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執務室の新人提督

作者:RTT
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38

「ふむ……よし、これは大丈夫だな」

 自室兼職場の執務室で判子をついて、提督は自身の肩を軽く肩をたたいた。手元にあった書類を机の隅に追いやり、また新しい書類を手にして目を通し……
 
「初霜さん初霜さん」
「はい、なんですか?」

 秘書艦用の机で書類を整理していた初霜を手招きつきで呼んだ。提督は手に在る書類に目を落としたまま、首をかしげて提督の次の言葉を待つどこか子犬的な初霜に問うた。
 
「えーっと、食堂からの話って、何か聞いてるかな?」
「食堂、ですか?」

 傾げていた首を更に傾げ、疑問符を浮かべる初霜に、提督は手に在る書類を渡した。受け取った初霜は提督に目礼してから書類に目を走らせた。
 大本営やこの鎮守府の事務方から回された書類でないことは開始数行で初霜も理解したが、読み終えてから彼女はまた首を傾げてしまった。
 
「提督、これは、なんでしょう?」
「特定資源の過剰供給、かなぁー……」

 二人は一枚の書類、今は初霜の手に在るそれを見つめた。
 
 
 
 
 
 
「さて……これ、どうしましょうか?」

 頬に手をあて、間宮食堂の主間宮は眼前に並ぶ――いや、大量に在るそれを眺めた。彼女が今居るのは間宮食堂の厨房の地下にある共用貯蔵庫だ。食堂と居酒屋と酒保の各種材料の長期保存を目的とした場所であって、決して提督を拉致監禁する為の地下室ではない。
 地下の貯蔵庫は大層寒く、間宮も常の着物の上にコートを羽織っていた。そしてそれは、
 
「どういたしましょうか……」

 間宮の隣にいる鳳翔も同様であった。彼女達が羽織っているのは海軍士官服の冬着用の黒いコートだ。二人とも穏やかな女性だというのに、その姿に違和感はない。無骨な筈のコートでありながら、それを違和感なくまとう事の出来る彼女達は、姿形に関係なく軍属という事だろう。
 
「一応、提督に書類で相談をしてみたのですけれど……」
「提督に、ですか?」
「はい……やはり、お忙しいところを邪魔しては、駄目でしたでしょうか……?」

 ここに居ない提督に向かって頭を下げだしそうな間宮の様子に、鳳翔はにこりと微笑んだ。間宮の冷たい指先を手に握り、温めるように自身の手で包み鳳翔は間宮の目を確りと見つめて口を開いた。

「あの方はそんな人ではありませんよ。きっと、きっと間宮さんを救ってくれます」
「鳳翔さん……」

 目じりに涙を浮かべ感動する間宮に、鳳翔は何も返さずただ頷いた。
 と、友情に震える二人の耳に扉を開ける音が届いた。ついで、足音が二つ地下室に響きだした。食堂の貯蔵地下室となれば誰でも入ることは可能だが、実際に入ってくるものは限られている。間宮や鳳翔、食堂のスタッフとなっている艦娘――例えば現在厨房で仕込みを行っている瑞穂等がそうだ。
 となれば、何か材料の不足や、或いは相談があって誰かが来たのだろうと二人は思った。
 さて、では誰が来たのだろうと階段へ目を向けていた二人は、足音の主達を見て、口元に手を当てた。開いた口を見られないようにするためだ。
 
「あぁ、瑞穂さんに聞いたらここに居るって聞いたもんで、ちょっとお邪魔してますよ?」

 鳳翔と間宮の視線の先にいたのは、彼女達と同じコートを羽織った提督と初霜であった。少々サイズのあっていない初霜はともかく、この中で一番コートが似合っていないのが提督である。
 提督はコートを気にするように歩き二人に近づいていった。彼自身、コートに着られていると分かっているのだろう。
 
「あの、提督……?」

 間宮は提督の顔を見つめ口を開いた。だが、そこから続く言葉は彼女から出てこない。提督は黙って頷き二人に頭を下げた。
 
「申し訳ない」
「て、提督……!?」
「な、何をなさって!」

 普段穏やかな、調子を乱すことも少ない間宮と鳳翔が小さく叫んだ。彼女達の前で鎮守府の主、提督が頭を下げたのだから当然ではあるが、彼女達からすれば、何故提督が頭を下げる必要があるのかまったく分からない。むしろ、間宮等は提督がここに来た理由を鑑みれば自身こそが頭を下げる立場だと理解していたのだから、混乱は特に強かった。
 
「僕が不甲斐ない提督だものだから、鎮守府の現状を理解していなかった。君達に負担をかけて、申し訳ない」
「提督……」

 未だ頭を上げない提督を見つめて、混乱したままの間宮は提督の三歩後ろに佇む初霜を見た。勿論、助けを求めてだ。だが、初霜は黙って立っているだけだ。今の彼女は秘書艦初霜ではなく、一水戦、提督の小さな盾としての初霜として存在するのだろう。初霜はただ静かに在るだけだ。
 間宮は困った顔で隣の鳳翔へ目を向けた。間宮より冷静であった鳳翔は、間宮の視線に頷いて返した。
 
「提督、お顔をあげて下さいまし。相談したのは我々で、それを聞き届けて下さったのは提督です。そんな貴方に頭を下げられては、私達も胸が苦しいではありませんか」

 鳳翔の懇願するような、どこか諭すような言葉に提督は頭を上げた。そのまま、彼は初霜から件の書類を受け取り何事も無かったかのように続けた。
 
「話は、この書類で理解しています。で、それが問題の?」
「はい……」

 間宮は僅かに身を横にずらし、提督の視線がそれへと届くようにした。提督、いや、地下室にいる四人の瞳がそれに吸い込まれる。
 
 そこには大量の秋刀魚があった。
 
「よし、どうにかしよう」
「ありがとうございます、本当にありがとうございます提督!」

 提督のはっきりとした言葉に、間宮は目じりに溜まっていた涙をぽろぽろと零しながら何度も頭を下げた。今提督の手にある書類も、間宮手書きの嘆願書である。
 増えすぎた秋刀魚をどうしたらいいか、という物だ。
 
「皆さんの献立や健康管理を考えると、秋刀魚が体に良いからといつも出すわけにも行きませんし、かといって腐らせるなど以ての外……提督、どうか、どうか間宮を、間宮食堂をお救い下さい……!」
「お、おう」

 悩む理由はすこしあれだが、間宮はどうも深く思い悩んでいたらしい。提督の手をとって涙する彼女の姿は真剣その物だ。その間宮から目を離し、提督は貯蔵庫に置かれた秋刀魚に目を落とした。流石に冷蔵の中だけあって魚類特有の匂いは強くないが、山ほどに詰まれた秋刀魚達からは仄かに鼻を刺激する臭みが漂ってくる。
 
「……いや、これはちょっと予想以上に凄いなぁー」
「はい、私もどうした物かと思ったのですが……」

 第一艦隊不動の鳳翔が提督に応えた。
 
「海域に出るたびに、何故か誰かの艤装に常にかかりまして……その、性分でしょうか、捨てられず、つい」
「いや、仕方ない事です、はい」

 申し訳無さそうな鳳翔に提督は珍しく真顔で頷いた。艦時代の頃で思うことがあるのだろうが、艦娘という存在は食に対して拘りが強いものが多い。特にこの鳳翔などは戦後まで残り食糧難で苦しむ時代を見たせいか、食材を雑に扱えないのだ。復員輸送艦だった頃に、自身の船上で戦傷と飢えに苦しむ人々を見た彼女に、提督が言える言葉など多くは無い。

「献立などは……僕が聞くまでもないかな」
「私の食堂でも、鳳翔さんの居酒屋でも、焼き魚、刺身、蒲焼と色々分けて出してはいますが」
「なにぶん、需要と供給が釣り合っていない状態でして……」

 補給される分と消費される分が釣り合っていないのである。提督は、とある艦娘達を思い浮かべて鳳翔を見た。提督の視線を受けた鳳翔は、相を苦笑で染めて首を横に振る。
 
「赤城達もよく食べますが、流石に魚ばかりを食べるわけではありませんので……それに、ずっと食べているとやはり飽きるようですね」
「それもそうか」

 特に良く食べる戦艦娘や正規空母などが口にしていればもっと消費が早まった筈であるが、同じ物ばかり食べられる訳も無いのだ。それがどれ程美味であろうと、脳は飽きを訴えるのだから仕方ない。
 
「駆逐艦娘達はどうだろう? 食はそうでもなくても、人数は多いじゃないか?」
「提督、それが……」
 間宮は提督の後ろに居る初霜をちらりと見て言葉を濁した。その間宮の様子に、初霜は提督に敬礼して声を上げた。
 
「私達駆逐艦は、魚よりも牛や豚肉を好む傾向があり、あまり口にしないのです。勿論、現状を理解しているので極力食べるようにはしていますが……」
「でも、そんなに食べられないものなぁー」
「……はい」

 目を伏せて頷く初霜の肩を軽くたたいて、提督は微笑んだ。気にするなと伝えたのだ。
 人間も艦娘も同じだ、とはよくいうがこれもまた同じ事である。年若い人間は牛や豚を好み、中年辺りから鳥や魚を好むようになる。消化能力の低下から、脂の少ない物を摂る様になるからだ。艦娘、という存在にもある程度歳の設定がなされている様で、駆逐艦娘は特に幼く若い。
 当然、そうなると彼女達が好むのは栄養を多く含んだ牛や豚となるのだ。
 
「しかし……どうしたものかねぇ、これは」

 提督は目の前にある秋刀魚の山を眺めて小さく呟いた。彼の脳裏には何故か泣いている北方棲姫の幼い姿があった。いつぞや、まだ提督がただの会社員で在った頃にやった菱餅イベントだ。
 ただ、大本営から秋刀魚を集めろという指示はきていないし、暁型の末娘からも、集めるのです! とは言われていない。
 あれは飽く迄ゲームであって、現状は現実なのだから何かが違うのかもしれない、と提督は考えため息をついた。
 
「よし、ある程度は僕でどうにかしましょうかねー」
「ほ、本当ですか?」

 間宮の輝く瞳に頷き返し、提督は士官服のポケットから携帯を取り出した。スマホでないのは、勤務時間中に何かの間違いでゲームなどをしない様にと自戒した為である。
 いったいぜんたいどうするのだ、と提督を見つめる三人の視線の中で、彼は最近登録したばかりの番号にあわせてボタンを押した。
 
「……あ、もしもし、どうも」
『あ、あぁー……お電話ありがとう御座います。どうしたんですか、携帯に直接なんて。何か内々の事でしょうか?』
「あぁいえ、そんな大それたもんじゃないんですが、ちょっと変な事お聞きしても?」
『えっと、はい、なんでしょう?』
「今、秋刀魚とか食べたいですか?」
『……え?』
「秋刀魚とかめっさ食べたいとかありませんか?」
『いえ、嫌いじゃありませんけれど、その?』
「いえ、ちょっとうちの鎮守府で凄い余ってまして、それならお隣で近いそっちに冷蔵保管して上げちゃおうかなって思いまして?」
『……あぁー、ちょっとまって下さいね?』
「はいはい」
 
 と、提督は三人の顔を見回して小さく肩をすくめた。三人とも納得した顔である。友誼を深め、食糧も無駄にならない。妙手とは言えない普通の手であるが、凡庸な提督らしい普通過ぎる解決手段に、皆なんとなく笑みを浮かべた。
 さて、提督の手に在る携帯である。そこで保留になるのかと提督は思っていたのだが、どうにもそのままのようだ。しかも少年提督は手で塞いでもいない様子だ。つまりどうなるかと言えば。
 
『大淀ー、秋刀魚どうかなって』
『ど、どうかなって、とは? ご実家からですか?』
『ううん、ほらあっちの――うわっ』
『はいはい提督、おやつの時間ですよー』
『愛宕くっつかないでよー!』
『司令官、お芋、お芋です! 焼いてきましたよ!』
『吹雪も愛宕も出て行って下さい! 提督は今大淀と仕事の話をしているんです!』

 提督は悟った顔で携帯から聞こえてくるプチ修羅場を聞きつつ穏やかな心で過ぎる時間に身を任せていた。提督の携帯の音量が大きく、地下室という環境内である程度の情報を耳に出来てしまった間宮、鳳翔、初霜も、それぞれ苦笑いや澄まし顔でやり過ごしていた。
 
『あ、あの!』
「はいはい、愛宕さんから良い匂いがしましたか?」
『はい、なんか柔らかい匂いがしました!』
「それはよかったです」
『え、はい?』
「で、秋刀魚はどうしましょう?」
『あれ? ん? ……あれ? あ、いえ、頂ける様であれば是非。旬の頃ですし、刺身とか醤油とおろししょうがで食べると美味しいんですよねー』
「おやまぁ、若いうちから肴向けの食べ方をしてますねぇー」
『片桐に教えてもらったんです、あれ本当に美味しいですよねー』

 その後も暫し会話を続け、提督は頭を下げながら、失礼します、と言って携帯を切った。
 はぁ、と声を零して提督はまた肩をすくめ、三人に顔を向けた。
 
「いやぁ、思った以上にあっち凄い事になってたねー」

 そっちじゃない、と思いながらも頷く辺り、三人は実に心優しい艦娘達であった。 
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