ユリシーズの帰還
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2部分:第二章
第二章
「ちょっとこれは」
「音楽も独特ですし」
「あれがバロックなんだね」
「そう、バロックなんですね」
お互いにそれを知ったのだった。私達は。
「モーツァルトとも違って」
「バッハともですね」
「違うね。古さというか」
それよりはだった。私が感じたことは。
「はじまりというかそうした感じかな」
「モンテヴェルディはルネサンス音楽からバロック音楽に変わる時代、つまりバロック音楽を生み出したと言ってもいい人ですから」
「だから余計にね」
「違いますね」
「そう、他の音楽家とは」
それだけ独特に感じた。独特な音楽を作曲する音楽家は多いがそれでもだ。モンテヴェルディの音楽はやはりかなり違っていた。
そしてだ。何よりもだった。
「人間性が剥き出しになっているね」
「ですね。出ている登場人物の」
「人間自体がね」
まさにだ。その人間がそのままだった。
「表に出ているね」
「そこが以降の音楽家とは」
「ああした感じの歌劇は」
どうかというとだ。私にしても彼女にしても。
「なかったね」
「全くです。ですが」
「それでもだね」
「はい、感じるものはありますね」
それはだとだ。彼女は私に答えた。
「こう。剥き出しになっている人間性というものは」
「自然主義だね」
「自然主義文学ですね」
絵画ではなく文学だがそれでもだ。自然主義だった。
「これは」
「そう。そして僕の専門の」
「シュールリアリズムにも」
「影響を与えるね」
こう彼女にも答えた。
「そうだね。剥き出しの人間性もね」
「醜いと思われますか?」
「醜いと言えば醜いね」
私はこのことは否定しなかった。モンテヴェルディの作品は確かにだ。
剥き出しの、欲や野心を露わにさせている登場人物が多い。まさかこの時代にこれだけ人間のそうした部分をあからさまに描く人間がいるとは思わなかった。
だが、だ。それでもだった。その登場人物達は。
「逞しいしそれに」
「醜さと共に」
「音楽のせいだね。美しくも感じられるよ」
「そうですね」
こうだ。二人で話すのだった。
「あの作品の結末はわかるけれど」
「最後はユリシーズが」
そのだ。彼が愛する妻のところに戻ってきてなのだ。
「妻に言い寄る男達を」
「そう、自分の弓矢で皆殺しにします」
「そこが違いますね」
「そう、全くね」
私達はこう話していく。
「そこがね」
「芸術的です」
「ゴヤとはまた違って」
十九世紀のスペインの画家だ。彼の作品も人間のそうした剥き出しのものを描いている。それはグロテスクなまでに醜くもある。
だがそういったものではなかった。モンテヴェルディは。
「やっぱり芸術だね」
「そうした感じですね」
「だから嫌いにはなれない」
「否定もしませんね」
「むしろ肯定的に捉えられる。むしろ」
そう、むしろだった。私達は。
「新しいものに出会った気がするね」
「そうですね。古い筈なのに」
「温故知新かな」
「そうですね」
私の言葉にだ。彼女も頷いてきた。
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