すれ違い
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9部分:第九章
第九章
「車を出されるな」
「そうだな。それはない」
「しかもだ」
達哉はさらに言い加えてきた。今あの人が入った門を見ながら。
「ここは裏門だぞ」
「あれでか」
「公爵は家や庭の造詣でも有名だ」
その識眼のよさは常に言われていることである。
「だからだ。あの門もな」
「そういうことか。言われてみれば」
「大きいが地味にしてあるな」
「うむ」
「小さいがな」
問われて見てみればこの国第一と言ってもいい実力者の家の正門にしては小さい。他の屋敷の正門に比しても小さいものである。
「そういうことだ」
「そうか。裏門か」
「裏門だ」
達哉はまた言った。
「縁者が一人で裏門に入るか」
「いや」
達哉の言葉に言葉で応えた。言葉だけで首を横に振ったのだった。
「ない。それはな」
「そういうことだ。ないのだ」
「そうだな。そして」
「若しだ。何かの師範ならば」
話は先程のあの人の動きについてのものにもなった。
「正門から入るな」
「ああ」
「だからこれもない」
このことも否定された。
「となればだ」
「あの人は」
「察しがついたな」
冷徹なまで落ち着いた声で幸次郎に言ってきた。二人は足を止めじっと裏門を見続けている。裏門なのでそこには誰もいなかった。少なくとも表には。
「あの人は妾だ」
「妾か」
「間違いないな」
達哉の言葉は確信になっていた。
「どうやらな」
「そんな・・・・・・いや」
「いや。何だ?」
「そうだな」
幸次郎もそれを察したのだった。勘だったが間違いないと思った。
「あれは。そうだな」
「そうだな。それでだ」
達哉はさらに彼に問うてきた。
「どうする?」
「どうするかとは」
「山本公爵の妾だ」
あえてこのことを再度言った。
「声をかければそれだけで」
「危ういか」
「それでも行くか?」
強い目で幸次郎に対して問うてきていた。何時にも増して真剣だった。
「それでも。どうするのだ?」
「そこまで想っているのかどうかだな」
「そうだ。そこはどうなのだ?」
「前にも言った筈だ」
幸次郎はその達哉の言葉に応えて返してきた。
「恋愛に階級は無縁だと」
「無縁か」
「しかしだ。道はある」
だがここでこう言った。
「道はな。踏み外してはならないものがあるのだ」
「ではどうするのだ?」
「帰ろう」
踵を返して門に背を向けた。
「このままな。帰るとしよう」
「そうか。帰るのか」
「ああ。山本公爵は怖くとも何ともない」
それはいいというのだ。彼にとっては。
「相手がどの様な者であれ。地位や権力を怖れたりはしない」
「ではあの人が娘だったら」
「構わなかった」
これが彼の返答だった。
「だがそれでも。妾なら」
「諦めるというのだな」
「人のものに手を出すのは道理に外れている」
「それが道か」
「道理を外れては何にもならないからな」
「だから去るのか」
「そうだ。これでな」
踵を返したままそのまま帰る。
「帰るぞ」
「わかった。それではな」
「帰れば皆いるかな」
ふと達哉に問うてきた。
「それはどうかな」
「何なら声をかけるか」
「そうだな。頼む」
こう達哉に告げた。
「それではな」
「わかった」
こうして二人はそのまま下宿に戻りそこに皆を集めた。そうしてその日幸次郎はとことんまで飲んだ。次の日起きると後には皆二日酔いで倒れていた。
「おい、浜崎君」
「ああ、林君か」
「学校の時間だぞ」
こう彼に声をかける。
「学校の時間だ。どうする?」
「済まない」
青い顔で畳の上に倒れ伏しながら答える達哉だった。
「今日は駄目だ」
「駄目なのか」
「昨日は飲み過ぎた」
これが理由だった。
「どうもな。だから今日は一人で行ってくれ」
「そうか」
「ああ。しかし君は」
青い顔で幸次郎を見てまた言う。
「強いな。本当にな」
「自分ではそんなに強いつもりはないがな」
自分で思っているだけだ。彼はかなり酒が強いのだ。明人や昭光や友喜も倒れて青い顔をしている。彼だけが平気な顔をしているのだ。
「だが。行くか」
「そうしてくれ」
「よし」
この言葉を受けて一人で学校に向かう。一人であの道を進む。やがて向こう側からあの人が来た。しかしだった。
もうその人は見なかった顔も背け気味にしてすれ違うだけだった。それで終わりだった。
「終った話だ」
すれ違い振り向くことなくこう言ってそれで終らせた。それからもすれ違うがもう見ることも振り向くこともなかった。幸次郎は道を踏み外さなかった。それが彼の全てだった。
すれ違い 完
2008・10・23
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