鬼の野球
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8部分:第八章
第八章
「あんな人間には絶対にならないよ」
「そうしなさい」
「おい、米輔じゃねえか」
「来るなよな、野球に」
「全くだ」
不良風の兄ちゃん達もこの男を見て顔を顰めさせていた。
「野球ファンの恥だよ」
「後で入り口に塩撒いておこうぜ」
「ああ、そうしよう」
こんなことまで言っている。とかく無様に落ちぶれ誰からも相手にされなくなってしまっているのだった。実にこの男にとって相応しい状況だ。
「ったくよお」
そのすっかり落ちぶれ果てた米輔がビールを飲んだくれながら悪態をつく。
「何で俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ。全部あいつのせいだ」
やはり自分が悪いとは思っていない。そしてここでウグイス嬢の声が球場に響く。
「四番キャッチャー真似得流」
「三振しろ、三振」
真似得流の名を聞いて早速野次を飛ばす。
「ずっと東北の片田舎で埋もれてろってんだ」
「聞こえてるな」
「はい」
監督がバッターボックスに向かう真似得流に声をかけつつレフとスタンドを見ていた。そこに米輔がいるのはもう彼等もわかっているのだ。
「けれどだ」
「わかってるだ。おら全然気にしていないだ」
「それでいい。じゃあオープン戦だけれどな」
「打っていくだ」
こう監督に答えてバッターボックスに向かう。バッターボックスに入るとそれだけで球場を大歓声が包み込む。彼の人気を反映してのことだ。
応援歌が流れ打て打てと叫ばれる。真似得流はその中で構える。今度は相手チームもキャッチャーが冗談めかした調子で彼に声をかけてきた。
「お手柔らかにとはいきませんよね」
「おら打つだよ」
こうそのキャッチャーに返す真似得流だった。何事にも一切手を抜かないのが彼である。
「だから。今も」
「そうですか。それじゃあ」
「来るだ」
今度は相手のピッチャーに対して言ったのである。
「おら、今年も頑張るべ」
「それはこっちも同じですよ」
相手チームのキャッチャーの声が紳士的かつ真面目なものに変わった。
「それが野球ですしね」
「んだ。おら鬼だ」
真似得流自身の言葉である。
「野球の鬼だ。だから今年もやるだ」
こう言って相手のボールを待つ。そして。
バットを一閃させる。すると弾丸ライナーが飛んだ。それはレフトスタンドに一直線に突き刺さった。かに思われたのであったが。
「なっ!?」
「おい、マジかよ」
何とそのボールが相変わらず飲んだくれて野次を飛ばしていた米輔の頭を直撃したのだ。米輔はそれを受けてもんどりうって転倒しそのまま気を失った。
しかも。この男は。
「おいおい、さらに信じられねえよ」
「失禁してるぜこいつ」
鼻血を出して倒れつつ失禁してしまっていた。ズボンの前が情なく濡れている。
「しかもよ、この匂い」
「うわ、まさか」
「いや、間違いねえよ」
異変はそれだけではなかったのであった。何と。
「うんこ漏らしてるぜこいつ」
「くっせえなあ、おい」
「ここまでゴミだったなんてな」
皆彼を哂いながら携帯で撮っていく。完全に晒し者だった。
「これあそこの掲示板に貼るか」
「ああ、それいいな」
「貼ろうぜ、これ」
この無様な姿がネットに流布することにもなったのだった。その時真似得流は満面の笑顔でダイアモンドを回っていた。まさに天国と地獄であった。
翌日。ネットだけでなくスポーツ新聞の一面でも米輔の無様な姿が晒されることとなった。その真似得流のボールを受け失禁し倒れているその姿が。彼は瞬く間に日本一の恥晒しとなったのであった。
「惨めなもんやのう」
村野はその新聞を読みつつ呟いていた。
「芸人もこうなったら終わりや」
「終わりですか」
「そや、完全に終わりや」
こう一緒にいるスポーツライターに対し言うのであった。丁度二人は喫茶店でモーニングを食べている。トーストにゆで卵、それにコーヒーという組み合わせである。
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