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義愛

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3部分:第三章


第三章

 台湾に入ってみるとまずはその暑さに驚いた。
「何なんだ、ここは」
「これが台湾だ」
 赴任地へ案内する下士官が彼にそう言った。
「これがですか」
「暑いだろう」
「はい」
 手拭で顔の汗をぬぐう。ぬぐう側からまた汗が流れ出る。
「日本とは違うのだ、ここは」
「その様ですな」
「何もかもな。これは聞いていると思うが」
「はい、船でもよく聞かされました」
「気をつけるんだ、病も酷い」
「病も」
「わしの同僚も何人かそれで死んでいる」
 台湾は風土病の多い島であった。コレラや赤痢、ペストまであった。そのせいで住民の平均寿命も極めて短く日本軍もここで多くの者が倒れているのだ。
「それに民もな。凶暴だ」
「民もですか」
「阿片もある。どうしようもないのかも知れぬ」
 下士官はそう述べて溜息を吐き出した。それからまた述べた。
「だがそこによくぞ来てくれた」
「はい」
「頼むぞ、頑張ってくれ」
「わかりました、そのつもりでこちらに参りましたし」
 森川も覚悟を決めていた。彼としてもここまで来て引き下がるつもりはなかったのだ。
「是非お任せ下さい」
「うむ」 
 そんな話をしてから彼は宮尾邦太郎麾下に配属した。そこに小さな派出所を設けて早速勤務に入ったのであった。そこで彼が見たものは驚くべきものであった。
「これは・・・・・・」
 話には聞いていた。だがそれ以上であったのだ。
 そこにいる村民達はほぼ全てが読み書きを知らず、また次々と病に倒れていく。しかも盗賊が辺りをうろうろし常に物騒な事件が起きていた。森川は絶句せずにはいられなかった。
 話をしようにも言葉も通じない。そもそも自分が警官であるということさえわかってはいないのだ。あまりもの事態に彼は呆然とするしかなかった。
 だが彼は諦めなかった。かえってさらに覚悟を決めたのであった。
「ならば」
 そこに腰を据えることにした。警官としての仕事の他にも無料で寺子屋のようなものを開いて子供達に教え、そして衛生管理を教えていった。それと共に自分も村民達のことを学び言葉も覚えていった。
「駐在さんですか」
「左様です」
 彼は村の長老にそう説明した。
「日本から来ました」
「はあ、今わし等を治めている人達ですな」
「そうです、貴方達は日本人ということになります」
 それも説明した。
「ここは日本になりましたから」
「では今駐在さんが子供達に教えて下さっているのは日本語ですな」
「そうです」
 はっきりと言った。
「あれがそうなのです」
「そうでしたか。有り難いことです」
 長老はそれを聞いて顔を綻ばせた。
「しかしよいのですか?」
「何がですか?」
 森川は長老の言葉に目を向けた。
「この村には何もないというのに」
「何もないとは」
「その。碌なものがありませんが」
 長老は少し怯えているようであった。
「貧しい村でして。生きていくのがやっとなのです」
「あの」
 森川にはその言葉の意味がわからなかった。首を傾げて尋ねる。
「一体何を話されているのでしょうか」
「賄賂です」
 長老は言った。
「それは」
「とんでもない」
 森川は賄賂と聞いて即座に憤慨の言葉を述べた。
「何故その様な卑しいことを私が」
「卑しいのですか!?」
 長老はその言葉を聞いて呆気に取られていた。
「!?」
「今までそんなこを言ったお役人は見たことがありませんが」
「まさか」
 森川はその言葉を疑った。
「その様なことは」
「清のお役人は皆そうでしたが」
「そうですか、清の役人は左様だったのですか」
 それを聞いて納得するものがあった。当時の清王朝は役人の腐敗が酷かったのだ。平気で賄賂を要求し、汚職を働く者が後を絶たなかったのである。
 だが森川は違っていた。彼はあくまで清廉であった。
「御安心下さい」
 そう言って長老を宥める。
「その様なことはありませんから」
「そうなのですか」
「清はいざ知らず我が国の役人はそんなことはありません。若しあれば私が捕まえましょう」
「何か。夢の様なのですが」
「いや、夢ではありません」
 さらに言う。
「この森川清治郎誓って貴方達を害することはありません。それを常に心に留めておいて下さい」
「わかりました。それでは」
 長老はにこやかに笑ってそれに頷いた。
「今後共。宜しくお願いします」
「はい、こちらこそ」
 こうして彼は村の駐在として村に溶け込んでいった。それから彼はさらに村の中に入っていく。その中で思うことができていったのであった。
「わしはこの村人達の為に生きよう」
 そう決心したのだ。そして。彼はあることを行った。
 日本から妻子を呼び寄せたのだ。妻のちよと息子の真一を台湾に呼び寄せた。一家で台湾の為に、台湾の人々の為に尽くそうと決意したからである。

 
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