探し求めてエデンの檻
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3-1話
前書き
それはいつもの流浪の道だった。
自分で助けた命をも置き去りにして、風のように前を歩く。
未開の土地の中でも、天信睦月は気ままであった。
足の裏で踏みこむたびに、さらさらと低い草がなでていく。
アタシのブーツに付いた朝露はすっかり乾いていて、空気はすっかり冷気から遠ざかっていた。
森の湿気が濃いが、この地の気質はずいぶんと人にとって過ごしやすい環境で、気温はそれほど高くはない。
獣道などの“危険な道”はなるべく避け、歩き通していたら既に昼頃になっていた。
草原から岩場へ、運河から再び森にトンボ帰りしていた。
妨害もほどほどに、調査も半ばの所で頭上では眩しい太陽が照らしている。
成果は……芳しくはない。
全くと言っていいほどの秘境だ、ここは。
「ふぅ…」
歩き詰めで少し重苦しい息が漏れる。
体力的には限界には程遠いが、二・三頭ほど鼻のイイ獣を撃退する羽目になって、全く息を切らさないというわけではなかった。
休みなしで歩きっぱなしの上、戦闘をこなしたら水分を補給して喉を潤したが、手持ちのミネラルウォーターはもう残り少なかった。
食べる事は我慢出来ても、喉の乾きだけはどうしようもない。
「一度、まとめて給水した方が良さそうね。 たしかペットボトルはいくつあったかしら…?」
こういう時のために、空のペットボトルがいくつあったか思い出そうとしたが、これは後回しにした。
周りを見渡し、耳で水の音を探る。
もうすぐ近くに来ているが、なるべく“獣達”を避けたポイントを選ばないといけない。
耳を澄ますと、葉鳴りに混じって清涼な沢の音が聞こえてきた。
音のする方向に意識の糸を伸ばす―――厚く短くしていた意識を、針のように研ぎ澄ませて一点の方向へとその距離を伸ばす。
感覚が捉えるのはちょっとした小さな川、その周辺に意識を伸ばして“獣達”がいない事を確認する。
給水している時に茶々を入れられたら面倒でしかない。
足先の方向を変え、いくつか木々のカーテンを超えれば、そこには右から左へと流れている川を見つけた。
森を両断して端から端まで密林の向こうまで流れている。
魚がいないが、底が見えるほどに澄んでいて見るからに冷たそうだ。
そんな感想はよそに、慎重な面の頭では有害となる成分が含まれていないか確かめようと感覚が繋ぐ。
「―――、――ふむ…水質の状態は正常、寄生虫もないし、十分に澄んでいるわね」
真水というより湧き水に近く、ミネラルウォーターほどではなくても、飲料水としては申し分ないものだった。
自然のものとしては少々綺麗すぎるが…場合によっては変質させなければならないと思ったけど、これなら大丈夫そうだ。
安全な事を確かめたアタシは、ショルダーバッグからペットボトルを取り出した。
どれもラベルが違うが、一貫して500mlサイズである。
決して大きくないショルダーバッグから手品のように次々と出てきて、結局は整理のためにあるだけの数を並べた。
空なのは8本…それ以外は別なものを詰めてある。
中身が詰まっているのはショルダーバッグに仕舞い、空の方のペットボトルに水を詰める手作業に入る。
周囲を警戒しつつも、4000ml分一杯になるまで水を詰めていく。
4000ml…四日分の水分量だ。
補給の仕方にもコツがあり、無駄にならないやり方で飲めば、アタシの体力なら基本的な一日分の補給量で抑えられる。
食事は別にして、一日1000mlくらいの水分を補給しても四日は何とかなる単純計算だ。
何事もなければ四日は持つ、あくまでも単純計算に基づけば、だが。
だが実際はどんなファクターがあるか、アタシでもわからない。
天気の変貌、些細なミス、個人的な理由…などなどあるけど、何より食料の事だってあるし“獣達”の問題もある。
ここには見慣れない実ばかりが実っている。
アタシの知識と照らし合わせても、あまり参考にならないほどの多種多様…海外というより生態系が違うレベルだ。
ユニークな見た目が表に出ている実もあれば…果物に似たような見た目とは裏腹に有害なものが混じっているものもある。
土地は違えど、湿地なら湿地、平原なら平原と、似通った部分で生えるものがあるのだが…ここはまるで品種改良植物の博覧会のようだ。
とてもじゃないが…危なくて手を付けるわけにもいかない。
薬学のように、多大な犠牲と知識の積み重ねがあれば別だろうけど…アタシ自身が先駆者なんて御免だ。
こんな新種だらけの所でそんなものは期待はできない……原住民とかいれば別だろうけど。
…まぁ、食い物のアテがない事もない。
それは…なるべく距離を置きたい選択肢だし、今はまだ様子見とするべきだろう。
ダメならダメで捕食する選択肢もありだ。 草食動物がいれば、の話だけど。
「さてと…水も詰め終わったし…あっちはもう見て終わったら今度は―――」
8本全てに水を組み終わり、ショルダーバッグに仕舞ったその時だった。
「――――――!!」
沢の下流から逆流して人の声が飛んできた。
「…悲鳴?」
森の外へと伸びる沢の先から聞こえたのは確かに人のそれだった。
数時間を費やして聞く事はなかった人の声が悲鳴とは何事かと思った。
しかし、何が起こっているのかは“この地”でなら想像は難くない。
ショルダーバッグを肩に担ぐ。
腰をやや低く落として、地面が爆ぜ散るようなスタートダッシュをかける。
ほぼトップスピードでも、全く速度を落とす事なく木々の間を縫うように森を抜けていく。
懐に手を忍ばせながら、身体を前のめりに沈めた体勢で地面を蹴って疾駆する。
視界が緑一杯で景色が目まぐるしく迫るが、感覚は木々の一本一本の場所を掌握しているから、この身が障害物にぶつかる事はおろか掠める事すらない。
密林を視界に収めながら、森の端がかなり近くなっているのがわかる。
木漏れ日の光が大きくなっている事から、境界線はすぐそこだった。
森の影が途切れるその最後に、アタシは跳ぶように森から飛び出した。
「っと」
踵を地面に踏みつけて、その場で静止する。
ザッ、と土が蹴り飛ぶ。
目の前が蒼天が広がり、草の海のような平原が僅かに波打っていた。
それを眺めるアタシが立っているのは、ちょうど丘の上だった。
地面が抉れて急斜面になるその手前の方に立つアタシは、目の前を見下す。
それは蛮行だった。
悲鳴を立てるのはやはり人だった。
これまで遭遇する事のなかった人間が、懸念していたイメージが現実となって目の前で繰り広げられていた。
ここには“獣達”という…獰猛を形にした、文字通り『猛獣』とも言える生物が存在している。
その中の一つである“獣”が一頭…いや、一羽が人を襲っていた。
大きな鳥…ワシのような嘴をしたデカい頭部に、ダチョウのような二足歩行の鳥類。
その鳥が襲う人を見て、アタシは眉をピクリと反応した。
「何をやっているんだか…」
それは女性だった。
アタシにとっては全くの赤の他人でもない人が一人…いや、もう一人にも男の子がいた。
見捨てたつもりで置いていったその人らが、再びアタシの目の前でピンチになっている。
その事に妙な巡り合せを感じた。
何やってんだか…。
「手間かけさせるわね…面倒な奇縁だわ」
アタシはジャケットの懐から手を抜く。
「でも…一度出会ったんだもの。 ここは生き辛い世界だけど、それでも死にたくはないわよね」
呆れもそこそこに、アタシはピンチを救うべく行動を開始した。
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