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ウラギリモノの英雄譚

作者:ぬくぬく
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モウシコミ――道ノ始マリ

 試験の途中で、「何か気分悪い……」と言い出した正宗(マサムネ)を連れて、(カナメ)が外に出た。
「めっちゃ血が出てたな……普通、あんな物なのか?」
「試験であそこまで怪我するのは珍しいかな」
「そっか……」
 正宗の顔色が悪い。あまり血に免疫(めんえき)がなかったのだろう。
「悪い。俺、今日は帰るわ。要はどうする?」
「そう? じゃあ、僕も帰ろうかな」
 言った要の顔を、正宗が振り返って見つめてきた。

「せっかく来たんだし、お前は最後まで観てこいよ。俺は一人で帰れるからさ」

 気を遣われてしまった。
 要はそう思ったが、正宗は要の返事を待たずに、軽やかな足取りで自転車置き場の方へと消えていった。

「あれだけ軽快(けいかい)に歩けるなら大丈夫か……」
 要は別に試合に興味があったわけではないが、ここは友人の好意に甘えて続きを観て帰ることにした。

「せっかく貰ったチケットも勿体ないし……」
「そんなこと言わんと、帰ろう」
 会場の入口のドアに手をかけたところで、背後から声を掛けられた。
 振り返ると、案の定そこには莉子が立っていた。肩にスポーツバッグを携え、額に白いガーゼを貼られた莉子がニコニコと作り笑顔を浮かべている。

緋山(ひやま)さん……」
「そんな、他人行儀な呼び方せんと、下の名前で呼んでいいよ」
 莉子が鬱陶しそうに額のガーゼを弄る。
「大丈夫や言うたのに、病院に連れて行かれてさー。もーっ……面倒かった」
「試験であんな怪我する人、初めて見ましたよ」
「あはは。ちょっと相手が悪かったけん。いやぁ、強かったぁ……」
 確かに相手は強かった。
 だが、そこまでの傷を負ってまで倒すべき相手でもなかっただろうに。

「それよりさ、一緒に帰ろう。この後の試合観よっても、多分面白い試合は無いよ」
「帰ろうって……。あなたも帰るんですか? 合否判定は?」
(かま)(かま)ん。あんな暴れ方したら、どうせ不合格やけん」
 莉子の技量は十二分だった。なのに、試合の後半で見せた自暴自棄な戦い方は、明らかにマイナスだっただろう。
「分かってるならやめればいいのに……」
「ええんよ。試験官倒すんが目的やったけん。わたしの用事はもう済んだんよ」
「……はい?」
「要くんも、5年前の二次試験で、試験官に降参させとったやろ?」
「あれは……たまたま関節技がきまっただけで……。だいたい何でそのことが今日の試験と関係するんですか?」
「決まっとるやん。弟子に出来たことが師匠に出来んかったら、格好が付かんやろ?」
「弟子?」
「言うたやん。要くんのこと、弟子にするー……って」
「あー……」
 そういえば、そんなことを言われていたような気がする。

「何でもする、何にでもなるっていうたん、忘れたらいかんよー」
 そう言う莉子に連れられて、要が試験会場を出ていこうとしたところで。
「あ、そうや」と、莉子が何かを思い出したようにスポーツバッグの中を漁りだした。
「これ出しとかんと」
 クリアファイルから二枚のA4用紙を取り出し、入り口で受付をしている係員のところに駆け寄って行く。
「すいませーん。本年度のヒーロー認定試験、最終試験の申し込みがしたいんですけどー」
「ああ、はい。でしたら、本日の合否判定の後に受け付けますので……」
「いやいや。申し込みたいんはわたしじゃないんです」
「それでは……いったい」
「彼」

 莉子が、背中越しに要を指差した。
「へ?」
 突如話を振られ、要がすっとんきょうな声を上げる。
「紫雲 要(シウン カナメ)。彼が本年度の採用試験に申し込みますんで。……で、これが合格証と申込書です」
「少々お待ちください……はい、受理されました。それでは、こちらが最終試験の受験票と案内になります」
「どーも」
 一式を受け取ると、莉子は何事もなかったかのように要のところに戻って来た。

「ほんじゃあ、帰ろうか」
「え、ちょっと」
「ん?」
 要の前を先導し始めた莉子を、要が追いかける。
「今、何したんですか?」
「何って、申し込んでたんよ。今年の最終試験」
 二人が試験会場を出る。
 莉子は存外歩くのが速い。
「誰の?」
「要くんのに決まってるやん。わたしは二次試験も合格してないし」
「何でそうなるんですか?」

 要が足を止める。
 しばらく歩いて、莉子が足を止めた。
 立ち止まってしまった要の方を振り返る。
「おーい、どうしたん?」
「…………受けませんよ」
「ん?」
「僕は、試験なんか受けません」
 要の言葉に、莉子はきょとんとした顔をした。

 莉子が息を吐く。
 困ったように笑って、歩いた道を戻って来た。
「もう申し込んだけん、諦めて。はい、これ」
 要の手に受験票を握らせる。

 ヒーローになるための切符が、要の手の中にあった。
 だけど。
「無理だ」
 ヒーロー認定試験の最終試験は、『変身(へんしん)』した状態で戦う実技だ。
 変身すれば五感を失って満足に戦えない要が、この試験に合格することはないだろう。
「無理って……君はヒーローになりたかったんじゃないん?」
「これは返します」

 要は受け取った受験票を莉子の手に返そうとする。
 しかし、莉子はそれを受け取らなかった。
 莉子の行動に、要のいらだちが募っていく。
「勝手なことばかりしないで下さい。困るんです……」
「どうして」
「どうしてって」
「要くんが困るのは、どうして」
 真剣な目で、莉子がこちらを見据えていた。
「要くんがヒーローになりたくないのであれば、こんなただの紙切れ、捨ててしまえばええやん」
 莉子の目が、猫みたいにジッとこちらを見つめてくる。
「本当の君は、ヒーローになりたいんじゃないの?」
「僕はヒーローにはならない」
 要は即答した。
「僕はヒーローにならない。なれないんだ……。事情も知らないくせに勝手なことを言わないで下さい……」
 もうヒーローにはなれないのだ。ならば、望まない方がいい。
 ずっと前に、要が出した結論だった。
 今更こんな紙切れを渡されたからって、その決定が覆されたりはしない。

「それは、君が『変身』した時に感覚がなくなっちゃうけん?」
 それは、予想だにしなかった言葉だった。
「何で、知って……」
 要は動揺(どうよう)を隠せない。
 莉子の雰囲気が柔らかくなる。
「知っとるよ。音も、光も、匂いも、味も、肌に触れる空気の感触も。変身している時の要くんには、何もかもが分からんようになるんよね。この世界が、まるで無くなったみたいに感じちゃうんだよね」
 諭すように、優しく語りかけられた。
「そんな君がヒーローになることは出来んかもしれん……けど」
 莉子がクッと口角を釣り上げる。
 そして彼女は、まるでテレビの中のヒーローの様に誰かを勇気づける笑顔を浮かべて。
「なれないことが、なりたくない理由には、ならんよ」
 莉子が要に手を差し出す。
「わたしが君をヒーローにしてあげる」

 そう言って差し出された手を、要は呆然(ぼうぜん)と眺めていた。
「さぁ、行こう――」

 この手を握れば、もう一度要はヒーローになれるような気がした。
 
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