満願成呪の奇夜
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第11夜 盟約
前書き
ちょっとだけ更新です。
ステディ・メリオライトという人間は、人に敬意を払ったことが殆ど無い。
友人、大人、教師、教導師、果ては両親まで、彼女は年齢、身分にかかわらずあらゆる相手に敬意ある態度を取ったことがない。取る必要性を感じないというか、そんな煩わしい真似をする意味が彼女には理解できなかった。
その態度に普通の人間は不快感を示すことが多く、逆に『欠落』のある人間には然程不思議がられなかった。やがて、それが自身の『欠落』なのだと理解するのにそう時間はかからなかった。答えに気付いた途端にステディの違和感は氷解する。つまり、自分と普通の人間で噛みあわないのはこれが原因であり、自分は悪くなかったのだ、と彼女は思った。
そんな彼女に転機が訪れたのは、ドレッド・リードという男に出会ってからだ。
礼儀知らずのステディに反し、ドレッドという男は礼儀作法が服を着て歩いているような男だった。
常に他人の意志は尊重し、どんな罵声や侮蔑にも微塵も怒りを発しない超然的な態度を崩さない。それもまたある意味では『欠落』なのだろうが、どれをとっても自分とは正反対なドレッドの事をステディはずっと気にかけていた。
やがてドレッドは仲間を探しはじめ、その中でステディは「彼の隣に立ってみたい」という欲求を覚える。『地』の呪法を得意とするステディとドレッドの戦闘的相性は決して悪くない、そう思ってステディはドレッドに声をかけた。
『――私と共に歩みたいというのか?』
『ああ、悪いか?お前まだ仲間が決まってないんだろ?余り者なんだから贅沢せずにあたしを入れろよ』
今になって思えばもう少しましな言い方は出来なかったのだろうか、とステディは思う。
普通の人間ならまず間違いなく怒り、相性の悪い『欠落』持ちなら殴りかかってきてもおかしくはない一言を、ドレッドはさわやかな笑みで受け入れた。
『贅沢?贅沢なのは君かもしれないぞ。何せ私は、君がこれから未来永劫出会うことがないほどに相性のいい男なのだからな!』
自分にはない決定的な『欠落』が噛みあう瞬間、『欠落』持ち同士は互いにないものを得ることがある。ステディとドレッドのように正反対の性格である場合、それは『欠落の反作用』と呼ばれる正反対の性質を部分的に手に入れる。
この言葉を聞いた時、ステディの中で反作用が起きた。
この男に、礼を払いたい――。
ドレッドに対して敬語や敬称を遣い始めたのもこの頃からだ。もっとも、本質的に「礼」のなんたるかを弁えないステディの態度は、ドレッドを上に持ち上げる事で逆に以前より横暴になったが、それでもステディただ一人は満足している。
究極の自己満足、そこに型としての礼はあっても本物の礼儀はない。
そして、それでも何ら問題だと考えないのが、『欠落』の名の所以。
別段問題のある事ではない。その後、ドレッドが別の人間を発見して連れてきて、3人はチームを結成した。最後の一人、ガルド・ルドルンはステディを受け入れられる『欠落』だったために問題も起きなかった。こうして、ドレッドを中心にステディの世界が回り始めた。
心地よい物だった。戦いでは息が合うし、知識が豊富なドレッドの話はいつも聞いていて飽きない。ガルドは無愛想な奴だったが、本人なりにドレッドと共に歩もうとする姿には好感を持てた。こうしておおよそ1年が経過し、3人は『朱月の都』のサンテリア機関でも指折りの実力者と称されるようになった。
だが、何もかもうまくいくことはない。ドレッドを尊敬するようになった分、ステディは自分の気に入らない相手がドレッドと会話することに酷い不快感を覚えるようになっていった。彼は高潔で尊敬に値する存在であるにも拘らず、何故それに触れる資格もない愚昧な連中がドレッドに近づくのか。
ドレッドがそんな相手にも逐一真面目に付き合ってることに怒りはなく、近付いてくる方にばかり静かに敵意が湧き上がる。ドレッドに近付く邪魔者は全て目障りだった。
だから、当然。
この重要な試験の途中で女の髪を梳かしているような緊張感の欠片もない愚か者にドレッドが近づいた時、ステディは己が尊者の価値観を疑うより先に、相手への痛烈な憤怒を覚えた。ドレッドが直々に近づく存在となっているのに、何故相手はそれに相応しい振る舞いをしなかったのか。そればかりが腹立たしかった。
ドレッドに話しかけられて男が振り返る。
年齢はこちらと同じくらいだろう、すこしばかり童顔で力強さや頼りがいは感じない。大陸ではさほど珍しくもない色素の抜けた金髪は、染め物でもしているのか毛先だけが微かに黒かった。ドレッドに気付いた男――トレックは、親しげにドレッドと握手して笑顔を見せる。
へらへら笑うな、とも思ったが、笑顔はいいものだ。『欠落』持ちも普通の人間も、笑顔の美しさに差異はない。だからその時は湧き上がった敵意が抑えられた。
だが、それ以降は最悪だった。
トレックは話を聞けば聞くほどに無駄な質問や抱く必要のない疑問を次々にぶつけ、不躾な疑いの視線をドレッドに注いでいく。それがどれほど愚かで無駄な時間になっているのか、まるでステディは理解できない。
ステディは母親を思い出していた。礼儀を覚えないステディを母はよく叱りつけたが、礼儀を理解できないステディは時には生返事を返し、時には無視し、そして多くは反発した。しかし、永劫に噛みあわない二人は延々と暖簾に腕を押し付け続け、結局母はいつも疲れて諦めていた。その度、ステディはいつも「どうしてママは無駄な事を繰り返すのだろう」と不思議に思っていた。
トレックにしてもそうだ。どうして意味のない事に時間をかけるのか――母と決定的に違ったのは、ドレッドが関わっているがために不思議が苛立ちへと変換されたことだ。
「……貴様、さっきから黙ってきていればドレッド様に不敬な発言ばかり――!!」
我慢の限界が訪れたステディは前に出た。これまでもこんなことはあり、その度にドレッドに諌められたが、礼儀の本質を理解しないステディは何度でも同じことを繰り返した。
瞬間――途轍もない悪寒が空間を伝播して、ステディは全身の血液が凍りつく錯覚を覚えた。
(なん、だ………この喉元に鋭い氷柱を突きつけられているような感覚は……!?)
今までの人生で一度も遭遇したことのない強烈な本能的警告が全身を強張らせ、息が詰まるような緊張感に締め付けられる。指が微かに震え、顔から血の気が引いて、心臓の鼓動だけが反比例するように激しく脈動する。
トレックに髪を梳かれていた女が動く。彼女の方を向いていなかったトレックには一瞬に見えたろうが、ステディにとっては永遠とも思えるほどに彼女が動き出すのが見えた。女はベンチに座ったまま鋭く地面を蹴り、最小限の浮遊と共に反動で自分が背を向けているこちら側へと移り、そして津語の瞬間には剣の間合いになる位置に辿り着いていた。
移動の風圧でさらさらと空間を流れ落ちる黒髪の隙間から覗く蒼緑の眼光が、人ならざる存在のような異彩な存在感を放っている。まるで敵意に反応して跳ね起きる野生動物のようで――狩れる獲物を狩れるときに狩る絶対的な捕食者にも見える。
ステディは、自分の喉が干上がっていくのを感じた。
(獣……そう、まるで黒い獣だ。この女、まるで一挙種一等速全てが敵を狩る為に存在するようだ。感じる気配に全身を切り刻まれそうなほどに、鋭い――!!)
ドレッドはそんな彼女にも動じずに話を続けたが、この時ステディは自分がここで死ぬかもしれないと本気で考えた。彼女から放たれる気配は「まるで歴戦の戦士に銃口を向けられている」ような本気の殺傷の気配がしたからだ。
めまぐるしいまでの後悔や情報が頭の中を通り過ぎで行く中で、自分の迂闊な行動で起こしてしまった獣を前に、ステディの膝がわらいはじめた頃――凛とした声が空間に響いた。
「ギルティーネさん、剣から手を離して俺の横に」
なんでもない、恐怖も敵意も籠らないそよ風のような言葉をトレックが放ったその瞬間、正面から押し寄せる寒波のような敵意が消えた。自分を殺す相手と見紛ったその女は、まるで女中のように大人しくトレックの隣に控えた。
後に知ったが、女は『鉄の都』のサンテリア機関で重大な問題行動を起こした『人喰いドーラット』だったそうだ。ドレッドはそれを分かっていて、トレックがその女の手綱を握っているのなら協力者にしようと考えていたらしい。
だが、今のステディはもうギルティーネ・ドーラットのことなどどうでもよい。
(トレック……貴様はなんなのだ。なぜあのような気配を放つ獣を鎖もつけずに平気な顔で引き連れ、その行動を支配できる……何故先ほどまでそんな女の髪を呑気に梳いていた……!)
ステディには、目に見える危険な化物より、むしろトレック・レトリックという男の方が不安を掻きたてられた。
= =
先ほどの反応で、漸く合点がいった。
この男はトレックとギルティーネの関係をある程度理解したうえで、試したのだ。
「そういうことか、ドレッド・リード。初対面の人間を試すとはいい趣味じゃないな……さてはそっちの二人に『人喰い』の話を伝えてないだろう?敢えて吹っかけて俺が彼女の手綱を握れているか見極めた訳だ」
「なっ……あの女が『人喰いドーラット』だと!?」
「ど、どういうことですか……ドレッド様!!」
ドレッドの仲間二人にあからさまな動揺が走る。元々『人喰い』の話は『鉄の都』でしか広がっていないそうだが、ドレッドから何かの拍子に聞いたことがあったのかもしれない。どちらにしろこれでハッキリした。
彼はかなり知的であらゆる事態を想定している印象を受ける。その気があれば、予めギルティーネを挑発するような真似はよすよう二人に伝えておく事も出来た筈だ。それをしなかったのは、敢えて敵と完全にみなされないギリギリの範囲で挑発させ、こちらがギルティーネの管理をきちんとできているかを試したかったからだ。
「――正直、君が彼女の髪を梳いている光景を見た時点で9割ほどの確認は出来ていたのだが、あと9分の確率を埋めておきたくてね。気分を害したなら謝るよ、トレック君……彼女の新たな『安全装置』の役割を受けたのは君だったんだね」
「成り行きで、な」
また不吉な言葉がちらほら垣間見えて、トレックは内心でうんざりした。どうして当事者である自分が知らないことばかり周囲が知っているのだろう。しかも勝手に試される真似までされた。しかし、同時にドレッドの当初の主張である共闘の意味が少しだけ見えてくる。
ギルティーネの実力は極めて高い。一度の接敵で複数の呪獣を速やかに撃破する戦闘力を、恐らく彼も知っていたのだろう。恐らく接近戦だけで言えば彼女は今回の試験に参加した中で突出した実力だ。それを取り敢えずでも自分の近くに連れていれば、上位種の呪獣と戦った際の勝率は跳ね上がる。
また、別の可能性として、彼は予め彼女の動向を探るように送り込まれていた可能性がある。教導師が『断罪の鷹』の馬車で直接連れてきたような存在だ。念を入れてそのような指示を与えられた学徒がいても不思議には思わない。
ともかく、ある程度事情が見えてきたことでトレックはやっとドレッドの誘いに返答するだけの材料を手に入れることが出来た。
「さっきの話、受けるよ。呪法師の誇りにかけて」
ホルスターから拳銃を抜いたトレックは、安全装置をかけたその銃口を斜め上に突き出す。ドレッドもまた拳銃を抜き、他の2人に目配せしながら拳銃の銃身をドレッドのそれと重ねた。遅れてステディと呼ばれた少女の杖と、もう一人の拳銃の銃口、そしていつの間にか近づいていたギルティーネの鞘におさめられた剣の鍔がかちりと音を立てて重なった。
己が命を預ける武器を重ねることで「己と相手の命運が重なった」事を表す呪法師にとって大切な誓いの儀式だ。どんなに相手が気に入らないときでも、例え相手の名前さえ知らなくとも、この儀式に応じ、一言唱えたというその事実を以て信頼関係は成立する。
「呪法師の誇りと我が名にかけて」
「呪法師の誇りと、ドレッド様への忠誠にかけて」
「呪法師の誇りにかけて」
「…………………」
ギルティーネは何も言わない。事情を知らぬ二人の不審が口を突く前に、トレックが彼女の代わりに告げる。
「ギルティーネさんは喋れない。でも自発的に剣を掲げたってことは、誇りをかけて応じたのと同じことだと思う。――これよりトレック・ギルティーネ両名の命運は、試験が終了するまで汝らと共にある」
「ドレッド・ステディ・ガルドの三名の運命も、同じく諸君らと共に在ることを誓う」
何もかもが不確かな世界で『確かなこと』など、大陸の民にはほとんどない。
故に、呪法師は唯一『確かなこと』に誓いを立てることで、互いの信頼を誓い合う。
目で示し合わせトレックとドレッドは同時に告げた。
「「『悪魔』よ、誓いから決して逃れられぬよう我等を呪い給え――」」
大陸で絶対を誓ってくれる存在――それは、『欠落』の呪縛で呪法師を縛った『悪魔』を於いて他にあり得ない。
後書き
トレックくんは悩み癖がありますが、その悩みを内部に隠して普通に振る舞う事が出来る男です。それがまた色々と物事をややこしくすることも……あるかもしれませんね。
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