俺の四畳半が最近安らげない件
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事故物件
薄いベージュのカーテンが、今日もさわさわと動いていた。
ここに越してきた初日は、どこからか風が入ってきているのか、エアコンの風が当たる位置なのかと必死に探した。
結論。この部屋のカーテンは動くものなのだ。
多少カーテンが動く以外、特に不便はない。家賃はびっくりするほどリーズナブルだ。そういう物件にありがちな不審な物音とか金縛りとか一切ない。
「…だから、心配するような事はない。安心して泊まっていけ」
うねるように蠢くカーテンを凝視している友人、三ノ宮に声をかける。すごい帰りたそうにそわそわしているが、終電はもうない。さっきまで程よく酒が残ってうざいくらいご機嫌だったのに、いまや超真顔だ。
「いや何言ってんだお前。カーテン動き過ぎだろ。とどまる所を知らぬ勢いだろ。何で平気なんだ」
「原因はわからないんだけどな、ほれ」
立ち上がって窓辺に近づくと、三ノ宮が小さく悲鳴を上げる。
「こう、カーテンに触ると止まるんだよ」
俺が掴むと、ぴたっと揺れが止まった。
「ちょっ…てめぇ…!!」
声を押し殺して、三ノ宮が俺の服の裾を掴んで強引に引き戻す。俺の手を離れたカーテンが、またごそごそ蠢き始めた。
「なんだよ」
「よく平気で触れるなお前…!」
「だって俺が買ったんだぞニトリで」
「いやいやいや…ねぇ、お前本当に、なにも見えないの…?」
「えー、お前、もしや見える人?」
ほぼ冗談のつもりで軽く返すと、奴は真顔で頷いた。
「……居るぞ。立錐の余地もないくらい」
引っ張られたままの姿勢でしゃがみ込み、俺はゆっくりと辺りを見渡した。
「……まじで?」
「まじだ。見えるのも、シャレになんないくらい居るのも」
「お前そんなこと言ったことないじゃん」
「必要ないから…。ただこの部屋はまずい。シャレにならん。ひとまず信じてくれ」
うむ…そういうことで嘘をつく奴ではないし、ここに居るというのも、詳細は分からないけどひとまず呑み込むことにしよう。…しかし。
「―――立錐の余地なくとか…却って怖くなくね?」
言いながらちょっと笑いが出てしまった。
「ちょ、お前やめ」
「なんでこんな四畳半にびっしり居るのそいつら?そんなに好きかこの部屋が…あ、やばいじわっとくる」
「わ――――!!!!」
いきなり耳元で叫ばれて思わず退く。
「なに!?」
「ほんとやめろお前!めっちゃ睨んでるぞ、全員が!お前を!」
なにそれこわい。
「俺たちが座っている場所もやばい。後ろに強いのがいる。いいか、俺が先導する。俺の後を正確についてこい」
地雷原かよ。
なんもない部屋で超ビビリ顔でくねくね歩く三ノ宮を見ていると、ほんとじわじわくるが、また怒られるのでぐっと我慢してついていく。
「そんなにやばいなら近所のファミレス行くか」
「遅い。お前が怒らせたせいで玄関辺りに、一番やばいのが移動した。朝までは動けないと思え」
空気清浄機の脇に落ち着き、三ノ宮が大きく息を吐いた。
「空気がきれいだと寄ってこないとか、そういうのあるわけ?」
「気休め程度にはあるかもな」
「…ファブリーズとかで、散らせるんじゃね」
「できねぇよ」
「あ、俺ネットで見たことある!全裸で尻をリズミカルに叩きながら『びっくりするほどユートピア!びっくりするほどユートピア!』と叫ぶと、あら不思議、霊が」
「お前もう喋るな!!…空気清浄機というより、これを避けているみたいなんだけど、心当たりあるか」
押し殺した声で呟き、三ノ宮が背を丸めて座り込んだ。傍らにある段ボールの事を言っているのだろうか。
「あー、お袋からの仕送り。面倒だから開けてない」
三ノ宮は、俺に段ボールの横に来るように促した。俺たちは段ボールを挟むような形で座り込んだ。
「…この部屋には、3つ、ないしは4つの属性の霊がいる」
「属性?」
「まず1つ。比較的穏やかな人たちだ。これはもう浮遊霊というのが近い。ただ、数が異様に多い」
「それは、このアパートの裏が大きめな墓地なのと関係があるか?」
「墓地かよ!!」
どうりで…何でそういうところ借りるんだよ…とかぶつぶつ呟きながら、奴はがっくり肩を落とした。
「…まあいい、2つめ。こっちは地縛と浮遊の中間みたいな感じだ。ただ、この場所に縛られているわけじゃなさそうなんだよな…近所に、事故多発地帯とか」
「あー、すぐ向かいの飛び込み多すぎて廃止された魔の踏切か?あれがなくなったお陰で静かになったと大家さんがお勧めしてくれたんだ」
「ねぇ、なんで借りるの!?それ聞いて何で『よし、借りよう♪』て思ったの!?」
「――騒音のせいでお安くなっていたのが、踏切がなくなってもお値段据え置き!ていわれて、あ、お得だなと。でも踏切なくなったのに柵を乗り越えて飛び込むひとが月イチペースでいて、俺もほとほと困っている」
「お前そういう場所なんていうか知ってるか!?自殺の名所っていうんだよ!?」
もう半泣きだ。霊のせいじゃなく俺のせいで。
「もうお前がすごい馬鹿なのは諦める。ここを借りると決めたとき、お袋さんは止めなかったのか」
「物件見た途端悲鳴あげられたし、家賃が安いってなら差額は出す、お願いだからやめてくれと懇願されたな」
「……そこまで言ってもらって何で借りたの!?」
「大家さんに『へぇ、そこでママ…いやいやいやお袋さんの言うこと素直に聞いちゃうんですね。あー、今の子はそういう感じなんですねうふふふ』とか言われて。ふざけんなよ、俺は無頼な大人の男なんだぞと。親の言うことなんかに惑わされねぇよと」
「怪しいなその大家!!」
今思うと確かに、母親くらいの年のおばさんにマザコン扱いされ、克己心を無駄にくすぐられて契約させられた気がしないでもない。
「…3つ、ないしは4つめ。これはこの部屋に憑いてる地縛霊だ。数は少ないけど強い恨みの念を感じる。だけど、どうもおかしいんだよなぁ」
三ノ宮は揺れ続けるカーテンの方にちらりと目を向けた。
「これだけ強く恨んでいるのに、住人のお前にはそれほど興味ないらしい。…もっと言うと、全員が同じ方向を、すごい目で睨んでるんだよ」
「お、俺の方?」
「それはさっきの一瞬だけだ。…今はもう、別の方向を見ている。つまり」
彼らが、ここから視認できる方向に、恨みの対象…つまり連続殺人鬼がいる。
「―――怖ぇ!!今日一番怖いわその情報!!!」
近所にシリアルキラーがいるんでしょ!?やばくない!?
「どっち!?ねぇどっち!?」
「下の方…としか」
「だよね、ここ2階だもんね!!」
しっかりしろよ!それ一番大事な情報だからな!?
「3つ、もしくは4つと言ったろ。3つめと4つめが別の属性かもしれないと思ったのはな。どうも地縛霊の中に4~5人、水子が混じっているんだよ。カーテンを揺らすのはそれだ。…お前、今までに彼女を孕ませたか」
「いや?ないよ?」
「もしかしたら彼女がお前に隠して堕ろしたのかも」
「いや?絶対ないよ?」
俺の今までの生涯で、彼女がないよ?そう言うと、三ノ宮は、あ、すまん…と呟いて押し黙った。…気まずい空気が流れだしたので、俺は尻ポケットのスマホを出して、少し調べ物をしてみる。
「おかしいなぁ…『大島てる』でも調べたけど、ここ別に事故物件とかじゃないんだけどな」
だよなぁ…と呟き、三ノ宮が立ち上がり、恐る恐る壁の一部にじりじりと近づいた。
「…さっきから、この壁から半身出したり引っ込めたりする人がいるんだ。お前、ちょっとこの辺叩いてみて」
「え、何で嫌だよそんな幽霊が生えてる壁叩くの」
「今日まで平気で暮らしてたくせに。俺はガチで見えてるんだよ。お前の5倍は嫌なんだよ」
仕方ないので渋々壁に近づき、後ろ手に壁を軽く叩いてみる。とすとす、と詰まった音がした。
「そっちじゃない。この辺」
三ノ宮が示す辺りを軽く叩くと、けんけん、と軽やかな音がした。
「―――これ、空洞あるな」
「お、おいこれひょっとしたら…なぁ、音が違う辺りに印つけてみろ」
三ノ宮に言われるままに壁を叩きながら、サインペンで印をつけていく。
―――やがて、俺たちと同じか少し小さいくらいの人型に、サインペンの点がちらばった。
「…うっわぁ…」
「あと何か所かあるが、どうする」
「いいよもう…一か所あれば十分だよ」
頭の芯がぐらぐらした。どうしよう、これ大家さんに言ったほうがいいよな。でもどう説明すればいいのだ。下手すると俺の正気を疑われるし、大家さんだって自分の物件に変なケチつけられていい気はしないよな。それより何より、さっき三ノ宮が言ってた水子とは。
「…なぁ、ここ2階だよな。上に人は住んでないよな」
三ノ宮が、また何か余計なことに気が付いたらしい。
「ああ。2階建てだ」
「押入れの上に、屋根裏あるか」
「見たことないけど、羽目板みたいなのはあったから。そこから入れるんじゃね」
―――まさか、いやそんな。
「…行くぞ」
「いや、なんかやめとかね?嫌な予感しかしないんだけど」
「…分かる。分かるけど、『ある』なら一番手っ取り早いよな」
壁は、無断で壊すわけにはいかないし…そう呟く三ノ宮の手が震えていた。…その通りだ。『あるかもしれません』より『ありました』のほうが、問題はぐっと解決に近づく。
数回に渡るジャンケンの結果、俺が屋根裏を覗くことになった。古びた羽目板を外すと、むわりと饐えたような匂いが辺りを満たした。…懐中電灯の光が、不吉な暗がりを細く照らし出す。その光が、ふいに布で包まれた5つの塊を捉えた。
「……っぐ」
足がすくんだし、吐き気がした。この後、もっと嫌な作業が待っているのかと思うと。…後から顔を覗かせた三ノ宮が、ガタガタ震えながら端っこの塊を指さした。
「布、解かなくていいぞ。もう分かった」
布の端から、小さな足の骨が覗いていた。
―――気が付いたら、俺はとんでもない大声で叫びながら玄関先で三ノ宮に取り押さえられていた。
「お、おおお大家に!」
取り乱しながらも人は不思議なもので、靴はいて鞄を持つものだ。俺は混乱しながらも身支度はきっちり済ませていたようだ。
「わ、分かったとりあえず出よう。ファミレスで落ち着いて、朝になったら行こう。この時間にこのテンションで乗り込んだら通報されるぞ」
言いながら三ノ宮がドアを開けると、外階段辺りの暗がりに大家が立っていた。
「わ、わぁああ大家さん」
「どうしたの、なんか大声したから…」
眠いところを起こされたからか、少し不機嫌そうだった。俺は安堵で崩れ落ちた。よ、良かった。
「あぁすみません。さっきこいつ、延滞しまくりのDVD見つけちゃって」
大家さんに駆け寄ろうとしたところを取り押さえられ、俺は思わず三ノ宮を睨み付けた。
「何でだ」「黙れ」
三ノ宮は低い声で呟くと、俺から鍵を奪い取り、勝手に掛けた。
「ま、大出費ね。家賃はちゃんと入れてね。うふふふ」
「ははは…ちょっとツタヤ行ってきます」
戻っていく大家と距離を置くようにして階段を降りると、三ノ宮は全力でダッシュした。
「おおおい、何だよさっきから!!ファミレス逆方向だぞ!!」
「馬鹿、このまま警察行くんだよ」
「何で!?」
「さっき、あの大家が来たときな」
息を切らせながら、三ノ宮が叫んだ。
「あいつらが全員、ドアから身を乗り出して、あの人を凄い目で睨んでたんだよ!!!」
―――大家逮捕の報は、実家で聞くことになった。
俺の部屋のすぐ下が大家の居室だったが、その部屋からも何体かの死体が発見されたそうだ。
俺は図らずも、前後左右上下のパーフェクト亡霊包囲網の真っただ中で暮らしていたのだ。彼女は自分が殺めた死体を塗りこめた部屋に、無辜の他人を住まわせることに快感を覚えるタイプの複雑な変態さんだったようだ。
大学があるから三ノ宮のところに身を寄せようと思っていたが、無理やり実家に帰された。三ノ宮に。
「仕送りの段ボールから、めっちゃ祈りの気配を感じた。お袋さん、毎朝毎晩仏壇にお前の無事を祈っていたんだ。お前が大した被害を受けなかったのは、そのお陰もある」
親は無意識に子供を守ろうとするから霊的守護になるそうだ。一月は自宅を離れるなと強く釘を刺されている。そして、
お前は絶対に自分で物件を探すな、と。
後書き
ゴールデンウィーク中に、あと2回更新予定です。
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