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ソードアート・オンライン〜Another story〜

作者:じーくw
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ALO編
  第139話 兄妹

 
前書き

 

 


 高く、高く……、翅を広げ この空のその向こうまで。

 手を伸ばして……、伸ばした先、あの空の光の先に、願った世界が、未来が、大切なモノがあると信じて。

 そこは誰もいないアルンの空の上。その中で1つの影が、ただ一直線に空を目指して飛んでいた。

「……ここまで、か」

 ぎゅっと眼を凝らしながら飛び続けて……そう悟った。判っていたんだ。この世界には様々な事に制限があり、その手が届かない先と言うものは存在している。

――……ここから先へは行けない。

 目に見えない障壁で阻まれているからだ。世界樹はまだまだ上に伸びており、その頂上はこの見えない障壁よりも遥か彼方先だ。

「チッ……!!」

 〝ずがんっ!〟

 まるで、落雷でも落ちたのだろうか?と思われる程の衝撃音が周囲に迸る。ドラゴは、思い切り右拳で障壁を殴りつけた。その瞬間、強烈な磁石にも似た斥力によって拳が弾き返された。そして、波紋の様なものが拳を中心に広がっていく。

 ゲームである以上、行ける場所・行けない場所があるのは当然だ。彼の職業上……判りきっている事だ、なのに何故……ドラゴはこんな行動を取るのか。

「……」

 彼の頭から、あの助けを求める声が頭から決して離れなかったからだ。繰り返し、再生されているかの様に、あの声が頭から離れない。

「この上にいる。……判る、彼女はここに……」

 ドラゴは、じっと空を、世界樹を見つめた。ゲームシステムと言う無機質なプログラム。デジタル・コードの奥に、温かいものが、……彼女の存在が伝わってくる。この2ヶ月の間、もどかしさは勿論あった。傍に綺堂と言う存在があり、救われていた彼だったが、記憶の喪失と言う脳内の異常にもどかしさを覚えない者など、いないだろう。この世界に来て、徐々に穴は埋まっていった。……ぽっかりと開いた穴を、その最後の欠片。

 それが、この上にいる彼女だ。

「絶対に……助ける……。絶対に……」

 心に刻み付ける様に、ドラゴはそう呟いていた。








~????????~



――……ここに連れてこられて一体どれくらいが経つだろうか。

 この場所の印象は、真っ白な空間だったのが一変していた。並ぶのは複数の机と椅子、そして其々に備え付けられた一目で高性能な物だと判るPC。宛ら教室、と言った所だろうか?

 出入り口は当然の如く、固く施錠されており、窓らしき場所から見えるのは青い空。見下ろすと、そこには真っ白な雲の様な物が見える。どうやら、空の上に設置された場所……、と言うのが判る。

「……ふふ、その景色、お気に召したかな?」

 突如、扉が機械音を出しながら上にゆっくりと上がった。そこから入ってきたのは、あの男。現実世界では、やや痩せた華奢な身体、そしてスリムスーツを羽織っていたから更にその線は細く見える。その身体の一体どこにそんな力があるのか?と思える様な力で自分を抑えつけ、そしてこの世界へと連れてこられた。

 だが、それはよく考えてみれば当然だった。

 現実世界へと戻ってきてから、最低限度のリハビリしかしておらず、殆ど姉の明日奈の元へと来ていた。だから、基本生活は問題なくても、大人の男ともなれば敵う道理が無かった。

「………貴方は、貴方達は一体何がしたいっていうの?」

 ただただ、侮蔑の表情を向ける。この世界へと連れ去られ、そして姉にも合う事もできず、閉じ込められてしまった。あの時、周囲に注意をしていなかったのが、一番の自分の落ち度だった。公共機関だったから、と言う理由が一番だろう。

「ふふ、私が望むのはただ1つだ。……私はね、君にも君の姉にも興味はない。須郷の研究も、確かに元々は私達の物……だった、が。今となってはどうでも良いんだよ」

 この世界では、銀の髪とそして銀のマント、下地には装飾が細かに塗して施されている。そこからの輝きも銀色の光を放っている。……その容姿、どうしても見なくないのは彼女。玲奈だった。その色を、纏って欲しくない。その輝きは、あの世界でずっと見てきたものだったから。大好きな人のものだったから。

「私の望みは、あの餓鬼を……そして綺堂を地獄へ落としてやる事だ。……あの日、俺から全てを奪ったあの餓鬼と綺堂だ」

 その造り物としか思えないこの世界特有なのだろう端麗な表情が思い切り歪む。憎悪の炎しかその瞳には写っていない。

「……当然の報いじゃない。あんな酷い事をしようとしたんだから。……それはただの逆恨みにしかならなっ……!!?」
「黙れ」

 玲奈は、そう言い切ることは出来なかった。いつの間にか、接近を赦して、現実世界と同じ様にその首を握し絞められた。まるで万力の様な力。この世界でも、現実世界でも決して抗うことの出来ない

「お前に一体何が判る? あの研究は、先進国の全てが進めているモノだ。……あの場所を築き上げ様々な世界で認められる腕を持った人材を育て、その全てが消し飛んだ……。全てを消された。殺意が芽生えたとしても不思議じゃないだろう?」

 皆が悪事をやっているから、その中で自分もやってみようと頑張った。
 だけど、それがバレてしまい、そして止められて、更に台無しにされてしまった。
 だから、それをした相手が憎い。

 そうとしか聞こえてこない。

 自分勝手で幼稚な子供の言い訳にしか聞こえない。……純粋に何も感じず、何も知らない子供が昆虫をバラバラにする様に、まるで他人の痛みが判らないままに大人になってしまったかの様に感じた。
 《純悪》と言う表現が一番当てはまる。


「っ……っ……」

 ギリギリと首に食い込んでくる指。仮想世界でも、その苦しさは現実と差異がなく、必死に仮想の空気を吸い込もうとするが、阻まれてしまう。

 暫くして、その手をゆっくりと離した。

「っとと、すまないな。少し感情的に成り過ぎた様だ」

 歪んだ表情こそ元に戻していたが、その裏には確実に炎はまだ燃えている。黒く歪な憎悪の炎が。

「ごほっごほっ……!」

 玲奈はむせながらも必死に空気を吸い込んだ。目からは涙が思わず溢れそうになっていた。

「あの餓鬼は此処へ来るだろう。が、あの餓鬼に期待はしない事だ。何も出来ずにくたばっていくだけだからな。……そして、全てが終わったら、お前は用済みだ……と言いたいが、お前の一存を決めるのは須郷、ここではオベイロン、だったか? だから、もう諦めろ。お前がいつもの日常に戻れる事は無い。……あの研究を知っているのなら、判るだろう?」

 軽く笑みを見せながら、背を向けた。

「全てが終われば、今の(・・)お前に戻れる事はない。……が、嘆く事も無いのではないか? ……全てを変えられると言う事は、忘れられると言う事、だからな。……あの餓鬼の事も、全て」

 そう告げると……、扉を再び開き、そして出て行った。

 静寂が再びこの部屋に訪れる。

 玲奈は……ぎゅっと身体を抱きしめた。震えそうになる身体を必死に抱きしめた。

 どんな事にだって、耐えてみせる。あの世界でも2年もの長い間、諦めないで頑張り続けた。皆と一緒に、頑張ってきた。だけど、それでも……。

「りゅう、リュウキ……くんっ……りゅうき……くんっ……」

 涙がこぼれ落ちる。目を瞑れば、今でも思い出せる。


――……初めてあったあの日の事。
――……泣いて、泣いて……、1人になってしまって、そして泊めてくれたあの日の温もり。
――……心の闇を打ち明けてくれて、心を開いてくれてたあの日の事。
――……想いが伝わったあの日の事。
――……楽しそうに笑って、あの湖畔の沿道を一緒に歩いた日の事。


 思い出せる。聞こえてくる、今でも感じ取れる。優しい思い出として。

 でも、ここで叫んでもどれだけ想っても、届かない。彼の元に、届く事はない。それでも……諦めないとずっと誓っていた。でも……。

「忘れたく……ない……、忘れたくない……嫌だ……っ」

 思い出の全てを変えられる事、それが何よりも怖かった。全てを忘れてしまって、違う自分になってしまう事が何よりも怖い。……我慢なんて、出来ない。

 この思い出は自分の物、皆と、彼と一緒に作ってきた大切な……本当に大切なものだから。

 玲奈は、覚束無い足取りで、この部屋の外。窓の外……雲の海を眺めた。不安が紛れる事は決してないけれど、それでも……。

「りゅうき……、はやと、くん……っ、たすけて……」

 涙を流す玲奈。

 その時だった。


 外から、風……?の様なものが吹き込んできた。不思議な事に、窓と言っても開けられる様な窓ではなく、厳重なもの。なのに、その窓を透過して吹き込んできたのだ。

 それは、優しく玲奈を包み込む。暖かい風。

『必ず……』
「えっ……」

 玲奈は、はっと顔を上げた。外に広がる光景は変わっておらず、ただただ雲の海が広がっているだけだった。そして、周囲を見渡渡した時だ。

『必ず……助ける』
「っ……!?」

 確かに、聞こえてきた。暖かい風に乗って、その声が確かに届いた。……決して幻聴じゃない。

「はや……とくんっ……」

 玲奈は涙を流す。先ほどまでのそれとは種類がまるで違った。

『……待っていろ』
「う、うんっ……隼人、くんっ」

 暖かい風に手を当てて……、玲奈は暖かい風を感じながら、頷いた。いつも、いつも助けてくれる自分のヒーロー。それが、大好きな人。愛する人。

「うん……私も最後の、最後まで、諦めない。……諦めないよ」

 絶望に沈みそうになったその心を、玲奈は立て直した。暖かい声に勇気づけられて……。








~????????~



 そこは同じく世界樹の上。

――……キリト、君。レイ……っ、リュウキ、君。

 一体何日、この場所でいるのか判らない。ただ……判るのは、今の状況が最悪だと言う事。

 この世界からの脱出が失敗してしまい、須郷がここへと来た時。アスナはそれなりの事を覚悟をしていた。何があっても、挫けない。明日奈は強く……決意をしていたのだが。

『……ふふ、ティターニア。昨日の事で僕からプレゼントがあるんだよ。退屈させてしまったから、ここから出て行ってしまったんだろう?』

 したり顔で迫ってきたオベイロン。
 アスナはてっきり、ここぞとばかりに嫌がらせか何かをされると思っていた。暴行の類も覚悟していたのだが、違った様だ。だが、それは暴行よりももっと残酷なもの。

「レイっ……ごめんなさいっ……」

 明日奈は、両手をぎゅっと握り締めていた。聴かされた内容……、それは『君の大切な妹をこの世界に招待したんだよ。……ふふ、これで退屈はしないだろう?まぁ、この場所へはまだ連れてこれないがね。……執着している男がいるからねぇ』、と言うものだった。

 玲奈を狙っている男がいたのか?と思った。だが、自分が知る限りはそんな者はいなかったし、ストーカーの類も皆無だった。でも……、明日奈は動揺してしまった。当然ながら、その顔を須郷に見られてしまい……、この間の脱走の件をも忘れる程、上機嫌で出て行った。

「キリト君……っ リュウキ君……っ」

 決して諦めない。頭の中ではずっと、そう思っている。それはきっと、玲奈も同じだろう。……判る、だってあの世界でずっと一緒に頑張ってきたのだから。一緒にいた時間を考えたら、それは互いの想い人、愛する人よりも長いから。

「信じてるから……」

 明日奈は、この牢獄から下界を見下ろし、そう呟いた。……ここに、キリトの声が聞こえてきたのだ。だから、自分の事を知らせる為に、あの脱出する際に手に入れたカードキーをこの場所から落としたのだ。
 生憎、メッセージ等は残せなかったが、キリトなら気づいてくれると信じて。そして、きっとリュウキも傍にいる筈だから。それも、何処かで確信していた。


 自分達が《双・閃光》である様に、彼等は《白銀と漆黒》なんだから。







~央都アルン・上空~



 翅を使いこの世界樹の上に昇る事は不可能だと悟ったドラゴ。……ここのシステムは、かなりしっかりしており、穴が視えない。無理矢理無視するような真似は、短時間では間違いなく不可能だ。

「……グランド・クエストしかないか」

 ドラゴは、再び翅を鋭角に畳み、アルンの世界樹の根本に向かって急降下していった。風を切り、雲を切り……空を切る。その速度は、空に軌跡を残しながら一気に地上にまで降りていった。

 数秒もしない内に、目的地である世界樹の根本へとたどり着く。その場所は、アルン市街地の最上部。巨大な円錐形を成しているアルンの町の表面を這い回る世界樹の根が見えてくる。そして、その根が続く先に、プレイヤーの10倍はあろうか、という身の丈の妖精の騎士を象った彫像がまるで、入口を守るかの様に佇んでいた。

 間違いなく、あの場所が世界樹への入口であり、この世界のグランド・クエストの開始点だろう。ドラゴは、それを確信して、更に近づいた時だ。その場所に2つの影があった。

 全体的に、黒い者と緑の者。

 姿をはっきりと見たわけじゃないが、キリトとリーファだと言う事は理解出来る。あの場所に用事があるのは、自分だけじゃないのだから。

「……一先ず、合流だな」

 ドラゴは2人のいる場所付近を目掛けて降り立つ姿勢を取る。いきなり、上空から声をかけるのは、驚かせてしまうかもしれないから、少し離れた所で着地をすると、早足で2人に近づいていった。間違いなく、キリトとリーファの2人だ。

 ……だが、何処か様子がおかしい。

「待たせたな……、ん?」

 ドラゴは、様子がおかしいと思いながらも声を掛けた。……その時だった。リーファは、口元に手を当てており、その目はキリトを見据えて、目を見開いていた。まるで、大変なモノを見てしまったかのように。

「そ、そんな……。酷いよ、あんまりだよ……、こんなの……」

 まるで譫言のようにつぶやきながら、リーファは首を左右に振っていた。その反動で、目に溜まっていたであろう涙が周囲に輝きを放ちながら舞い飛ぶ。ドラゴが来ている事など、理解できていないだろう。リーファはまるで、一秒でも早くこの場所から逃げ出したい。と言う様な速さで左手を振った。キリトから顔を背ける。その先に、ドラゴを見たが……、まるで自分の身体が透けているかの様に、焦点が合っていないようだった。
 そして、次の瞬間には、彼女の身体は宝石の様に光り輝きながら消失していった。

「……どうした? 一体何があったんだ?」

 突然の事に、ドラゴも動揺を隠せない。この世界に来てまだまだ短い期間だがリーファとはまるで、長く知り合った仲間の様に錯覚出来る程に、判ってきた様な気持ちも何処かにあった。怒っている表情、呆れている表情、驚いている表情、そして喜んでいる表情。色んな彼女を見てきた。邪神でトンキーと名付けた象海月の様なモンスターが助かった時に、涙を流して喜んだ彼女も見てきている。

 ……でも、今の彼女の顔は初めて見るものだった。

 色んな感情を見せる彼女だったけど、一貫して言えるのは 何処か明るかったと言う事だ。そんな印象だった彼女だが、さっきのそれは見る影もないものだった。一目で、何か異常が、問題があったとしか思えなかった。

「っ……す、すまない。ドラゴ。一度、落ちる……」

 訳を聞こうとした相手、キリトの表情も驚愕しているようだった。……すぐには説明が出来ない。と言っている様だ。キリトもリーファの様に素早く左手を振ると、ログアウトをクリックし、この世界から消え去っていった。

「……キリト、リーファ」

 驚きを隠せないドラゴだった。そして、ドラゴは消え去ったキリトがいた場所に目を向ける。

「ユイ、いるか?」

 そう聞いた。通常であれば、プライベート・ピクシーはその登録したプレイヤーと一体型。データが落ちれば、そのピクシーデータも共にログアウト、本人のアミュスフィアに戻る。入力経路を遮断し、蓄積したデータのメンテナンス……最適化する。が、ユイには独自の自我とも言えるものを持っている事はドラゴも判っていた。そして、何故だろうか判らないが……、自分もユイを呼べる様な気がしたんだ。

「……はい」

 ユイは、キリトが消えた場所から、実体化しこの場へと現れた。

「……一体、2人に何があったんだ」
「それは……」

 ユイの表情は暗い。この場所で一体何があったのか、それを話す為に、ゆっくりと口を開いた。

 リーファとキリト。

 2人は、現実の世界で兄妹であると言う事が判明した。それに気づいたのはリーファだった。キリト=和人だと言う事を知ったその時……、リーファは大粒の涙を流してこの世界から出て行ったらしい。

「……兄妹、か。……だが、何故リーファはあんな顔を?現実と仮想世界を一緒にしたくないと言うなら判るが、彼女の顔は、そんな類じゃなかった。」

 ドラゴは、ユイからそれを聞いて、腕を組んでいた。元々、人間の心理学等はドラゴにとっては、難解であり、正直判らない。……だが、あんな2人の顔はみたくない、とは強く思っていたのだ。

「恐らく……ですが、リーファさんはパパの事を好きになったのだと思います。以前、リーファさんとも色々とお話をさせて貰いました。その時も……」

 ユイは思い出すようにそう答える。
 
「ヒトを求める心……。他者の心を求める衝動が人間の基本的な行動原理だと、私は理解しています。リーファさんは、だからパパがお兄さんだと言う事を知って……」
「………」

 ドラゴは、ゆっくりと頷いた。
 兄妹での恋と言うものが一体どういうことなのか、それはユイにも判るし、ドラゴにも知識としては判る。キリトの事を想い……、そしてその結果が今回の事態だというのなら……。

「……今は、そっとしておいた方が一番良いだろう。……心の問題は、そう簡単に割り切れるものじゃない」
「……はい。私はパパとリーファさんを信じてます。また、また……一緒に笑ってこの空を飛ぶって……。私や、ドラゴ……リュウキお兄さんと」
「そう、だな」

 ドラゴは、リュウキと呼ばれて、再び頭に何かノイズの様なものが流れ出たが、それを意識せず、自然に受け答えをして、ユイの頬を指先で撫でた。

 それに、何かをしようと思っても、ALOからでは何もしようがない。だから、2人を信じて待つ事しか出来ないんだ。


 暫く、ドラゴとユイの2人と言う、少し珍しい組み合せのまま、この世界樹を眺めていた。ドラゴ自身は、珍しい……、と思っていたが、ユイはとても嬉しそうに顔を緩めていた。突然、2人にいなくなられてしまって、心細かったと言う事、そして相手がドラゴ=リュウキだと言う事もあるだろう。
 そして、2人でいる時は……、キリトやユイといる時は、ドラゴではなく、リュウキだ。

「……なる程、このグランド・クエストのガーディアンは、そう言う仕様か」
「はい、つい先ほど、パパが挑んだ為、あのモンスター達を視る事が出来ました。ステータス的にはそれ程強く設定されていません。パパのステータスやリュウキお兄さんのステータスなら、1体1体はまるで問題になりません。……ですが」

 ユイは表情を暗くする。ついさっき、見てしまったから。あのクエストにキリトが挑み……そして、その身体を黒い炎へと変えられてしまったと言う光景を。

「湧出パターンが異常です。頂上ゲートへの距離に比例してその量は更に増えてました。最接近時には、秒間にして約12体にも達してました。近づけば近づく程増えていくので、あれ以上に増えるとも思えます。……あれでは、攻略不可能な難易度に設定されているとしか思えません……。」
「……だろうな。ユイのその認識で間違いない」
「え……?」

 ユイは、リュウキの言葉に首をかしげた。如何に最終最後の難関だとしても、不可能に設定する事など、通常では有り得ない。ゲームと言う娯楽でその様な設定にするのはユーザーに対する裏切り、侮辱でもあり許されるものではない。だからこそ、そんなのは有り得ないと思った。
 ……でも、リュウキは頷いた。そして、『間違いない。』とまで言っていた。

「ユーザーの挑戦心を煽るだけ煽り、尚且つ興味を繋げるギリギリの所まで引っ張るつもりだろう。そして何より世界樹に上がってきて欲しくないヤツがいる。……と言う事だ」
「そ、それはどう言う事でしょう?このゲームを運営しているのに……そんな事ってあり得るのでしょうか?」
「ユイの大切な人も、この上にいるんだろう?……何故、この上にいるんだろうな? それを考えた事はあるか?」
「い、いえ……、現実世界でのママの事は、パパから何も聴いていないので……」

 ユイは首を左右に振った。

――……この世界で、ママがいるかもしれない。

 それは、キリト本人から聞いていた事だ。だが、詳しい理由までは聞いていなかったから。

「……現実の世界では、色々起こってるんだ。……大変な事が」

 ドラゴは、目を細めながら……ユイに説明をした。現実世界では、例の事件はまだ終わっていないと言う事。まだ、300もの人間が……あの機械に囚われていると言う事。

「どうして……、この世界に……」
「さぁな。……それは上がってみないと判らない」

 リュウキはそう言うと、世界樹の上を眺めた。その目には憎悪さえ感じ取れる。MHCPであるユイは、それを正確に読み取っていた。そして……こんなに怒っているリュウキを見た事は無かった。

「お兄さん……っ」

 そっと、ユイはリュウキの頬に触れた。本来の役割の通りにケアをしなければならないと言う使命感も幾らかユイにはあったが、それよりも……リュウキのそんな顔は見たくなかった。本当に、いつも優しかったから。

「……ああ。悪かった。ユイも不安、だったのにな?」

 リュウキは、不安そうに見ているユイを見て自分がどんな表情をしているのかを悟った。この子に不安を与えてはいけない。……暗い気持ちにさせてはいけない。
 リュウキとしての記憶はまだ定かではないけれど、その事は強く思っていた。

「い、いえ……っ、お兄さんは本当に優しいのは知っています。私は……本当によく知ってるんです」
「ははは……。また、聞きたいな。ユイが知っているオレの事。……長くなりそうだが」
「ほんとですよっ! ……お兄さんの事を話そうと思ったら、1日や2日じゃ終わりませんよっ」
「ん……、なら別の機会に頼むとするよ。まだ、しなければならない事は沢山あるからな」
「はいっ!……ですから」

 ユイは、一呼吸置くと……、リュウキの目を見た。じっと見つめて。

「本当に何処にも行かないでくださいね……? お兄さん」

 ユイは、そう言っていた。
 何度言っても、不安になってしまうのは、これまでの経緯があるから、そしてまだリュウキが全てを思い出していないからだろう。憔悴しているキリトも見ているユイ。そして、何より……リュウキの想い人の事を思えばこそだ。

「……ああ。約束だ」

 約束と言う言葉。その言葉の重みはリュウキ自身はよく知っている。頭の中に流れ出る映像、声。その中には時折《約束》という言葉は出てくる。

 あの何処までも続くかの様に広く朱い空の下。自分達は約束をしたんだ。全てを思い出せてはいないけど……、約束と言う言葉はとても重い言葉。もう、二度と破ってはいけない。

 そう……二度と……。



 
 
 
 



~現実・桐ヶ谷家~




 そこでは……不穏な空気が流れていた。堪えきれない悲しみと慟哭。リーファ事、桐ヶ谷直葉は自分と兄、和人との本当の関係をある日を境に、知ったのだ。本当の兄妹ではないという事を……従兄妹だと言う事を。

 それを先に知ったのは和人だった。

 その事実を知って、直葉を遠ざけてきた過去があった。だが、SAOから生還を果たした和人は以前の様に直葉と接していた。SAOに囚われる以前の和人は、その現実を知ってしまった和人は、他人との距離感、人との距離感と言う物がまるで判らなくなってしまっていた。だからこそ、あの世界でリュウキと言う男の事が放っておけなかった、と言う事も今なら理解出来る。……過去の和人はネットワークの世界へと自分を向かわせた理由がまさにそれだった。仮想世界での自分はアバターを通して相手に伝わる。内面があって当然、誰もが本当の事を知らない、それを前提として交流するのだから。あの世界がデス・ゲームとならなければ、そこは和人にとって理想郷だった。だが、異常な状況となってしまい、和人には否応なく一つの真理へと誘われてしまったのだ。……あの世界で愛する人が出来、かけがえのない親友が出来、自分の中の小さな世界が露と消えていった。そして、現実世界も仮想世界も本質的には全く変わらないと言う真理にたどり着いたのだ。

 様々な事をあの世界で経験して、そして生還する事が出来た。自分にとって、あの約束こそが何よりだったが、病院で目覚め、そして直葉と再開した時……、和人はその瞬間、素直にまた会えて嬉しい。と感じていた。それと同時に、如何にこれまでの自分は無意味な疑問で、彼女を遠ざけてしまったのか、と後悔もした。だから、囚われてあえなかった2年、そして遠ざけてきた数年間、それらを取り戻すために、接してきたつもり、だった。
 ……直葉の気持ちにまるで気付くことなく。

 そして、それが直葉を傷付ける結果となってしまったのだ。キリトとしても、和人としても。

 本来、直葉もその事は、もっと時間をかけて話すつもりだった。……感情のままに、ぶつける様な事はしたくなかった。だけど、もう限界だった。だから、思わず言ってしまったのだ。

『こんな事なら、冷たくされたままの方が良かった。それなら、お兄ちゃんを好きだって気づくことも……、アスナさんのことを知って悲しくなることも……、レイナさんのことを想って傷つくことも、お兄ちゃんの代わりにキリトくんを好きになることも無かったのに!』

 直葉の叫び。それは、和人にこれまでの全ての事を思い知らされた。直葉の前で、アスナの事を語った事、涙まで流してしまった事。想ってくれている事も知らず、ただただ皆との約束の事ばかりで、彼女を見ていなかった事を。

 和人は、直葉の部屋の扉に力なくもたれかかり、ずるずると廊下に座り込む。直葉も、ベッドに倒れ込み、嗚咽を漏らしていた。

 このまま……、泣いたままで終わってしまうのだろうか?大切な人を傷つけたままで終わってしまうのだろうか?

 いや、それは違う。

 和人の中で、僅かずつだが芽生えてきた物があった。それは、あの世界で培われてきたもの。仲間達が、多くの人達があの世界で身を持って教えてくれたことを。直葉の為に、出来る事をしよう。……諦めないで、頑張ろう。その結果、何も変わらないかもしれないし、更に悪くなるかもしれない。だけど、このまま蹲っているのだけは嫌だった。

 この世界でも……自分にとっての大切な友の1人が教えてくれた事だ。

『悲しむくらいなら、蹲ってただただ膝を抱えて泣くだけなら……行動をしよう』

 そう、教えてくれた。自分は支えられ続けて、この場に還ってこられたんだ。だからこそ、ここで蹲ってはいられない。そして、何よりあの世界でも待たせている人だっている。
 何処にも行くなと言っておいて、待たせている人だっているんだ。


 和人は、ゆっくりと起き上がる。

 ……どれだけ時間が経ったかは判らない。けれど、しっかりとした足取りで立ち、直葉の部屋のドアをノックする。……力強く。

「スグ……、アルンの北側のテラスで待ってる」

 自分でも驚く程落ち着いた穏やかな声だった。……それは、直葉も感じていた。彼女も罪悪感と自己嫌悪に押しつぶされてしまっていたのだから。

(……あんなにひどい言葉を言ったのに……お兄ちゃんは……)

 本当に強い。自分はそんなに強くなれない。

 ふと、この時直葉は、数日前にベッドで蹲って泣いていた和人の事を思い出していた。そして、キリトとして出会ったのはその翌日。あれだけ泣いていた兄が、涙を振り払い、剣を握って身を通じてあの世界へと来たのだ。

(……あたしは、自分でがんばれって言っておいて……諦めちゃ駄目だって言っておいて、なのに自分はこうして泣き続けている)

『……しっかりしなさいよ。アンタくらいなんだからね。……このあたしにこんなにも構ってきたのは』

 ふと、声が聞こえた気がした。この声の主は……。

『……リーファ。君は強いよ。自信を持て』

 まただ。声が聞こえてきた。彼女達が……自分を慰めてくれているのだろうか?いや、違う。……勝手に自分が言わせているだけだ。勝手に頭の中で彼女達を思い浮かべて。こんなのはずるい、と思ってしまった直葉だったが、それでも良かった。辛い時に、一緒だった大切な仲間の声が聞ける。勇気も少し出てきた。……だからこそ、直葉は、すぐ横にある機械を手に取ることが出来たのだ。


 
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