてしまっているため義指が剥き出しになっているが、そんなことは気にせずセシリアは両手で包み込む。その冷たい手に鬼一の意識が僅かに戻ってくる。

「……そうです、セシリア・オルコットです鬼一さん」

 その声に鬼一は途方もない罪悪感に苛まれた。優しさの中に悲しさが混じっていることに気づいたからだ。そして、その悲しさが何から生み出されていることも知っている。見られたくない義指を見られた感情など一瞬で吹き飛んだ。そんなことよりもこんな悲しい顔をされる方が鬼一には遥かに辛かった。自分が傷つけてしまったものを目の前で見たときの衝撃は大きい。いつまで経っても慣れない。

 熱い呼吸を繰り返している鬼一を癒すように、セシリアの右手が鬼一の背中に回される。ゆっくりとした動作で背中を擦る。その冷たい右手が今は心地いい。

 少しずつ、少しずつ鬼一の呼吸が落ち着いてくる。落ち着くに従って少しずつ意識の輪郭を取り戻していく。自分が何をしていたのかはまったく思い出せないが、ただ、こんな顔をさせてしまうほど愚かなことをしてしまったのだけは理解できた。

「……ありがとう、ござい、ます。セシリア、さん……」

 掠れた声で、今は感謝することしか出来なかった。それしか、出来ない。それが心苦しい。

「……喋らないでください。今もお辛いでしょう? お飲み物は飲めますか?」

 その言葉に鬼一は頷く。喉が異常なまでに乾いている。

 鬼一の頷きに、セシリアはテーブルの上に置いておいたミネラルウォーターの中身をガラス製の器に注ぐ。その器を左手で持ったセシリアは鬼一の口にまで添える。

「ゆっくり飲んでください」

 セシリアの言葉に従って口をゆっくりと開き、震える右手でセシリアの左手を握ってガラス製の器を傾けて中身を口に含む。

 緩慢な動作でゆっくりと、ゆっくりと時間をかけて水を身体に染み込ませる。喉を通り、体内に広がっていく冷たさが熱を取り除く。柔らかな味わいに身体が喜んでくれていることがよく分かった。

 飲み終えた鬼一はセシリアの左手から手を離す。左手の冷たさが少し名残惜しかった。

 カタン、と音を立ててセシリアが器をテーブルに置く。

「鬼一さん、少しは楽になれましたか……?」

 セシリアの心配混じりの声に幾分ハッキリしてきた鬼一が応える。

「……はい、大丈夫です。どうやら、ご迷惑をおかけしたみたいですね」

 安堵の混じった表情に変わったセシリアを見て、鬼一も安心する。だが罪悪感はなくならない。

「……今の鬼一さんは、本当に、鬼一さんですか……?」

 その言葉にどんな意味があったのか鬼一には分からない。きっとセシリア自身も分かっていないのだろう。じゃなければセシリアが不明瞭な質問をするはずがない。

 セシリアは今の鬼一と一夏戦で見せた鬼一があまりにも違いすぎて結びつかなかった。比喩でもなんでもなく別人としか思えない。一夏戦で見せた顔と今の顔はあまりにも違いすぎる。

「……僕は、僕ですよ」

 そこで初めて鬼一は笑顔を見せた。あの夜セシリアだけに、友人に見せた笑顔が浮かぶ。IS学園ではセシリア以外には誰にも見せていない表情。安堵の意味合いが強い笑顔。

「……良かった……」

 その笑顔にセシリアは心から安堵したのか、小さくため息を吐きながら目を伏せた。セシリアのそんな表情に鬼一は更に深い罪悪感に包まれる。

「……すいません、セシリアさん」

 鬼一の謝罪にセシリアは小さく、ゆっくりと何度も首を横に振る。ただ今は安心していた。目の前の人が大丈夫だったことに。

 だがそんな安心も、一瞬にして砕かれた。

 鬼一の次の言葉を受け入れられなかった。

「……セシリアさん、僕は、なんでこんな場所にいるのでしょうか?」

「……えっ?」

 セシリアの思考が凍りつく。今、この人はなんて言ったのか? 耳には入ってきたが、そのまま頭には入らず通りすぎていく。

 ―――あんな自分を追い込むような戦いをして、それを思い出せない。

 ―――あんな自分を壊すような戦いをして、それを思い出せない。

 ―――あんな自分を殺すような戦いをして、それを思い出せない。

 もしかしてこの人は、あんな戦いを理解していないまま過去に何度も何度も繰り返したのだろうか? その危険性を知らないままここまで走ってきたのか? いや、ISだからこそ付き纏う危険性をこの人は理解していない。そして本当に覚えていないんだ。じゃなければこんな真似はできるはずがない。

 セシリアは震えた声で鬼一に問いかける。

「……嘘、で、ございますよね? 鬼一さん?」

 出来ることなら否定して欲しかった。出来ることなら嘘だと言って欲しかった。そんなことがあるはずがないと。 

 そんなセシリアには気づかず鬼一は苦笑しながら否定する。

 「いえ、集中しきっていると、その戦いが思い出せないことがよくあるんですよ」

 その言葉にセシリアは衝動的に右手を振り上げ―――

 ―――鬼一の左頬を平手打ちした。

 左頬を左手で押さえながら、鬼一は呆然とした表情になる。今起きた出来事が理解出来ないみたいだ。

 自分のしでかしたことを否定するように、セシリアはその右手を左手で押さえる。ジンジンとした熱が右手に宿っている。

 だが、そんなことは些細なことだと言わんばかりにセシリアは迷わず鬼一をベッドに押し倒した。鬼一にそれに抵抗する力などない。

 鬼一の両肩に置かれたセシリアの両手。その手が震えていることに鬼一は気づいた。そして、なんでセシリアが今にも泣きそうな顔をしているのか分からない。ただ、心が痛みを訴えているような気がした。

「……セ、シリア、さん……?」

 鬼一を見下ろしているセシリアに困惑した鬼一の声がかけられる。だがセシリアはそれに応えない。応えられない。

 痛みを、怒りを押し殺したセシリアの絞り出すような悲鳴じみた声が鬼一に降り注ぐ。
 
 「貴方はっ……貴方はっ、ずっとこんな戦いを繰り返していたのですか!? ……こんな、こんな自分を死なせてしまうような戦いを!? ご自身で、気付くこ、ともなく……?」

 勢いのあった言葉だったが最後の方は萎むように小さくなり掠れていった。セシリアの瞳から蒼い雫が溢れ鬼一のシャツに染みを作る。

 セシリアは鬼一の戦いを理解しているようで理解していなかった。鬼一の戦いとセシリアの戦いというものは似ているようで本性は別物だ。

 どちらも何かを得るためにたくさんのものを犠牲にし戦い、勝ち得てきた。確かにセシリアもいざというときには自分の命を賭けて戦うことが出来る。だが、その選択権は常に自分が持っている。戦う権利もそれに対して何を差し出すのかも全て自分で考え、少ない選択肢の中から選び出しているのだ。セシリアはどんな戦いであれ、最終的には自分に選択権が与えられていることを自覚している。最悪、逃げ出す権利すらもあると思っている。

 だが、鬼一は違う。

 どんな戦いであれ、鬼一にはその選択肢がないのだ。文字通り全てを賭して戦うことしか出来ない。逃げ出すこともしない。全ての戦いを鬼一は受け入れ、自分の身を差し出し続けてきた。義指がそれを表していると言ってもいい。恐怖や痛みから逃げ出そうとしない。それを出来るにも関わらず。その権利があるにも関わらずだ。

 何を犠牲にするのか? そこには必ず自分が入っている。

 何を守るのか? そこには自分が入っていない。

 セシリアは鬼一の戦いを、ブレーキが壊れた車でアクセルをベタ踏みするような危険な代物だと断じる。最初から選択肢がないことに悲しさを感じる。ただ自分を傷つけるだけの戦いにしか見えなかった。

 それを自覚しているならいっそのことよかったかもしれない。自覚した上での行為ならセシリアは何度ぶってでもそれを止めていたかもしれない。でもそれはできない。

 だけど鬼一はそれを知らない。誰よりも自覚していなければならないことを自覚していない。ISという危険性のある代物だからそれが表面化してしまった。

 ―――人として壊れてしまっている。自分を一切勘定に入れないその姿勢を、セシリアは見過ごすことは出来ない。いくら大切なものがあるからって死んでしまえば何も意味がない、と。本人が自覚していない以上、どうしようもないかもしれない。それでもセシリアは言わずにいられなかった。

「鬼一さん、貴方の戦いを否定するつもりはございません……。ですが、ですが! その戦いはいつか必ずご自分を壊してしまいます! ISという少なからず危険性を孕んでいるそれでそんな戦いをしていれば、いつか取り返しがつかないことになってしまいます!」

 自分が死んでしまえば、残された者の悲しみは言葉に出来ない。セシリアも鬼一も両親を亡くしているのだから痛いほど理解している。だが鬼一の本質はそんな当たり前のことすら振り切ってしまう。自分で制御することの出来ないそれの終点は破滅でしかないとセシリアは叫ぶ。

 セシリアは鬼一の本質を全て知っていたわけではないが、その一端に触れていた。

 鬼一の守る守らないの戦いは表面的なものでしかなく、その奥底にあるのは勝つ、負けるの戦いしか存在しないことを。 

 そんなセシリアの悲痛な叫びも虚しく、鬼一には届かない。鬼一にはセシリアの言葉がどういうことなのか分からない。でも、そんなことよりも―――

 ―――自分のしたことによって目の前にいる人が泣いている、そっちの方が悲しかった。目の前にいる人を傷つけるつもりなんて、なかったのに。

 鬼一にはその言葉がどういうことなのか分からない。でも、その言葉には確かな痛みが宿っている。だから鬼一は、安心させるようにまた笑う。満足に動かない両腕を動かしてセシリアの顔を包む。一切の偽りもなく、本心からその言葉を紡いだ。

「……『ごめんなさい』、セシリアさん」

 理解者であり友人のその言葉にどんな意味があったのか、セシリアには深くは分からなかった。だけど、自分のことよりも他人のことを優先したその優しい言葉にセシリアは泣いているような、笑っているような複雑な表情になる。この友人を止めることは出来ないことを悟ってしまったからだ。きっと、壊れるまで戦い続けて、そして、壊れることで、止まることの出来る存在であることに気づいてしまった。

 壊れてしまう前に、取り返しがつかなくなる前に必ず止めてみせる。

 セシリアは、そう心に決めた。

 自動ドアが開く機械的な音がする。

「……お邪魔だったかしら?」

 病室に入ってきたのは事後処理を終わらせて様子を見に来た楯無だった。その表情は楽しそうに笑っている。

 その声に鬼一とセシリアの2人だけの時間が現実に戻る。

「―――たっちゃん先輩?」

「―――更識生徒会長?」

 どこか間の抜けた2人の顔。楯無に向けられた視線がそれぞれ正面の相手に向けられる。

 さて、今の2人の状況を思い出してみよう。

 鬼一はベッドの上で横になり、その両手はセシリアの頬に添えられている。

 セシリアはそんな鬼一に跨っていて、両手は肩の上に置かれている。

 つまりは、そういうことだ。    
 
「っセ、セシリ、セシリアさんっ!」

「っき、鬼一さん! 申し訳ございませんっ!」

 今の状況を客観的に見てみると、恋人のそれであると理解した2人は焦ったような声を張り上げる。

 慌ててセシリアはベッドから降りる。顔と耳が真っ赤に染まっていて、本人も自覚しているのか窓際に向かって早足で歩く。今の顔を鬼一に見られたくなかったからだ。

 だが鬼一はベッドから動くことが出来ない。ゆでダコのように真っ赤になった顔はあさってに向けられる。が、楯無から見たら丸見えであることには変わらないので、ただ恥ずかしいの一言だった。

 そんな2人を見て、くすくすと忍び笑いを零しながら鬼一に近づく楯無。

 ―――さて、色々と言いたいことはあるけども、まずは―――

 今の光景に対して精々弄り倒してやろう、と楯無は決めた。

 戦いから日常に変わる。

――――――――――――

 時同じくして、別の病室にいた一夏も目を覚ました。

 身体の痛みそのものはそこまでなかったが、ただ、極度の運動をした直後のように身体が重かった。状況が飲み込めていないのか、視線を周りに彷徨わせる。そこで自分が保健室かどこかのベッドで寝ていたことが分かった。

 ―――……あれ? 俺、どうなったんだっけか? 零落白夜の一撃が当たって……。

「っ!? そうだ! どっちだ!? どっちが勝ったんだ!?」

 痛みを訴える身体を無視して一夏は勢いよく起き上がる。自分の覚悟を貫けたのか、それとも駄目だったのか。それだけが気になった。

 「結果は引き分けだ。月夜とお前の一撃は、結果として同時にシールドエネルギーを0にした」

 一夏を囲っていたカーテンを開けたのは千冬だった。その言葉に一夏は脱力して再度ベッドに身を倒す。

 ―――勝つこと、できなかったのか……。

 身体を包み込む倦怠感。自分の覚悟を肯定させることが出来なかった。相手の考えを否定することを出来なかった。ただそれだけが悔しかった。

 そんな一夏に対して、千冬は2人の戦いを見て疑問を抱いていたのか問いかける。

「一夏。お前と月夜の間に何かあったのか?」 

 その言葉に一夏は身を固まらせる。正直話したくないと思う。だが、千冬の目と言葉がそれを許さないと語りかけている。

 千冬の目から見ても明らかにおかしかった。IS素人の戦いのそれではなく、鋼のような意志と強固な信念のぶつけあう戦いだった。2人の戦いは確かに細かい部分で稚拙さや未熟さの残るものだったが、そんなものは関係ないと言わんばかりの戦い。剥き出しの本能と全てを焼き焦がすほどの情熱に満ちた闘争と言い換えても良かった。

 2人の戦いは常人では決して届くことのないものだと千冬は感じた。

 一夏は生まれ持った戦いに置ける危険への嗅覚、天性の才能、土壇場で発揮され人知を嘲笑うセンス。

 鬼一は過去の数え切れないほどの死闘から生み出た、莫大な経験と常軌を逸した集中力、そしてそこから生み出される不可能を可能にする力。

 対の存在とも言えるそんな2人だが共通していることがある。2人は凡人たちを一瞬で置き去り、生半可な努力や才能を踏み潰せるということだ。

 身体を起こした一夏は鬼一とのやりとりを自分の姉に試合前の出来事をゆっくりと話し出す。

 ―――鬼一の人を傷つける戦いしかできないことを。

 ―――鬼一の考え、守るために何かを傷つけることが間違っていることを

 ―――犠牲の上にしか守れない、守ることに自分は納得できないことを。

 ―――そんな戦いを鬼一はこれからも繰り返すことを。

 ―――セシリア戦の時は姉の名を守るつもりだったが、鬼一の戦いを見て姉を守ることを決意したことを。

 ―――自分の考えは安全圏にいる人間の考えだということを。

 その言葉を聞き終え、千冬は目を閉じ顎に手を添えて熟考する。一夏の言葉は主観による一方的な見識だと千冬は思う。その一方的な考えは危ういとも思った。

 今まで弟を守るためにずっと離れていたことが原因で、このような視野の狭さを生み出しているのならそれを正さなければならない。

 唯一の姉、家族として。数多くの人間を見てきた1人の年長者として。

 実際に考えていた時間は2、3分ほどしかなかったが、一夏には非常に長く感じられた。

 目を開き、顎に添えていた手は腰に当てられる。伝えなければならないことを纏めた千冬は静かに、幼子をあやすような柔らかい声色で一夏に伝える。

「……一夏、人の主義や主張には正解も間違いもないんだ」

 その言葉に声をあげようとした一夏だったが、千冬の手で制される。その表情は納得できないと言わんばかりだ。

「肯定することも、否定することも出来ない。一つの主義主張の裏には必ず、等質の重さを持った主義主張しかないんだ一夏」

 根本的な一夏の考えを正す。何が正しいのか、何が間違っているのか、そういうことではないと伝えた。

「月夜だけではない、私も含めて誰もが一度はそれを信じるんだ。お前の言う誰も傷つけずに守ることを、救うことが出来るって、な」

 千冬は何度もそれを夢見たことがある。最後に見たのはいつだったか。激動の日々に身を投げ出してからも戦い続ける度にそれを思い出した。

「だが現実は決して優しくない。いつだって私たちに選択を迫ってくるんだ」

 どれだけ力を持っても、どれだけ知識を得ても、現実は理不尽な暴力を伴ってやってくる。決してそれからは逃げることは出来ない。

「何もしないで逃げるか、それとも戦って何かを犠牲にすることをだ」

 千冬にはその選択肢が常に目の前にあった。だがいつだって逃げるという選択を蹴り続けてきた。それをすれば楽になれた。でも、その選択肢がよぎる度に可愛い弟の顔が頭に浮かんだ。何度も折れかけた膝を伸ばして立ち上がることが出来た。

「だから『私たち』はその選択を決して後悔しないように、信念を持ち、守りたいものを守るために全力を尽くすしかない。それしか出来ないことを月夜もよく理解している」

 千冬の掲げた信念は曲がらなかった。『弟』を守るために剣1本で世界覇者の椅子を目指した。金や地位がどうしても必要だったのだ。頼れる親類などなく、年が離れた幼い弟を守るためにはそれしか千冬には思いつかなかった。今なら別の手段も思いつくが、それを後悔したことはない。

「人類共通で言えることだが、覚悟や信念というものは大半の他人から見れば醜いものでしかない。究極的なことを言えば、覚悟や信念と言える主義主張などは過ちや暴挙を隠すための方便でしかないさ」

 驚愕、絶望、落胆、悲哀、様々な感情を宿した一夏の表情に心が痛むが、言わなければならないと心を奮起させる。

「だが、そんな醜さを貫くことでしか守れないものも存在するんだ」

 強い意志を持って千冬は断言する。

「だから一夏。お前がどんな主義主張や信念を掲げるのはいい、止めはしない。それはとても尊くて苦しい決断だからな。姉として嬉しく思う」

 弟を応援するかのように千冬は優しく笑う。一瞬微笑んだあと、すぐに表情を戻す。

「しかし、誰かの主義主張や信念を自分の主観だけで跳ね除けようとするな。それはお前の言う『守るために誰かを犠牲にしてはならない』に反することだ。お前のそれは自分の主義主張のために月夜を否定し、奴を犠牲にすることだ」

 喋るのが得意ではない千冬にとって、これが伝えられることの全てだった。他にも伝えられることはあるがやめた。それはきっと、今の一夏には届かないと思ったからだ。

「……千冬姉。俺は、俺は間違っていたのか? どうすればよかったんだ?」

 愕然とした表情の一夏はそんなことを呟いた。耳を傾けなければ聞き取れないような小さな声。その声に千冬は答える。

「お前は間違ってもいたし間違ってもいなかったよ。それだけは確かさ」

 ここまで喋って具体的な改善策を喋らないのも、姉として大人としても意地が悪い。

「……まずは、そうだな。月夜と話せばいい。あいつの世界には様々な人間たちがいたんだ。世界も視野も狭いお前には良い薬になるだろうな。それにお前はもっと相手を理解するための努力をしろ。言葉は人と人が分かり合うための近道だ。言葉では伝わらないものもあるが、それは言葉を吐き尽くしたときだけだ」

 ではな。そう言って千冬は一夏の肩を励ますように叩き、保健室を出て行った。


――――――――――――

 一夏との話が終わった千冬は無人の廊下を歩く。ヒールと地面がぶつかる音だけが廊下を反響する。

 千冬のポケットに入っていた携帯電話が震えて、何者からかの電話だと千冬に気づかせた。足を止める。嫌なことにその電話の主が誰なのかも、容易に予想が出来た。自分の唯一の親友。

 携帯電話の画面に表示されている番号も名前も確認せず、千冬はその応答に応える。

 「……どうした? 束」

 嬉しさとめんどくささが同居した複雑な声で、千冬は電話の主に声をかける。

「やっほー! ちーちゃんの大切で唯一無二の親友の束さんだよー!」

 その声に嬉しさが吹き飛び、めんどくささが一瞬にして上回った瞬間だ。それなりに長い付き合いだ。こういうテンションの時は大体、嫌になるほどめんどくさい話だということを過去の経験から千冬は理解していた。滑らかな動作で千冬は耳から携帯電話を遠ざけ、躊躇いもなく通話終了ボタンに指をかける。

 電話口から呼吸が遠なったことに気づいたのか、束は慌てた声でその行動を引き止める。

「待って待ってよちーちゃん! そんなことしたら束さんのハートが割れちゃうからちょっと待って!」

 割と必死なその声色に心底嫌そうな表情で、千冬は再度携帯電話を耳に近づける。本当に嫌な予感しかしないが無碍にするつもりもない。

「……私も暇ではないんだ。さっさと話せ束」

 千冬のいらついた声に、トーンの下がった声の束が喋り始める。

「ねぇ、ちーちゃん。ついさっきいっくんと戦ったきーくんのことなんだけどね」

 トーンは下がったが、どことなく楽しそうな声の束に不信感が千冬の心に絡みつく。自分とごく一部の身内以外のことを容赦なく切り捨てる友人が、そんな言葉を言ったことに。しかもあだ名のような呼び方に疑念を覚える。

「……月夜のことか? 見ていたのか?」

 いつもながらこの通話の相手は、自分に知らせずどこまでも好き勝手にやってくれるのだ。

「そうそう! よくもまあ、あんな存在を飼っていられるねちーちゃん」

 その言葉に千冬は自分の顔が険しくなるのを自覚する。

 ―――……あんな存在を飼っていられる、だと?

「どういうことだ。束」

 僅かながらに携帯電話を持つ手に力が入る。言葉に力を入れるつもりはなかったが自然と語気が強まる。

「うん? ちーちゃんまさか気づいていないの?」

「……」

 千冬は無言で先を促す。その言葉の真意を。

 同時に千冬は無言で警告する。自分の生徒になにかする気があるなら何が何でも止めてみせると。

「あれは形は違えど、私たちと同種の存在だよ。間違いなくね。それも非情な存在」

 楽しげな口調で語る束の言葉は千冬の心に入ってくる。同時に混乱する。

「非情な存在、だと?」

「私がISを生み出した頭脳の天才でちーちゃんがIS、身体能力の天才だとするなら、あれは戦いの天才だね。多分、本人も自覚していないと思う。その能力を持て余しているみたいだし。もしあれが自覚したら手の付けられない戦いの権化が生まれるよ。多分、私とちーちゃんでも止められない」

 ISを生み出し今の世界に変革を促した存在。篠ノ之 束。

 そのISを用いて世界王者に君臨した存在。織斑 千冬。

 篠ノ之 束曰く、戦いの天才。s-Sports世界王者にして2人目の男性操縦者である存在。月夜 鬼一。

「戦いの天才、言葉の聞こえはいいだろうけど、言い方を変えれば人を殺す才能に富んでいるという証でもあるんだよ」

 形としては歪んでいるが、今の女尊男卑は表向きには平和を維持している。平和の時代であるならば決して表に出ることのない才能。それが人殺しの才能。束は月夜 鬼一の本質を見抜いていた。

 彼女は言う。

 勝負をどこまでも重いものとして、尊いものとして扱う姿も。

 勝つために最短で人を傷つけ、壊そうとする姿も。

 自分のことなど顧みず、ただ勝つことだけに特化されたその姿も。

 全部、その本質から生み出された歪んだ副産物でしかないと。 

 その言葉に千冬は信じ難い気持ちに囚われる。先ほどの試合でもかなり常軌を逸していたが、まだその先の領域があることに。本人が自覚していないだけで、そんな危うい世界があることを信じられない。

「どこまでも勝利にこだわる、どこまでも自分の身を差し出せるということがその証拠だよ。普通の人間があんな風に自分や他人を無機質なものとして捉えられるわけがない。他人を切り捨てることが出来ても自分を切り捨てられることはできないよ。かならず計算、そろばんが頭にちらつくからね」

 その言葉に千冬は先ほどの試合を思い出す。そして同時に楯無からの報告もあった。その報告で千冬と真耶は信じ難い気持ちになった。形振り構わず、自分の身すら犠牲にしてでも勝利を求める鬼がいることに。同時に、そんな存在がいるはずがないと、いてはならないと思った。

「で、ちーちゃんのさっきの質問に答えるけどさ。あれは望む望まずに関わらず、間違いなく戦いを引き寄せるものだよ。そして沢山のものを傷つけ、壊して、無に帰す存在だね。断言してもいいよちーちゃん。あれはIS学園という檻なんてあってないようなものさ。自覚すれば私たち同様、誰にも届かない領域に踏み込むよ」

「戦いを……引き寄せるもの……」

「きーくん自身、自分がどれだけ危険な存在であることに気付けない。ううん、気づくことができない」

 全部、鬼一にとっては記憶のないものだから。鬼一からすれば後に映像か何かで見せられても精々、その時の自分はそれが最善であると選択したことしか理解できない。

「でさ、ちーちゃん。きーくんを私にくれないかなぁ?」

 無邪気な声で悪魔は囁く。その存在を自分に寄越せと。自分ならあらゆる方法を用いてその才能を引き出すことが出来ると。

「……!?」

 ここまでで充分に驚かされたが、電話の主はこれ以上何を言い出すのか。

「束さんならその才能を十全に引き出して使いこなすことができるよ。それにそんな才能を埋もれさせることなんて、こんな馬鹿な世界にはもったいないよ」

「……いい加減にしろ束。月夜を渡せるわけがないし、そんなことに使わせるつもりもない。本人もそれを望まないだろう」

 束を諌めるように止める千冬。

「それはどうかなぁちーちゃん?」

 千冬の言葉を束は柔らかく否定する。そんなことがあるはずないと、確信しているからこそ語りかける。だが、千冬にはそんな言葉さえも苛立ちを加速させる要因でしかない。

「なんだと……」

「本質的には私たちと変わらない存在なんだよ? 力を行使したいに決まってるじゃん。きーくんだってその力を自覚して、存分に振るえる場があれば幸せになるかもしれないよ?」

 ―――最終的に、その世界には何も残っていないかもしれないけど、ね。

 最後に呟いたその言葉に限界に達したのか、千冬はもう聞く言葉は無いと言わんばかりに通話終了ボタンを押す。

 束もその行動を予想していたのか、無機質な機械音が耳に届いても特に気にした風もない。

「名は体を表す、というけどそういう意味ではあれは間違いなく表しているよちーちゃん」

 新たなおもちゃを買ってもらった子供のような無邪気な声でそれを呟く。

「―――鬼、ってね」
 
 

 
後書き
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