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相模英二幻想事件簿

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山桜想う頃に…
  Ⅳ 4.10.PM9:17



 翌朝、昨日に引き続き、快晴の青空に暖かな陽射しが差していた。
 私は窓を開け放って外の風景を眺めると、変わりなくあの美しい山桜はそこにあった。
「あなた。折角なんだし、午前中はここでゆっくりしてましょ?」
 亜希は安楽椅子に腰を落ち着けて、何だか眠たそうにそう言った。さっき朝食を頂いたばかりだってのに…。
「ま、そうだな。でも、後で散歩くらいはしておこう。こんなに良い日和なんだし、たまには自然を満喫しておこうじゃないか。」
「そうね…。お昼前に旅館の人に聞いて、良い散歩コースがあれば教えてもらいましょうよ。」
 私が亜希とそんなことを話ていると、襖を開けて藤崎が入ってきた。
「お早う。今日の予定はどうなってんだ?」
 何だか気儘な奴だな…。ま、来週から演奏会が始まるって話だし、少しくらいはいいんだろうが…。練習しないのか?いや…私が心配しても仕方無いんだがな…。
「昼前に散歩でもと思ってるよ。午後からは町の中を見て回ろうかとも思ってるけど。」
「散歩かぁ…。近くに川があるみたいだし、古くからある神社も少し行ったとこにあるって聞いたぞ。」
 ほんと…こいつ、どっからそんな情報仕入れてくることやら…。やっぱり探偵やった方がいいんじゃないのか?駄目だ…そんなことされたら、こっちが干上がっちまうな…。
 そうしてあれこれと予定を話し合っていると、不意に襖の向こうから声を掛けられた。
「お客様、失礼して宜しいでしょうか?」
 その声を聞くや、私達は目を丸くしてしまった。昨日倒れた女将の声だったからだ。
「はい、どうぞ。」
 私は慌てて返事をすると、スッと襖を開けて女将が姿を見せた。顔色も良く、これといって心配は無さそうだった。
「昨日は誠に申し訳御座いませんでした。お客様、何か不自由なことなどは、御座いませんでしたでしょうか。」
 女将は、どうやら昨日のことで各部屋へと謝罪に回っているようだ。
「とんでもありません!私達は充分楽しませて頂きました。」
「そう言って頂けまして嬉しい限りで御座います。誠に恐縮ですが、こちらは当旅館からのサービスで御座います。お茶請けにお召し上がり下さい。」
 そう言って女将が手前に差し出したのは、目にも鮮やかな和菓子だった。形も様々で、桃や梅、桜などの花を象ったものが中心だったが、そのどれもに品のある美しさがあった。
「これは…!何だか申し訳ないですねぇ。」
「いいえ。これは…実は私が作らせて頂きましたものですので…。」
 それを聞くと、私達は感嘆の溜め息を洩らした。まさか、女将自らがこんなプロ顔負けの和菓子を作るなんて…。それも、昨日倒れた人間の出来ることじゃないだろうに…。
 私がそんな風に思っていると、隣で亜希は女将に言ったのだった。
「女将さん。宜しければ、簡単なもので良いんで教えて頂きけませんか?」
「亜希…。」
 私は呆れ顔で妻を見た。昔からこんな感じなんだよな。自分だけが無礼講みたいで、こっちがヒヤヒヤさせられるんだよ…。藤崎も苦笑いしてるが、女将さんはそんな亜希の言葉が嬉しかったようだ。
「喜んでお教え致します。宜しければ午後には時間が空きますので、その時にでもいかがでしょうか?」
 亜希はそれを聞いてやる気満々だが、私は慌てて止めに入った。何せ相手は病人と言ってもいい…昨日倒れた人間なんだからな…。
「女将さん、大丈夫なんですか?昨夜倒れたばかりですし、時間があれば休んだ方が良いかと思いますが…。」
「お気遣い有難う御座います。お恥ずかしいことですが、どうやら寝不足が原因のようで御座いまして…。ですが随分と寝過ぎてしまいまして、逆に早くに目が覚めてしまいましたの。先生も栄養剤を処方して下さっただけですのでご安心下さい。」
「そうだったんですか。それを聞きまして、こちらも安心しました。」
 女将の話を聞き、私達三人は胸を撫で下ろした。
 だが、ふと昨夜の浴場でのことが頭を過り、なんだか妙な胸騒ぎがした。ひょっとしたら…この旅館に、何か悪いことが起こるのではないか?
 正直な話、私に霊感があるとは思えないし、ああいった風に霊と遭遇するのは稀だ。
 しかしだ…探偵としての直感が「ここには何かある。」と告げている。何と言って良いか解らないが、とにかく嫌な予感がしてならないのだ。
「へぇ!それでこの旅館を?」
「はい。この旅館は代々女将が取り仕切り、主人も私と結婚するのを随分と悩んだそうです。」
 人が考え込んでいる間に、亜希と女将は別の話に夢中になっていた。ま、亜希がまた質問でもしたんだろう…。
「それじゃ…結婚前から話合って?」
「ええ。私は主人と添い遂げるつもりでおりましたので、早くに話を通してもらって、結納前からここで修行させて頂きました。」
「そうなんですかっ!?それほどご主人を愛してらしたんですねぇ。」
「あらやだ、お恥ずかしい。私ったらこんな話を…。これは長居してしまいました。私はここで下がらせて頂きますわ。それでは皆様、ごゆっくりお寛ぎ下さいませ。」
 亜希と話して後、女将は思い出したかのように部屋を出ようと襖を開いたが、その時、何の前触れもなく異変が起きた。
「グフォッ…!」
 私達が見ている前で、女将がいきなり吐血し、廊下に向かってそのまま倒れ込んだでしまったのだ。
「女将さん!?」
 私は咄嗟に駆け寄って女将を抱え起こしたが、女将は既に息をしていなかった。
「英二、どうしたんだ?直ぐに人工呼吸を…」
「駄目だ!」
 藤崎の言葉を私が否定したため、藤崎も亜希も表情を強張らせた。
「あなた…女将さん、どうしちゃったの…?」
 亜希が恐る恐る聞いてきた。私は二人にどう説明したものかと思案したが、直接的に言った方が良いと考えた。亜希も探偵の妻なわけだし、殺人現場に居合わせたことも一度や二度じゃないんだ。藤崎もこの手の事件にはなれてるから、私は率直に言った。
「シアン化合物による毒殺…とみて、まず間違いないだろう…。」
「なんだって!?じゃあ…もう…。」
「ああ…既に亡くなってる。京。僕と亜希は現場保存をするから、お前は早く旅館の人に言って警察を呼んでくれ。」
「分かった!」
 藤崎は直ぐに出ていき、私と亜希は現場を損なわないよう部屋の外へと出た。
 幸いにも、私達の両隣は現在空室で正面は藤崎の部屋だったため、他の客が聞き付けて騒ぎ立てることはなかった。
「あなた…女将さん、苦しかったのかしら…。」
 亜希が囁く様に聞いてきた。若干震えているようにも聞こえた…。
「ほぼ即死だった筈だ…。恐らく、何も解らないうちに亡くなったと思う…。」
 私がそう答えると、亜希は「そう…苦しまなかったのね…。」と言ったのだった。亡くなる直前まで、亜希は女将と愉しそうに会話してたんだ。まるで姉妹の様な感じがしていたが、多分…亜希も姉の様に感じていたのかも知れないな…。
「享子!」
 暫くすると、旅館の従業員が三人ほど来てくれた。さすがに警察は未だこないが…。
「あ、触れないで下さい!」
 男性が遺体に触れようとしたため、私は慌てて制した。すると、男性は怒った風に口を開いた。
「私は夫の堀川陽一です!貴方は一体どういう方なんですか!?警察でも救命士でも医者でもないようですが?」
「私は探偵です。一応は法医学も学びましたので…。」
「だから?これは私の妻です!なぜ抱え起こすことすら駄目なんですか!」
「毒殺だからです!いかな家族でも、触れたら証拠を汚染しかねないんですよ!」
 私がそう言うと、陽一氏は唖然として言葉を失ってしまった。陽一氏の後ろにいた従業員二人も、私の発言に動揺を隠せないでいた。
「あなた…。ここじゃあれだし、一旦隣の部屋で…。」
「そうだな…。亜希、皆をそこへ。僕は藤崎が来るまで見張ってるから。多分、そろそろ警察も到着するだろうからね…。」
「分かったわ。」
 そう言うと、亜希は陽一氏と二人の従業員に言って部屋へ入ってもらったのだった。
 別段、何の変わりもない。ただ、そこに女将が倒れて骸となり果てているだけ…。それが春の日を受け、まるで良くできた置物の様にピクリとも動かない。日常の中にある非日常の異物…これが人間としての最期と言うのならば、あまりにも無情だ。外では小鳥が囀ってさえいるのに、なぜ女将が死ななくてはならなかったのか?一体何が…。
「君か?相模君と言うのは。」
 私が考え込んでいると、いきなり声を掛けられたため驚いて振り返った。そこには四人の人物がいた。一人は藤崎だが、他三人は警察関係者だろう。一人はスーツを着て、一人は警官服を着ていた。残る一人は白衣を纏っているから、恐らくは検死官だろう。
「はい。私が相模です。」
「私は警部の松山だ。この藤崎君から大体の話は聞いたが、君からも聞かせてもらいたい。あ、瀬崎君。一先ず調べてくれないか?息があれば救急も来てるから、直ぐに搬送出来るから。」
 この松山って警部…本当に警部なのか?こんな暢気にやっていて、生きてたら大変じゃないか…。瀬崎って奴も、どう見たって病院の医師には見えない。ま、心肺停止は私が確認したから警察を呼ぶ様に言ったんだが…。それにしたって…なぁ…。
「警部。やはり毒による中毒死だと考えられます。これは隣町まで搬送して検死解剖してみないと…。」
「死亡推定時刻は?」
「彼から聞いた話と合います。死後三十分は経ってないと思います。しかし…人工呼吸しなくて良かったですよ。」
 何だか変な発言をしているなぁ…。一応、隣の部屋には旦那さんがいるんだが…。
「なぜだ?」
「口の中なんですが、なぜか毒物がかなり多く残ってるんですよ。普通、自殺でも他殺でも、こんなにはっきり分かる程は無いと思いますよ?」
「はぁ?」
 松山警部は眉間にシワを寄せ、瀬崎のところへと行った。化学反応で調べてるんだろうが、濃度が高いと言うことなんだろう。
「瀬崎。こりゃ…どういう意味だ?」
「簡単にいいますと、これだけの濃度であれば、軽く数十人は殺害出来るってことです。あ…これ、何ですかねぇ?」
 会話の最中、瀬崎が何かを見つけたようで、亡くなった女将の口の中にピンセットを入れて何かを取り出した。
「桜の花弁ですかねぇ…。」
 松山警部も、取り出された花弁をまじまじと見ていたが、不意にこちらに振り返って言った。
「不思議なんだが、何で毒だってのが分かったんだ?それに、お前達の頭や肩に付いているそれ…桜の花弁に見えるんだがなぁ…。」
 そう言われて、私は頭や肩を手で払ってみると、数枚の淡い桃色の花弁がハラハラと舞い落ちた。それは小さな花弁で、一目で山桜のものだと分かった。だが…あるはずがない。だとすれば、考えられることは一つだ。
「京…これ、昨日の…。」
「そうみたいだな…。」
 私と藤崎は顔を見合せていると、松山警部は不審がって私達に言った。
「君達、ちょっと署までご同行願おうか。佐野君、この二人を車までご案内して。」
「ちょっと待って下さい!私達は昨日この旅館にきたばかりですよ?事情聴取でしたらここでも良いじゃないですか。」
「まぁな。だが、一緒にきてもらう。佐野君、直ぐに署まで連れてってくれ。」
 松山警部は有無を言わさず、佐野さんに私達を警察署へと連れて行くよう言ったのだった。
「京…。」
「ま、仕方ないか。昨日のことは話しても信じてもらえないだろうしな。」
 藤崎は暢気な顔をしてそう言いはするが、私は仕事柄あまり好ましいことじゃあない…。しかし、この後も事件は立て続けに起こることになる。

 この女将の死は、まだ事件のほんの序章に過ぎなかったのだ…。



 
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