ほのぼの瀬戸内
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ほのぼの瀬戸内
ここは瀬戸内、厳島。
神に斎く島と言う語源の通り、古代からこの島そのものが信仰の対象として崇められてきた歴史がある。
過去には平清盛が仙人のお告げに従い、ここを手入れし、以降平家一門に崇敬された歴史があるが、今は中国の領主安岐の守護者毛利元就の崇敬の下、朽ちていた神殿もすっかり建て直され、波間に美しい景観を映していた。
「それで、何故貴様はここにおるのじゃ」
「何故と言われても」
毛利は目の前の長曾我部をジッと見、そして彼が連れて来た初見の若い夫婦を眺める。
厳島社殿に近い毛利の館である。
日頃は吉田郡山の城にいることが多いのだが、近頃はこの長曾我部元親が瀬戸内の海を荒らすせいで一年の殆どをここで過ごすようになってしまった。
それはそれとして。
問題は長曾我部が連れて来た夫婦である。
「まつさんが厳島を見たことがないってえからよ」
海辺で戯れる利家とまつの夫婦を見ながら長曾我部は口元を綻ばせ、逞しい腰に両手を休めて潮風を肺に吸い込む。
それが何だと毛利は呆れた視線を長曾我部に送った。
「何だよ、その顔は」
「答えになっておらぬ」
「立派な答えだろ」
「我が問うておるのは何故貴様が奴らを我が所領に上陸させ、他国の貴様等が我が物顔で我の領地をうろついておるのか、そのことを問うておるのじゃ」
「だから、まつさんが厳島の大鳥居を見たいって言うからって言ってんだろうが」
話の分からない男である。
ただそれは長曾我部も同じことを思っていて、互いに苛立ちながら目の前の相手と睨み合った。
「まあ、いいじゃねえか。たまにゃ物々しい戦は忘れてよ、隣国同士、仲良くやろうじゃねえか。なっ」
長曾我部が馴れ馴れしく肩を叩こうとするのを毛利はさっとすり抜け、避ける。
彼が避けたせいで長曾我部は手持ち無沙汰の左手を下げることが出来ずにわなわなと震わせた。
「相変わらず可愛くねえ……、惚れ惚れしちまうぜ」
「それは結構。貴様はともかく、加賀のどこと我が安芸が隣接していると申すか。即刻、あの者らを連れて去るが良い」
「なんと、猿を御所望かな。夢吉の踊りならいつでもお見せするぜ」
「!!」
新たな声に振り返ってみると、長曾我部と大差ないような大男が優男風の整った顔に微笑を上らせて毛利と長曾我部の二人に笑いかけていた。
「よう、慶次。あんたもついたか」
「うちのトシとまつ姉ちゃんが世話になったようだね。礼を言うよ、元親。毛利の兄さんも久し振り」
前田慶次。
加賀領主、前田利家の義理の甥である。
長曾我部とも対面したことがあるが、この厳島に単身乗り込んで来たこともあり、毛利とも面識があった。
慶次が夢吉と呼ぶ猿が毛利を見るなり眼を輝かせて、彼の肩から毛利へ飛び移ろうと突進してくる。
咄嗟に長曾我部の後ろに隠れた為、夢吉は盾になった長曾我部の顔面にぶち当たった。
毛利が長曾我部の腕に隠れたことが意外だったのだろう。
慶次の視線を感じた為、毛利は何事もなかった風を装って長曾我部の後ろから歩み出て咳払いをし、ごまかした。
「夢吉はあんたがお気に入りみたいだな。でも駄目だよ、この兄さんは夢吉のこと好きじゃないからね」
猿が人語を理解するとも思えないが慶次は夢吉にそう諭して自身の猿の鼻を指で擽った。
キキッと陽気な声を立ててその指に纏い付く夢吉をまた肩に乗せて、慶次は長曾我部と毛利の二人に話し掛ける。
「事情は元親から聞いたと思うけど、一晩ここに世話になるよ。明日には出立するから気にしないでくれ」
「なに? 」
まつが厳島を見たいと言うから連れてきたと言う話は聞いたが、彼らを泊めろと言う話は聞いていない。
毛利が下から長曾我部を睨むと、すっかり忘れていたのか長曾我部は頬を掻いてごにょごにょとごまかしていた。
「貴様、何を勝手に」
「いいじゃねえか。石高七十万石の俺様が快く泊めてやったんだぞ。中国一帯治めてる百万石の領地を持つあんたが細けえことをごちゃごちゃ抜かすんじゃねえよ。まったく、ケチくせえったらねえなあ」
「貴様がどうしようと貴様の勝手だが、それを我に押し付けるでないわ! それにこれはケチとかそう言う問題ではない! 」
長曾我部を叱りつけ、彼の背と言わず、腹と言わず打ちつける毛利とのやり取りに、端で見ていた前田慶次は呆れ、どうしたものかと困惑顔を浮かべていた。
「ま、お隣さん同士、仲良くしてるようだし、結構、結構。まつ姉ちゃんとトシに挨拶してくるか」
持ち前の明るさで笑い飛ばすと痴話喧嘩を続ける瀬戸内の二人はそこに置いて浜辺にいる松と利家の方へ歩き出した。
午後に入り、飯の時間になると毛利の屋敷はいつにない騒がしさで賑わった。
気難しい主の館の為、日頃はとても閑静で落ち着いた雰囲気を醸し出している屋敷なのだが、今日は加賀領主利家の妻、まつの手料理が食べられるとあって、少し離れたところに館を構える将まで毛利の屋敷を訪れていた。
「いやあ、以前、松さんの手料理を食べた兵から、利家殿の内裏の手料理は三国一と聞き及んでおり、是非、食してみたいと思っておりました」
「まあ、ホホホ。それは嬉しゅう御言葉に御座います。お粗末な手前では御座いますが、皆様方、どうぞたんとお召し上がりになって下さいませ。毛利殿の兵の皆様もこのまつめが御守り申し上げます」
まつの陽気な笑い声に館も暖かい空気に包まれる。
面白くないのは兵を懐柔された毛利である。
「何なのだ、あの女」
「あん? 」
毛利の呟きを聞き逃さず、長曾我部がどうしたと問い返す。
しかし、その彼もしっかりまつの作った料理を口に頬張っている為、毛利は不甲斐ない彼の相手である長曾我部を睨み付けて不満の吐息を吐き出した。
「何、怒ってんだよ。いいじゃねえか、飯ぐれえ」
「あれは我が倉の備蓄ではないか。それを勝手に」
「あんたも食えよ。旨いぞ」
「貴様など大根を喉に詰まらせ死ぬが良い」
「またそれかよ」
口を開けば文句ばかりの恋人に呆れ、長曾我部は構わず残りの味噌汁を平らげることにした。
「にしても料理上手な嫁さん、いいよなあ」
何気なく言った一言がまた毛利の癇に障る。
「まつさん、別嬪だしよ。気立てのいいしっかり者で、しかも男を立てる! 悪いとこ一つもねえじゃねえか」
隣で聞いていたこれまたまつの手料理を頬張っていた慶次が、
「まつ姉ちゃんの悪いとこだって? 残念ながら一つだけあるぜ」
と口を挟む。
「へえ。どこに悪いとこがあるんだよ。俺からみたら完璧だぜ」
「太郎丸、次郎丸、モグラの三郎丸、狼の四郎丸。極めつけは熊の五郎丸。みんなまつ姉ちゃんの手下だよ。槍を持たせりゃ男顔負けだし、旨い飯は食わせてもらえるけど、トシみたいにまつ姉ちゃんの尻に敷かれてなきゃとても夫婦なんてやっていけないぜ。元親じゃ、まあ、根気が足りなくて無理だね。あんたが癇癪起こして終わりさ」
「何抜かしてやがる。俺ほど寛容な男もいねえよ」
「はははっ」
慶次は笑って済ませたが、実際、長曾我部はこれでもなかなか寛容だ。
何しろ毛利の相手をしているのだ。
寛容でなければとても相手は務まるまい。
「……くだらぬ」
まつ、まつうるさい男どもに嫌気が差し、毛利は食事も摂らずに立ち上がる。
「どこ行くんだよ」
それに気付いた長曾我部が声を掛けたが、毛利は返事もせずに行ってしまった。
見送った元親と慶次が顔を見合わせる。
「毛利の兄さんご機嫌斜めだね」
「気にすんな。いつものことだ」
「まあ、気にしろと言われても気にしないのが前田流だけどさ」
陽気に笑い、まつにおかわりをもらいに立ち上がる慶次に長曾我部も笑みを誘われ、微笑んだ。
それにしても毛利は本当に拗ねて館を出て行ってしまったようだ。
「やれやれ。腹も膨れたし、領主様のご機嫌取りに行ってくるか」
重い腰を持ち上げ、立ち上がると毛利を探して外へ出た。
汗ばむ暑さだが、夜風が肌に心地良い。
毛利の行く先は分かっているのだ。
海岸線をぶらぶら歩き、瀬戸内の海に浮かぶ大鳥居が臨める場所までやってきた。
長曾我部の思った通り、そこに佇む毛利を見つけ、彼の背後に歩み寄る。
潮の香りにのって、毛利が愛用している玉の高貴な香りが長曾我部の鼻孔を擽った。
「何、拗ねてんだよ」
長曾我部の足音に気付いた毛利が彼を振り返る。
「考え事をしていただけだ」
「余り気難しく眉間に皺ばかり寄せてると、ここに立て皺寄っちまうぜ。せっかくのあんたの美貌が台無しだ」
美貌と褒めそやされて毛利は顔を顰めながらも頬に血の気をのせる。
指で眉間を撫でてから、長曾我部がその動作を一部始終眺めていることに気づいた毛利はすかさず手を離した。
「貴様は飯でも食ってれば良かろう」
「もうたらふく食ったよ。あんたこそ腹減らねえのか」
「一食食わぬぐらいどうと言うこともない。館を荒らされ、不愉快な思いをさせられて呑気に飯など食えるか」
「不愉快はねえだろ。前田の夫婦も慶次も三人ともいい奴らだよ」
「それがくだらぬと申しておる」
「へえ、そうかい」
つくづく癇に障る物言いをする男だ。
恋人の顔を睨むと、毛利は鬱陶しそうに舌打ちして彼のそばを離れようとした。
そんな毛利の身体は長曾我部の腕に抱きかかえられ、身体の向きを正面に変えられる。
唇に向かって長曾我部の顔が下りてきた。
幾ら何でもこんなところでそんな真似が出来るかと抗いはしたが、
「どうせ誰も見てねえよ。みんなまつさんの手料理に夢中だ」
長曾我部に言われて、渋々と受け入れる。
温かい舌の感触にささくれ立った心が溶かされ、毛利の身体から力が抜けていった。
瞼にも口付けを落とされ、俯いた彼に合わせて腰を屈めた長曾我部にまた唇を奪われる。
「あんたの拗ねてる顔、実は嫌いじゃねえんだよな」
ニヤリと笑う長曾我部の余裕に腹が立ちながら、同時にそんな彼が好きなことも思い知る。
勿論、自分の感情を表に出したがらない毛利だから、そんな言葉を口にして長曾我部を喜ばせる気など微塵もない。
ただ、わざわざ表現しなくとも長曾我部には伝わっているようで、彼が毛利に向ける瞳にも穏やかで深い愛情が溢れていた。
言葉に詰まった毛利は自分を見下ろす彼の目から視線を逸らす。
しかし、毛利の身体は長曾我部の腕で後ろからがっちりと縛られていて、背中で彼と密着し、身体の熱を分け合った。
「もしかして俺が嫁さん欲しい話したから拗ねてんのか? 」
そんな訳があるかと喉元まで出掛けたが、毛利は言わずに鼻でせせら笑った。
「いつでも妻を娶れば良かろう。貴様の自由だし、我が束縛することでもあるまい」
「どっこい、俺は束縛されても全然構わねえどころか、むしろそのぐらいあんたに惚れられてえ。あー…、でもあんたが女を抱くのは駄目だ。そりゃ考えたくねえ」
「……離せ」
「嫌だね」
短く肩で笑って長曾我部は毛利の耳元に齧りつく。
「あんたは俺の物でいればいい。その間は俺もずっとあんたの物だ」
旨い飯など作れぬが──、言いかけて自分がとても恥ずかしいことを考えていると思い直し、毛利は頬を紅潮させた。
それを見た長曾我部がおかしそうに笑う。
「あんたの悪いところは勝手に解釈して、自分ひとりで結論付けて、俺の考えてることまであんたの杓子に当てはめちまうことだな。俺の気持ちは俺にしか分からねえ。疑う前に俺自身に聞けよ。あんたの気持ちも、俺が勝手な解釈しねえであんたに聞くからよ」
赤らんだ毛利の頬に口付けて、腕の力を強くする。
毛利の柔らかい黒髪に心地良さそうに鼻を擦り付けた。
「長曾我部」
「ん? 」
横柄な彼の返事もむしろ好ましくおもいながら、毛利はもぞもぞと長曾我部の腕の中でもがいて身体の向きを変えた。
彼の胴に腕を回すと笑いながら更に腕の力を強めてくる。
「なんか猫を抱き締めてる気分だな」
「猫は猫でも猫又よ。貴様など呪い殺してくれる」
「へえ、そりゃ楽しみだ」
口の減らない彼の脇腹を小突き、毛利は居心地良い腕の中に身体を沈めた。
このまま二人で海の青に溶けていきたい。
しかし、それは口にはしないで心の内にしまっておいた。
「やれやれ。険悪なのかと思ったら、そうでもないじゃないか。なあ、夢吉」
遠くに見える二人の重なった影を眺めながら、慶次は肩の猿に話し掛ける。
「命短し、恋せよ乙女ってね。あ、でも乙女以外には当てはまんないのか、これ? 」
首を捻る慶次に答えるかのように夢吉がキキキッと鳴く。
長曾我部と毛利の二人に聞こえないように慌てて夢吉の口を塞ぐと、慶次は彼らの邪魔をしないようにそっとその場を離れ、利家とまつの元へ帰って行った。
end
20150605
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