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SNOW ROSE

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兄弟の章
  I


 メルテという村に、仲の良い兄弟がいた。
 この兄弟の両親は、六年程前に馬車の事故により亡くなっており、今は祖父母の下に身を寄せている。

 弟の名はケイン。病弱である彼は外へ出ることも儘ならず、大半はベッドの上での生活であった。
 兄の名はジョージ。弟ケインを支えながら、祖父母の支援を受けて勉学を続けていたのである。

「ケイン、起きていて大丈夫なのか?顔色が悪いようだけど。」
 ケインの部屋に入って来たのは兄のジョージだった。弟の面倒を一番よくみているのは、この兄であった。
「兄さん。今日は日和りがいいから、朝から気分が良いんだ。」
 兄の心配を余所に、ケインは微笑みを返してきたので、ジョージはホッとした。
「それなら良かった。さぁ、お婆さんがスープを作ってくれたから。」
 ジョージはそう言うと、ベッドの傍らにあるテーブルに皿を置いた。そして近くにあった椅子に腰を下ろし、ケインに話し掛けてきた。
「なぁ、ケイン。俺さ、学校辞めて働こうと思うんだ。お爺さんもお婆さんも良くしてくれてはいるけど、これ以上重荷にはなりたくない。ケインの病気だって、お金さえあればきっと良くなるはずだし…。だから…」
「兄さん、それは解ってるよ。でも、僕等はまだ子供だよ。無理したってどうにもならないことの方が多いんだ。兄さんの気持ちも痛いほど分かるけど、学校は最後まで行ったほうが良いよ。たとえ甘えだと言われたって、絶対に役に立つから。僕がこんなだから、お爺さんやお婆さんに迷惑ばかり掛けてしまうけど…。」
 二人は暫らく黙ったままだった。いつものことだ。それから暫くして、少し躊躇いがちにジョージが話し始めた。
「世の中には俺達くらいの歳で働いてる子も多い。確かに賃金は少ないけど、学校行きながらでも働けるとこもある。」
「でも兄さん、それは余程運が良くなくちゃ見つからないよ。怒られるかも知れないけど、僕は兄さんと離れたくないんだ。」
 そんなケインの言葉を受け、ジョージの顔には陰りが差した。死んだ両親のことを思い出したのだ。
 この兄弟はあの事故の時、両親と一緒に馬車に乗っていたのだ。浅い川とは言え馬車ごと橋から転落し、両親は衝撃から幼い我が子を庇って死んでしまったのである。
 ケインは、あの日のような突然の別れを恐れているのである。
「大丈夫だよ。そんなに深く考えるなって。ほら、折角のスープが冷めちゃうじゃないか。さぁ、食べて眠らなきゃな。」
「うん…。」
 ケインは呟くように兄へと返事をし、スープに口をつけた。

 数週間は何事もなく、無難に過ぎ去っていった。
 外では、相変わらず冷たい雪が大地を染め上げているようで、夜になると物音一つしなくなる。
 この部屋に聞こえる音と言えば、凍える風が窓を叩く音と、部屋にある暖炉の火のはぜる音くらいなものである。
「今日も寒いなぁ。」
 ケインの衰えゆく躰には、この寒さは応える。小さな暖炉の火だけでは、部屋全体を暖めるだけの力はなかった。
 ふと、コンコンッ…と、ドアをノックする音がした。
「はい。」
 ケインがその音に返事をすると、祖母が食事を持って入って来た。
 皿の中からは美味しそうな湯気が立っている。
「調子はどうだい?今日も冷えるから、これを食べて温まりなさい。」
 祖母はテーブルに食事を置いて、ケインが起き上がり易いよう手を貸した。
「いつもすみません…。」
 ケインは弱々しくそう呟いた。
 それを聞いた祖母はケインを起き上がらせると、ケインの顔を見てこう言った。
「ケイン、何を言ってるんだい。お前は私たちの大事な孫だよ。何の遠慮が要るものかね。大切なもんのために何かしてやれるってのは、とても幸せなことなんだよ。だからね、ケインはしっかりと病を治すことだけを考えてればいいんだよ。」
 祖母はケインの頭を撫でながら、「冷めちまうから早くお食べ。」と言って、湯気の立つ皿を差し出したのであった。


 翌日の昼のこと。
 ケインはいつものようにベッドの上だが、一つ気になることがあった。

― ここ三日、兄さんの姿が見えないけど…。どうしちゃったのかなぁ…。 ―

 一日だけ用を足しに出掛けることはよくあるが、三日も会わないことなぞ今までなかったのだ。
 兄のジョージは、時折出掛けては夜更けに帰って来ることもあった。それは何か習いごとでもしているかのようでもあった。
 祖父母には話しているようではあったが、ケインには何も話してはくれなかったのだ。
 だが、ケインは感付いていた。兄の指先が父の生前のそれにそっくりになっていたことを。

― 兄さん、諦めてなかったんだ…。僕も諦めずに頑張らないと。 ―

 兄と会う度、自分の諦めかけていた夢をケインは紙の上に創造しているのであった。
― いつか、兄さんのために、何か役に立つものを残したい。 ―

 それは絶対的な願いであり、命続く限り遂行する仕事のようなものでもあった。
 また、ジョージは時に甘い香りをその身に付けて、菓子を土産に帰って来る時もあった。
 彼はケインに近所の集まりで習っていると言っていたが、そのどれもが売り物のようなものばかり。雑な包みに入ってなければ、買ってきたと言っても分からないだろう。
 そんな兄である。何でも出来てしまうことは知っていた。器用な上に勤勉なのだ。
 元来の気質と言っても良いだろう。
 しかし、ケインは残り少ない時間を、兄と共に過ごしたいだけなのだ。

― 兄さん…。 ―

 ケインは心配になった。
 そんなことを考えていると、不意にコンコンッ…と誰かがドアを叩いた。
「はい。」
 一瞬、兄のジョージが現れるかと期待したが、入ってきたのは祖父であった。
「具合はどうかな。今日は晴れとるし、割合に暖かい。少し窓でも開けるかのぅ。」
 祖父はケインの食事を運んできたついでに、ベッド脇の窓を開け放った。
 風は未だ暖かいとは言い難かったが、籠もった空気を追い払って清々しい気持ちにさせてくれた。
「良い日和りじゃ。たまには換気せんとのぅ。」
 祖父はそう言って頬笑んだ。
 空は雲一つない青空であった。が、ケインの心の曇りまでは拭い去ってはくれないようであった。
「ねぇ、お爺さん。この三日程、兄さんの姿が見えないようだけど…。」
 ケインの質問に祖父は眉を寄せ、椅子に腰を下ろした。彼は腕組みをしながら、どう話しを切り出そうか思案に暮れている様子である。
「どうしたの?兄さん、もしかして…。ねぇ、お爺さん…。」
 尚も尋ねてくるケインに、深い溜め息を洩らして話し始めた。
「ケインや…。ジョージはな、サッハルの街に働きに出とるんじゃよ。」
 ケインは目を丸くした。
「それって…」
「いやいや、わしらも止めたんじゃがのぅ。もう働き先も見つけて来ておって、今回ばかりは止めきれんかったんじゃよ…。」
 サッハルとは、このメルテから馬車で七日近くかかる街で、男爵が統べる大きな街でもあった。おいそれと帰って来ることも儘ならないのである。
「だからあんな話しを…。」
 ケインは泣きそうになった。自分がこんな躰じゃなかったら…そう思えて仕方なかった。自分の弱さを嘆き、そして憎んでいたのだ。
「ケインや、そんな悲しい顔をせんでくれ。」
 祖父が優しく語りかけてくる。
「ごめんね…。僕、お爺さん達や兄さんにまで迷惑かけて…。」
「何を言っとる。皆お前のことが好きなんじゃ。何の苦労があるものかね。皆で生きてる、それがどんなに幸せか。覚えていなさい。皆、ケインを愛しているんじゃ。」
 祖父はそう言って、ケインの頭を優しく撫でた。
 ケインは少し微笑んで、そっと、か細い自分の手を見つめたのだった…。




 
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