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ジガバチ

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3部分:第三章


第三章

 竜太は顔を強張らせてです。こう健太に囁きました。
「おい、このおじさんの手って」
「だからそれ言うなよ」 
 健太は顔を顰めさせて竜太に囁き返しました。
「あれだろ。ジガバチだろ」
「そうだよ。出て来るんじゃないのか?」
 この話をです。竜太はここでもしたのです。
「あれだけの大きさだとな」
「だから言うなよ。気持ち悪いだろ」
「けれどさ。見てるとさ」
「そんな筈ないだろ」
 健太は必死の顔で、です。竜太の言葉を否定するのでした。
「何で人間の身体に虫が巣を作るんだよ」
「それでもな。おじさんの手の黒子って」
「だから言うなよ。気持ち悪いだろ」
 健太は何時しか声を大きくさせていました。そのせいで。
 二人の話はお百姓さんの耳にも入りました。するとお百姓さんは楽しい笑顔になってです。麦わら帽子の下の皺だらけの顔を崩してこう言ってきたのです。
「そうだぞ。わしの手からはな」
「えっ、まさか」
「蜂が」
「そうだ。ここから出て来るんだぞ」
 右手の人差し指で左手に一杯あるその黒子を指差して説明するのです。
「もうな。次から次にな」
「ええっ、一杯いるんだ」
「その手の中に蜂が」
「いるぞ。今にも出て来るぞ」
 お百姓さんは笑って二人に言います。
「刺すぞ、痛いぞ」
「さ、刺さないでよそんなの」
「怖いじゃないか」
「悪い子は蜂に刺されるんだぞ」
 お百姓さんは波に乗ってさらに言ってきます。
「さあ、あんた達は悪い子か。どうなんだ」
「い、いい子だよ」
「俺達虫捕りが好きなだけのいい子だよ」
 お百姓さんの黒子を見ながらです。二人は震えながら答えます。
「だから蜂なんて出さないでよ」
「お願いだよ」
「わかった。じゃあ悪いことなんてするなよ」
 おじさんは左手を前に出してです。二人に黒子をこれでもかと見せながら言います。
「悪いことしたらわしがここから蜂を出して刺すからな」
「は、はい」
「よくわかりました」
 二人は無意識のうちに直立不動になってお百姓さんに答えました。それからずっとです。
 二人は何か悪いことをしようとするとです。お百姓さんに言われたことを思い出して。
「おい、止めようぜ」
「そうだよな。スカートなんかめくったらな」 
 ふとです。クラスの中の可愛い女の子のスカートをめくろうと思った時にです。二人はお百姓さんに言われたことを思い出してしまったのです。
 それで顔を強張らせてです。こう言い合うのでした。
「おじさんの手から蜂が出て来て」
「刺しに来るからな」
 こう言い合ってです。スカートめくりは止めたのです。その他にもです。
 お菓子屋さんでおもちゃを盗もうと思った時も捕まえたイナゴをカマキリのいる籠の中に入れようと思った時もです。二人はお百姓さんのことを思い出してです。
 そのうえで、です。いつも止めたのです。そうしていってです。
 二人は悪いことはしなくなりました。けれど二人は友達のままで。
 小学校でも中学校でも高校でも一緒でした。そして大学でも。
 地元の大学、同じ大学に通っている二人はです。夏休みのある日に健太のお家で梅酒を飲みながらお話をしている中で、です。竜太が言ったのです。
 二人共もう大人になっています。身体は大きくなって顔つきも変わっています。大人の顔になっています。
 その竜太、今は髪を伸ばしている彼が。リーゼントの健太に言いました。
「なあ、あの泉だけれどな」
「あのおじさんがいる泉かよ」
「あの泉まだあるかな」
 ふとです。思い出してこう言ったのです。
「あそこな。どうだろうな」
「そうだな。まだあるんじゃないのか?」
 健太も梅酒、中に氷を入れたそれを飲みながら応えます。
 
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