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黒魔術師松本沙耶香  薔薇篇

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9部分:第九章


第九章

「けれどそれは後でね」
「はい」
「今は。朝食をお願いするわ」
「それでトーストには何を付けられますか?」
「あっ、そうだったわね」
 少女の言葉でそれを思い出した。
「それじゃあ。ジャムをお願いするわ。ローズでね」
「畏まりました」
 少女はそれを受けてジャムを取り出す。それは赤いローズのジャムだった。
「奇麗な薔薇には棘がある」
 沙耶香はその赤いジャムを見て呟く。トーストに奇麗に塗られ、茶色いパンが赤く染まっていく。
「そして時にはそこにあるのは棘ばかりじゃない」
 呟いているうちに朝食がはじまった。それが終わってから残りの身支度を整え部屋を後にするのであった。
 部屋を出てまずは庭に出る。そこにはもう速水がいた。
「やあ、おはようございます」
「お酒は残っていないみたいね」
 沙耶香もそうだが見れば彼も同じであった。
「まるで昨日は何事もなかったかみたいに」
「実際に何もありませんでしたからね」
 速水はそれに応えてにこりと笑ってきた。その整った顔ににこやかな笑みが浮かぶ。
「残念なことに」
「期待は強いだけ絶望は大きいわよ」
「期待が強い程その後の幸福は大きいというのは聞いたことがありますが」
「強情ね、本当に」
「おかげさまでね」
 二人は笑みを返しながらやりとりをする。今二人は薔薇の園にいた。
「それにしても五色の薔薇とは」
 速水もその五色の薔薇に見惚れていた。
「見事なものです。しかも青い薔薇まで」
「本来はなかった花ね」
「ええ、青い薔薇は不可能の意味もありますから」
 この言葉は速水も知っていた。
「ですがそれが新たに作られた」
「それでここには赤、白、黒、黄、そしてこの青い薔薇の五つがあるのね」
「ですね」
 沙耶香は薔薇を手に取っていた。それはその青い薔薇であった。
「不思議な色をしているわね」
 薔薇を見て言う。青とはいうが正確には青紫と言うべきか。だが青い薔薇であることには変わりがなかった。彼女は今その薔薇を見ていた。
「現実にはない様な」
「それを言うならば薔薇そのものがですね」
 速水もその青い薔薇を見ていた。そして述べる。
「有り得ない程の美をたたえています」
「有り得ない、かしら」
「はい」
 沙耶香の言葉に頷く。
「薔薇の色は決して純粋な色ではありません。そこには何かが宿っています」
「何かが」
「そう、何かが。美の中にありながらそこには恐ろしさも併せ持つ。それが薔薇というものですから」
「神妙な言葉ね、何か」
「神妙というか私個人の考えですよ」
 速水は言った。
「あくまでね。私の考えです」
「薔薇は恐ろしい花、ね」
「見る者を惹き付けて離さない。そこにまず魔性があります」
「魔性が」
「純粋な色ではなく、そこには艶が必ず含まれている。それによっても人の心を捉える」
 その言葉は続く。
「そうした花は他にはありません。薔薇だけです」
「薔薇だけ」
「これ程までに濃厚な退廃と魔性を含み、なおかつ美しく誘うのは。他にはありません」
「えらく薔薇は好きなのね」
「花は。どれも好きです」
 速水はうっすらと笑ってこう述べた。
「どの花もね。ですが薔薇は特に」
「その薔薇が誘う魔は確かにあるわね」
 沙耶香はそう言葉を返した。
「薔薇そのものが魔性なのだから」
「はい」
「この五色の薔薇が。果たして私達に何を見せるのかしら」
「さて」
「魔性か、それとも退廃か」
 沙耶香は薔薇の園を眺めながら言う。
「それとも他のものか。何でしょうね」
 朝の薔薇は何も語らない。だがそこには確かに何かがあった。薔薇は何も語らずに二人を見ている。二人にもそれはわかっていた。二人は薔薇のその魔性の誘惑を感じながら園にいたのであった。
 薔薇の園のかぐわしい香り。それは日が高くなるにつれてその強さを増していくようであった。二人はそれを感じながら館を、そして庭を巡っていた。そして遂に最初の事件が起こったのであった。
「むっ」
 それを最初に見たのは速水であった。この館には礼拝堂もある。何代か前の主は敬遠なクリスチャンであった為にそこに作らせていたのである。今では教会としても使われており神父とシスターがいる。事件はその教会で起こったのであった。

 
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