外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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もしも ~ 其処に有る危機(4)
帝国暦 487年 4月 28日 オーディン 士官学校 ミヒャエル・ニヒェルマン
ヴァレンシュタイン校長閣下の背中が見えた。書棚から本を抜き取って表紙を見ている。皆で顔を見合わせ頷いた。そして驚かさないようにゆっくり近づく。閣下は気付かない。手に取った本をめくり始めた。閣下は良くこの図書室に来て本を読んでいる。時々僕達と話す事も有る。気さくな人だ。
あと三メートルまで迫った。そろそろかな? 皆に確認を取ると頷いた。せーので声を合わせようと思ったら閣下が振り向いた。僕達を見てニコニコしている。
「如何したのかな?」
「あ、その、えーと、……せーの」
「おめでとうございます」
皆で声を合わせて“おめでとうございます”というと閣下が不思議そうな表情をした。
「何かあったかな?」
「あの双頭鷲武勲章を授与されるって聞きました」
「ああ、あれか」
あれ? あんまり嬉しそうじゃない。双頭鷲武勲章なんだけど……。皆も不思議そうな顔をしている。
反乱軍がイゼルローン要塞を攻略しようとした。要塞内に帝国軍兵士に扮した反乱軍兵士を潜入させようとした。でも帝国軍はその策略に引っかからなかった。潜入した反乱軍兵士は捕えられ反乱軍の艦隊は撤退した。危ないところだった。反乱軍の策略を防げたのはヴァレンシュタイン校長がイゼルローン要塞を反乱軍が騙し討ちで攻略しようとする可能性が有るって帝国軍三長官に警告したからだ。そして帝国軍三長官はその警告をイゼルローン要塞に伝えた。凄い話だよ。反乱軍の作戦を見破ったのも凄いけど帝国軍三長官に警告したって言うのも凄い。校長閣下は帝国軍三長官と密接に繋がっている実力者なんだ。
今回の攻略戦において校長閣下の功績は大きい。閣下が警告を発しなければイゼルローン要塞は反乱軍によって攻略されていたかもしれない。その功によって双頭鷲武勲章を貰う事になったって聞いているけど……。
「気遣いしないで欲しいと頼んだのだけれどね」
気遣い? 誰に頼んだのだろう? 軍務尚書かな。
困ったな。本当はワッと盛り上がって皆で作戦の事を聞こうと思っていたんだけどちょっと聞き辛い。如何しようと思っていたら“ヴァレンシュタイン中将”と呼びかける声がした。三十代半ば、銀灰色の髪を持つ長身の男性だった。この人も帝国軍中将だ。三十代半ばで中将なら校長閣下には及ばないけど十分に出世は速い。
「リューネブルク中将、珍しいですね、如何したのです」
リューネブルク中将? この人装甲擲弾兵のリューネブルク中将だ。有能だって言われているけど逆亡命者だから上層部から危険視もされているって聞いている。ヴァレンシュタイン校長閣下と親しいと聞いていたけど本当なんだ。皆も吃驚している。良いのかな、そんな人と親しくて。
「相談に乗って欲しい事が有るのです。校長室に行ったら図書室だろうとフィッツシモンズ少佐に言われましたのでね」
校長閣下がニコニコしている。嬉しいのかな。
「迎えに来てくれたのですか」
「ええ」
「分かりました」
それを機に閣下は僕達に“じゃあ”と言って図書室を出て行ってしまった。残念、作戦の事を色々聞きたかったのに……。それにしてもリューネブルク中将が危険だなんて全然気にしていないんだな。
帝国暦 487年 4月 28日 オーディン 士官学校 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
リューネブルクと共に校長室に戻るとヴァレリーがお茶の準備をして待っていた。応接用のソファーに坐ると俺にはココア、リューネブルクにはコーヒーを出してくれた。
「双頭鷲武勲章を授与されるそうですな、おめでとうございます」
「有難うございます。それで頼みとは」
お互い暇じゃない、それに俺と会うと憲兵隊や情報部にチェックされる。会っている時間は短い方が良いだろう。挨拶も早々にここに来た理由を促した。リューネブルクも分かっている、一つ頷くと話し始めた。
「反乱軍のイゼルローン要塞攻略は失敗しました」
「ええ」
ちょっと驚いたよな、この時期にイゼルローン要塞攻略なんて。思ったより同盟は追い詰められているようだ。それに動員したのは半個艦隊じゃない、三個艦隊は有ったと聞く。ラインハルトは危なかった、一つ間違えば同盟の物になったイゼルローン要塞に突っ込むところだった。かなりの損害を受けただろう。
「要塞内に兵を送り込んだそうですが捕虜になった」
「そのようです」
なるほど、なんとなく分かった。
「その捕虜を助ける事は出来ませんか、捕虜はローゼンリッターなのです」
「……シェーンコップ大佐ですか」
「はい」
常に不遜さを漂わせているリューネブルクが切実さを出している。らしくないが人間的には可愛げが有る。ヴァレリーを見たが彼女も同様だ。心配なのだろう。
「難しい事は分かっています。反乱軍の兵士、まして亡命者を助けるなど通常なら不可能。しかしヴァレンシュタイン中将なら……」
「……」
ローゼンリッターでは反逆者、裏切者として処刑される事も有り得るだろう。運良く捕虜収容所に入ってもあそこは劣悪な環境だ。ローゼンリッターは帝国だけではなく同盟でも受けが悪い、生きていくのは至難だろう。
「軍上層部に掛け合って頂けませんか。彼らを帝国軍に迎え入れると。フィッツシモンズ少佐の例もあります」
「説得するというのですか?」
「はい。味方になれば心強い男達です」
「中将の気持ちは分かりますがシェーンコップ大佐達がそれを受け入れると思いますか? 彼らは男ですよ?」
ヴァレリーの場合は性的な部分で危険が有った。だから彼女も亡命を受け入れた。しかしシェーンコップ達は男だ。命が危険だからと言って亡命を受け入れるとは思えない。リューネブルクも分かっているのだろう、苦しそうな表情をしている。
「……難しいとお考えですか?」
そんな縋る様な目をするな、リューネブルク。少し苛めたくなるじゃないか。
「難しいでしょう。彼らを説得するのも軍上層部を説得するのもです。彼らは既に一度亡命しています。自らの意志で逆亡命するのならともかく中将に説得されてでは軍上層部を納得させる事は難しいと思います」
「……」
返事が無い。リューネブルクもその事は分かっているだろう。自発的に逆亡命してさえ三年間戦場に出る事は無かったのだ。それほどまでに亡命者というのは信用されない。何処かで疑いを持たれる。
「帝国に受け入れる事を考えるのではなく向こうへ還す事を考えた方が良いと思いますね」
「しかし、そんな事が可能でしょうか? 捕虜を還すなど」
リューネブルクとヴァレリーが顔を見合わせた。二人とも訝しげな表情をしている。
「ローゼンリッターだけを助けるというのは難しいでしょう。特別扱いは出来ない」
「……と言いますと?」
とうとうヴァレリーが参戦した。
「捕虜全員を還すのです」
「捕虜全員……、交換、ですか」
その通りだ、リューネブルク。なかなか鋭いじゃないか。
「期末試験が終わったら帝国軍三長官にレポートを出す事になっています。そこで捕虜交換を提案してみましょう」
アルテミスの首飾りはその次のレポート提出にお預けだ。リューネブルクがウンウンという様に頷いていたが俺に視線を向けてきた。
「上手く受け入れられるでしょうか?」
「それは分かりません。ですがシェーンコップ大佐達を説得するよりは良いと思います。軍上層部も受け入れやすいでしょうしシェーンコップ大佐達が負い目を持つ事も無い」
「そうかもしれませんな」
リューネブルクが頷いた。恩着せがましくするのはリューネブルクも望むところではないだろう。
「帝国は約二百万の捕虜を抱えています。反乱軍も同様でしょう。それが戻って来るとなれば軍の編成にも余裕が出ます。それに捕虜交換が実現すれば政府に対する平民の不満も軽減出来る、その辺りを指摘すれば……」
「なるほど」
リューネブルクがウンウンと頷いていたが俺を見て不敵に笑った。らしくなって来たじゃないか。可愛げが消えたぞ。
「リヒテンラーデ侯を捲き込むのですな」
「その方が良いでしょう。軍としても動き易い筈です。授与式で陛下にお願いするという手も有りますがそれをやると陛下を利用して政治、軍事を動かしていると周囲の反発を招きかねない」
リューネブルクとヴァレリーが顔を見合わせ頷いた。
「宜しくお願いします」
二人が頭を下げた。用件が済むとリューネブルクは直ぐに帰った。寂しい話だが已むを得ない。危険と思われているのは俺だけじゃない、リューネブルクも同様なのだ。
ラインハルトは敵を追っている様だが如何なるかな。武勲を上げる事が出来れば元帥に昇進も可能だ、原作に近い流れになるだろう。帝国はラインハルトの手で改革され宇宙は統一されるかもしれない。だが武勲を上げられない様だとちょっと厳しい。ラインハルトは皇帝には成れないかもしれん。だとすると帝国はこのままか?
面白く無いな。これ以上門閥貴族の横暴など見たくないし宇宙が地球教とフェザーンの物になるのも御免だ。警告を出す必要が有る。だが今じゃない、少しずつタイミングを見計らってだ。その時はリヒテンラーデ侯は発狂するかもしれない、或いは発作でも起こすか、楽しみだな。だが先ずは軽くジャブの一発も叩き込んでおくか。
帝国暦487年 5月 3日 オーディン 新無憂宮 黒真珠の間 フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト
広大な黒真珠の間には大勢の人間が集まっていた。大貴族、高級文官、武官が幅六メートルの赤を基調とした絨緞をはさんで整然と列を作って並んでいる。俺もその一人だ、正規艦隊司令官フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将。かつては遥か下座で参列していたが今ではかなり上座に並ぶ事となった。俺の年齢からすれば異例といって良いかもしれない。
古風なラッパの音が黒真珠の間に響いた。その音とともに参列者が姿勢を正す。俺も姿勢を正した。
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」
式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が響いた。そして参列者は頭を深々と下げる。
国家が流れ終ってから頭をゆっくりと上げた。皇帝フリードリヒ四世陛下が豪奢な椅子に座っていた。顔色が良くない、皇帝は何処か疲れた様な表情をしていた。
「士官学校校長、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン殿」
式部官の朗々たる声がヴァレンシュタイン中将の名を呼んだ。その声とともに絨毯を踏んで中将が陛下に近づいてくる。
気に入らん、どうして中将なのだ。本来なら大将、宇宙艦隊副司令長官だった筈だ。それが中将で士官学校校長? 馬鹿げている! それに今回の武勲で何故昇進しないのだ。ヴァレンシュタイン中将が居なければイゼルローン要塞は反乱軍の物になっていたかもしれんのだ。そうなれば帝国の安全保障は重大な危機に曝されていただろう。
ヴァレンシュタイン中将の武勲は他者の追随を許さぬ。俺達も艦隊編成では随分と世話になっている。言葉では言い尽くせぬ程だ。それを考えれば勲章だけで済ますなどおかしいではないか。納得がいかん! 軍上層部は中将に出世欲が無い事を良い事に中将を不当に扱っている、俺にはそうとしか思えない。
ヴァレンシュタイン中将が陛下の前で膝を着いて頭を下げた。
「ヴァレンシュタイン中将、今度の武勲、まことに見事であった」
「恐れ入ります」
「そちは今士官学校の校長だそうだな」
「はっ」
「ふむ、妙な所に居るな。そちには詰まらぬのではないか?」
当然だろう、そんな事は!
「そのような事は有りません。生徒達と毎日を楽しく過ごしております」
「そうか……。立つが良い」
陛下が立つ事を命じたにも拘わらず中将は起立しなかった。
「如何した? ヴァレンシュタイン」
「恐れながら、勲章の授与は辞退いたします」
黒真珠の間にざわめきが起きた。皆が顔を見合わせている。ロイエンタール、ミッターマイヤー、皆訝しんでいる。
「その代わりと言っては何ですが陛下にお願いがございます」
リヒテンラーデ侯が“控えよ! ヴァレンシュタイン”と叱責したが陛下が“よい、言うてみよ”と中将に発言を許した。
「今月二十五日に士官学校で卒業式が有ります。陛下の御臨席を賜りとうございます」
またざわめきが起きた。中将の事だから私利私欲の願いではないと思っていたが卒業式か。
「予に卒業式に臨席せよと申すか……」
「陛下の御臨席を賜れば卒業生達も感激致しましょう。そして誇りを持って戦場に赴くでしょう」
「ふむ、そちは無欲よの。……良かろう、その願い聞き届けた。卒業式には出席しよう」
「はっ、有り難き幸せ」
陛下が何を思ったか笑い声を上げた。そして笑うのを止めると中将を覗き込むように身を乗り出した。
「そちはなかなか駆け引きが上手いの。皆の前で予に約束させるとは。これでは破れぬの」
「そのような事は……」
「無いと申すか?」
陛下がまた笑い声を上げた。
陛下の御臨席か、羨ましい事だ。俺の時には軍務次官が来て終わりだった。卒業し任官する事への嬉しさは有ったが感動の様なものは無かったな。……そうか、陛下が御臨席されるとなれば帝国軍三長官も無視は出来ん。いや、三長官だけじゃない、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も出席するかもしれない。盛大な卒業式になるな。俺も行ってみるか、正規艦隊司令官なのだ、出席してもおかしくは無い……。
帝国暦487年 5月 10日 オーディン 新無憂宮 エーレンベルク元帥
レポートを読んでいたリヒテンラーデ侯がジロリと私達を見た。好意等欠片も感じられない。新無憂宮南苑にある陰鬱な部屋には似合いの表情だ。
「相変わらず落ち着きのない男だ……。今度は捕虜交換か……」
リヒテンラーデ侯が渋い表情で呟いた。唯一の救いはその非好意的な感情が我々に向けられたものではない事だろう。
「それで卿らはどう思うのだ」
リヒテンラーデ侯が私、シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥を見た。
「捕虜が戻ってくるとなれば軍としては大いに助かります。新兵を一人前にするのは容易ではありません」
私が答えるとあとの二人が頷いた。軍務尚書というのは不利だ。どうしてもこういう時は返事をする立場になる。輪番制にしてみるか。
「閣下は如何お考えですか?」
考え込んでいるリヒテンラーデ侯に思い切って問い掛けるとまたジロリと睨まれた。
「悪い案ではないな。政府としても何らかの形で平民達の不満を解消したいと考えていたところだ。捕虜が還ってくるとなれば平民達も喜ぼう。一石二鳥、悪い案ではない」
悪い案ではない、二度繰り返した。だが表情は緩まない。
「しかし政府主導というのが気に入らぬ」
やはりそこか。帝国は自由惑星同盟を国家として認めていない。政府主導で捕虜交換を進めれば政府が自由惑星同盟を国家として認める事に繋がるのではないか、貴族達に非難されるのではないかと懸念している。侯が三度我々をジロリと睨んだ。
「軍主導ではいかぬのか?」
「政府主導の方が効果は有ります。国家的行事として大体的に行った方が平民達も喜びましょう。ヴァレンシュタインもそう言っております」
「……」
面白くなさそうな表情だ。しかし軍には軍の懸念が有る。交渉すれば軍だとて反乱軍を対等に扱った等と非難されかねない。後々あれは軍が勝手にやった事などと言われては堪らぬ。もう一押しするか。
「それに軍主導となればローエングラム伯が張り切るでしょうな」
「……捕虜交換を機に平民達の心を掴もうとする、そういう事だな」
「はい。点数を稼がせる事は有りますまい」
「それもあれが言っているのか?」
「いえ、これは小官達の意見です」
シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥が頷いた。リヒテンラーデ侯の渋面が益々酷くなった。
「良かろう、捕虜交換は政府主導で行う。但し軍からの起案によりだ。それをもって陛下の御許しを得る」
「分かりました、早急に起案書を出させて頂きます」
つまり責任は折半という事か。まあ悪くないな。シューマッハに起案書を書かせるか。
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