東方虚空伝
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第三章 [ 花 鳥 風 月 ]
六十話 百鬼夜荒 参
時々に月を隠し暗闇をもたらしていた雲が風によって流され、遮る者が消えた夜空に月光が満ちた。
淡い光量で照らし出される大地には虚空の暴食によって穿たれ造り出された巨大な窪地が、まるで地獄の釜の様に口を開けている。
その破壊の傷跡たる地の中央に墨汁を撒き散らしたかの様な黒く深い暗黒の闇が広がっていた。
大地を覆う様に広がっている闇は、深く深く…そして昏く、その表面は湖の如く漣を打っている。
その黒い湖の中心に創造主たる人物は立っていた。
見た目の麗美さとは不釣り合いな無骨な大剣をその手に持ち、その剣は闇色である刃に月光を反射し怪しく煌めく。
彼女の足元に広がる深い闇と相反するかの様な金色の髪が、湖の水面と同じ様に微風で揺れていた。
その様に佇む闇の化身――――ルーミアに向け、一つの影が空を翔け躍り掛かる。
「ルーミアァァァァァッ!」
高い…金切り声に近い叫びを上げながら迫るのは、女性の姿を持つ妖怪。
長い白髪は風で後方へと尾の様に流れ、両腕から伸びる大きな鎌がルーミアの命を刈り取る為に振りかぶられる。
見ただけで男を惑わすであろう容姿に、胸元を大きく肌蹴た薄紅色の着物と合わせ危険な色香を纏っているが、それ以上に彼女の緋色の瞳には激情が猛り烈氣を周囲へと巻き散らかしている。
かつて彼女は姉と共に自分達の領域を持ち、支配者として君臨していた。
だが何時からか現れた闇妖怪のルーミアによって縄張りを奪われたのだ。
それだけでなく『神狩』等と呼ばれる妖怪殺しまで現れた彼女達は更に追いやられる事となる。
だがある時、その神狩にルーミアが敗北したと言う噂が流れ、それを決起にルーミアに恨みを持つ輩が共闘し攻勢に出た。
周辺地域の首領格に一斉に襲撃されればルーミアといえどもお仕舞いだ――彼女はそう思い、意気揚々と出て行く姉を見送った。
だが…結果は全滅――――加えて、そのルーミアを諏訪の神が配下に置いたようだと言う話が広まり、周辺の妖怪達は領土を捨て土地を離れていった。
彼女も然り、全てを失い気付けば百鬼丸の手下に身を落とす事となる。
そうやって怠惰に時を刻んでいた彼女の魂に再び熱が戻ったのだ。
襲撃者迎撃の命を受け対峙してみれば、そこに忘れようもない姉の敵が居たのだから。
「姉様の敵ィィィィィィッ!!今ァァ此処デェェェェェェッ!」
怨嗟を含む叫びと共に振るわれた鎌がルーミアの首を叩き落とさん、と迫るがその一撃は大剣によって襲撃者諸共弾き返され数m程吹き飛ばされる。
「あんたねッ五月蠅いのよ!さっきからッ!!何度も言わせるんじゃないわよ!あんたの姉なんて知らないって言ってるでしょうがッ!!」
そんなルーミアの苛立ちと怒気が籠められた叫びが木霊した。
彼女が姉をどれ程慕っていたかは知らないが――――ルーミアにとってはその他の中の一に過ぎず、はっきり言うと知った事ではなかった。
誰かにとって大切なモノが、必ずしも他の誰かに価値あるモノだとは限らない。
二人の対立はそんな真理の縮図にも見えない事もなかった。
吹き飛ばされた先で体制を整え、ルーミアに向け再度突撃しようとした彼女に黒い影が躍り掛かる。
全身を闇色に染めた人型は、その手に持つ斧の様な獲物を上段から振り下ろすが、彼女は斧の腹を鎌で打ち襲撃者ごと払い飛ばした。
「操られてる間抜けがッ!邪魔するなッ!!」
襲撃してきた者に対し彼女のそんな罵声が響く中、
「なら、アンタもその仲間に入れてあげるわよッ!」
彼女の背後を取っていたルーミアが、そんな台詞と共に彼女の長い髪を鷲掴みにしながら足元の黒い湖へと叩きつける。
その闇色は彼女の身体に纏わり付き、彼女の身体は沼に沈む様に下へ下へと黒い泉へと飲まれて行く。
それははまるで冥府に墜ちた亡者が生前の命の暖かさを求めて生者を引き摺り込む様に似ていた。
「ルゥゥーミィィアァァァァァッ!」
沈み行くその身でルーミアを摑もうと空に手を伸ばす彼女だが、その手は何も摑み取る事無く怨嗟の叫びと共に黒く昏い闇へと沈んでいく。
彼女の断末魔に然程の興味も抱いていないルーミアの視線の先――――彼女が沈んだ湖面が揺らぎ、その数秒後…突如湖面が泡立ち間欠泉の如く黒い爆発を起こした。
その闇色の飛沫が晴れるとそこには闇に沈んだ彼女が立っている――しかしその身は足元に広がる湖と遜色ない黒で覆われており、先程までの烈氣はまるで感じさせない。
見渡せば彼女を始め先程襲いかかって来た影と同じ様な黒に染まった十数名の者達が、ルーミアを攻め立てようとしている妖怪達に襲い掛かっていた。
そして彼女も、まるでそれが使命だと云わんばかりに妖怪達に挑み掛かっていく。
『愚者の黒衣』
かつてルーミアが西の大陸で王気取りをしていた頃に好んで使っていた技である。
闇の沼に沈めその身を黒装束の様に覆う事により、その相手の身体の自由を奪い意のままに操る術技。
最大の特徴は身体の自由を奪うだけで意識は確りと残っている所であろう。
この技を使い同士討ちをさせ、その様を愉しんでいたのだ――――今のルーミアにしてみればあまり思い出したくない黒歴史だったりするのだが。
戦力差が歴然である以上、選り好みしていられないとは言えやはり多少の躊躇はあったのだが仕方ないと割り切るしかなかった。
先程から襲って来ていた彼女も纏わり付いた闇の中ではまだ怨嗟を吐き出しているのだろう。
ルーミアが影を使役し群がってくる妖怪達を抑えている最中――――彼女のすぐ近くに何かが着弾し黒い湖に激しい飛沫を上げる。
ルーミアは頭痛を抑えるかの様に額に手をやり大きく溜息を一つ吐くと、着弾した地点へと移動し泉の中へと手を突っ込み沈み込んだ何かを引きずり上げ、
「………こっちが必死にやってる時に何やってんのよ!アンタはァァァァァッ!!」
引き上げた人物の耳元で戦場全域に轟くのではないか、と思わせる程の声量で罵声を浴びせる。
「!!み、耳がァァァァァ!耳がァァァァァッ!
……いや~僕も真面目にやってるんだけどね、萃香といいあの子といい……本当に嫌になるよ、ハハハ…」
その人物――――虚空は相も変わらずな笑みを浮かべそう弁明するが……そんな言葉でルーミアの怒りが治まる訳など無く、彼を射抜く視線は更に鋭さが増した。
「大丈夫なんでしょうねッ!アンタの身勝手に付き合ってあげてるのよッ|!確りしてほしいわよ、全く。
……それにしても……アンタはいつも以上に変よ?何か隠してない?」
ルーミアの言葉には怒りと共に虚空の違和感への憂慮の念も垣間見え、それに気付いた虚空は、
「…ルーミアが僕の心配を……何だろう?この心の奥から込み上げてくる様な感じは?……これは…感動?」
鳩が豆鉄砲を喰らったかの様な表情を浮かべる虚空を見たルーミアは、呆れとも怒りとも取れない表情で頬を引き攣らせながら、
「……少しでもアンタを心配した私が馬鹿だったわ」
「ルーミア……そんなに自分を卑下しなくてもいいんだよ?」
「誰のせいだと思ってるのよッ!!」
「?」
「お前だァァァァァッ!」
怒声と共に繰り出されたルーミアの怒りが籠もった鉄拳が虚空の頭部へと鉄槌の如く振り下ろされ、その一撃を受けた虚空は黒い沼へと再び身を沈めた。
「…………漫才は終わったかい?」
虚空とルーミアのやり取りに終止符を打ち込む様にかけられた言葉に、二人は台詞を吐いた人物へと視線を向ける。
そこに立つのは額に一本の角を持つ鬼の女性――星熊 勇義。
その身には目をこらさなくても感じ取れる程の烈氣を纏い、二人を見据える瞳には冷たい殺意が陽炎の如く揺らめいている。
勇義の言葉にルーミアはあからさまに不快だ、という表情を浮かべ、
「コイツと同じの扱いをされるのは甚だ不愉快極まりないんだけど……。
まぁあいわ…虚空、自分のやる事はきちんとしなさい……それとも代わる?」
ルーミアは周囲へと指を指しながら傍らの虚空にそう問いかけた。
彼等を囲む様に妖怪達が蠢き、ルーミアの傀儡達が世話し無く迎撃戦闘を繰り広げている。
「いや無理」
虚空は周りに視線を送る事も、思案する事も無くキッパリと言い放つ。
そもそもにおいて、この男は物事の割り切りがはっきりしている。
瞬間火力を使った短期襲撃戦闘ならこなすが、こういった広域戦闘での集団戦は余程の仕込みを施してなければ身を投じる事は無い。
端的に言ってしまえば、自分より状況に適した人物が居るのなら躊躇無く丸投げする―――そういう男だ。
もっとも得手不得手で相手を選んでいるだけであり、選んだ相手の対処の方が楽かどうかは別問題だが。
虚空の答えが分かりきっていたのかルーミアは、
「あぁそう、なら精々死なない様にしなさい」
「ハハハ…まぁ善処はするけど――――死んだ時は仕方が無い」
そう答える虚空にそれ以上言葉を重ねる事も無く、ルーミアは踵を返すとその場から離れて行く。
その場に残された二人は互いに視線を外す事無く暫し対峙し、僅かな時間沈黙が訪れるがその沈黙を破ったのは勇義だった。
「今の奴も天狗も何でアンタの命令なんかに従ってるのか理解に苦しむね」
勇義は瞳に宿る冷たさはそのままに虚空に対し侮蔑の言葉を叩き付けるが、当の本人は…
「別に命令はしてないよ?
大切な仲間にこんな無理無茶な事なんか命令する訳ないじゃないか、只端にお願いしただけだよ♪」
先程から変化の無い軽薄な笑みを浮かべたまま返答の弁を吐く。
その言葉に勇義の苛立ちは加速度的に高まり、その感情に呼応するかの如く烈氣と殺気が迸り周囲の大地と空気を否応無しに震わせる。
そして次の瞬間――――勇義は姿が掻き消えたと錯覚する程の加速で虚空へと肉薄し、上段から彼を叩き潰す勢いで拳を振り下ろす。
その一撃を虚空は後方へと飛び退く事で直撃を避けるが――――獲物を失った勇義の一撃は直下の黒泉に叩きつけられ、黒泉の一部は散々に飛散し、それだけでは止まらない威力は波紋の様に広がり、衝撃の波となって退避中の虚空を捉えるとついでとばかりに吹き飛ばした。
此処に至るまで散々見せつけられている勇義の異常な暴力に虚空は内心辟易していた。
正に先程ルーミアに言った言葉通り『嫌になる』……と口にするほどに。
虚空が吹き飛ばされた先で体勢を直し正面を向けば、勇義は悠然とした足取りで近づいていた。
「……ぶっ殺す前にアンタに聞いておく事があるんだけど――――萃香に何を吹き込んだ?」
勇義の問いは開戦する前に虚空が口にした言葉への疑念だ。
『そういえば、萃香から何も聞いてないのかい?僕としてはここで君達が百鬼丸を裏切ってくれる――――そんな劇的な展開を望んでいるんだけど』
あの時は唐突な事で気付かなかったが、今にして思えばこの男が何らかの甘言で萃香を唆した為、あんな無謀に走ったのでは?と疑っている――――否、確|
証《・》の無い確信と言ってもいい。
そして勇義のその推測は概ね的を射ており、虚空は、
「吹き込んだって…人聞きの悪い……いや合ってるのかな?
まぁ実を言うとあの子が強情でね、此処の場所を口割ってくれないものだからちょっと焚き付けて後を付けてきたんだよ――――ごめんね」
悪気も無さそうに笑顔のままそう返答し、
「でも君達の様子から察するにもしかして……百鬼丸に単独で挑んで捕まったのかな?そうだとしたら結構賢そうな子だと思ったのに何でそんな無茶をするのかね?」
やれやれ、と言うように頭を振った。
その言葉を受けた勇義は、先程までの荒々しい嵐の様な烈氣や殺気が嘘の様に霧散し沈黙していた。
だがそれは……その様は……喩えるならば、
大津波の前の引き潮の様であり――――
雪崩寸前の静寂の様であり――――
狂嵐が襲い来る直前の凪の様な――――
途轍もない大災厄を連想させられる、そんな不穏な静かさである。
そして…その災厄の火蓋は――――
「…………アンタを………殺す理由が一つの増えたねッ!!」
勇義のそんな火山の大噴火の如き叫びと共に切られた。
堰を切られた濁流が大地を飲み込み蹂躙する様に――――暴威の塊と化した勇儀が虚空へと躍りかかり、戦場に衝撃と爆音が轟渡る。
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