ダンジョンにSAO転生者の鍛冶師を求めるのは間違っているだろうか
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独白
前書き
節目となる十話でこのパートが書けてかなりうれしいです。
楽しんで読んでいただければと思います。
少女からバッグを受け取り、別れの言葉を言葉少なに交わしてから俺は夕食を買ってから二日振りとなる工房に向かった。
その道中、北東のメインストリートから路地に入ろうとしたところで、俺はその人物にばったり出会った。
「つ、椿さん…………」
その人物は驚くことに袴姿の椿・コルブランドだった。
角を曲がったすぐ目の前に現れた椿さんに俺は硬直。
椿さんは突然眼前現れた俺に僅かに目を見開いて、俺と同じく硬直していた。
脳裏を過ぎるのは、『金輪際手前に話し掛けるな』と親の仇を見るような目で言われたあの時。
硬直から復帰した時に何を言われるかということに少し戦々恐々としながら、身構えていると、
「………………」
椿さんは俺の目をしばらく見据えてから、顔を背け、俺を避けるようにして歩き去っていった。
虚をつかれて呆然としていた状態から回復し、振り向いた時には既に椿さんの姿はどこにもなかった。
何だったのだろうかと首を傾げながら、俺は工房に向かうことになった。
工房にすべての鉱石をいつもの箱に入れる。
その箱が溢れた。
昨日気ままに採掘した分と今日の分で一週間ぐらいダンジョンに潜る必要がなくなったみたいだった。
「………………まあ、いいっか」
別に多すぎて困ることはない。
山盛りの鉱石をそのままにして、バッグと小型鶴嘴をストレージになおし、工房を出た。
それからは夕食の干し肉をちびちび食べながら、工房の周辺を歩いて、新たな宿を探した。
◆ ◆ ◆
翌朝、少し慣れない柔らかめのベッドでいつもより早く起床した。
窓から差し込む日差しが暖かく、いい目覚めとなった。
はずなのに、昨朝のように、いや昨朝のものより大きな黒々とした密度の濃い雲のようなもやもや頭の中心を占拠している。
寝ている間に規模を増しているようだった。
洗面所で顔を洗うも、水は顔の表面を流れるだけで、頭の中をすっきりさせることができない。
もう一度寝れば今度は治るだろうかと、ベッドに横になって目をつむったけれど、俺を眠らせないようにするかのように頭痛が走った。
その頭痛はまるで頭蓋を万力で締め付けられているような全体に鈍痛を感じるものだった。
当然眠気なんて来なくて、起き上がる。
すると、頭痛は消えた。
何だろう、と考えても何も考えつかない。
病気だろうか?
医者に見てもらったほうがいいのか?
ていうか、何でもポーションで治るこの世界に医者がいるのか?
なら、頭からポーションを浴びればこの頭のもやもやは消えてくれるのだろうか。
…………とは違うよな。
このもやもやは肉体的なものではない気がして、思考を止める。
すると、精神的なものになるのだろうけれど、それこそ誰に相談すればいいのかわからない。
まあ、ほって置けば治るだろう。
そう見切りを付けて、俺は部屋を出た。
それから、ふと思い出した昨夜のことを考えながら工房まで歩いた。
数分もかからず、工房に着いた。
だけど、少女の姿はそこにはなかった。
昨日の一件で、顔を合わせるのが気まずかったのだろうと思ったけれど、どうしたのだろうかと、何故か思わずにはいられなかった。
どうしたのだろうか八割と清々した二割の気分でいたけれど、すぐに清々とした気分は、物足りなさに取って代わっていた。
我ながら馬鹿馬鹿しくも周囲を見回してしまう。
だけど、結局少女はいないと再確認することになっただけの俺は静静と工房に入った。
あいつのことだから何事もなかったように出てくるだろうから対策を考えないと、なんて思いながら。
◆ ◆ ◆
工房に入ってまず、炉に火を入れる。
それからは、手慣れた手順で精錬モードに切り替えて、木炭を焼べるように鉱石の山から適当に選んで、炉に放り込んだ。
それから少ししてお馴染みの形に成形されたインゴットを取り出していく。
すると、取り出し終えるのを見計らったように、背後の扉が軋む音で来訪者を知らせてきた。
それ見ろ、来ただろう、と思って振り返った。
「今度は何を――」
しかし、振り返った先にいたのは少女ではなく、朱髪の神だった。
「あら、ノックしていないことに何も言わないの?」
ニッコリとした笑みを浮かべるヘファイストス様を見て、俺は思いがけず、一瞬固まり、
「あ、いえ、もう無駄だと思っていますので、ははは」
どうにか取り繕うことに成功する。
「ふふっ、傷付くわね」
その俺の返事にヘファイストス様は全然傷ついたような風もなく、笑う。
「それで、今日はどのような御用でしょうか、ヘファイストス様?」
俺はヘファイストス様はしばらくいるだろうと思い、炉の火を消して言った。
「今日は用があるの。あなたも知っているはずよ」
「?」
笑うヘファイストス様に訊いた俺は、ヘファイストス様の返事に首を傾げた。
「覚えていないの?例の直接契約を申請してきた人物に工房を突き止められたから、何か対策を練るって言ったじゃない」
「ああ、そうでした」
言われて完全に思い出した。
ていうか、主神様の申し出を忘れるとは何たることかって感じだけど。
「俺の方は………………すいませんが、何も思い付きませんでした」
忘れていたとは言え、一応何度も考えていたたけれど、何一つ策が思いつかなかった。
こうなるとヘファイストス様が考えてくださった案を飲むしかないようだ。
「別にいいわよ。そんなことだと思って考えてきたのだから」
ヘファイストス様は気にした風もなく、それどころか少し面白そうに言った。
「それで導き出された対応策はたった一つだったわ」
「…………その一つは何ですか?」
これでまた平常通りの生活に戻れると思いながら、少し期待を膨らませて訊く。
本当にそれでいいのかというもう一人俺の囁きは無視して。
「完全に身を隠してもらう作戦」
「…………作戦?」
「そう」
ヘファイストス様は大まじめな顔になって説明を始めた。
というか、大まじめな顔になったのを俺は始めて見た。
………………かなり失礼だけど、何だか嫌な予感がして心から怖い。
本能の部分が何か災厄めいた予言を呟いてくる。
「ヒロキにはある建物の中にほとぼりが冷めるまでずっといてもらう」
「………………はい?」
ヘファイストス様の提案を俺の脳は素直に受け入れなかった。
…………身構えたはずなのに、俺は耳を疑わらざるを得なかった。
しかし、内心ヘファイストス様の提案の内容は妥当に思える。
だけどしかし、俺の何かがそれに驚愕し、受け付けない。
その正体不明の驚愕に俺が驚いていた。
気付かぬまに薄れてきていた頭の中の靄がまたその濃度と体積を増させている。
と、感じた時にはそれは目の前にあった。
眼前の中空に黒い靄がうごめくように浮いている。
向こうに立っていたヘファイストス様がそっぽり隠れてしまっているのだから、相当濃い靄だとわかった。。
だけど、次の瞬間にはそれは跡形もなく消えていた。
目を瞬いても、靄は現れなかった。
「…………外に出るのはいいのですか?」
俺は靄を幻覚だと無理矢理決め付け無視し、どの部分に驚愕させられているのか探るように訊いた。
「だめね。だけど、外の空気を吸うのも大事だから一ヶ月に数回くらいならいいかしら」
この解答に俺は驚かなかった。
ほぼ軟禁状態であると宣告させられているというのに俺はそれに何等驚きを感じなかった。
ていうか、こんなに大事だったのか、と他人事のように思っているほどだった。
「………………それで、ずっとってどれくらいですか? 一ヶ月に数回って、少なくとも一ヶ月間を想定しているということですか?」
なら、と俺は次の質問をする。
「そうねー。あの子しつこそうだから、半年ぐらいなるかしら」
「半年ですか…………」
半年という短くない期間を言い渡されても、やはり俺の心は微動だにしなかった。
じゃあ、俺は、否俺の一部は何に驚いたのだ、と思うまもなく、
「…………その間って鍛冶は」
気付かぬうちに口にしていた。
何故口にしたかわからない。
もしかして鍛冶ができないことを懸念しているのだろうか。
半年間鍛冶ができないことを俺がどうして懸念するのだろうか。
「無理ね」
ヘファイストス様は一言きっぱりとした声音で言った。
「ですよね…………」
最後の返答を聞いて俺は黙り込んだ。
頭全体にかかるように広がっていた靄が次第に寄り集まっていくように感じた。
さっき目の前に現れた黒い靄を見ただけに、寄り集まっていく光景が生々しく眼前に浮かんだ。
それを言葉で表すなら、宇宙で塵やガスが寄り集まって恒星ができるプロセスをシュミレートしているかのようだった。
確かに身を隠せば、所属ファミリアが困窮している少女が俺にずっと構ってられないのだから、どこかでほとぼりは冷めるのだろう…………いや、だといいんだけど、それは今は関係ない。
身を隠すのは別にいい。
半年と言わず、一年でもいい、平穏に生きられるなら。
だけど、その間鍛冶ができない。
この事実に俺は少し、いやほんの僅か心が揺らいだように感じた。
俺は素材を適当に選んでいるし、鎚も適当に振っているのだから、鍛冶になんて何の思い入れもないはずがないのだ。
ていうか、何故俺は鍛冶師をしていたのかすらわからない。
今まで何故こんなことが疑問にならなかったのかさえわからない。
そんな俺が、
「あら、どうしたの、ヒロキ、迷っているの?」
何に迷っているのだろうか。
脳内の少しずつ寄り集まっていく靄がゆっくりと霧状から固体に移り変わっていくのがわかった。
そういえば、俺はこの都市に来て、ギルドに案内され、そこの受付で生きる道を二つ示されたのだった。
一つは冒険者。
もう一つは鍛冶師。
そこで、俺は迷うことなく鍛冶師を選んだったのだった。
「何に迷っているのかしら?半年間ぐらい外にほとんど出られないこと?それとも半年間ぐらい鍛冶ができないこと?」
記憶に意識を沈ませていると、不意にヘファイストス様の柔らかな声が降り懸かってきた。
「…………迷っているのでしょうか、自分にもわかりません」
俺は力無く言った。
気付けば意識の半分は朧げな一ヶ月前の記憶、もとい固体になりつつある靄の中にあった。
ギルドで紹介されたファミリアに行って、俺はヘファイストス様に出会った。
神様という存在と初めて出会った瞬間だったけれど、全然何とも思わなかったのを覚えている。
そして、そのヘファイストス様に導かれてある部屋に通され、剣を見せられた。
鍛冶師でない俺でも一目でそれがただならぬ剣だとわかった。
それを見ている俺はヘファイストス様に『違うと思ったなら別の派閥に行きなさい』と言われて、『いえ、ここでいいです』と何にも考えずに言ったっけ。
その時のぽかんとしたヘファイストス様の顔ははっきりと覚えている。
「もしかして、鍛冶ができなくなるから、迷っているの?鍛冶なんて片手間にしているヒロキが?」
そのヘファイストス様が靄の外から語気を強めて言う。
なんだ、気付いていたんじゃないか。
あれだけ精が出てるわねとか言ってた癖に。
「俺は何で鍛冶師になろうと思ったのでしょうか?」
俺は何故鍛冶師になったのだろう。
何故冒険者の道を切り捨てて鍛冶師になったのだろう。
密度の濃い一寸先も見えなくなった靄の中の俺は何も見えず、何もわからなかった。
「そんなこと私に訊かれても困るわ」
突き放すようにヘファイストス様が言った。
固体になりかけている靄の中だからだろうか、俺の耳に入る外界の音が阻害されてぼやけてきた。
それは当たり前だ。
俺自身がわからないのというのに――神とは言えど――他人がなんでわかり得るのだろう。
と、思っていると
「だけど、そうね。関係があるかはわからないけれど、あなたに感じていることを言っていいかしら?」
と、ヘファイストス様は続けた。
何だろうか、出し抜けに。
「ええ、いいですよ」
俺は靄の中から言った。
果たしてヘファイストス様に自分の声が届いているだろうかと心配したけれど、
「なら、言わせてもらうわ」
届いていたようだ。
「あなた、人を避けていないかしら?」
と、言われて、胎動するように靄が揺れ動いた。
「それは、当たり前でしょう?秘密を隠すためにできるだけ人を避けているのですから」
それを感じながら、訊いた。
「それとは別に、あなたは人を避けている理由がある、と言いたいのよ」
ヘファイストス様はまるで俺がそう答えることはお見通しであったように俺が言い終わると同時に言った。
「入団して一週間もしないうちに、一人で宿とって寝泊まりしはじめて、ホームには一切寄り付かなくなったわよね。それに、普通は冒険者依頼で素材を集めるところを、ヒロキは自ら集めてくるでしょう?」
「それがどうしたのですか?」
俺はヘファイストス様が言わんとしていることに薄々気付きながら訊いた。
「可笑しいじゃない?だって、ホームに寄り付かないなんて、逆に怪しまれるでしょう。ホームにいても他の鍛冶師から鍛冶のことで何か訊かれることはないのにね」
…………確かにそうだ。
個人の技術が漏洩しないように個別に工房を与えている【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師に限ってそれに触れることを訊いてこないはずだというのに、俺はホームに寄り付かなくなった。
まるで怪しんでくれと言わんばかりだ。
「それに、冒険者依頼なんて素材を届けに来るときぐらいにしか冒険者と顔を合わせないというにも拘わらず、ヒロキは冒険者が沢山いるダンジョンに自ら潜るっているじゃない。本末転倒もいいところね」
ヘファイストス様は本当に可笑しそうな声音で言った。
再び靄が胎動する。
その靄が残り少なくなってきて、靄に隠れていた黒い固体があらわになった。
その球体の周りを麦藁帽子のつばのように靄があった。
無意識のうちに目を逸らしていた何かが形を成し始めているようだった。
「………………つまり、俺は自分の異常性を隠すという建前に人を寄せ付けたくないという本音を隠していた、ということですか?」
俺はわかりきったことを訊いた。
「そうなのかもしれないわね」
その俺に何も言わず、ヘファイストス様は肯定の言葉だけを告げた。
「俺は………………目を逸らしているということですね」
と言う終わるが早いか、頭の中の靄は球体に完全に呑まれて、ぽつんと漆黒の球体が残った。
それは見るからに堅く、何物も寄せ付けないような雰囲気を放っていた。
「それと、突然だけど、隠し事を明かすと、私はあなた夢にうなされているのを聞いたことあるのよ」
「……えっ?」
唐突な暴露に呆然として、意識を完全に現実に引き擦り戻されてしまった。
「あれは、ヒロキがまだホームにいた時の夜…………いや、ホームに寄り付かなくなった日の前夜だったわね。お忍びであなたの部屋に行ったのよ。正体が気になってしょうがなかったのよ」
まるでその時のことを昨夜のことのように語るヘファイストス様の瞳は星をちりばめたように煌めいていた。
その目から視線を少し落とすと、視界に黒極の球体が現れた。
その球体には俺の知らぬ間に微かなひびが走っていた。
「だけど、訊けなかったわ。何でだと思う?」
その球体から目を離し、主神の顔を見ていた俺にヘファイストス様が煌めきの消えた目で問うた。
何故わざわざ俺に問うたのかわからなかった。
「さあ、どうしてなんですか?うなされていたからですか?」
「違うわ…………正解は、私がノブに手をかけようとした時にヒロキの叫び声が聞こえたからよ」
「…………叫び声…………」
俺はヘファイストス様の口にした言葉に昨日のことを思い出すとともに、朧げにあの日のことを思い出していた。
俺はあの夜、本能かまた別の何かに急き立てられるように飛び起きたのを覚えている。
体は汗で塗れて、服が肌に張り付いて不快感を禁じ得なかった。
喉に残る熱い感覚が叫んでいたことを暗に物語っていた。
何を叫んだかはわからない。
だけれど、身近の者にその叫びを聞かれたくないと思った俺はホームを出て、それからは叫ぶことがなくなっても他の団員を避けるように生活しはじめたのだった。
「ヘファイストス様…………」
今なら何を叫んだかわかる。
「あら、何かしら?」
「俺は『ミナト、どけ』と叫んでいませんでしたか?」
躊躇うことなく言った。
その時、黒い球体のひびが更に広がったのを感じた。
「ええ、そう叫んでいたわ。私はそれを聞いて、あなたに壮絶な過去があると思って、訊かなかった、いや訊けなかったのよ」
ヘファイストス様の告白に更にひびが広がり、ぼろっ、とかけらが落ちる。
そのできた窪みから染み出すように黒い液体が流れ出して脳内に広がっていった。
それにつれて、記憶の奥底に追いやり閉ざしていた記憶が、胡乱であるものの浮かび上がってくる。
「壮絶なんかではありませんよ…………ただ――」
「はっ、どうせそんなことだろうと思ったわ」
その胡乱な記憶の中を彷徨っているように脳裏に浮かんでは消える情景を見ながら答えようとしたその時、それを遮るように、ヘファイストス様の背後の開けっ放しの扉から入ってきた者が呆れたような声音で言った。
「あら、椿じゃない」
ヘファイストス様は振り返ると、その者に何でもないように言った。
「椿……さん?」
その者は昨夜会った椿さんだった。
「またこのような所におってからに。やることが残っておろうが」
その椿さんは例によって例の如く俺は存在していないかのようにこちらを一切見ずにヘファイストス様に責めるような口調で言う。
「あら、これもやらないといけないことよ?」
しかし、全くとして動じないヘファイストス様はにこりと笑みを浮かべて返す。
「ふん、こんな者は構ってやるだけ付け上がる」
確かな怒りがこもった目で俺を見ながら言った。
「…………それは、どういう意味かしら?」
その椿さんにヘファイストス様は声音に冷気を孕ませて訊く。
椿さんとヘファイストス様の間を緊張が走った、そう俺は感じた。
「平気な顔してへらへらしておる癖して、いつまでも目は自分がこの世の中で一番不幸だと言っているかのように死んでおる。平気な振りもまるで自分が無理して平気に振る舞うことで周りの気を引こうとしているように見えさえする。その所為で此奴を見る度に吐き気を催すわ。手前はこういう輩が心底大嫌いだ」
しかし、椿さんは躊躇うことなく言った。
その躊躇いのない言葉に黒い球体に中心にまで届く大きなひびが入る。
そのひびから堰を切ったように粘性の黒い液体が噴きこぼれる。
それに伴い脳裏を過ぎる光景が怒涛のように数を増やす。
その光景の多くはあの時のものだ。
すべての光景が心を深くえぐる。
見たくない、見せるな、痛い、死にたくなる。
そんな訴えを無視して刃となった光景が心臓に突き刺さっていく。
「それは独断と偏見が過ぎないかしら、椿。言っていいことといけないことぐらいわかる分別は持っていると思っていたのだけど?」
ヘファイストス様の冷めた声が聞こえたけれど、霧がかかったように内容は聞き取れなかった。
だけど、続けて椿さんの声は何故か鮮明に聞こえた。
「はっ、主神様こそ過保護ではないか?どれほど大切な仲間を失ったかは知らないが、冒険者になったからにはその覚悟はあったはず。それだというのに、いつまで死んだ目をしているつもりだ!いつまで現実から逃げている!死んでいった仲間が今の此奴を見てどう思うか何故考えぬ!何のために生き残ったのかもわからずにのうのうと生きている此奴が手前は理解できぬ!!」
「…………だったら…………だったら、どうすればいいんだよっ!!」
椿さんの怒声についに決壊した黒球から液体が溢れ出し、津波となって押し寄せた激情に俺は叫んでいた。
頭の中が焼け付くように熱く、何かが焼き切れる音が聞こえたような気がした。
真っ赤になった視界全体に仲間の死に際が映る。
「俺はリーダーなんて器じゃなかった! だから皆を死なせてしまった! それぐらいわかっている! だったらどうすればよかったんだよ!! こうして一人だけ生き残って!生き恥を曝して!だけど、生きてって言われて!俺はどうすればいいんだ!! 俺の所為で皆は死んだんだ!! 俺に対人戦の経験がなかったら死んだんだ! 俺が強くなかったから、皆は死んだんだ!! それなのに生きろって言われたってよっ!!! どう生きればいいんだっ!!! 思い出すと死にたくなるから俺は何もかも忘れたっていうのに!! 冒険者になれば同じことを繰り返すからってならずに!!俺は少しでも許されようと鍛冶師になって!!武器作って!! 無意味だっていうのによっ!! 人を避けているのもそうだ!! あのギルドだって知らぬ合間に集まってきた皆でできたんだ! そんな仲間だけど! 一緒にいたら楽しくて!だからずっと一緒にいたいなんて思ったから! 思ったから皆死んだんだ!! 俺は、俺は皆のいるところに行きたい…………クリアできたら会おうなんて、付き合おうなんて言っていたあの時に戻りたい…………死にたい」
だけど、死ねない。
最後に聞こえたミナトの声は、生きて、だった。
生きなければならない。
だけど…………どうすればいいのかわからない。
「どうすれば……いいんだよ……………」
完全に赤色の抜けた視界を絶えず流れ出してくる涙で揺らして、膝がくだけたように崩れ落ちた。
脳裏に浮かび上がるのはデスゲームという地獄の中でも楽しかった眩しい日々。
そして、もう手の届かない遥か遠い綺麗な思い出。
「そんなの誰にだってわからないわよ」
唐突なこの場にいなかった者の声に俺はゆっくりと顔を上げた。
目に入るのはいつの間にか扉に背を預けて、腕を組んでいる少女。
「答えなんてないんだから」
その少女は続ける。
目尻が赤くなっている。
「そうね。答えられる者はもう皆ここにはいないんでしょう?」
少女の後に続いてヘファイストス様が俺の前で膝を折って言うと、にっこりと笑って俺の頭を撫でた。
俺は呆然としてされるがままだった。
「ヒロキの仲間はもういない、いないけれど、あなたの中には残っているはずよ。その仲間達はどう言っているかしら?あなたを怨んでいるかしら?」
その俺に語りかけてくる。
その声を追うようにして眼前に浮かび上がる四人の姿。
四人は並んで幸せそうに笑っている。
端の一人、プレイヤー名がカマボコだった少年、が手を振りながら、振り返り、背後の光の中へ消え、
端のもう一人、プレイヤー名がタケダだった成人男性、が突き出した拳の親指を上げてから振り返って、背後の光の中へ消え、
中心のうちの一人、プレイヤー名がダグラスだった筋骨隆々の男、が腕を組んで一際大きな笑い声を上げてから振り返り、背後の光の中へ消え、
最後の一人、プレイヤー名がミナトだった少女、が恥ずかしそうに控えめに手を振って、ゆっくりと振り返り、背後の光の中へ消えた。
それと同時に視界は閃き、再びヘファイストス様の顔を映し出す。
「あ…………あぁあ……うううぅ」
俺は首を垂らし、抑え切れなくなった嗚咽を漏らしながら、しばらく涙を床に落とした。
その間ずっとヘファイストス様は俺の頭を撫でた。
じっと俺とヘファイストス様を見る少女の視線に気付いて、実はすごく恥ずかしいことをされていると気付くのは、少しばかり後のことだ。
◆ ◆ ◆
「したいことが見つかりました」
俺は目の前に立つヘファイストス様に言った。
頭の中には黒い靄も球体もなくなって、その分体が軽くなったような感じがした。
「そう? なら、もう私の考えた対応策はいらないわね」
ヘファイストス様は深い笑みを浮かべて言った。
「はい。手間をかけさせました」
俺はその主神にぺこりと頭を下げて言った。
「いいのよ。これで私の根回しも無駄にならなかったのだし」
「?」
「こっちの話よ」
ヘファイストス様の言葉に疑問符を頭に浮かべている俺の額をつんっと突いてから、主神は振り返って、扉に歩き出した。
「また来るわ。次会う時、ヒロキがどう変わっているか楽しみだわ」
そして、扉をくぐり抜ける前に、そう言い残して出ていった。
それを見送って俺はその扉のそばの壁にもたれ掛かる少女に向き直った。
少女は横を見ていて俺の方を見ようとしなかった。
けれど、横顔の目尻が未だに赤いのがわかる。
「えーっと」
その少女にどう話し掛けようかと思っていると、
「仲間をミナトって呼んでたんでしょ?」
少女が怒ったような口調で言った。
「そうだけど?」
「なら、私は赤城と呼びなさい」
そう、きっぱりと言うと、壁から離れて、くるっと俺に背を向けてしまった。
「わかった。それで、赤城、直接契約のことなんだけど、受け入れることにする。これから宜しく」
その背にあっさりと俺は言った。
もうすることは決まったんだ。
「………………本当にそれでいいの?」
赤城が風だけで掻き消えそうな小さな声で訊いてきた。
「どういう意味だよ?」
「だ、だから、したいことはもっと別にあるのじゃないのかって言ってるのよ」
「ないよ。今は。今はただお前みたいな奴が大事にしている仲間が気になるんだよ」
「なっ、お前みたいな奴ってなによっ!」
少女がばっと振り返るとムキーという感じに怒り出した。
「お前みたいって言ったら、お前みたいってことだよ、くくっ」
その姿に耐え切れず、俺は笑ってしまう。
「何笑っているのよ!」
その俺に更に少女が声を大きくして、俺も笑い声を大きくしていった。
後書き
いかがだったでしょうか?
楽しんでいただけていたら私の欣幸とするところです。
よろしければ、感想お願いします。
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