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婆娑羅絵巻

作者:みかわ猫
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壱章
  誰故に 乱れ初めにし ~中~

 
前書き
京~在る商人の屋敷~ 

 
「政宗様、居られますか?」
竜の右目、片倉 小十郎(かたくら こじゅうろう)は主である政宗の部屋の前で膝まずき襖越しに声を掛ける。

「……小十郎か、入れ。」
主、政宗の声が襖越しに僅かにくぐもって聞こえる。

「はっ……失礼致します」
許可が降りると小十郎は礼儀正しい仕草で襖を開け、部屋に入ると再び閉めた。
政宗は縁側に腰掛け、庭先を眺めていたが小十郎が部屋に入ると視線を小十郎に移した。
暫しの間沈黙が続くが小十郎が先に口を開ける。

「…こんな時刻に急用とは如何なさいましたか?」
今は草木も眠る丑三つ時、こんな夜分に呼び出すとは余程重要な要件であろうか。

「……小十郎、喜多(きた)は今何処に居る?」

「姉上でございますか?、……申し訳ございませんがこの小十郎めも行方は…。」
予想外の問いに驚くも、申し訳なさそうに小十郎は僅かに目を伏せる。

「Shit……そうか、予想はしていたが仕方ねぇ、あっちから現れるのを待つか…。」
政宗は小さく舌打ちしたあと庭に視線を戻し喜多を思い出していた。


_______片倉 喜多(かたくら きた)
腹心の小十郎、そして同じく政宗の家臣である鬼庭 綱元(おににわ つなもと)の年の離れた実の姉で、亡くなった母の代わりとしてまだ幼かった小十郎を育てた女であり、政宗が小十郎に出会う切っ掛けにもなった人物である。


政宗が今よりずっと幼く元服する前の、梵天丸(ぼんてんまる)と呼ばれていた時の出来事だ。
幼少の時だった頃から文武両道に優れていた梵天丸を皆は見込み、将来を期待していた。

だが悲劇は唐突に訪れる。
疱瘡、後に天然痘と呼ばれる病で梵天丸は右目の視力を日に日に失うことになったのだ。
跡取りである梵天丸が右目の視力を失うことにより多くの家臣団の者は絶望し、失望した。

梵天丸は荒んでいき、家臣に食ってかかったり物に当たったりしたと思ったら自室に籠ったり、青葉城の近くの裏山で独り、剣の鍛練をしていた。
そんな梵天丸の行く末を憂いた喜多・綱元の実父である伊達家大老・鬼庭 左月斎(おににわ さげつさい)、そして梵天丸の教育係として彼が赤子の時から見守っていた喜多は小十郎に一握の望みを掛け小十郎を政宗の剣術指南に選んだのだ。

______荒んだ悪童と無愛想な男
当然ながら反りがあうはずもなく、何度も二人は衝突した。
勿論、衝突しては毎回梵天丸は打ち負かされ、家中の者が止めに入ることなんてしょっちゅうだった。

それが今となっては
梵天丸は成長し諱を政宗と改め独眼竜、奥州筆頭と称される程の一国の主として立派に成長し小十郎もまた伊達政宗に忠誠を誓って腹心となり、その智勇から竜の右目と呼ばれるようになった。

今の政宗は小十郎によって変わることがと出来たと言えるが、喜多によって大きく成長したことも忘れてはいけない。

無論、弟である小十郎に巡り合わせた人物の一人であるが政宗の教育係でもある人物だ。
実の弟達を時に厳しく、そして優しく指導していたのと同じように政宗にも兵法や文学、様々な事を教えた。
一時期、病で疎遠になってしまっていた母・義姫。
今は和解したものの政宗が家督を継いだ後、実家の最上家に戻っている。

母と疎遠になっていた原因である病に苦しんでいた時、母の代わりに労わってくれたのも喜多である。

だが、育ての母のような人物であれ彼女に対する恐れも共存している。
幼少時、悪ふざけで「ババア」と言ったところ、喜多がにっこり笑ったと思った次の瞬間尋常じゃない位の力で頭をぐりぐりことがある。

しかも時折あの小十郎でさえビクビクし頭が上がらないことがあるのを見て本気で怒るととてつもなくヤバい人物であり、奥州……いや天下最恐の人物であることを確信した。


それでも恐れ以上に信頼している人物である。
____政宗にとって小十郎と喜多は兄、姉のような存在だと言えるだろう。
其の位二人に感謝し、慕っているのだ。

だが喜多は最近全国を渡り歩くようになった。
なんとも政宗が成長したから教育係を辞め、今度は政宗の夢である天下取りの道が有利になるよう他国の情報を集める為、らしい。

確かに喜多は時折伊達家に戻り、様々な情報を提供してくれるしその情報によって将軍・足利義輝によって天政奉還が行われ混沌としている日ノ本中の中でも比較的、有利な立場になっているとも言えるだろう。
現に、政宗が京に滞在している理由である織田と豊臣の動向について教えたのも喜多だ。
どうやら最近、織田・豊臣両者が同盟を結ぼうとしている動きがあるらしい。
それが真ならかなり面倒臭いことになるであろう事は目に見えている。
そういうこともあり、うかうかしては居られないのだ。

小十郎は僅かに苛立っている主の顔を見て問い掛ける。
「政宗様、一つお聞きしたいことが御座います。」

「……なんだ?、言ってみろ小十郎。」
政宗はまた庭先から小十郎に視線を移し、じっと目を見ている。

「失礼ながら…、政宗様が姉上に訪ねたい事と、此処最近夜分遅くに何処かにお出掛けになられていることに関連は御座いますか?」

「………あぁ、ちょっとした人探しだ。」
流石は龍の右目、察しが早い。
小十郎のほうに身体を向け、顎に手を当てては僅かに口元を綻ばせ政宗は続ける。

「アイツには或る娘のことについて調べて欲しんだよ、…………ソイツがまたかなり美しい娘で身の上を詳しく知りたくて、な?」

「…はっ…、
………………………はッ?」
小十郎は思わず耳を疑い、目が点になった。

「ッんだよ、その顔はよ?オレだって気になる女の一人や二人出来ても可笑しかねェだろ?」
予想以上に驚いた小十郎に対し政宗もまた動揺した。

「も、申し訳御座いません…こ、この小十郎、い、些か驚いておりますが決して動揺しては居りませぬ…断じて。」
今の今まで女っ気が皆無でひたすら剣術の鍛練に打ち込んでいる姿や男共と雄叫びを上げ戦場を駆け回ってばかりいた主の姿ばかり見てせいか、正直小十郎は面食らった。

「いやオメェ動揺しまくりじゃねぇか、そんなに驚くかよ?」
拗ねているのか、顎に手を当てながら政宗は軽く小十郎を睨み付け、暫しそっぽ向くが再び口を動かし始める。

「……ソイツの全てに魅入っちまったんだよ、…………人ならぬ魅力に、よ。」

僅かな間、あらぬ方向を見ていたが小十郎の方に顔を向けながら政宗は続けた。
「…とにかく喜多の行方が分かり次第アイツに伝えろ、要件はそれだけだ。」

「御意、……それではおやすみなさいませ。」
小十郎は未だ僅かに動揺の色を残して顔で部屋をあとにした。




一人、部屋に残った政宗は再び鈴彦について考えていた。

___彼女は容姿も極上だが、あの独特の色香には惹かれるものがある。
流石に本人の前では言う訳にはいかないが、なかなかstyleも良い。
不本意とはいえ斬り掛かって来た時、襦袢の胸元が開け透き通った艶のある白磁のような肌と僅かにに桃色に染まった、たわわな胸の谷間が目に入った。
…アレを『良いもん』と呼ばず、何を『良いもん』というのか。

思わずニュッと笑ってしまったが流石に独りでにやつくのは気味が悪いので出来るだけ真顔になるよう努力してみたが矢張り、にやけてしまう。



…そんな時だった。

「…………………!?」
只ならぬ視線を感じ、脇差を抜き、何時でも臨戦出来るよう僅かに立ち上がる。

そのまま戸口を見るが誰も居ないし誰も開けたような様子はなかった。
視線を移していくと縁側に丸い影が映って居る。
構えながらゆっくりと移動し影の持ち主の前まで移動した、
……………が政宗はフゥっと息をつき脇差を再び鞘に差した。


此方を微動だにせずくすんだ灰の瞳でじっと様子を伺うように見つめて来るソレは___

大きく丸々と肥え、顔の右が半八割れの猫だった。

「…ンだよ、驚かすんじゃねぇ…ニャン公よォ?」
政宗は猫の前に胡座をかいては座り込み、猫を抱き上げ膝の上に乗せる。

最初は全く生気が感じられず、よく出来た人形だと思ったが触感はまさに太った猫独特の脂肪の柔らかさ、そして生身の生き物の温もりだ。
片方の手で猫の頭をくりくりと撫でながら、ふっくらした頬をふにふにと触る。
猫は特に暴れる様子は無く、静かに膝の上で香箱座りをしながら喉を時折ゴロゴロと鳴らしていた。


それにしても、この屋敷では猫を飼っていなかった筈だ。
たまに庭に迷い込む猫はいるが人が近づけば、威嚇した後、何処かに行ってしまう。
それに、こんな丸い鞠のような身体ならば猫嫌いだろうと必ず目に付くだろう。
これだけ真ん丸なのだから余程身分の高い、貴族や武家の飼い猫だろう。
さぞや旨い飯をたらふく食っているに違いない。

不意に猫が香箱座りから立ち上がり、縁側から庭に降りていった。
そして、生垣に空いた小さな隙間に近づき、
「フギャァオ」
と此方を見ながら一鳴きし、隙間から屋敷の敷地外に出て行った。

「…………変わった鳴き声だな。」
政宗もまた、立ち去る猫の姿が見えなくなるまで見つめていた。 
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