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黒魔術師松本沙耶香 客船篇

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10部分:第十章


第十章

「面白いデザートがね」
「といいますと」
「ピーチメルバみたいなものが欲しいわ」
 くすりと笑ってそのデザートの名前を告げた。かつての名オペラ歌手メルバにちなんだものでありアイスクリームと桃を使っている。それをワーグナーのオペラローエングリン第三幕の新婚のベッドと白鳥をイメージしたものである。白鳥はこのオペラを象徴する存在の一つでもある。
「それをね」
「ピーチメルバの様なものをですか」
「ええ、そうよ」
 まさにそうだとも答えたのである。
「それはあるかしら」
「あるといえば」
「それを御願いするわ」
 こう答えてみせたのである。
「是非ね」
「子供っぽいものでいいでしょうか。それとも大人のもので」
「子供か大人か」
「はい、どちらかです」
 沙耶香自身に選んでもらうというのである。レストラン側もさるものである。こうして彼女を試してもきているというわけなのである。
「どちらかですが」
「そうね。それじゃあ」
「それじゃあ」
「子供っぽいものを貰うわ」
 微笑んでこう告げたのである。
「そちらをね」
「畏まりました。それでは」
「それで何を持って来てくれのかしら」
「フンパーディングです」
 ウェイターは笑ってこう述べてきた。
「それです」
「そう、期待できるわね」
「それだけでおわかりなのですね」
「子供っぽいようでいて実は大人の味でもある」
 沙耶香はここでも楽しそうな笑みを浮かべてみせた。そうしながらその右手にワイングラスを掲げている。そこにはトカイの薄い独特の色があった。
「あの作曲家は見事な味ね」
「やはり御存知でしたか」
「ドイツオペラは好きよ」
 また言ってみせる沙耶香だった。
「もっともイタリアオペラも好きだけれどね」
「左様ですか」
「それではそれをね」 
 頼むというのである。
「御願いするわ」
「わかりました。それでは」
「あとコーヒーを御願いするわ」
 それもだというのである。
「コーヒーは。そうね」
「ウィンナーをですね」
「わかっているわね」
 ウェイターの言葉を受けてさらに微笑むのだった。
「そこまでわかっているとは」
「お客様もまた」
「あのお客にはそれを尋ねたのかしら」
 ここでもまた鶏声を一瞥する。今度は動物的にワインを飲んでいる。その動作がこれまた実に品がない。その顔に相応しい動作ではあった。
「こうしたことは」
「いえ、それは」
「しなかったのね」
「既にわかりますから」
 だからしないというのである。
「ですから」
「そうね。ニュースキャスターをしているからといって教養があるとは限らないわ」
 沙耶香は実に冷たく述べた。
「所詮はね」
「そうなのですか」
「教養は学歴や職業とはまた別のものよ」
 当然のことだが実はよく知られていないことでもあることを述べたのだ。
 
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