その夕方、双葉はスナックお登勢のカウンター席の端っこでピザもどき(ピザトースト)を頬張っていた。
「双葉様、あまりお元気がないようですね」
カウンター内に立つたまが淡々と言う通り、双葉はつまらなそうに食べていた。
しかし大好きなピザを食べる時でも双葉は無表情だ。知らない人からすれば味気なくただモグモグ口を動かしてるだけにしか見えない。
今日も普段と変わりない……と他人からはそう見えるだろう。
だが実際双葉は落ちこんでいた。それは毎日カウンターで見てるたまだから分かる事だ。
「私の分析では銀時様の不在が原因と……」
「黙っていろ」
「了解しました」
苛ついた眼に言われた通り、たまは次の命令が来るまでその場で沈黙する。
久々に依頼が来て新八たちと出かけた銀時は、そのまま帰って来ない。
新八の話によると「用を足してたはずなのにいきなりいなくなった」とのことで、昨日から行方知れずだ。
野良猫退治にいつまで時間をかけてるんだ、と双葉はたまお手製のピザもどきを不機嫌にむさぼる。
「あらら。こりゃ珍しいお客さんだ」
お登勢が開けた店の戸から数匹のネコとゴリラが入って来た。
そんな珍しい小さなお客たちをお登勢は店の余りモノで持て成した。
相当腹が減っていたらしい。ゴリラはバナナを口へ投げこみ、白と黒のネコはムシャムシャと余りモノのごはんに食いついている。
「あんたがここに来るなんて何年ぶりだろうかね。にしても驚いたよ、あんたが友達連れてくるなんてさ。あたしゃてっきりまだ一匹でつっぱってるもんだと思ってたよ」
まるで旧友と再会したかのようにお登勢は耳のない猫と話している。ただ猫は椅子の上でふて寝していて無愛想だ。
「お登勢殿、知り合いか」
「昔ちょっと世話してやってのさ。こいつは敵作るのばかり上手くてね。でも不器用なだけで根はいい奴なのさ」
お登勢がそう言うと耳のない猫はプイッとそっぽを向く。実に可愛くない。
いつもの双葉なら猫に――可愛いモノに人知れず胸をトキめかせるが、今日はそんな気分にならない。こっちも無愛想に何枚目かのピザもどきを口に投げこむだけ。
「ん?」
一匹のネコが双葉をじっと見ている。
くるくるした毛むくじゃらの白い猫は眠たそうな半開きの瞳で何か言いたげに覗きこんでいるようだった。
「なんだ、欲しいのか」
とろけるチーズとベーコンがのった食パンのピザもどきを差し出すが、白ネコは興味なさそうに顔を背けた。
「そうかそうか。そんなに欲しいのか」
エサ皿に戻ろうとする白ネコを持ち上げ、双葉は食べかけのピザもどきを押しつける。
「ほら食え」
白ネコは少し悩んでるようだったが、腹が減ってるせいかピザもどきに食いつき残さず全部食べた。
「にゃ~」
「……食ったな」
「ニャッ!?」
ビクっと身構える白ネコ。腹黒い笑みを浮かべて見下ろす双葉。
「与えられたからには恩を返すのが礼儀だろ、人間もネコも」
「ニャーニャー!ニャニャー!!」
「まぁまぁそう固くなるな」
暴れる白ネコを掴み上げ双葉はそのままカウンターに置く。
何をされるのかと怯えるようにビクビクする白ネコだが―
「黙って私の愚痴を聞け」
「にゃ?」
「へ?」と聞こえそうな間抜けな声をもらす白ネコ。
だが双葉は気にせず愚痴を話し始めた。
「野良猫は大変だな。その日のエサも自分で取らなければ生きていけない。だが飼われてる
猫よりは自由きままに逞しく生きていて正直尊敬する」
「………」
「私の兄者も自由きままで……お主たちと似ている。尊敬はできんがな」
「………」
「チャランポランで甲斐性もなくだらしのない兄者だ」
「………」
「昨日からフラフラ出かけて帰ってこない。全く、どこをほっつき歩いてるんだか」
「………」
「自由きままは野良猫だけにして欲しいものだな。人間だと迷惑のなにものでもない」
「………」
「……まぁ。私も人の事は言えないけどな」
「にゃ~?」
首を傾げる白ネコに双葉は溜息をつきながら『愚痴』を続ける。
「昔、勝手に別れを告げて突き放した。もう会わないつもりだった」
「………」
「なのに私はここにいる。あんなことをしたのに兄者は何も言ってこない」
「………」
「ただ
万事屋にいさせてくれる」
「………」
「正直、また兄者と一緒にいられるなんて思いもしなかった」
「………」
「そう、まだ支えられてる。こんな歳になってもな」
「………」
「ああ、ずっと迷惑をかけっぱなしだ。単なるお荷物だよ、私は」
「………」
「わがままで、そのくせ何もできない、どうしようもない妹さ」
「………」
「だから……どうやって恩を返したらいいのか分からないんだ」
「………」
「いつも護られてばかりで」
「………」
「そんな私が兄者に何ができるのか。探してはいるんだが見つからない」
「………」
「お主だったらどうする?」
「………」
「……なんてネコのお主に聞いても仕方ないな」
双葉は苦笑して白ネコの頭に優しく手をのせた。
「黙って聞いてくれてありがとな。ピザもどきが食べたかったらまた来い。私の愚痴つきだけどな」
そう言って双葉は白ネコの頭を撫でる。
くるくるしてる毛の割にはさわり心地がとても良く、何だか懐かしさを感じる。
できればもっと撫でていたい。しかし耳のないネコが他の仲間を引き連れ戸の前で鳴いている。そろそろ時間のようだ。
「なんだ、もう行くのか。そうだ。兄者に会ったら伝えてくれ。もうすぐ誰かの誕生日だが戻ってこな いなら何もやらん、と。それとさっきの話――」
双葉は白ネコに顔を近づけおもむろに人差し指を口に当てて
「兄者には内緒だぞ」
薄く笑みを浮かべて言った。
白ネコはそんな双葉の忠告に対して
「にゃ」
と軽く叩くように彼女の頬に前足を当てた。
そしてカウンターを飛び降りて耳のないネコ達と一緒に店から出て行った。
「……可愛くないネコ」
頬杖して野良猫たちが通った戸を見ながら、双葉はぼそりと呟いた。
* * *
数日後。
昼の賑わうかぶき町を、銀髪の兄妹が歩いていた。
「なんで俺がテメーのピザまで払わなきゃいけねェんだよ」
銀時が札の少ない財布の中を苦い顔で眺めながら言う。
「数日のガキお守(もり)代安いもんだろ、ピザ10枚」
その隣で双葉が無表情に告げる。
行方知れずだった銀時は昨日ひょっこりと万事屋へ帰って来たが、どこに行ってたのかうやむやなまま話さない。
翌日、パフェを食べにいく銀時の後を勝手について来た双葉は、たくさんのピザを注文した。社長がいない間の万事屋のまとめ役代と称しながら。
「ったくやっと帰って来たのにおかえりもなしでピザ奢れかよ」
「嫌なら二度と勝手に遊び歩くな」
そう双葉は冷たく言い切って銀時のやまない愚痴に水をさす。不機嫌な妹に銀時は頭をかいて渋々ながら口を開く。
「遊び歩いてねーよ。
友とフラフラしてただけだ」
「そうか。ならそのダチにも奢ってもらんといかんかもな」
「そいつは無理だ。奴ァ俺のことなんざ分かんねェだろーからよ」
「……?」
事の意味がよくわからず首を傾げるが、銀時は何も言わない。
その態度に腹が立ち、双葉はますます不機嫌になる。
「なら兄者が全部奢れ。次はラーメンだ」
「まだ食う気かっ!」
銀時の財布の悲鳴も無視して双葉は先へズンズン歩く。
その時耳のない野良猫が横切ったのを妹は気づかなかった。
だが兄は足を止めて振り返る。
「兄者、どうかしたのか?」
それに気づいて振り返ってみると、何かを見ている銀時の姿があった。
「……いや。なんでもねーよ」
そう言って銀時は妙に澄ましたようにほくそ笑んで先を歩いて行く。
訳がわからない双葉は何を見ていたのか探してみるが、それらしいモノは見つからない。仕方なく銀時を追うように再び歩き出した。
かぶき町のボロ家の納戸が汚されていたことに気づかずに。
野良猫の小便で「ありがとうダチ公」と。
* * *
「オヤジ、ラーメン2つ」
「チャーシュー大盛りゆでタマ付きでな」
川辺にひっそり営むラーメンの屋台に銀髪の兄妹が入る。
注文の付け足しに兄は苦い顔をするが妹はただ座って料理を待ち、それから数分もしないうちに
器に盛られた二つのラーメンをそれぞれ食べ始めた。
すっかり日が暮れて肌寒い風が吹く。そんな夜に食べるラーメンはいい感じに身体を温める
「よくもまぁそんなに食えるな。オメーの胃袋は宇宙か」
「ブラックホールだ」
ラーメンをすすりながら愚痴る銀時に双葉は平然と言う。
ピザ10枚でも相当腹がふくれるのに、双葉はチャーシュー大盛りラーメンをぺろりと平らげていく。ほっそりした容姿の割に、見かけによらず彼女は大食いなのだ。
双葉の食欲はどんどん満たされていくが、逆に銀時の財布はどんどんしぼんでいく。
「財布ごと吸いこむんじゃねェ!」
「言っただろ、ガキ二人のお守代だ」
「……だからって今日じゃなくってもいいだろーが」
ぐれるように銀時は呟く。その
表情はどこか寂しげだった。
「………」
ふいに自分の器にあったゆで卵を双葉は銀時の器に移す。
「ん?」
「私はこれくらいしかできないから」
そうして今度はチャーシューを移してボソリとこう言うのだった。
「…誕生日…おめでとう…」
そうして双葉は顔を背ける。それはほんのり赤くなった頬を隠すかのようだった。
一方で銀時は器に浮かぶゆで卵とチャーシューを見つめる。
「……忘れてると思ったか」
「いんや。覚えてたんだろ。知ってっぜ」
そう言って銀時は妹からのささやかなプレゼントを味わうのだった。
* * *
小さな街灯だけで照らされた夜道を歩く銀髪の兄妹。
銀時は財布を上下にふってみるが何も出てこない。中身は完全に空っぽだ。
「おいおい明日から銀さんどうやって生きてきゃいんだ。酒も飲めねーじゃねェか」
「いいじゃないか。二日酔いしなくてすむ」
「そういう問題じゃねーよ!」
「いらない荷物背負ってるからいつも泣くはめになるんだ。食べたいモノを食い尽くすだけのブラックホールはあのデカ犬よりタチが悪い」
蔑むように双葉はごく僅かに黒い笑みを浮かべていたが、ふいにその瞳が暗くなる。
「迷惑でしかないな……」
陰が差しこんだその瞳でただ呟く。
「だから嫌になったらいつでも――」
「バカヤロー」
ふと双葉に差しこんでいた陰が消える。
ポン、と銀時が彼女の頬に拳を当てたのだ。
「途中で投げ出すくらいなら、最初っから背負わねェよ」
不意を突かれ何も言えなくなった双葉に銀時は面倒くさそうに告げる。
「何もできねェどうしようもねェって突っ立ってたらそれでシメーだ。ンな野郎と一緒にいたくもねーが……テメェは違ェんだろ?」
「え?」
唐突に言われ双葉は首を傾げるが、銀時はフッと笑って歩き出す。
「恩返しなんて大それたモンいらねーよ。今度パフェ食わせろ」
そう手を振りながら妹に勝手な注文をして先に進んでいく。
何がなんだか分からず、双葉の頭に疑問符ばかり増える。
ただ少し前にも今と同じようなことがあったような気がする。
そう、誰かに頬を軽く叩かれたような……
――…まさか!
顔が真っ赤になった双葉は急いで銀時のもとへ走り出した。
「あに――!」「お、きれーな月が出てんな」
追いかけて事の真相を聞こうとしたが、銀時はふいに立ち止まって夜空を眺めた。
つられて双葉も夜空を見上げると、美しく輝く月が二人を照らしていた。
「お月見すんのにもってこいだな」
「まだ食べる気か」
「ブラックホールのてめーが言うな」
皮肉を言い合う兄妹は互いに苦笑する。
ふと双葉は聞きそこなった疑問を思い出すが、口にするのをやめた。
ただの思い過ごしだ、と。仮にそうだったとしたら、かなり恥ずかしい。
そんなバカバカしい考えを捨てて、双葉は兄と一緒に月を眺めた。
暗闇の世界を静かに照らす夜の太陽を。
――月はいつも闇から護るように人々を照らしている。
――でも私を照らすのは月のように静かな光じゃない。
――もっともっと熱く燃える輝かしい光。
――ああ。私はいつも照らされてばかりだよ……。
どんな暗闇の中にいても
いくら陰が差しこもうと
そのたび心を照らしてくれる光がある。
それはとても暖かく優しい光。
けれど――
――……私はいつまで照らされてる気だ?
ふとそう思う。
その光が決して消えることはないと信じている。
だが、ずっと照らされてるわけにもいかない。
離れなきゃいけない日はいつか来る。
そう思うようになったのは大分前だが、未だに踏ん切りがつかない。
とはいえその心構えをするのは、少々気が早いと思う。そんな話が浮かぶ気配すら兄にはないのだから。
それなら今はまだいいだろうと、双葉はもう少しだけその光のそばにいることを選ぶ。
彼女の前に常夜の世界を照らす『月』が現れるその日まで。
=終=