艦隊これくしょん【幻の特務艦】
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第六話 譲れないもの
まだ払暁の空の下、洋上にはひたすら猛訓練に励んでいる艦娘の姿があった。そのやや離れたところには、もう一人の艦娘が、励ましたり、注意したり、指導したりと、懸命に声をかけ続けている。
「そう・・・そうです!!そのまま、降下角度60度を維持!!・・・目標頭上、対空砲火の死角から一挙に突入して・・・・・投下です!!」
「爆撃開始!!」
紀伊の言葉に各隊が一斉に模擬爆弾を投下した。まるで吸い寄せられるように爆弾は標的艦の艦橋前部中央の弾薬庫頭上に落下し、標的艦は盛大な音を立てて爆発した。訓練を終えた艦載機が次々と自分の飛行甲板に戻ってくるのを紀伊は冷静にさばいて全機これを収容した。
「やりましたね。紀伊さん。」
翔鶴が顔を上気させて紀伊のそばにやってきた。
「艦載機の離発着のコツもつかまれましたし、今の訓練で標的への命中率は60%を越えました。後は雷撃の訓練と艦上戦闘機の防空戦をマスターすれば、大丈夫だと思います。」
「翔鶴さん、本当に、ありがとうございます!」
紀伊は深々と頭を下げた。
「いいえ。もともと才能がおありだったんですもの。私は手助けしただけで、後は紀伊さん自身のお力です。」
「そんな・・・・。」
紀伊は頬を染めたが、ふと遠くに目を止めた。
「もしかして・・・あれは、鳳翔さんではないでしょうか?」
「え?・・あぁ!本当ですね。」
二人はじっと鳳翔の姿を見ていた。鳳翔は沖に出て波に揺られながらも矢を抜き取るとキリキリと引き絞り、さっと上空に向けて放った。その動作には微塵もブレが感じられない。放たれた艦載機にも紀伊は驚いた。烈風でも、まして零戦でもなく、九六観戦と言われる旧式の艦載機だったからだ。だが、九六観戦は一糸乱れぬ編隊を組み、次々と標的を破壊していく。その精度はまさに百発百中、100%だった。
「すごい・・・・。」
「ええ・・・・鳳翔さんはすべての航空母艦の祖と言われた方です。かつては一航戦を務めていらっしゃったこともあります。艦載機の数は少ないですが、精鋭中の精鋭で、その実力はあの赤城さんや加賀さんを凌ぐとも言われています。」
「赤城さん、加賀さんを、ですか・・・・?」
紀伊は息をのんだ。赤城や加賀は紀伊にとってはずっとずっと上の文字通り雲の上の存在だった。鳳翔の実力はその二人の更に上を行くという。紀伊は鳳翔の実像を想像して気が遠くなる思いだった。
「ですから、五航戦の私などにとっては本当に雲の上のような先輩なんです。でも、普段滅多に練習する姿を見かけないのですけれど・・・・。」
翔鶴は少し不思議そうに言った。その言葉が聞こえたのだろうか、ふと鳳翔がこっちを見た。
あっと二人は声を小さく上げたが、鳳翔は一度にこやかに手を振ると、滑るようにしてこっちに走ってきた。
「お二人とも、練習ですか?」
「あ、は、はい!すみません、練習を御邪魔してしまって。」
翔鶴が上ずった声で直立不動になりながら答えた。
「す、すみませんでした!」
紀伊も深々と頭を下げた。
「いいえ、気にすることはありません。むしろそんなに気を使わないでください。」
鳳翔が首を振りながら言った。
「お恥ずかしいですが、私も久々に出撃するのです。多少腕が鈍っているような気がして練習していました。紀伊さん、この度の作戦、よろしくお願いしますね。」
「は、はい!!よろしくお願いいたします!!」
空母の大先輩に声をかけられた紀伊は上ずった声で返答した。
「こちらこそよろしくお願いします。」
鳳翔が頭を下げた。
「練習のお邪魔になるといけませんから・・・・。」
紀伊たちが辞去しようとすると、後ろから声がかかる。鳳翔が呼び止めていた。
「できましたら、紀伊さん、あなたのお力をぜひ拝見してみたいのですが、手合せいただけますか?」
紀伊は仰天した。いきなりの話に翔鶴も驚いた眼をしている。
「そ、そんな、無理です。大先輩を相手に練習など・・・・私が・・・・・。」
言葉を失った紀伊を鳳翔はじっと見ていたが、やがて一つうなずくと口を開いた。
「紀伊さん・・・・そうですね、率直に言いましょうか。この度の作戦において、あなたの力を疑問視する声が出てきています。いいえ、勘違いしないでください。私はあなたを信じています。ここに来る途上第六駆逐隊を救ったのも、先日第七艦隊を救ったのも、あなただからです。」
そんなことはありません、と紀伊は否定したくなったが、鳳翔の真剣な様子ではそれを言うことをはばかられた。
「ですが、ほかの方は・・・・。」
鳳翔は一瞬唇を噛んで視線を逸らした。つらそうだった。
「ほかの方はあなたを認めてはいません。ごめんなさい、こんな言い方をしてしまって。」
「いいえ、そうだと思います・・・・。」
紀伊はそう言いながら胸が苦しくなる思いだった。自分の力の足りなさは自覚している。だが、それが外から形となって自分に突きつけられることは、想像していたよりもずっと耐え難い気持ちにさせられる。
「私はそれがとても嫌なのです。あなたには素晴らしい才能がある。でもその才能を生かし切れていない。あなたが自信を無くして卑屈になっているからです。」
紀伊はびくっと身を震わせた。先ほどとは違う感情がこみ上げてくる。卑屈・・・卑屈・・・・卑屈!とても嫌な言葉だった。はられたくないレッテルだった。
「だからあなたに一日でも早く自信をつけていってほしい。それが私の本心であり提督のお気持ちでもあります。」
紀伊は考え込んだ。さっき翔鶴が言っていたように鳳翔は空母として最精鋭の力を持っている。その鳳翔に食らいつくことができれば、少しでも自分の自信になるのではないだろうか。ほかならぬ鳳翔自身もその意図で紀伊に話しかけたのだろう。
「紀伊さん。」
翔鶴がこっちを見ている。不安そうな顔だったが、眼は真剣だった。
「不安な気持ちはわかりますが、私も、受けられた方がいいと思います。」
翔鶴がそういうということは彼女もまた鳳翔の意図をくみ取ったということだ。紀伊は決断した。
「翔鶴さん・・・。わかりました。お受けします。お願いします!」
紀伊は頭を下げた。
「ありがとう。では、ルールを説明します。私と紀伊さんとで戦闘機を20機ずつ放ちます。10分経過するか、どちらかが戦闘不能と判定されるまで戦い続け、より多くの艦載機を撃破したほうを勝ちとします。よろしいですか?」
「はい。」
紀伊はうなずいた。
「撃墜の判定は、翔鶴さん、あなたにおねがいしてよろしいですか?」
「はい。」
翔鶴はうなずき、交互に視線を送ると、二人から離れていった。
「では、始めましょう。」
鳳翔はそういうと、滑るようにして沖合に出ていった。ほぼ数キロを隔てたところで二人は向かい合った。鳳翔がかすかに海上に点となって漂っているのがかろうじて見える。
(鳳翔さんの戦闘機はおそらく九六艦戦・・・・それに対してこっちは烈風。速度、火力、耐久性。性能から行けば、圧倒的にこっちの方が有利だけれど・・・・。でも、相手はあの鳳翔さんの艦載機・・・・太刀打ちできるかどうか・・・・。)
紀伊は湧き上がる不安を抑えきれなかった。
「お二人とも準備はいいですか?」
翔鶴の声が風に乗って届いた。正確には無線を使用しているのだが。彼女は右腕を上げている。紀伊は鳳翔がうなずくのを見、自分もうなずいた。
「では、演習、開始です!!」
右腕が振り下ろされた。
(でも、やるしかないわ!!みんなお願い!!)
紀伊は飛行甲板を水平にし、叫んだ。
「戦闘機烈風隊、発艦開始!!横一列陣形のまま突撃!!」
放たれた艦載機は多少ばらつきがあったが、何とか横一列に陣形を整えた。その瞬間彼方から九六艦戦の白い機体がまっしぐらに烈風隊に向けて突撃してきた。
「攻撃開始!!撃て!!」
紀伊が叫んだ。烈風隊の九九式20ミリ機関銃が一斉に火を噴く。だが、九六艦戦は撃たない。いったん戦列を崩し、上下に逃げるようにして旋回していく。烈風隊はその中を突っ込んで散らしていった。
「乱戦よ。撃ち負けないで!」
紀伊が叫んだが、次第に顔色を失っていった。
「どうして?どうして?!・・・・どうして?!」
いったん上下に退避した九六艦戦を烈風隊が追撃したが、速度が倍近く違うため、九六観戦をたやすく追い抜いてしまう。そのため速度調整のために間合いを取ろうとするのだが、それに手間取り、いつの間にか後ろに回り込んだ別の九六艦戦に次々と燃料タンクを集中的に攻撃され、撃墜判定を受けてしまったのだ。それのみならず、九六艦戦は3機一体となって上下左右から烈風隊を挟撃してこれを撃破していった。
「くっ・・・!いったん退避!!」
紀伊が叫び、烈風隊は旋回しようとしたが、旋回性能では九六艦戦が優っていた。間合いが遠ければ、持ち前の速力を生かして撤退できるが、混戦のため九六艦戦に捕捉されてしまっている。このため先手を取られて残る烈風隊も次々と撃墜判定を下されてしまった。
「・・・・・・・・。」
紀伊は顔色を、そして言葉を失っていた。
その日の夜――。
「どうしたのじゃ?さっきから全然箸が進んでおらんぞ。」
利根が話しかけた。食卓の上には利根が腕を振るった牛肉じゃがが大ぶりの器に入って湯気を立てている。多少玄米や雑穀が混じっているがホカホカと炊き立てのご飯。筑摩自慢の豚汁。鈴谷が昔瑞鳳に習って作ったという卵焼き。それに漬け物。後で熊野がアレンジしたデザートが出ることとなっている。
「せっかく晴れの出撃が決まっての祝いじゃというのに、浮かぬ顔じゃの。」
「冷めちゃうよ。」
「わたくしのお手製のデザートもありますのに。」
「ごめんなさい・・・・。」
紀伊はそう言ったが俯いたままだ。目の前の料理は手が付けられず、徐々に冷めてきている。筑摩はじっとそれを見つめていたが、やがて静かに箸をおいて身を少し乗り出した。
「紀伊さん、何かあったのですね。・・・・・もし、よろしければ話してもらえませんか?」
紀伊はぎゅっとスカートの上で膝をつかんでいる。その手は小刻みに震えていた。
「のう紀伊。吾輩たちはこれまでずっと一つ屋根の下で暮らしてきた。最初は鈴谷の奴も熊野の奴も不審顔だったが、今はこうして一緒に飯を食っている。」
「艦種は確かに違うかもしれないけれど、ウチらはどの寮よりも仲良しだと思うよ。それって、何かあれば何でも話し合う仲だと思うな。」
「紀伊さん。」
紀伊は大きく息を吸って、顔を両手で覆い、堰を切ったように話し出した。
「私、私、私・・・・!出撃艦隊から外されて・・・・!!」
4人は唖然とし、次に顔を見合わせあった。
演習で完膚なきまでに敗北した紀伊に鳳翔と翔鶴は色々と話しかけたが、彼女は終始うなだれているだけで何も言えなかった。悪いことにそれを目撃していた日向と加賀が一斉に紀伊の出撃取り下げを提督に打診してきた。怒った鳳翔が無断で観戦した二人にそのことを責め、取り下げるように命じたが、二人は首を縦に振らなかった。このため提督を交えた緊急会議が行われ、現在も話し合いが続けられているという。当事者の紀伊はその話し合いから外されていた。
「ごめんなさい・・・・。」
紀伊は顔を上げた。涙の後が頬に光っていた。
「皆さんこんなに大変な思いをして色々と用意してくださったのに・・・・私は・・・・。」
「ひどい!!」
鈴谷が声を上げた。
「まったくですわ。たった一度の演習の敗北で決定されていた出撃を取り消すなんて。いったいどういうつもりですの?」
熊野も憤然とした。
「それに、相手は鳳翔さんですわ。空母として精鋭中の精鋭の方です。そんな方に敗北するのはむしろ当然のことではなくて?」
「いいえ、それは少し違うと思います。」
筑摩がやや沈んだ声を出した。
「鳳翔さんに負けるにしても善戦していたならばこんなに大きな騒ぎにはならなかったでしょう。でも、紀伊さんの場合にはほとんど完敗したと聞いています。(二人の演習の話は目撃した艦娘たちから、あっという間に呉鎮守府中に広がっていたのだ)それも・・・新鋭の烈風で旧式の九六艦戦に負けてしまったから・・・。」
「余計に日向や加賀の奴の神経を逆なでしたことになったのじゃな。」
利根が腕を組んだ。
「はい・・・・。」
紀伊は湿った声を出した。
「でも、紀伊よ。おぬしこのまま引き下がるつもりか?」
利根が食卓に両手をつっぱって身を乗り出した。食器が音を立てた。
「それは・・・・。」
「吾輩はそういうことは好かんぞ。負けたままで引き下がるのは大嫌いじゃ。」
「でも・・・・・。」
「お主もお主じゃ。一度負けたのがなんじゃ。吾輩なぞ中破大破は数えきれんほど経験してきた。じゃが、相手には食らいついて離さなかったものじゃ。一発くれてやらなければ、気がすまんというものではないか?」
「みんながみんな利根のようには行かないよ。」
鈴谷が言った。
「でも、あたしは賛成かな。負けたままでいるのは嫌だもの。自分が小さいままでいる様な気がするし。」
その時、寮の入り口のベルが鳴った。
「誰かしら?」
熊野が席を立って玄関に向かった。
「あら!!」
ほどなくして声があがり、相手が何やら答える声がし、熊野が食堂に戻ってきた。
「紀伊さん。」
紀伊が顔を上げると、そこには翔鶴が立っていた。瑞鶴も一緒だった。
「瑞鶴さん、退院されたんですか?」
「そんなことはどうでもいいわ。紀伊、話は聞いたわよ。あんたこのまま黙っているつもり?」
瑞鶴は身をかがめて紀伊を見た。
「それは・・・・。」
ぎゅっと拳が握りしめられた。
「だったらものすごくがっかりだわ。私を命がけで助けてくれたあなたは最高にかっこよかったのに。その時と比べたら今のあなたは大破して沈没しかけているボロ船同然よ!」
「ちょっと瑞鶴――。」
「翔鶴姉は黙っていて!・・・・紀伊、私はがっかりしたわ。あんたはそんなに卑屈な人だったの!?」
「違います!!」
がたっという音と共に紀伊は立ち上がっていた。
「私は・・・・。」
大きく息を吸って紀伊は瑞鶴を見た。
「私は空っぽです。自信なんて何もありません。前世の記憶も、人に胸を張れるものも何一つないんです。でも、でも、こうして皆さんのお世話になって、色々教えてもらって少しずつ前を向いて歩けるようになりました。私は卑屈だなんて言われたくはない。こんなところで私は終わりたくはない!!」
紀伊の気迫に瑞鶴は言葉を失った。紀伊自身が驚いていた。今までこんなに大声を出したことはなかったからだ。でも、それによって自分の心にかぶさっていた重苦しい重しが吹き飛んだのも事実だった。紀伊は決意していた。
「大声出して、ごめんなさい・・・・。でも、やっと決心がつきました。このままじゃ私は駄目な艦娘になってしまう。鳳翔さんに負けたことを引きずっていては前に進めないんです。だから・・・・もう一度だけ、鳳翔さんに挑みます。」
皆は一斉に紀伊を見た。
「よく言った!」
利根がパンと紀伊の肩を叩いた。
「でも、どうするの?今の状態じゃまた負けるかも・・・・。それに鳳翔さんが受けてくれるかどうか・・・・・。」
鈴谷が心配顔で言う。
「今から練習に行きます。いいえ、私一人でやります。皆様にはこれまで色々お世話になりました。でも、これは私が自力で解決しなくてはならない問題なんです。それに、鳳翔さんならきっと受けてくれます。駄目だったら土下座してでも頼み込みます。」
「紀伊・・・・・。」
「紀伊さん・・・。」
6人の艦娘たちは紀伊の言葉に目を見張った。これまでずっと引っ込み思案で過剰なネガティブ思考とさえ思っていた新参者からこんな言葉を聞こうとは夢にも思っていなかったからだ。
執務室にて、夜、窓の外を眺めながらの提督のモノローグ――。
まったくとんでもないことになっちまった。
紀伊の奴の護衛艦隊の編入に日向と加賀の奴が猛反対し、話が振出しに戻ったのだ。俺は鳳翔、加賀、日向、榛名、霧島、伊勢、ビスマルクを呼んで夜遅くまで話し合った。加賀と日向を除く5人は紀伊の奴の編入を歓迎した。だが、奴らは鉄壁のごとく紀伊の編入に対して反対の姿勢を貫いた。なぜ奴らはかたくなに反対するんだろう。女の、いや、艦娘心は複雑なのかもしれん。
実を言うと、この会議の小休止中に翔鶴が知らせてきた知らせが俺の興味と決断を生ませた。奴は鳳翔に負けたことをそのままにせず、一念発起して自主練を始めたのだという。しかも「土下座してでも頼み込みます。」という不退転の台詞まで言ったのだという。今までの奴の言動からは考えられなかったことだ。
奴は少しずつ変わり始めている。
それがいい方向に行くか、悪い方向に行くかはまだわからないが、俺がそれを最後まで見届けたい。よって、加賀や日向の奴の意見を聞こうという思いは毛ほどにもない。だが、皆を納得させるためにはそれなりの事実が必要だ。特に加賀や日向の奴には。そこで俺は紛糾する会議に戻り、一つの提案をした。つまり紀伊と鳳翔にもう一度演習をさせる。そこで紀伊が負ければ、今回の艦隊の編入はとりやめる。俺はそう明言した。これには加賀も日向の奴も驚いた。一番驚いていたのは鳳翔だったのかもしれない。そりゃそうだろう。精鋭中の精鋭空母に新人が挑むわけだからな。以前の奴なら震え上がって気絶しただろうが、今の奴は違う。だからこの提案を受けるはずだ。きっとな。俺はふと満月の照らし出す青い海を一点を見た。何か一筋の光のようなものが闇を切り裂いて飛んでいるような気がしたのだ。こんな夜間になんだ?まさかとは思うが――。俺は双眼鏡を取り出し、そっと目に当ててみた。
・・・・なるほどな。奴の思いと覚悟がどこまでのものなのか、それを確かめる時が来たようだ。
数日後――。
演習当日だというのに埠頭には大勢の艦娘が詰めかけて、まるでお祭り騒ぎのようになった。目的はもちろん鳳翔vs紀伊の特別演習だった。それぞれ一人ずつ補佐(もっとも試合中は絶対に手出しをしないこととなっている。)が付くことになっていた。鳳翔には加賀が。そして紀伊には瑞鶴が付いた。審判役に翔鶴と、そして赤城が務めることとなり、まさに正規空母艦娘のオールスターが勢ぞろいした感があった。
「紀伊、大丈夫?」
飛行甲板の調整をしていた紀伊は顔を上げてうなずいた。
「はい。大丈夫、です。」
「あまり大丈夫とは言えない顔だけれど・・・・でも、私はあなたを見直したわ。」
「??」
「だって・・・最初のころだったら艦載機を発艦するだけでも大変だったのよ。それが今じゃここまで来れた。全部あなたが努力したからよ。」
「いいえ、瑞鶴さん、そして翔鶴さん、皆さんのおかげです。私は何も誇れるようなことはしていません。」
「随分練習を積んできたみたいだけれどね。」
瑞鶴は紀伊の手を見た。よく見ると傷だらけで包帯がしてある。その時、海上に警報が鳴り響いた。試合開始の合図だ。
「時間よ。悔いの残らないように、頑張ってきて。信じてるから。」
瑞鶴がひたっと紀伊を見つめている。折から吹いてきた穏やかな海上風にツインテールが揺れる。だが、それは数日前の険しい顔ではない。仲間を信じ励ましの想いと共に送り出そうという親友の暖かな眼だった。
「はい!」
紀伊はうなずき、水面をけって海上に進み出た。彼方から鳳翔が滑ってきた。二人は数メートルを隔てたところで向かい合った。鳳翔の表情は読み取れない。この演習について肯定的なのか、否定的なのか、それは彼女だけが知りうることだろう。だが、紀伊はそんなことを気にしていなかった。鳳翔がどんな心境だったとしても自分は全力を尽くすだけだと決めていたからだ。
迷いはなかった。
二人が向かい合うのと同時に埠頭の方から二人の艦娘が滑ってきた。赤城と翔鶴だ。
「では、これより艦載機による演習を行います。主審は私、赤城が務めさせていただきます。」
(この人が赤城さん・・・・。)
紀伊は赤城を見た。凛としたたたずまいはさすがに精鋭中の精鋭を率いる第一航空戦隊旗艦を務めるだけはある。赤城は鳳翔を見て、次に紀伊を見たが、ふとかすかに微笑みかけたような気がした。紀伊がいぶかしげに思うより早く赤城は元の主審たる表情に戻っていた。
「副審は私、翔鶴が務めさせていただきます。」
翔鶴が一礼した。
「では、ルールを説明します。各々が20機ずつ戦闘機を発艦させ、10分経過した時点での残数が多いほうか、どちらかを全滅させた方を勝ちとします。」
紀伊も鳳翔も同時にうなずいた。
「では、両者位置についてください。」
その言葉に鳳翔は沖合に、紀伊は埠頭付近に離れていった。それを見届けた赤城がさっと右腕を上げた。右手に持った判定用手旗が風になびいている。埠頭に集まった艦娘たちはしんとなり、すべての眼が赤城に集中された。
「行きます!演習・・・・開始!!」
右腕が振り降ろされた。
紀伊は数歩滑るように後退し、右腕の飛行甲板を水平にすると叫んだ。
「艦載機、発艦開始!!」
飛行甲板から次々に飛び立った烈風隊は上空で横一列の編隊を組んだ。同時に鳳翔の九六艦戦も迎撃のために横一陣に展開して殺到してきた。
「・・・・・・・。」
紀伊は注意深く各隊の動きを目で追った。やがて烈風隊は射程距離にはいる。
「全機、攻撃開始!!」
紀伊が叫んだ。同時に烈風の誇る20ミリ4型機銃が一斉に火を噴き、九六艦戦は上下左右に分かれた。
「よし、烈風隊全機!!そのまま直進!!すり抜けて!!」
紀伊が叫んだ。そばにいた瑞鶴は思わずえっと声を上げていた。通常ならこのまま混戦に持ち込み、後は機同士のたたき合いになる。だが、紀伊はそうせずに烈風隊を直進させ、敵を突き抜けさせようとしている。
「全速力で突破!!」
烈風隊は最大戦闘速度で九六艦戦を突破し、後方にすり抜けた。これには九六艦戦も慌てたらしく、持ち前の旋回性能で反転し、追撃にかかった。だが、烈風の高速は九六艦戦を寄せ付けず、ぐんぐんと差を広げていく。
「第一小隊、第二小隊、上昇!!」
烈風隊の一隊が太陽に向けて急速に上昇していった。九六艦戦の半数もこれを追尾するが、上昇力において強力なエンジンを積んでいる烈風隊にはかなわなかった。追尾してくる旧六観戦の7,7ミリ機銃が火を噴くが、太陽に目がくらんで、標的をうまくとらえられないらしく、誰も撃墜されていない。
「旋回性能ではこっちが負けます・・・・。でも、逆にこっちに有利な点は確かにあります。大切なのは・・・欠点と長所を知ってそれを最大限に生かすことを考えること・・・・!!そうですよね、霧島さん!!」
紀伊の言葉は観戦中の霧島に届いたかどうか、それは誰にもわからない。
「反転し、迎撃!!」
紀伊の叫びに先行していた残りの烈風隊が反転し、再び猛速度で敵に襲い掛かってきた。旋回性能が劣るといっても距離が開いているので余裕がある。強力な20ミリ機関銃の前に何機かの九六艦戦が赤城と翔鶴の笛、そして二人の旗によって撃墜判定を受けた。埠頭からは一斉に歓声が上がる。だが、混戦になると九六艦戦も強さを発揮した。持ち前の粘り強さと旋回性能、そして組織力でじわじわと烈風隊の背後を取っていく。ドッグファイトの訓練と数機が一体となってフォーメーションで敵を翻弄する腕にかけては紀伊は鳳翔に到底かなわなかった。当人もそれを良く知っている。
「海面すれすれに急降下!!敵を引き離して!!」
紀伊が叫んだ。烈風隊のうち何機か撃墜されたが、残る機は急速降下して海面すれすれを飛行し始めた。これを追う九六艦戦の背後から猛烈な機銃音がした。一旦太陽に隠れて上空に退避していた第一、第二小隊が反転して突入、敵を挟撃したのだ。次々と九六艦戦は撃墜の判定を受けて散っていく。だが、混戦になれば鳳翔の九六艦戦に圧倒的に有利だ。距離があるうちに何とかたたきたい。
(お願い!!これが最後の最大のチャンス!!一機残らず撃ち落として!!)
紀伊は祈るような思いで戦況を見つめていた。
「先日の演習とは大違い。さすがは紀伊さん。相当の練習を重ねてきましたね・・・・。」
鳳翔は上空を見上げながらつぶやいた。
「紀伊さんは九六艦戦の弱点を的確に見抜いています。いいえ、それだけじゃありません。自部隊の烈風隊の弱点と長所も冷静にとらえたうえで、それらを最大限に戦術に活かしている。」
鳳翔は補佐役の正規空母に目を転じた。
「どう思いますか、加賀さん。」
「・・・・・・・。」
加賀は黙って上空の空中戦を見上げたままだった。
「これで充分ではないでしょうか。少なくとも私は彼女の力を見届けることができました。これならば今度の作戦に編入しても問題はないでしょう。」
「・・・・・・。」
加賀は無言だった。鳳翔は加賀から視線を外し、空中の残存九六艦戦に対して、急反転し、追尾してくる烈風隊を狙うように指示した。散開した九六艦戦は突っ込んできた烈風隊の背後を襲い、次々と撃破していく。だが、紀伊も負けてはいなかった。先行する烈風隊を反転させて、加勢させ、ここに大激戦が展開された。当初からは考えられない紀伊の粘り強さに鳳翔もいつの間にか顔を引き締めている。
その時、カウントダウンが残り1分を切った笛の音が響いた。
「残り1分です!!残存機は鳳翔九六艦戦隊が6機、紀伊烈風隊が8機です!!」
赤城が叫んだ。なっ、と加賀が小さく声を漏らしたのが鳳翔の耳に届いた。
「流石です。でも、まだこれからです。紀伊さん!」
鳳翔が叫び、ぎゅっとこぶしを握りしめた。一旦混戦から抜け出した九六艦戦が上昇を始めた。
「上昇・・・?いったい何を考えているの?上昇力では九六艦戦は烈風の敵ではないのに。」
紀伊は一瞬眉をひそめた。
「これは・・・・罠?それとも・・・・。」
紀伊は迷っていた。このまま逃げ切れば数の上で優っている自分の勝利は動かない。だが、それでいいのか?紀伊は自問自答して首を振った。
「たとえ負けるにしても全力で戦えば後悔はしない。でも・・・・時間稼ぎという勝ち方をすれば一生私は後悔する。鳳翔さんに応えるためにも・・・・みんなに応えるためにも・・・・・私はこの勝負に応じ、全力で最後まで戦います!」
紀伊は烈風隊に全力を挙げての追撃を指令した。上昇する九六艦戦を烈風隊はぐんぐん縮めてくる。
「射程に捕えた・・・撃て!!」
紀伊が叫んだ。
「今です!!」
鳳翔が叫ぶのと同時にふっと九六艦戦が力を抜いたように不意に上昇をゆるめ、次の瞬間急激に落下していった。瞬間的にエンジンを極限まで落としたのだ。
「えっ!?」
紀伊が一瞬呆然とする。急なことなので烈風隊は対応できず、九六艦戦を避けるようにしてとびぬけていった。そんな中、九六艦戦は落下しながら烈風隊をすり抜けて背後に回りながら猛烈な機銃を浴びせかけた。
「しまった・・・・・っ!!」
紀伊が唇をかんだときには、烈風隊のうち3機が撃墜判定を下されていた。だが、その中の一機は撃墜されながらも反転して、背後の九六艦戦を1機体当たりで撃ち落としていた。その直後――。
「そこまでです!!」
赤城の声と共に、演習終了の笛の音が響き渡った。
残存機数は鳳翔が5機、そして紀伊も5機。つまり―――。
「引き分け・・・・。」
加賀がつぶやいた。
紀伊は呆然と立っていた。
「引き分け・・・・うそ・・・・絶対に負けたと思っていたのに・・・・・。」
最後の最後で自分の烈風隊の一機が相打ち覚悟で敵機に体当たりしたのだ。それがなければ、自分は負けていた。体当たりした機は主翼を傷つけられていた。フラフラとだが、それでも誇らしげに飛んでいる。
「やった!!」
耳元で大きな声がして、ぎゅっと背後から肩を抱かれた。
「やったじゃない!!あの鳳翔さんを相手に引き分けに持ち込めるなんて、本当にすごいわ!!」
紀伊から体を離した瑞鶴が紀伊の両手をぎゅっと握りしめて振った。
「ええ!流石です。良かった・・・・本当によかった・・・・!」
そばに翔鶴も来て嬉しそうにうなずいている。
「いいえ、皆さんのおかげでした。私は・・・・。」
「またそういう。駄目よ、その言葉は今は言わないで。」
瑞鶴が遮った。
「ほら、艦載機が帰ってくるよ。あの子たちを労わなくちゃね。」
瑞鶴の言葉に紀伊は慌てて飛行甲板を水平に立て直した。
「本当に・・・本当に・・・ありがとう。そして、お疲れ様。」
紀伊は戻ってくる艦載機隊にそう愛おしげに話しかけた。
その様子を海上から鳳翔は静かに見守っていた。
「加賀さん。」
鳳翔が顔を向けた。
「・・・・・・。」
加賀は何も言わず、目を閉じかすかに首を振った。そして静かに鳳翔のもとを去っていった。それが今の試合の結果を認めないという意味なのか、自分の前言を撤回するという意味だったのか、鳳翔はわからなかった。
この結果はすぐに提督に伝えられ(実を言えば提督もひそかに観戦していたのだが)紀伊は改めて南西諸島作戦の一員として空母部隊に配属されることとなった。
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