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アンジュラスの鐘

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4部分:第四章


第四章

「そんなことがあってはならん。じゃが、わからんな」
 僧侶の声が暗くなった。
「人は醜いものも持っておる。若しかするとじゃ」
「外道も出るか」
「神に背く者が」
「そんな奴が大手を振って歩くようになったら日本も終わりじゃろうな」
「そうともばかり限りませんよ」
 だが神父はここで俯いてしまった僧侶に対して言った。
「違うのか?」
「はい、ほら、いつも言っていますよね。この戦争が終わったら」
「長崎のあの鐘を聞きに行こうと」
「この戦争の大義が間違っていなかったら。鐘の音が聴けますよ」
「そうか」
「そうですよ」
 神父は僧侶だけでなく神主も励ましていた。彼も暗い顔になっていたのだ。
「ですからね」
「そうじゃな。神も仏も見ておられる」
「主も」
「それが正しかったならば鐘をね」
「そうじゃな。ではその時な」
「はい」
「それまでは。御国に殉じた方々を弔おう」
「ですね」
「わしもじゃ。では行くぞ」
「はい」
 三人は頷き合った。
「御国の為に」
 彼等は今純粋な心の中にいた。人間はその一生の中で本当に澄んだ、純粋な気持ちになる時があるという。この時がそうであった。三人にとっては。今彼等は純粋に日本のことを想い、その大義を信じていた。だが。戦局はさらに悪化し、遂には沖縄まで戦場になっていた。
「英霊か」
 三人は今度は僧侶の寺にいた。そこの軒で暑くなりはじめている日差しを受けながら話をしていた。
「沖縄では皆死力を尽くして戦っておるらしい」
 僧侶は神主の言葉に応えて言った。三人は非常に難しい顔になっていた。
「その彼の手紙であった」
「何と」
「特攻隊に向かう若者達は皆、立派じゃと」
「そうか」
「立派に敵に向かい散っていくと。それが何とも言えず美しいそうじゃ」
「そうなのか」
「何て言えばいいかわかりませんね」
 それを聞いて神父も言葉を失った。
「自分の命を捨てて」
「それだけの覚悟があるのじゃろうな」
「覚悟、ですか」
 神主の言葉に応えるがそれでも言葉は失われたままであった。
「じゃから散華出来る」
「立派なことじゃ。じゃが」
 僧侶も言葉を詰まらせていた。
「何とも言えぬな。悲しい」
「はい」
 神父も同感だった。言葉は失っていたがこれはわかった。
「悲しいのう。そうして若い命を散らして」
「日本の為に、大義を信じて」
「そして死んでいくのじゃ。その若者達の後には何があるか」
「何もないのでは。彼等があまりに気の毒です」
「だからじゃ。わしは聴きたい」
「鐘の音を」
「信じているものは違えどな。それでも」
「彼等が信じていた大義があるのなら」
「聴きたい。そうじゃろ?」
「うむ」
 それは神主も同じであった。思慮深い顔でそれに応えて頷いた。
「何としてもな」
「そうでなければ報われんわ」
 僧侶はこうも言った。
「若者達が。この戦争に殉じた人達が」
「そして今も戦っている人達が」
「後になって侵略とか悪とか言うかも知れん。そりゃ他の国から見たらそうかも知れん」
 それでも。彼は言いたかった。
「日本には日本の大義があり理由があった。それは言いたい」
「そうですよね。だから私も」
「御国の為にか」
「主もそれを許して下さいます」
 胸にある十字架も捧げた。国の為に。それもまた信仰だからと思ったから。彼もまた僧侶と同じく自分にとってかけがえのないものを国に捧げていた。神主もそれは同じだった。息子を戦場に送り、その息子は片腕を亡くして帰って来た。だが彼はそれには何も言わなかった。御国の為だからと。命があっただけよかったとも思っていただろうか。だが神主はそれについては何も語らないのでよくわからなかった。
「わしは、間違ってはおらぬよな」
「そう思いますよ」
「だったらいいのじゃが」
 僧侶も最近めっきり弱気になっていた。戦局に鑑みてどうしても明るい心境にはなれなかったのだ。
 港の船はさらに減っていた。空襲も増える一方だ。もうおおよそのことはわかってきていた。戦争は日本にとってまずい状況にあると。それで彼も弱気になっていたのだ。住職も黙ることが多くなっていた。皆暗い心境になっていた。
「鐘です」
 神父はまた言った。
「きっと鐘の音が聴けます。ですから」
「そうじゃな」
「だからわし等も」
「はい」
「今は」
「そうじゃな。堪えよう」
「そして鐘を」
「聴けますよ、きっと」
 いささかではあるが暗い気持ちは晴れた。だが戦局は悪くなる一方であった。大尉の顔も暗くなるばかりでありそれもまた戦局を雄弁に物語っていた。
「何、大丈夫ですよ」
 それでも彼は神父にはこう述べて安心させるのであった。
「本土には断じて入れません」
「左様ですか」
「は、何があっても」
 顔は暗いが声は強かった。しかし。その顔色は真っ暗であった。それは隠しようがなかった。
「ですから。御安心下さい」
「はあ」
「貴方はそのまま御自身の仕事をされていればいいです」
「それで宜しいのですね?」
「それもまた御国の為だからです」
 大尉は言った。
 
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