ガイコツのような容姿のモンスターが雄叫びを上げながら、粗悪な細剣の切っ先を私へ向ける。私はそれをさっと往なすと、懐へ飛び込んで切り上げた。汚い声で喚くソレを睨みつけつつ、半身を反らして攻撃を回避。その際生まれた隙に背後へ回り込みスキルを発動。私の心情を表すかのような赤いエフェクトが、スケルトンへ吸い込まれる。衝撃に前のめりになったソレが振り返る頃には技後硬直が終わり、再度剣を振るう。何度も、何度も。
「……こんなの」
名前など知らない人間だった。当然顔も知らない、初対面の人間だった。大切な人ではなかったのだから、どうなっても良かったじゃないか。――――そう私は強く叫んでいるのに、身体は相反していた。鋭く閃く剣に、自分ですら制御出来ない感情が上乗せされる。
「こんなの!!」
死を予期して青ざめていた男と、恐怖で泣きじゃくっていた少女。助けてほしいと、怖いのだと、二人は言っていたのに。二人には確かな未来が待っていたはずなのに。この世界も、やはりどこまでも非情なのだ。
私の力が不足していたから、奪われたのだ。
分かっていたことだ。わかっていた、ことのはずなのに。
「ああぁぁぁぁあああああああ!!」
あまりに無力な己が、恨めしい。
自身への怒りが多大に入り混じった攻撃が、幾度もスケルトンを切り裂く。いつの間にかレッドゾーンに入っていたソレのHPを、削り切った。
ただ、ポリゴンが舞い上がっていく光景を見ていても、清々しさも何もなく。ただただあの名前も知らないプレイヤーの、悲痛な声だけが頭の中でガンガン響いていた。
「――――キカちゃん」
気遣うような声音で、背後から声を掛けられる。どうやら、彼の方も無事倒せたらしい。しかし、どうにも振り返ってネージュを見ることが出来なくて、顔を俯ける。
「……勝手に突っ込んだのに、結局あなたに任せてしまって……ごめんなさい」
「いや、僕は大丈夫だよ。それよりも、き……」
「さっきの女の子も、死んだわ」
「そ、……そっか」
「…………」
言葉を生み出すことが出来ない。明らかに私の判断ミスと力不足だった。私がもう少し周囲に気を配っていれば。私がもっと早く、モンスターの存在に気が付いていれば。
「キカちゃん、行こう」
「……っ」
「キカちゃん」
あたたかい手に右手が包まれ、そのまま引かれる。彼に促されるまま歩き出した。
「…………ネージュ」
「ん?」
「……なんでも、ないわ……」
――――ねえ、ネージュ。
あなたの眩しさが、優しさが、すごく痛いの。……痛いの。
黒い世界にいる私には、あなたの笑顔を直視することがとても――――つらい。
歩くこと1時間。
いくつも宝箱を開けてはいるがどれもハズレで、手に入るのはイベントには全く関係なさそうな素材アイテム等だけだった。うんざりしてくる。たまに回復ポーションが紛れているから、それがまだマシな点だろうか。
敵モンスターにも数度エンカウントした。一人でも倒せないことはないが、やはり強いと感じた。もしかしたら、私が今までフィールドや迷宮区で遭遇したどのモンスターよりも、少しばかりステータスが高く設定されているかもしれない。おそらく、数体ならまだしも、10を超えたら二人で掛かったとしても危ないだろう。
そして、気になることがもう一つ。私とネージュが獲得する経験値量が、確実に普段よりも多いのだ。これはひょっとすると、この意味不明な“イベント”とやらに、深く関係あるのではないだろうか。
「ああ、あそこにもあるよ」
ネージュが相変わらずの明るい声を上げながら私へ笑顔を向けてくる。きっと私を元気づけようとしてくれているのだろうが、私は何とか曖昧な笑みを作るので精一杯で、上手く返すことが出来なかった。それでもニコニコと笑う金髪の青年に、申し訳なさがますます強くなる。
ネージュの顔が見ていられなくて、彼が指差す方向へ視線を振った。そこには本日30回目の四角い物体待ち構えていて、思わずそれを睨みつける。
「……何のためにこんなイベントを用意したのかしらね。本当、嫌になってくるわ」
たとえ全うなゲーム世界だったとしても、こんなことでは宝探しの気分も味わうことは出来ないし、時間的にも割に合わない。完全に不毛な行為だといえよう。だいいち、プレイヤーに事前連絡もなくただ選び出すなどもってのほかだ。……ランダムに選びさえしなければ、先ほどの二人のようなプレイヤーも生まれなかっただろうに。
「……あら、ネージュ、お客さんが来たわよ」
「お、本当だ。なら手厚い歓迎をしないといけないね」
軽い口調でおどけながらも、ネージュはすっと両手剣を構えた。私もそれに倣い、彼の隣に並ぶ。鋭い目つきで敵を見据える彼の横顔を盗み見て、小さく笑った。
あなたはやっぱり、私とは比べものにならないほど強い。
「くるよ」
「ええ、言われなくても分かっているわよ」
思えば、彼が戦っている姿を見るのは今日が初めてだった。どれほどの実力なのだろうと、幾日か前の会話で気にはなっていたが、実際目にすると言葉を奪われる。
果敢に斬りかかる様や両手剣を振りかざす姿は、今までのネージュの印象を覆すほど力強いのだ。
「スイッチ!」
彼の声にすぐさま前へ出て、連撃のスキルを一発。よろけたスケルトンへ、すかさずネージュも追撃。ぶっつけ本番だった彼との連携も、特に問題はなかった。
やがてこれまた本日何回目か分からない青い欠片が弾け、無言でそれを見届ける。
「キカちゃん、疲れてない?」
「大丈夫よ。……心配してくれてありがとうね」
静かに首を振る彼に、笑みを深くする。今日は本当にネージュに助けられていた。彼がもし隣にいなければ、どうなっていただろうか。
「……え、えーと、キカちゃん? 僕の顔に何か付いてる?」
「ふふふ、そんなわけないでしょう?」
「そ、そう?」
「ええ、もちろん」
「なーんか納得出来ないなぁ」
クスクスと笑いながら肯定すれば、不服そうに口を尖らせる。先ほどとのギャップがおかしかった。
「さて、さっき見つけた箱を開けにいきましょうか。どうせまたハズレなのでしょうけれど」
「そういうことは言わないの!」
言いながら宝箱へと足早に走り寄って行くネージュを目で追う。その背中を見ていると、ふとあること思い出した。
「……ああ、そういえば肝心なことを聞き忘れていたわ」
「何?」
赤い箱に手を添えたところで動きを止めた彼が、顔を上げて私に聞き返してくる。それに対して私は肩をすくめて、
「さっきの頼み事のことよ。その……、あなたが渡したいと思っている人の誕生日はいつなのかしら?」
「ああ、そうだったね。誕生日は――――」
言いながら、その手は蓋を開けていく。
――――瞬間、体の芯を冷やすような、けたたましいアラームが響き渡った。
「……っ、トラップか……ッ!」
「なっ!」
ネージュがすばやく立ち上がり、らしくない舌打ちしながら私の背に自らの背をつけてくる。服越しに伝わる体温が、何かを暗示しているようで、息が詰まった。
「くそ……、囲まれてる!」
「……ネージュ」
――――私はさっき、自分で思っていたじゃないか。たとえ二人でも、10を超えれば、無事に倒し切れるか分からないと。
「さっきの頼みごと、守れるかわからないわ」
「……その時は、その時だよ」
ああ、もう、本当に今日は厄日だ。私たちを中心にずらりと取り囲むモンスターを見据えながら、ため息をつきたくなった。赤くギラギラと輝く瞳は、私たちの体を引き裂く瞬間を今か今かと待っているようだ。
「モンスターの人気者になっても、嬉しくないんだけどな」
「……冗談言ってないで、さっさとやるわよ」
腰に下がっている曲刀を左手でつかんだ。けれど、そこで、ほんの少しだけ迷いが生じる。
――――“あちら”の方が、複数相手をするには向いているのではないか。
しかし、ほんの一筋かすった思考は、すぐに打ち破った。
あれは、私一人で戦うために考え出したスタイル。もし複数人でやるのならば、私の他に、最低2人以上いる時ではないと適さない。つまり、ネージュと二人きりの今の状態では駄目なのだ。
……なぜなら、私ではなく、彼が危険にさらされてしまう可能性が高いから。ソレを使えば、私には、すぐに助けに入る術がないから。
ぐっと唇を噛み締めた。すると、何を勘違いしたのか、空いている右手がネージュに包みこまれる。
「大丈夫。……キカちゃんは、僕が守るから」
……それを聞いた瞬間、何故か入り過ぎていた力がすっと抜けるのがわかった。
私は、笑みを作る。
「そういうセリフは、恋人さんに言ってあげたらどうかしら? きっと喜ばれるわよ」
「だ、だから別に、彼女なんて……っ」
否定しようとしたためかネージュが大声を上げた瞬間、己の手を包む彼のその手を払いのける。
……聞こえないように、「ありがとう」と小さくつぶやきながら。
姿勢を少しずつ低くしていく。そして、地面を、吹っ切るように蹴り上げた。
まずは、正面の2体。
包帯でグルグル巻きにされたミイラへ迷いなく突っ込み、横なぎに剣を振るう。さらに攻撃を加えようとして――――、それをせずに左へ飛んだ。
同時に、今居た場所に大きな棍棒がぶちあたり、砂柱が立つ。
頭を無理やりにそちらへ向ければ、そこには骨がむき出しのガイコツのモンスターが居た。さっき戦ったモンスターとは、容姿も武器も違うようだ。体長は軽く2メートルは超えていて、その身長差に当然見上げる形になる。それでも、素早く意識を前方に戻した。
「はぁっ!」
先ほどのミイラ2体へ、確実に倒すべく、技後硬直覚悟でスキルを放つ。鈍く光るポリゴン片の向こう側で、再び棍棒を振り上げたガイコツが見えた。だが、焦らずディレイが終わったその瞬間、片手ハンドスプリングの要領で飛び退く。
しかし、すぐに目の前を半円状にわらわらとモンスターが取り巻きだす。軽く舌打ちしながら、一掃するべく再びスキルを――――、
「キカちゃん!!」
「ッ!」
曲刀の柄を、上へ軽く投げるようにして離した。逆手に持ち直す。そのままの流れで腕を後ろに回し、思い切り振り下ろした。
確かな手ごたえの後、ガラスの割れるような音が複数個聞こえ、ホッと安堵する。見れば、両手用直剣を振り下ろした格好のネージュがいた。私はすばやく駆け寄り、若干HPが残っているモンスターへ剣を振り下ろす。
ネージュが顔を歪めながらも、私に向かって振り絞るように声を発する。
「大丈夫!?」
「……話はあとよ!」
こちらにも相手が出来る程の余裕は残されていない。
息が上がっていくのを感じながら視線を動かすと、ずっと無視され続けているガイコツ君が、苛立ったように突進してくるのが視界に入った。私は腕を振り上げ迎撃し、そこへすかさずネージュがエフェクトを纏いながら剣を打ち込む。
すると、さらに二体がネージュの背後に迫るのを捕えた。私は今度こそスキルを発動させ、光の欠片へ変える。
「……はっ、はぁっ」
「……へばるのには、まだ早いのではないかしら?」
そう言いながらも、顔をしかめた。この疲労感で、まだ全体の三分の一程度しか倒せていない。その事実が、否応なく圧し掛かり、焦りを高めていく。これでは、精神的にもきついものがある。
左上のHPゲージをチラリと確認すれば、私の方はまだそれほど削られていない。だが、ネージュの方は6割を切っている。それを目の当たりにして、息が止まりそうになる感覚が襲い、喉の奥にしこりが出来たような錯覚を覚える。すると、ネージュが私の表情に気づいたのか、両手剣を横に振るいながら苦い笑顔を浮かべた。
「キカちゃんほど、上手に回避出来なくて」
「……ッ」
――――僕が死んだとき、渡してほしいものがある。
「……ふざけないでよ」
あの頼みごとが、現実になってしまうではないか。
「……え?」
戸惑ったような彼の声がかすかに聞こえた気がした。
けれど、そんなの関係ない。
守らなければ。ネージュを、守らなければ。
全身にグッと力を入れ、目の前で呻き声を上げるそいつらを睨みつける。視界の真ん中と右端にいるスケルトンが剣を振り上げたのと同時に、私も前へ踏み込んだ。
余裕もクソもない。ただがむしゃらに薙ぎ払っていく。視界はぼやけ、自分がどんな風に足を動かし、手を振るっているのかよく呑み込めない。それでも、目に付くかすんだ物体をかき消す。ひたすらに、腕を、足を動かす。
その間にも回避し切れなかった刃が掠めていき、自身から赤い欠片が吹き出す。だが、止めてはいけない。臆してはいけない。思考する時間など無い。本能で、脳が命令を出さなければ。
私が一匹でも多く倒し、彼へ回る敵を減らさなければ!
首を横へ倒し、すぐそばを突っ切っていくレイピアを避ける。振り下ろしていた私の剣がモンスターになんとか当たり、その姿を光へ変えることが出来た。息を切らせながらすぐさま視線を巡らせ、斜め後ろから突撃してこようとしていた棍棒を跳んで回避。崩しそうになるバランスを両脚で踏ん張って耐えた。だが視線が少し下へ落ちてしまったその一瞬に棍棒が追い打ちを掛けてきていた。どうにか躱すことは出来たが、先ほどよりも大きくバランスを失う。
「……くっ」
視界の外から肉薄してきた切っ先が私の身体を刺す。度重なる猛攻に、ついに左足が地面を捕え損ねた。その場に倒れ込む。脳を揺さぶる衝撃に顔を歪めた。
「キカちゃん!!」
「駄目よ!」
目を見開きながらこちらへ走り寄ろうとするネージュに、慌てて精一杯の声量で制止をかける。けれど、彼は止まってくれない。
「ネージュ、来ちゃ……っ」
いけない。
地へ手を付いて、立ち上がりかける。だが、次の瞬間には背中に鈍い衝撃が走っていた。大きな影が私に覆い被さっていて、驚きに目を瞬かせれば、吐息がかかりそうなほど近くにネージュの顔がある。
「……ネージュ?」
状況が飲み込めず思わず問いかけるが、――――しかしすぐに別の要素に息を詰まらせた。
――――鮮やかな、赤。
熱く流れる血液の如く光る、紅のエフェクトが、宙を舞っている。
「僕が守るって、言ったでしょ?」
照れたように笑う彼の顔を見て、私は事態を悟った。急速に、体を冷気が支配していく。そして、視線が“それ”を捕えたとき、自分のものとは思えない程震えた声が衝いて出た。
「……な、んで」
「…………ごめんね」
ソレが、ぐんぐんと減っていく。先ほど腕の中で消えた少女のように、止まることなく。
「や……、やだ、とまって、とまりなさいよ!!」
嘘だ。
なんで、なんでこうなるの。こんなのあって良いはずがない!
「約束、守れそうにないや」
――――死んだら許さない。
――――死なないよ。
具現化した命の残量は、赤く変わっていた。
「だめ、ネージュ……っ!!」
いかないで。
震え切っていた手を伸ばし、彼の首へ回す。しかしそれは、他ならぬネージュによって下ろされた。
ふっと笑った彼の瞳が、優しげに私を見下ろす。
「あのね、僕ずっと言いたかったことがあるんだよ?」
やめてよ。そんな満足そうに笑わないで。
そんな私の願いを死神は嘲笑いながら、鎌を振り下ろした。
――――その数字は、非情なまでに、ゼロを刻む。
ネージュのあたたかい手が、私の頬へ伸ばされる。まるで宝物に触れるかのような手つきで包み込まれた。
「キカちゃん、好きだったよ」
だから、どうか笑って。
変わらずにふわりと微笑む彼の唇が、そう動いたような気がした。
「ネ……!」
私は必死に、彼の手へ自身の手も重ねようとして――――。
するりと、空を掻いた。
何も触れることはなく、ただただ青い欠片が指先を掠めていく。指の間から、青い雪が逃げていく。
「……あれ?」
なんで、どうして触れられないの? 今の今まで、確かに目の前に居たのに。
「…………か、隠れているの?」
ふらりと立ち上がり、辺りを見渡した。けれど獰猛な瞳が爛々と輝きながら私を射抜くだけだった。頬を青白い欠片が撫でていく。
「や……やめてよ」
儚く散っていく。
尊いものが、形を変え、あっさり消えていく。溶けるように、簡単に無くなる。まるで、雪のように。
水の上に落ちてしまった、白い妖精のように。
ただひとつ違うとすれば、高く、高く昇って行ってしまうことだろうか。
高く、高く。どこまでも。
私の手の届かないところへ、消えてしまう。高く、ひらりと、存在がかすれて、私は失う。
「こんな……、こんなことしていないで、早く出てきなさいよ!」
ああ、昇っていく。
消えてしまう。
「冗談、キツいわよ……。ねえ、聞こえているのでしょう!?」
いかないで。
いかないで。
……いかないで。
「ネージュ……、どこにいるの」
毒々しい黄色い光を纏った剣先が振り下ろされる様子を、ぽっかりと空いた思考で他人事のように見つめていた。
その刹那に浮かぶのはネージュの太陽のような笑顔で、私は全てに遮断するために目を閉じた。
ガキィィィンと、金属音が耳を劈く。
「……え?」
だが、肝心の衝撃が全くこない。不思議に思い、ゆっくり、ゆっくりと瞼を上げる。
息を、呑んだ。
「な……、エ、エギル?」
斬撃を跳ね除ける逞しい背中。色黒の肌。それは間違いなく、数時間前までパーティーを組んでいたエギルだった。
「どうして、あなたがここに……」
茫然としながら呟けば、背後から肩を叩かれた。パッと振り向けば、これまた私のパーティーだった屈強な男たちが居て。しかし、みな一様に、表情を歪めながら私を見ていた。
「……ルーク……?」
「…………キカはHP回復しろ、な?」
「ええ、……けれど」
「いいから!」
乱暴に背を押され、モンスター達から遠ざけられる。温和な彼の思わぬ行動に目を見開くが、それ以上私は何も言葉に出来なかった。
「……こいつらは、俺たちがぶっ飛ばしてやるから」
ルークが足を踏み鳴らしながら駆けていく。赤く染まっている己のHPゲージを、ぼんやりと見つめた。
「ネージュ……」
彼が居たはずのそこへフラフラと近づき、彼が落としていった両手剣を胸に抱きこんだ。周りを見渡せばネージュが身に付けていたのか指輪も一つ落ちている。それも拾い上げて、ぎゅっと握りしめた。
「ネージュ……、ネージュ!!」
何故だか、涙は零れなかった。
* * *
外灯に照らし出される街並みは、どこか色褪せて見えた。いつもは煩く感じる人々の喧騒も遠く、上手く頭に入って来ない。
「……キカ、大丈夫か」
「ええ、平気よ」
そう短く問いかけてきたエギルは、主街区まで帰ってくる間中、なぜか歯を噛み締めて私と目も合わせようともしない。いや、エギルだけではない。ルークも、その他のパーティーメンバーも、ずっとだ。このままでは流石に明日に響いてしまう。
私はその場に立ち止まると、振り返った彼らへ向けて頭を下げた。
「さっきは助けていただき、ありがとうございます」
「いや、礼を言われるようなことは……」
言いながら、だんだんと言葉が尻すぼみになっていく。いよいよわけがわからない。
……私は彼らに助けられ、今命があるのだ。
「どうして、みなさんがあそこに居たのですか?」
「あ、ああ。……実はあのエリア、正式サービス一か月経過を祝する “経験値大量獲得”っていうイベントの専用のところらしいんだ」
なるほど、と頷く。確かに経験値の上がりが早いと、……ネージュと共に気にしていた。
「それで、このイベントに参加するには、現在ログイン中のプレイヤーの中から自動的に抽選が行われるそれに当選するか、くそ面倒くさいクエストをクリアするしかないそうだ」
「……ということは、私は前者ね」
「ああ、そうだ。他にも何人か選ばれて……、というか消えて、大騒ぎになった。まあ、このことはすぐに情報屋によって広まったんだけどな。多分、通常なら運営が事前に告知していたんだろうなと思う」
「そうなの。……なんてありがた迷惑なイベントなのでしょうね…」
――――こんなものが企画されていなければ、彼が死ぬことはなかったのに。
唇をぐっと噛み締めた。エギル達を直視出来なくて、足元を視線が漂う。
「……それで、わざわざ来てくださったのですね」
「ああ……、何かあったらって思っていたんだが……」
不自然なほど、言葉が途中で途切れた。私が首を捻りながら顔を上げた時、ルークの口がまるで厚い扉が開いていくように重々しく開き、それを告げた。
「――――遅かったんだ」
なんのことを言っているのか、理解しようとするのを、私は拒んだ。
何度か何かが空回りを続け、そしてしばし絶句し、やっと自分の口から音と呼べるような音が出た。
「……え?」
初めて、彼らの顔をまじまじと見る。
後悔。罪悪感。悔しさ。
色々なものが混じり合い、昏い影を落としていた。徐々に彼らの顔が伏せられていく。
……私は、そのことによって理解してしまった。ルークが今口にしたことが、本当の事だと。
頭が痛くなり、視界が暗くなる。しかし、それでもと、必死に理性を繋ぎ止めて、
なんとか音を絞り出した。
「……頭を、上げてください」
けれど、上がらない。彼らの頭は、項垂れたまま上がらない。代わりに、うめくような声が紡がれた。
「俺たちがちょうど着いた時、金髪の兄ちゃんのHPがゼロになったんだ」
やめて。
心が叫ぶ。だが、それが聞き届けられることはなく、言葉は続いてしまった。
「もう少し……、あと数分でいい。あそこに早くたどり着いていたら」
……やめて。
彼らが言う“もしも”が、私の身体を抉った。深く、深く、刃が突き刺さる。ポッカリと開いた傷口から、ボタボタと、赤黒い血が溢れ落ちた。
「……俺たちがもっと早くクエストをクリアしていたら、もしかしたら……」
やめて!!
「お前たちを、もう少し早く見つけられていたら……ッ!!」
「いや……、嫌よ、それ以上聞きたくないわ!!」
気づけば、自分でも驚くほどの金切り声をあげていた。けれど、自身の口を止めることが出来ない。
「お願いよ、もうやめて! そんなの聞きたくないわ!」
「き、キカ……」
――――いくらあなたたちがそうやって悔しがっても、ネージュは生き返らない!
「……っ、う、……っく」
危うく迸りそうになったそれを、何とか喉の奥で押し留める。
違う。これをぶつけるなんて、してはいけない。そんなこと、してはいけない。…………分かっている。理解しているのだ。
「お願いしますから、もうやめてください。それ以上、あなたたちが謝らないでください」
思いのほか平淡な声が出た。それに反応して、彼らの凭れていた頭が、ナマケモノよろしくゆるゆると上がっていく。エギルたちの顔を一人ひとり確認して、私は浅く息を吐いた。
「いいですか、よく聞いてください。――――私は、あなたたちに感謝することはあっても、責めたり、……ましてや恨んだりなんて、そんな的外れなことをするつもりは毛頭ありません」
彼が死んだのは、他でもない、私の力が不足していたからなのだ。
彼らに気を病む道理はない。
「あなたたちが助けに来てくれた、という事実さえあればもう、……私は十分です」
どうかちゃんと笑顔を作れていますように。そう心の中で思いながら、先ほどよりも深く頭を下げた。
「……分かった。もう言わないから、頭を上げてくれないか」
「はい。……今日はもう疲れてしまったので、帰ってもよろしいでしょうか?」
「宿まで送らなくて大丈夫か?」
「お心遣いありがとうございます。けれど、お気持ちだけいただいておきます」
「そ、そうか。……明日のボス戦、無理しなくてもいいぞ」
「大丈夫です。お気になさらないでください。……あ、ただ」
「ただ……、何だ?」
「いえ、大した理由ではないのだけれど……。明日、迷宮区の入り口であなたたちと合流したいのですが、差し支えないでしょうか?」
「ああ、俺たちは大丈夫だ。なんなら、あの指揮官に一人遅れて合流すると言っておくよ」
「ありがとうございます。……くれぐれも、あのトンガリ頭の耳には入らないように気を付けてくださいね」
『ボス戦に遅刻するとはどういう了見や!!』とかなんとか、それくらいは言いそうである。凄く面倒なことになりそうだ。
それはエギルたちも察したのか、みな苦笑いを浮かべる。
……良かった。どうやら、少し気が晴れたらしい。あんな風に荒れた心情のまま明日のボス戦に挑まれたら、それこそ目も当てられない悲惨な状況になる可能性があったのだ。
「……なあ、キカ。お前、本当に大丈夫なのか」
「もう、何度言わせるの。意外と心配性なのね、あなたって」
エギルの問いに笑って返し、しかしすぐに真顔を作った。
「ねえ、エギル。生と死はね、絶対に切り離せない関係にあるのよ。……それこそ光と影みたいに」
愛情と狂気。憧れと嫉妬。天才と狂人。――――それらと同じように、常に背中合わせで、対になって分かつことが出来ない。
「誰しもが向こう側に、……そうね、“影”の方に、その時がくれば笑ってしまう程簡単に落ちてしまう。それはもう、あっさりと。けれども、生きている限り、死だけは逃げ切ることが出来ない。どれだけ技術が発展しようとも、ありえない、……あってはならないのよ」
生きものは、死ぬことが出来てはじめて“生物”と言えるのだ。
「そして、それを突き付けられた、まだ“光”の方にいる私たちは、たとえどんな経緯があろうとも受け入れなくてはならないの。……それは、今回のことでも同じよ」
そうしなければ、……抗い続ければ、耐えきることなど出来なくなるだろうから。今後、同じようなことは幾度となくあるのなら、なおさらに。
「だからこそあなたたちは今回の事には囚われずに、……出来るならご放念ください。そして、彼が生きていたという事実だけを、その優しいお心に刻み付けていただければ結構です」
彼らからさらに何か言われる前に、逃げるように背を向けた。
光のしずくが、黒く塗りつぶされた空に散りばめられている。街の中は、街灯や店からこぼれる光だけで彩られて、私に反し輝いていた。それらが、何故かとてつもなく痛い。早く、今日という日を終わらせてしまいたい。
けれど、それでも、私の意志と足は、体を休めることではなく、フィールドの方へ向かっていた。途中、閉店間際のNPCの店へすべり込み、“それ”を一束買い求める。
手に持った“それ”を見下ろしながら、口元に、いつもより無理やりに笑みを作った。
「……ばかだな、私」
いっそのこと、あそこで彼らを糾弾して、罵って、わめいて、……締めにデュエルでも申し込んでしまえば、少しばかりでも楽だっただろうに。
けれど、いつものように理性が邪魔をする。それは正しい行為ではないと理解しているのだから。
「ああ、もう、嫌になってしまう」
つぶやいた声は暗闇に溶けて消える。私は、すでに闇が支配しているフィールドへ足を踏み入れた。
* * *
広い草原に座り込みながら、星一つない黒い空を見上げた。もう私の隣に、彼が座ることはない。もうここで、彼と話す日は訪れない。
「……ねえ、ネージュ。今日は星が一つも見えないわ……」
あなたと見た夜空は、とても綺麗だったのに。
「何とか言いなさいよ、ばか」
私を勝手に守って、約束を破って、頼み事だけを残して消えるなんて、本当に馬鹿じゃないのか。
――――主街区に行きたいんだ。迷っちゃって、どうしようかって思ってたんだよ。
思えば、ネージュとの出会いはとんでもないものだった。音ひとつしないこの草原で、彼に声を掛けられたのだ。
今でも覚えている。彼の心底困ったような声と表情。私が街まで送ると言えば心底嬉しそうに顔を輝かせていた。
いつも、いつも。最期のあの瞬間も、いつも照れたような笑みを浮かべてこう呼ぶのだ。
――――『キカちゃん』、と。
彼に名前を呼ばれるのが好きだった。
格好悪いはずの笑顔を見るのが楽しかった。
すんなり私に馴染んで、妙にきらきら輝いていて、――――格好良かった。それは、最期の笑顔も同様に。
……だから、私はあの瞬間を忘れない。エギルやルーク達には忘れてほしい、と言ったが、私は決して忘れない。
私は、一生背負おう。
彼の笑顔を、優しいテノールの声を、夕日のように輝く髪を、空の色を映す海よりも澄んだ瞳を。“ネージュ”という名前の通りに、真っ白だった彼を。私には眩しすぎて、直視出来なかった彼を。
私は絶対に忘れない。忘れては、いけないのだ。ずっとそれらに縛られ続けなければいけないのだ。それが、彼へのせめてもの償いになるのなら。
彼と見上げた空を振り仰ぐ。あの日々に見た夜空を思い描いた。
きっと黒い世界に大切なものをばらまけば、あんな風に輝くのだろう。彼のように強く、眩しく輝くのだろう。……私の星は、くすんでしまって、肉眼ではとても見られないと思うけれど。
「……強くなりたい。誰かを守ることが出来るくらいに。もう、私の目の前で誰も死なないように」
――――強くなりたい。
私はウィンドウを操作し、両手用直剣――――、誰にでも手に入れることが出来るものだけれど、彼が私を守ってくれた、これだけは世界にたったひとつの聖剣であるそれを手に取った。
目を閉じて、そっと、別れを告げる口づけを落とす。そのまま、静かに地面へ突き立てた。赤い花びらが舞う。
そのそばに、先ほど買った“それ” ――――、スイートピーの花束を添える。
あなたに貰った花。今まで手渡された花束の中で、一番嬉しかった花。
花言葉を知っているかと問われて“ほのかな喜び”と答えれば、本当に嬉しそうに笑っていた。もしかしたら、あの時にはすでに私のことを……。
「ねえ、ネージュ。スイートピーには他にも花言葉があること、知っていたかしら?」
ひとつは、“優しい思い出”。
苦しみしかなかったはずの後ろの道に、僅かでも光を落としてくれた彼へのお礼。
「私、あなたと一緒に居られて本当に楽しかったわ。……嘘じゃない、本当よ」
ひとつは、“別離”
別れがあんなに急になるだなんて考えもしていなかった。つい数時間前までは、いつものように会話をしていたのに。
「……こんなことになるなんて、私は思ってもいなかったわ」
――――キカちゃん、好きだったよ。
「私も、あなたのこと嫌いじゃなかったわ」
きっと、あなたとは違う意味の想いだったと思うけれど。私には、そういうことを上手く理解することは出来ないけれど。
――――いや実際はそうではない。よく分からないのだ。分からないのに、あなたは待ってくれなかった。私が答えを見つける前に、消えてしまった。時間を与えてくれなかった。
もし仮に、この先答えを見つけられたとしても、返す相手が居ない。聞いてくれるあなたは、もう死んでしまった。
だから、これだけしか言えない。こうとしか、表現出来ない。
――――あなたは大切な親友だった、と。
いつだって気づくのは手遅れになってからだ。流れるような日々に流されてきたからか、隠れて、視えなくなっていた。自分にはない素直な笑顔に目が眩んで、しかしそれに寄りかかってきたから。
「……私は“闇”。どれだけ白を混ぜたとしても、雪のような純白になることは出来ない。……だから、“光”に寄り添って、少しでも白くしようとしてしまうの」
ねえ、ネージュ。私に“笑って”と言ったあなたには、本当の私が視えていたのだろうか。
闇の中でくすぶりながら、それでもひたすらに待ち続ける私が。
ビュオオオと、私をせかすように風が唸り声を上げた。私は、すっと笑みを作る。
「……さて、あなたの頼みごとも守らなければいけないわね。まったく、大変なことを残してくれたわ」
何しろ、顔も、名前さえわからない相手を、この世界で探さなければいけないのだから。
きっと、今までのどんな事よりも難しいのだろう。それでも私は見つけ出して見せる。それが、彼が最後に残した願いであり、どんな事実よりも優先される意志。
「だから、安心してくださいね」
足を後ろに引く。そして、そのままさらに一歩、二歩。
しかし、そのまま移動していて、なかなか剣から目を離せない。
けれど、背中を向けなければならない。きつく目をつぶる。息を深く吸い、すべてを出し切るように吐き出した。迷いも、後悔も、何もかも。
目を開けた。当然のことながら、数秒前と景色は変わらない。
「いつか、また来るわ。あなたが守りたかったもう一人の人と、一緒に」
すとんと出た言葉と共に背を向けた。そうして、そのまま立ち去ろうとした瞬間、ふとネージュと交わした会話が蘇る。
『日付が変わったら開けてほしい』
そうだ。ネージュが、私へ渡してきた手紙があったはずだ。
チラリと時刻を確認すれば、新しい日を迎えた頃で。そのことから自分がどれくらい長い時間あそこに立っていたかが察せられたけれど、頭を軽く降って払拭する。
このメッセージは、ここに書かれた内容は、彼の生前の思いなのだ。
私は震える指先でウィンドウをタップして、ネージュからの手紙を取り出す。全力疾走した時のように、息が上がった。
視界が時間帯のせいではないもので闇に染まりそうになるのを、なんとか堪えつつ、そっと、封を切る。
封筒の中から出てきた手紙は、ネージュの性格をそのまま表すかのように、とても繊細で柔らかい文字で書かれていた。
『キカちゃんがこの手紙を読んで、もし嫌じゃなかったら……、今日のフロアボス戦が終わった後伝えたいことがあるので、いつもの草原に来てください。待っています。
面と向かって誘えなくてごめんね。きっと言葉が出なくなっちゃうと思ったので、手紙にしました。
……あのね、僕は――――』
「……ばか、やっぱりあなた、大馬鹿者よ」
自身のストレージから、両手剣と一緒に拾い上げていた彼の遺品を取り出す。何度か操作ミスをしながらも、もう一つの遺品――――指輪をオブジェクト化した。
そして、印字されている文字を暗い中なんとかを読み取り、絶句した。
“TOUJOURS AVEC KIKA”――――。
フランス語で、『いつもキカと一緒に』。
もしかしたら、彼の名前が刻まれた指輪もあったかもしれない。そして、“キカ”と印字されていた方を彼が身に付けていたのなら、“ネージュ”と印字された方は――――。
「……ッ」
彼が贈ってきたメッセージは、……生きていたら直接伝えられていただろうメッセージの存在は、ひどく重く、私のことを貫いた。
「ねえ……、私、どうすれば良い?」
あなたの本心を、その口からしっかり聞きたかった。私の答えがどうあれ、ちゃんと聞いて、ちゃんと返したかった。
「どうして欲しいのよ、ネージュ」
知らなければ良かったなんて、そんな残酷なことは言わない。私に出会わなければ彼は死ななかったのではないかなんて、そんな無責任なことは言わない。
けれど、永遠に抜け出せない迷路に迷い込んだ気分だった。途方に暮れてしまって、もう、ここから足が動けそうにない。
隣には、手を握ってくれる彼はもういない。
改めてそのことを強く認識してしまったのに、やはり私の頬に涙が伝うことはなかった。