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至誠一貫

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第一部
第六章 ~交州牧篇~
  八十 ~番禺の死闘~

 そして、更に二月が過ぎた。
 各郡の調査を行っていた風らも戻り、交州全体の様子を知る事が出来た。
 多少の差はあるものの、治安は概ね良好。
 飢饉や干魃、疫病の災厄に見舞われる事も少ないせいもあり、人口は増え続けているようだ。
「そして、交易も相変わらず盛ん、という訳か」
「ですねー。劉焉さんや劉表さんが野心を抱くのも無理はないかと」
「……そうか。ところで風」
「何でしょう、お兄さん」
「そろそろ、寝るつもりなのだが」
「むー。今晩はずっと風と一緒にいる、という約束の筈ですよ?」
 そう言いながら、ぎゅっと抱き付いてきた。
 腕に、柔らかな物が当たる。
「そうだ。だからこそ、こうして床を共にしているではないか」
「いえいえ、風は女として、お兄さんの傍に居るのですよ。据え膳食わぬは男の恥、って奴ですよー?」
「ご主人様。な、ならば私だって!」
 反対側の腕を、更に強い力で締め付けられる。
「愛紗。少し力を込め過ぎだ、今少し緩めよ」
「い、いえっ! いくらご主人様の命でも、こればかりは聞けません」
「……私は何処にも行かぬぞ?」
「わかっていますが……」
 愛紗は拗ねたように、
「我ら二人、ご主人様と長い間離れていたのです。……今宵ぐらい、好きにさせて下さいませ」
「だが、二人とも長旅から戻ったばかり。疲れてはおらぬか?」
「風は、疲れよりもこうしてお兄さんといられる嬉しさの方が上ですねー」
「私も、です。それに、我らの留守中、疾風(徐晃)や彩(張コウ)らはご主人様の寵愛を存分に受けている筈。その分、今宵は埋め合わせをお願いします」
 ふう、言っても聞かぬか。
 ……まぁ、良かろう。
「だが、明日に差し障りがあってはならぬ。それだけは申しておくぞ」
「それでこそ、風のお兄さんなのですよ」
「……お慕いしています、ご主人様」
 両腕に込められる力が、また一層強まった。
 だが、悪くはない。

 ふと、目が覚めた。
 空が、白み始めているようだ。
 ……だが、普段目覚める刻限ではない。
「ご主人様、お目覚めですか」
「愛紗。……感じているな?」
「はっ。この異様な空気、ただ事ではありませぬな」
 風は未だ、夢の中か。
 ……悪いが、腕は外させて貰おう。
 臥所を下り、手早く着替える。
「ご主人様、急ぎ仕度をして参ります」
「わかった」
 慌ただしく、愛紗が駆け出していった。
 着物を身につけ、兼定を腰に帯びた。
 更に、襷を掛け、気合いを入れる。
「ご主人様、お待たせしました」
「主!」
「殿!」
 愛紗のみならず、星と彩もまた、完全武装で駆けつけた。
 ふっ、皆流石だな。
「疾風は如何した?」
「恐らく、先に城下へ向かったものと。我らも急ぎましょう」
「うむ」
 城内は未だ、静まり返っている。
 ……いや、不寝番の兵がいる筈だ。
「妙だな」
「彩、お主もそう思うか。静か過ぎる」
「……ご主人様、お下がり下さい」
「愛紗。それで引き下がる私だと思っているのか?」
「いいえ。ですが今は我ら三人がいます。ご主人様が無理をする場面ではありませぬ」
「何だあれは!」
 と、不意に空が明るくなった。
 ……いや、これは夜明けではない。
「火事だーっ!」
「城下で火事だぞ!」
 城のあちこちから、叫び声が上がり始めた。
「星! 警備兵を率いて速やかに消火に当たれ!」
「し、しかし主!」
「私の事は良い。早く行け!」
「ぎ、御意!」
 機転の利く星ならば、指示はこれだけで良かろう。
「彩は城内を確かめよ。様子がどうにもただ事ではない」
「はっ!……愛紗、殿の事、任せるぞ?」
「ああ!」
 再び、愛紗と二人きりになった。
 無論、愛紗も浮かれた様子はない。
「しかしご主人様。火事とは一体」
「……恐らくは、付け火。間違いあるまい」
「放火ですと? ですが放火は大罪、少なくともこの交州に住む者ならば承知の筈です」
「そうだ。だが、下手人が交州以外からやって来た、と考えれば……どうだ?」
「やはり、洛陽からの手の者ですか」
「可能性は高いな。無論、断定は早計だが」
「奴らめ……何処まで卑劣な真似をすれば気が済むのだ」
 ギリ、と愛紗が奥歯を噛む。
「だが、これは好機とも言えるぞ」
「好機ですか?」
「そうだ。月の力を削ぎ、私を遠ざける事で満足しておけば、我らが反撃する口実がない。だが、これがもし、連中の仕業であるという証拠があれば」
「十常侍らに反撃する格好の材料……になりますね」
「その通りだ。故に、下手人の素性も確かめねばならぬ」
「御意。しかし、城内が妙に静か過ぎますな。この騒ぎで未だに兵や文官らが目を覚まさぬとは」
 愛紗の申す通りだ。
 如何に払暁とは申せ、鍛練を重ねた兵らが一人も姿を見せぬとは解せぬ。
「お兄さん、どうかしましたかー?」
 眠そうな風の声。
 ……不意に、殺気を感じた。
「風、伏せろ!」
「え? あ、あひゃっ!」
 慌てて倒れこんだ風の頭上を、矢が通り過ぎていく。
「おのれ、何奴!」
 愛紗の叫びに反応したのか、物陰や植え込みから人影が現れた。
 全員が面体を隠し、短弓や剣を手にしている。
「誰に頼まれた?」
「…………」
 黙りか。
 だが、私と愛紗は先般から姿を晒していた。
 襲撃をかけるなら、機会はあった筈だ。
 ……すると、奴等の狙いは。
 その刹那、数名が私に襲いかかってきた。
「ご主人様!」
「私は良い! 風を!」
「は、しかし」
「説明は後だ!」
「ぎ、御意!」
 正に、残り全員が風に襲いかかろうとしていた。
「させるかぁぁぁっ!」
 青龍偃月刀が閃き、二人の曲者が骸と化す。
 だが、連中に怯んだ様子はない。
 或いは、死を決しての事か。
 今度は、短弓が一斉に風に向けられた。
「そうは参らぬ!」
 私も兼定を抜き、斬り込んだ。
 手近な奴をまず一人、素早く突き殺す。
 幸い、相手は密集している。
 乱戦に持ち込めば、この程度の人数に不覚を取るつもりはない。
「くそっ、早くしろ!」
「駄目だ、相手が強過ぎる!」
 漸く、敵に焦りが見え始めた。
 だが、敵対する者を目の前にして、些かの躊躇いも命取り。
 況してや、名のある手練揃いとも思えぬ。
 至近距離での乱戦なら、お手の物だ。
 一人の足を思い切り踏みつけ、怯んだ隙に首筋を一閃。
「うがっ!」
 そして、少し離れた集団に、懐から取り出した唐辛子弾を投げつける。
 効果は既に実証済みだ。
「うわっ! 目が、目がっ!」
「目が開けられん!」
「おのれ! 何たる卑怯者!」
 一斉に私を罵る曲者ども。
「ほう。火付けに闇討ちは卑怯ではない、と?」
「ええい、黙れ! こうなれば構わん、全員殺ってしまえ!」
 その声を合図に、更に相手の人数が増えた。
「射殺せ!」
「応っ!」
「そのようなへなへな矢など、恐れるに足りん!」
 青龍偃月刀をまるで水車の如く振り回す愛紗。
「流石は愛紗ちゃんですねー」
「風! 感心してないで、この状況を何とか打開する策でも考えろ!」
「ぐー」
「寝るな!」
 ……随分と、余裕のある事だ。
 しかし、これだけの矢を射かけられるのは流石に厳しい。
 一本や二本、切り飛ばし損ねる可能性が……。
「グッ!」
 そう思っていた矢先、愛紗が肘に矢を受けてしまう。
「何のこれしき!」
 気丈に振る舞う愛紗だが、何やら良からぬ予感がする。
 すぐに抜いてやらねばならんが、私に向けても矢は飛んでくる。
 ……どうすれば良い。

 と。
「グハッ!」
「グエッ!」
 弓を使っていた者が、バタバタと倒れ始めた。
「な、何事だ!」
 突然の事に、動揺する曲者。
 その間にも、奴らは確実に数を減らしていく。
「歳三様! お怪我はありませんか!」
「今参ります!」
 その声は……紫苑と山吹(糜竺)。
 二人の矢は、正確無比そのものである。
 よし、今だ。
 ……愛紗、暫し辛抱せよ。
 そう思いながら、残った曲者に斬り込む。
 奴らの眼に、初めて恐怖が浮かぶ。
 だが、容赦呵責は要らぬ。
 兼定を振るい、確実に仕留めていく。
「い、いかん。退け!」
 形勢不利を悟ったか、敵は撤退の指示を出す。
 が、些か遅きに失したようだな。
「紫苑、山吹! 一人とて逃してはならん!」
「はいっ!」
「お任せを!」
 私の檄に、二人は矢で応えた。
 逃げ去る曲者は、一人、また一人と射抜かれていく。
「どうやら、お前が首領らしいな」
「!」
 指示を飛ばしていた覆面に、私はにじり寄る。
「お、おのれっ!」
 自暴自棄に剣を向けてくるが、それでは私は斬れぬ。
 剣を弾き飛ばし、返す刀で鳩尾をついた。
「ぐへっ!」
 そのまま、腹を抑えながらその場に崩れ落ちる。
「歳三様!」
「歳三さん!」
 駆け寄ってくる紫苑と山吹。
「紫苑。いつ参った?」
「つい先ほどですわ」
「そうか。……話は後だ、まずは愛紗を手当てせねばなるまい」
 鏃が肘に食い込んでいるようで、出血は少ない。
 だが、愛紗の表情は苦悶に満ちている。
「このままではいかん。すぐに部屋に運ぶぞ、紫苑、山吹、手を貸せ」
「はっ!」
「はい!」

 城下の火災は幸い、被害は最小限に抑えられたらしい。
 医師も程なく見つかり、すぐさま愛紗を診察させた。
「どうだ?」
「はい。鏃は抜きましたが、どうやら矢には毒が塗られていたようです」
 皆は驚くが、私はそんな予感がしていた。
「それで? 命に別状はあるのか?」
「それは何とも申し上げられません……。傷口は消毒しましたが、何分体内の解毒は私では……」
 申し訳なさそうに項垂れる医師。
「山吹。朱理は如何した?」
「はい。姿を見ていませんが、自室かと」
「すぐに連れて参れ。急げ!」
「は、はい!」
 慌てて飛び出していく山吹。
「では、お主の方で手は尽くした、そう理解して良いな?」
「は、はい。お役に立てず、申し訳ございません」
「良い。これは治療代だ、納めよ」
 懐から取り出した銭を見て、頭を振る。
「い、いえ。それをいただく訳には。関羽様の治療も不完全です」
「いや、最善を尽くした者には報いねばならぬ。取っておけ」
「……はい。では、恐れながら」
 銭を受け取った医師は、一礼して退出していく。
 入れ替わりに、山吹が朱里を連れてきた。
 ……いや、背負ってきた、というべきか。
「部屋で熟睡していたところを、叩き起こしました」
「……あ、あの……一体何が……ふぁぁぁ」
 眠そうな朱里。
 だが、今は一刻の猶予もない。
 朱里の様子も気になるが、それは後だ。
「朱里。愛紗が毒を受けた」
「……え。え、ええっ!」
 流石に目が覚めたのだろう。
 山吹の背から下り、愛紗に駆け寄る。
「毒ですか?……では、この傷が?」
「そうだ。矢に毒が塗られていたらしい。解毒が必要なのだが」
「あわわ、わ、わかりましゅた! すぐに調べましゅ!」
 噛んでいる事すら構っておられぬ程、自体は切迫していた。
 風と山吹を伴い、朱理は書物を漁り始める。

 そして、急ぎ朱里が薬を調合。
 その解毒の薬を飲ませると、愛紗の容態が落ち着いた。
「良かったです」
「うむ。……他の者は大丈夫か?」
 風が伏せた時に擦り傷を作った他、奇跡的にも皆無傷のようだ。
「それにしても、稟ちゃんも愛里(徐庶)ちゃんも同じように熟睡したままだったとは……何か、不自然ですね」
「申し訳ありません。このような事は初めてなのですが……」
「私もです。ただ、部屋に何か甘い香りが漂ってはいましたけど……」
「それも調べるよりあるまい」
 此度の事は、わからぬ事が多い。
 だが、必ず真相は突き止めてみせるぞ。 
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