絵に込められたもの
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3部分:第三章
第三章
絵が完成したのは早かった。何故なら田山は不眠不休で描いたからだ。その間碌に何も食べず描き続けたという。完成した絵は画廊を経営している杉原でさえ見たことのないような恐ろしい絵であった。
「完成したな」
「この絵を頼む」
描き終えた田山は痩せこけ目だけが異様に飛び出た顔で彼に絵を託したという。
「君の画廊に飾ってくれ」
「私の画廊にか」
「頼む」
一言だったという。
「それだけが頼みだ。今は」
「この絵を。飾るだけでいいのか」
「そう。それだけでいい」
やはりここでも取り憑かれたような言葉だったという。
「それだけで済む。だから」
「それだけで済む」
この言葉の意味も全くわからなかったという。だが彼は答えたのだった。他ならぬ親友の頼みということもあったがそれ異常に断ることのできない恐ろしいものを感じていたからだ。
「それだけでか」
「いいな」
地の底から響き渡るような言葉だったと聞いた。
「では頼むぞ」
「ああ、わかった」
「そうすれば全てが終わる」
その地の底から響き渡るような声がまた聴こえたときは心の奥底からぞっとした。彼は僕にもこう語った。僕もこのことははっきりと覚えている。
「全てがな」
「全てが」
「そうだ」
ここでぞっとする笑みを浮かべたという。彼が今まで浮かべたことなぞない。
「それで終わるんだ」
「何はともあれ終わるんだな」
「ああ。終わる」
言葉が不気味に繰り返された。聞いているだけの僕にもそれが伝わった。
「それでな」
「わかった。じゃあ置こう」
杉原は静かに彼に対して頷いた。
「絵を。それでいいな」
「頼む。そうすれば後は思い残すことはない」
田山のこの言葉もまた非常に謎めいていたものだったという。少なくともそれは普通の人間の言葉ではなかった。こうして絵が画廊に飾られて数日経った時。画廊に一人の女がやって来たのだった。その女は。
「な・・・・・・」
杉原はその女の顔を見て思わず言葉を失った。何故なら。
「馬鹿な、そんな筈がない」
「来たか」
ずっと彼と共にいた田山は女の姿を認めてこう言ったという。
「遂にここに」
「遂に。じゃあ君はまさか」
「必ず来ると思っていた」
不思議な言葉だ。どうしてそう思えたのか全くわからない。しかし彼がここでこう言ったのは紛れもない事実だと。杉原は真剣な顔で僕に語った。
「ここに」
「あの女の顔は」
「見るんだ」
田山はまた言った。
「あの女は。絵に」
「絵に・・・・・・」
「近付いて来る」
彼の言葉に合わせるかのように女は絵に近付いた。すると女と絵がまるで鏡合わせの様になった。その瞬間だった。
「私が、私が・・・・・・」
女は絵を見て呻き声を出した。
「どうして私がここに」
「御前だ」
田山は異様に浮き出た目で呟いた。
「御前が家族を。私の家族を殺した。わかっている」
「私が私を見ている」
その時杉原は見た。何と絵が動いているのを。絵は自分と同じ顔を持っている女を見て笑っていた。不気味なまでに恐ろしい笑みを浮かべて立っていたという。
「あの時の様に」
「あの時の様に!?」
「鏡だ」
また田山は呟いた。
「鏡に残っていた御前の姿だ。私はそれを描いたのだ」
「馬鹿な、そんな筈がない」
杉原はすぐに彼の言葉を否定した。
「鏡に映っていたとしても。すぐに消える筈だというのに」
「私は見た」
田山の呟きは続く。
「御前の姿を。そしてわかっていたのだ、御前が何時何処に出て来るのか」
「そんな、こんな・・・・・・」
「見ろ、己の顔を」
杉原は女を見つつ言った。
「己の醜い顔を。とくと見ろ」
「ああ、ああ・・・・・・」
女は呻いたまま倒れた。そしてその場に倒れ込み動かなくなった。心臓が止まり息を引き取ってしまったのだ。絵は何時の間にか元の姿に戻り動かなくなっていた。だが女はこれで完全に息絶えてしまったことは事実でそれが変わることはなかったのであった。
その後警察の取調べで女は指名手配中の連続殺人犯だとわかった。強盗だけでなく殺人に快楽を見出す所謂快楽殺人者だった。田山の家族はその快楽殺人者の犠牲となったのだった。そのことがわかったのは女が死んでからずっと後のことであったのだった。
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