八神家の養父切嗣
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六話:正せぬ過ち
―――そこに地獄があった。
かつて、衛宮切嗣が争いを終わらせるために介入した国と革命軍が争った紛争地。
終わらぬ連鎖を終わらせるために、いつものように人を殺した場所。
あの時は質量兵器の密輸入を行っている業者を狙いとして行った。
その中でも特に大規模に行っている者を選び始末した。
犠牲になった数は多くなく、“10名”程度。勿論すぐに代わりは現れた。
しかし、たった少し、武具の補給が行き詰っただけで情勢は一気に傾いた。
そして、元々武力で劣っていた革命軍は国に屠られていった。
それで紛争は終わった。この世の地獄は確かに消えてなくなったはずだった。
「じゃあ……何なんだ、これは?」
衛宮切嗣はどうしようもなく気力を失い、掠れた声を零す。
地獄を終わらせるために尊い命を奪ってきたはずだった。
犠牲を代償に平和を与えてきたはずだった。
だというのに、彼の目の前にはかつてと同じような惨たらしい地獄が広がるだけだった。
虫がたかる、腐りゆく死体。呻き声を上げる病人。傷口から蛆が湧き、身をよじる怪我人。
動かぬ父の死体の横で途方に暮れる子供達。
息絶えた母の乳を理解できずに吸おうとする赤ん坊。
骨と皮だけになり、飢えのあまりに木の皮を剥ぎ食べる者。不自然に腹が膨れた者。
誰とも分からぬ父親の子を抱く、はやてとほとんど変わらない少女。
兵士に犯され、股から血と白いものを垂れ流す少女の死体。
何度も見てきた光景だ。もはや、安心感を覚えてしまうほどに。
しかしながら、初めて訪れる場所で見るのとは意味合いがまるで違う。
あるはずがないのだ。否、自分はそれを消すためだけに生きてきたのだ。
だが、現実はどこまでも残酷に彼の目に突き付けられる。
「なんだ、これは…っ」
―――そこに地獄がある。
最大の効率と最少の犠牲をもって地獄を消してきたつもりだった。
もう二度と、この地で地獄が起きることのないようにしてきたはずだった。
だが、事実として地獄は再現した。繰り返された。目の前の人々が何よりの証拠だ。
この地に来るのが初めてであればこれを見て、一刻も早く殺しを行おうとすら思えただろう。
しかし、そのような感情など湧き上がってなどこなかった。あるのは絶望のみ。
何故再び起きたかと考えるまでもない。答えなら既に出されているのだから。
「衛宮切嗣のやり方では……決して世界を救えない」
こうして形として目の前に突き付けられ、再び理解させられた。
何一つとして救えてなどいなかった。殺してきた。ただ、それだけだった。
数でみれば大勢を救えた? そんなはずがない。
誰一人として救っていないから再び争いが起きた。
殺してきた者達に価値などなかった。価値があるのならば地獄の再現などあるはずがない。
否、再現など断じてあってはならなかった。
地獄を消すために罪のない人間を殺してきた。それが衛宮切嗣の人生。
だというのに、地獄が再現したのならば、それは―――彼の人生の無意味さの証明。
「何も変わらなかった……僕のしてきたことは結局、人殺しでしかなかった」
悟っていた。否、本物の正義の味方である少女達に悟らされていた。
衛宮切嗣は結局、どこまでも利己的に己の欲望を満たそうとしたに過ぎない。
誰かを救う過程を生み出すために心のどこかで彼らの絶望を望んでいた。
己を正当化するために自分の行いの過程で誰かが救われていると信じていた。
だが……目の前に広がる地獄こそが彼の行動の結果。
何も変わることがなく、ただ争いは繰り返され、犠牲は増していくだけという結果。
「僕はこんな未来の為に…! 彼らを殺したんじゃない…ッ!」
尊い犠牲の果てに戦争の終結を、その後の恒久的な平和を与えるつもりだった。
しかし、平和など訪れるはずがなかった。
残った悲しみ、怒り、憎悪が積もっていき五年もたたずに紛争は再び起きた。
以前よりも激しく、何よりも終わりなど訪れぬ泥沼状態に。
正義の味方が再びこの場に戻ってこなくてはならなくなるほどに。
悲劇は繰り返され続けた。人は死に続けた。
「悲しいことを終わらせるために悲しいことをしても、悲しみしか残らないか……確かにその通りだ」
思い出すのはなのはの言葉。自分はそれに対して少しはマシになると返した。
だが、現実としてはどうであろうか。何が変わったのだろうか。
寧ろ、自分が介入したせいで余計に酷くなったのではないのかとさえ思う。
衛宮切嗣にできたことと言えば、根本的な解決ではなく先延ばしだけだろう。
下手をすればそれすらも怪しい。
「どうしてこんなことに……」
思わず零してしまった疑問。だが、答えなど初めから持っていた。
誰がここまでの被害が出る惨状を生み出したのか?
簡単だ。それは一人の愚かな男だ。救いようのない愚か者だ。
誰かを救いたいというエゴを満たすために人の血を啜ってきた悪鬼だ。
かつての戦場でエゴを満たしたというのに未だに足りずに再び戻って来た疫病神。
まるで、死神のようだ。己で争いの種を蒔き、それが実ったところで刈り取りに来る。
ご丁寧に我が身は救済者なのだと高らかに宣言しながら。
「正義というエゴを果たすために何人の命を喰らってきたんだろうな……僕は」
切嗣は自虐のあまりに遂には笑いを零しながら歩きだす。
以前と同じように最少の犠牲をもってして争いを止めるのが彼の役目。
既にこのやり方では誰も救えないことは分かっている。
武器を放り出して怪我人の手当てに奔走する方がよほど他人も自分も救われるだろう。
だとしても、このやり方を貫き続けることしか彼にはできない。
もしも、自身までもが今までのやり方を否定してしまえば犠牲になってしまった者を肯定する者が誰も居なくなってしまう。
それだけは認められなかった。だからこそ、悪魔との契約を結んだ。
いつか、彼らの死が価値あるものに変わる“奇跡”を信じて。
全てを救うというこの目で目にした奇跡から背を背けて。衛宮切嗣は歩き続ける。
世界そのものを滅ぼしかねない憎悪の全てを自分自身に向けながら。
何度でも死体の丘を積み上げていく。
―――無数の骸が横たわっている。
喉を抑え苦悶の表情のまま息絶えた者。助けを求めるように手を伸ばして力尽きた者。
誰も彼もが生を失い、無様に崩れ落ちている場所。
その中で、衛宮切嗣ただ一人が大地を踏みしめている。
仕事は以前よりもスムーズに進行している。今回も革命軍側の主戦力を始末した。
何故、再び革命軍なのかと言えば、この世界は管理世界に加入している。
万が一に革命軍が勝った場合は管理世界から脱退する可能性もある。
そうなれば管理局はこの世界から出ていかなくてはならなくなり、ロストロギアの発見が難航するだろう。
それに現在の体制が崩れれば混乱は大きくなり、さらに犠牲が増えるだろう。
犠牲が少なくなる方を選んでいるだけだ。
だがそれは、所詮は建前に過ぎない。結局、人は死んでいく。
彼は満足のいく生活を送っている者の利益を守るために火消しをするだけの身。
そうしていれば、後は国が勝手に終わらせてくれるだろう。
―――死ぬ必要性のない人間を容赦なく喰い殺しながら。
「ここは随分とあっけなかったな。まさか食事に混ぜた毒薬に気づかないなんてね」
食事に遅延性の毒薬を混ぜ、倒れたところに念押しで毒ガスを散布して命を奪った。
こうしてここに立っているのは生き残りを“処理”するために過ぎない。
正直のところ上手くいくとは思っていなかった。良くて一人ぐらいだろうと思っていた。
本命としては倒れた一人に近づいてきた仲間を纏めて爆殺することであった。
毒ガスはまとめて倒れたので使ったに過ぎない。
結果としては楽に済んだがどうにも釈然とせず、罠かと疑ってしまう。
しかし、やせ細った骸を見ていくうちに納得をした。
「……そうか、例え毒であっても飢えには勝てなかったか」
兵士だというのに、主戦力だというのに痩せた体。
勿論、道端で物乞いをしている者達に比べればマシだ。だが、それでも痩せている。
それがこの国に足りないものを如実に表していた。荒れ果てた土地には作物も育たたない。
動かぬ現状に焦り、どちらかが人も大地も腐らせる禁忌の兵器が使ってしまったのか。
それとも、人が死に過ぎて作り手そのものが消えてしまったのか。
どちらにせよ食料がない。当然、食べる物がなければ人は生きてはいけない。
おまけにこちらは元々物資の少ない民衆側。僅かな食糧で食い繋いできたのだろう。
その大切な食糧に衛宮切嗣は毒を盛った。食べれば死ぬ。食べねば死ぬ。
そんな悪魔の選択を突き付けたというのに当の本人は気づきもしなかった。
彼らが命の危機に晒されている中で何も感じもしなかった。
余りの外道さと、悪辣さに笑いが零れてしまう。
「……っ」
そこで小さな呻き声を聞く。生き残りかと思う前に体はキャリコをそちらに向けていた。
ついで、視線を向けてみるとそこには蹲り、身体を震わせ、血を口から吐き出す少年が居た。
年としては、はやてと同じ程度だろう。ただ、身体は栄養がないためにずっと小さい。
運悪く死ねなかったのか、苦しそうに喉で風を切る。
死にかけにも関わらず感じられる魔力から、彼が優秀な魔導士として取り立てられた存在だと分かる。
「……今、楽にしてやる」
全身を駆け巡る毒の苦痛は並大抵のものではない。
大の大人ですら悲鳴を上げて死んでいく代物だ。
だというのに一言も叫んでいないのは叫ぶ力が残っていないから。
初めから生きる気力を奪われているからだ。
切嗣は楽にしてやろうと思いゆっくりと少年に近づいていく。
苦しみを与えぬように脳に銃口を向け、少年を見下ろす。
「……何がいけなかったんだよ?」
そこで少年が口を開いた。思わず警戒を上げる切嗣。
しかし、少年の瞳には切嗣は映っていない。苦しみのあまりに譫言を呟いているのだ。
すぐにでも殺して楽にしてやるべきだと分かっている。
だが、身体は硬直して少年の言葉に聞き入ってしまった。
以前であればこんなことはなかった。体が動きを止めることなどなかった。
それが起きるのは彼自身が己の行動の無意味さを理解してしまったからだろう。
「こうしなきゃ……生きられなかったのに……何も悪いことはしていないのに」
掠れた言葉が切嗣の心に突き刺さる。そうだ、彼は人を殺さなければ生きられなかったのだ。
善悪の問題ではない。生きるためにはそれ以外の道がなかった。
偶々、その道が人殺しであっただけの問題。衛宮切嗣のように自ら選んだのではない。
年齢から考えればこの少年は以前の紛争で親を失い、人間兵器として拾われたのだろう。
もしかすれば、かつて切嗣が殺した誰かの子供かもしれない。
そして、少年は生きるために人殺しをするために育ってきた。
何が正しくて、何が間違っているかを考える時間すら与えてもらえずに。
彼を誰が悪人だと、邪悪な人殺しだと言えるだろうか? いや、言えるはずがない。
多くの者が彼と同じ状況になればそうする以外に何もできないだろう。
この子は紛れもなく、衛宮切嗣が生み出してしまった被害者の一人。
そのことが切嗣の心を深々と抉ってくる。
「僕が本当の意味で救いを行うことができていたら……この子はこんなところで死ぬ必要はなかった…!」
少年は救われるべき人間だった。本当の意味で衛宮切嗣が救いたかった人間だ。
だが、実際はどうであろうか。少年は善悪すら決める間もなく己に殺された。
陽だまりにいる人間の生を守るために自分は救うべき、救われるべき者達を殺している。
余りにも目指した場所とは違う光景に笑いすら起こってくる。
犠牲にしてきた者達だけではなかった。数え切れない程の悲劇を衛宮切嗣は生み出していた。
衛宮切嗣の行動で救われるべき人間までもが犠牲になっていっている。
こんな行動はさっさと止めて、今すぐにでも自害した方がマシだろう。
だが―――
「ごめんね……。君の犠牲は…絶対に! ―――価値あるものにするから…ッ」
―――それだけは、決してできない。銃声と共に、噴き上がる血を浴びながら切嗣は詫びる。
自分は死ぬわけにはいかない。それは今までの、そしてこれからの犠牲への裏切りだから。
彼らの犠牲を価値あるものにするには今まで通りに殺し続けていくしかない。
その先に救いの道がなければ彼らは決して納得しない。
だから、これからも死体の山を築き続けていく。
それが―――
「間違っている……こんなことは間違っている。でも―――これしかできないんだ」
―――どうしようもなく間違っていることを悟っているのだとしても。
衛宮切嗣が戦場を去って一ケ月後にこの地の紛争は終わりを告げた。
だが、その三年後に紛争は再び起きたのだった。
後書き
今年の更新は多分これで最後です。
今年最後になんでこんな鬱を書いたのか……。
とにかく、皆様、良いお年を。
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