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至誠一貫

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第一部
第五章 ~再上洛~
  六十五 ~再会、そして出立~

「そうか。行くか」
「……は」
 冀州での引き継ぎを上奏したところ、許可は下りた。
 私の名ではなく、麗羽の名で出したところが大きいのであろうが、この際手立てよりもまずは迅速さ。
 それが決まると、私は何進を訪ねた。
「少し、お窶れになっているようですが」
「ああ。俺はそんなものとは無縁と思っていたが」
 髪には白い物が混じり、目の下には隈ができている。
「アレも、もう俺の話は耳に入らんようだ。役目を辞そうにも、陛下はそれだけはならぬと仰せだ」
「……心中、お察し致しますぞ」
「全く、貴公程の男に去られるのは俺も辛い。……土方」
「はっ」
「これが、恐らく最後になるだろうな。貴公とこうして話せるのも」
「何を仰せになりますやら。何進殿はまだまだ働き盛りではありませぬか」
「いや、十常侍は次に狙うは俺だろう。そして、俺には奴らの悪知恵をひっくり返すだけの才がない」
 そう言って、何進は嘲笑を浮かべる。
「何進殿……」
「そこでだ。貴公に最後の頼みがある、聞いて貰えるか?」
「拙者に出来る事であれば」
「ああ。おい、入れ」
「……はい」
 戸の向こうから姿を見せたのは、董旻。
「どうだ、具合は?」
「もう、平気です。ご心配をおかけしました」
 舌を噛んだせいか、やや滑舌がおかしいが、それでも話す事には支障がないらしい。
「土方、頼みというのは、この白兎(董旻)だ」
「と、仰いますと?」
「我が妹の命を、結果的に果たせなかった。アレは白兎がもうこの世にいない、と思っているようだが、いつ露見するかわからん」
「…………」
「だが、白兎は俺には過ぎた家臣。それに、月の妹でもある。むざむざアレや十常侍の手にかかるのを看過できん」
「何進様!」
 何か言いかけた董旻を、何進は手で制した。
「聞け、白兎。土方がどんな人物かは、お前にもある程度はわかっているだろう?」
「……はい。姉からも、いろいろと聞かされました」
「ならば、後はこの土方に従うのだ。お前はまだ若い、俺なんぞに付き合って無駄死にする事はないぞ」
「それは違います! 私は何進様を!」
「白兎。これは主命だ」
「……しかし」
「わかったな?」
「…………」
 董旻は、無念そうに唇を噛み締めた。
「何進殿。本当に宜しいのですか?」
「ああ。頼んだぞ、土方」
 何進からは、悟りにも似た物を感じる。
 もはや、余人が口を挟むべきではない。
 私は黙って、頭を下げる。


 何進の屋敷を辞し、愛紗と共に洛陽の街を歩く。
 董旻は、夜更けに我が宿舎へ向かわせる、との事であった。
「この街も、暫し見納めですね」
「うむ。……愛紗、この国は何処へ参ると思う?」
「私にも、わかりませぬ。……ただ、一つ言える事があります」
「何だ?」
「争乱は、まだ収まらぬでしょう。そして、その為に民草がまた苦しむであろうという事です」
 愛紗は、沈痛な面持ちで話す。
「ご主人様の国では、ここまで庶人は虐げられていたのですか?」
「……いや。確かに飢饉もあった、疫病や天災も幾度となく起こってはいた。だが、大規模な盗賊集団が村を壊滅させるなど稀であったな。上に立つ者が常に正しき道を歩んだ訳ではないが、今少し秩序は保たれていた」
「……そうですか。私個人は正しくあろうと常に心掛けてはいますが……」
 と、愛紗は周囲を見回す。
「やはり、希望の持てない世は糺さなくてはなりませんね。あの子供らが、ずっと笑顔でいられるように」
 大人は精気に乏しくとも、子供は元気よく走り回っている。
「お母さん、早く早くー」
「待ちなさい、璃々」
 ……ふと、雑踏の中、聞き覚えのある声がした。
 幼女の後を追いかけてきた、妙齢の女。
 間違いない、黄忠だな。
 ……ではあの幼女は、黄忠の娘か。
「ご主人様? 如何なされました?」
「……いや、何でもない」
 過日の一件では、やむを得ずとは申せ、置き去りにした格好となった。
 しかも、偽名を名乗ったのだ。
「愛紗。こっちだ」
「え? ご、ご主人様?」
 訳もわからず、目を白黒させる愛紗の手を引き、路地裏へと入り込む。
 ……だが、間が悪いとはこの事か。
「お、歳三じゃねえか」
 ばったりと、睡蓮(孫堅)に出くわしてしまう。
「聞いたぜ、交州だってな。ま、歳三が隣ってのは俺は嬉しいがな」
「う、うむ」
「それで、急いで何処に行くんだ? 昼間から関羽と逢瀬か?」
 途端に、愛紗の顔が朱に染まる。
「そ、孫堅殿! 人をからかうのはお止しなされ!」
 ……愛紗の声はよく通る。
 当然、周囲の耳目を集める事となる。
「あら? あなた様は確か……」
 睡蓮と愛紗は訳がわからぬ、というように顔を見合わせる。
「ふふ、やっとお会い出来ましたわね」
 黄忠は、意味ありげな笑みを浮かべた。
 ……事此処に至っては、やむを得まいな。


 睡蓮と黄忠を伴い、政庁へと戻った。
 ちなみに睡蓮は、単身市場を見て歩いていたとの事だ。
 無論、本当に単身だった訳ではなく、歩き出して程なく、祭(黄蓋)と明命(周泰)が合流した。
 そのまま中に入ったが、愛紗は出立の準備をすると言い、席を外した。
 応接する部屋など用意していなかった故、皆を執務室に案内する。
 ……尤も、着任して何もせぬまま。
 部屋の中には机と椅子、多少の書物がある程度だ。
 まず、私は黄忠に、偽名を名乗った詫びた。
「あの時はやむを得ずとは申せ、黄忠殿を謀る事をしてしまった。この通りだ」
「いえ、事情がおありだったのでしょう。頭を上げて下さい」
「……本当に済まぬ。改めて名乗る、私が土方だ」
「承りましたわ。璃々、あなたも自己紹介なさい」
 ついてきた黄忠の娘が、元気よく頷く。
「初めまして。わたしは璃々って言うの、よろしくね!」
「はっはっは、元気が良い童じゃの。どれ、向こうで儂と遊ばぬか?」
 と、祭。
「お母さん、いいかな?」
「ええ。では黄蓋様、申し訳ありませんが」
「気になさらずとも良い。何故か、儂は童に好かれるようでな。明命も参れ」
「え? 私もですか?」
「なんじゃ。儂一人に押しつけるつもりか?」
「い、いえ! では、失礼します!」
 そう言って、三人は庭の方へと出て行った。
 気を遣わせてしまったようだな。
「済まんな、睡蓮」
「気にするな。何なら、俺も外すが?」
「いや、隠す程の事もない。私は黄河より南の地をまだ見た事がなくてな。それで、洛陽行きの最中、密かに見聞するつもりであったのだ」
 睡蓮にも、本当の目的を話す訳にはいかぬ。
 嘘を重ねるのは不本意だが、やむを得まい。
「確かに、曹操もそんな話をしていたな。つくづく、大胆な奴だ。そう思わねぇか、黄忠?」
「ええ、そうですわね。そう言えば、お供の二人もただ者ではなかったようですが」
「……それも詫びねばなるまい。あれは徐晃と郭嘉、どちらも私の仲間だ」
「仲間、ですか?」
 当惑したような黄忠に、睡蓮が肩を竦めながら、
「歳三が変わっているのはそこなのさ。仕えてるんだから主従の関係になる筈なのに、主立った連中を皆、仲間と扱ってるんだぜ?」
「何故でしょうか? 孫堅様だけでなく、他の諸侯も皆さん、普通は主従とみなしますわ」
「……普通、か。私が普通ではないから、それが理由だ」
「普通ではない、ですか」
「そうだ。私は未だ嘗て、組織の頂点に立った事はない。それに相応しいとも思っておらぬ。そのような者が、いきなり主人面するのはおかしかろう?」
「……ですが、土方様の元に集う人材は、一騎当千の猛者か、智に優れた人ばかり、そう聞いています。そのような方々が、主と認められない方に従おうなどと思うでしょうか?」
 納得がいかぬ、か。
「なぁ、歳三。一つ、提案があるんだが」
「何だ、睡蓮?」
「もっと、ざっくばらんに語った方がいいんじゃねぇか?」
「……どうせよと申すのだ?」
 睡蓮は意味ありげに笑うと、
「お前んとこの酒、まだあるんだろ? あれ飲りながらだと、話も捗るぜ?」
「お酒ですか?」
「そうだ。最近、新しく出た美味い酒、知ってるか?」
「いえ。……それを、土方様が?」
「正確には違う。私は製法を教えたのみ、作っているのは蘇双という商人だ」
 途端に、黄忠は目を輝かせた。
「黄忠、お前さんもかなり酒好きと見たが?」
「はい。孫堅様もお好きなのですね?」
「ああ。そういう訳だから、歳三」
 ……逆らいがたい迫力だな、仕方あるまい。

 そのまま、翌朝まで酒宴は続いた。
 私は中座したが、睡蓮と祭、黄忠、星、そして途中から姿を見せた雪蓮。
 全員が、朝まで飲み続けていたようだ。
 ……底知れぬを通り越して、もはや尋常ならざるとしか言えぬな。
「歳三様。蘇双から贈られた試作の酒ですが……全て、綺麗になくなったようです」
 稟が呆れながらそう報告して来たが、私はただ、納得したのみであった。
 成果と言えば、黄忠が私と皆との関係を理解したらしき事ではあったが。
「ふふ。英雄色を好む、とはまさに土方様の事ですわね」
 ……去り際に、そう言われてしまった。
 後で、星を問い質さねばならぬな。


 数日後。
 慌ただしく日々が過ぎ、出立の日が来た。
 全軍を引き連れての冀州入りは許可されず、それに糧秣の消費も膨大なものとなる。
 同行させる兵は五千、それ以外は先に交州へ向かわせる事とする。
 但し、私自身が着任するまでは不測の事態もあり得る。
 睡蓮に頼み、一時的に揚州に預ける事とした。
「皆、私が参るまで頼むぞ」
「……は。しかし主、本当に我ら、お供は良いのですか?」
 不服そうな星。
 ……いや、全員が同感と言わんばかりだな。
 此度に関しては、私一人で事足りるであろう。
 ギョウまでは麗羽や恋と同行する上、途中で霞も合流する手筈となっている。
 それに、兵も引き連れているのだ、大事には至るまい。
「確かにお兄さんの警護は大丈夫でしょうけど、軍師もご入り用ではありませんかー?」
「そうです。袁紹殿の軍にも軍師は不在ですし」
「……いや、やはり二人とも先に揚州へ行け。交州の様子も知りたい、それによって内政や戦略も立てねばなるまい」
「となると、風も稟ちゃんも向かう必要がありますね」
「そういう事だ。では皆の者、揚州で会おうぞ」
「はい。歳三様も、お気を付けて」
「うむ」
 名残惜しげな皆と別れ、麗羽のところに向かう。
「お師様、用意は宜しいですか?」
「ああ。待たせたな」
「いえ。では斗誌さん、猪々子さん」
 二人は頷くと、全軍に出立の合図を出した。
 数万の袁紹軍、そして恋とねね。
「うむむ、月殿は見送りに来られなかったようですな」
「やむを得まい。これ以上、濡れ衣を着せられる訳にもいくまい」
 私は、宮城の方を振り向く。
 見ておれ、十常侍共。
 貴様らに、必ず報いを与えてやろう。
 月や、皆の為にもな。


 洛陽を出て、黄河を渡る。
「お師様」
 船上にて、麗羽と並び、遠ざかる岸辺を見る。
「理不尽な事が多過ぎますわ。お師様が、何をしたと」
「問うても詮無き事。残念だが、今の朝廷はもはや救えぬという事だ」
「……そうですわね。かつての栄華を誇ってばかりいたわたくしが、今更ながら恥ずかしい限りですわ」
 だが、それは麗羽個人ばかりの責めではない。
 沈み行くとは申せ、朝廷は未だ健在なのは事実だ。
 そこで位階を極める事を目指すのは、貴族としては当然の振る舞いであろう。
「麗羽。今でも、洛陽が最上と思うか?」
「……わかりませんわ。ただ」
「ただ、何だ?」
「今言える事は、冀州の庶人の為に、どれだけやれるか。今はそれだけを考えようと思いますの」
「うむ、それで良い。それとて今の麗羽には重い課題、それ以上の事は考えずとも良かろう」
「……はい」
「少し、肩の力を抜け」
「……え?」
 麗羽の肩に手を置くと、見事に力みが感じられた。
「意気込みは良い。だが、気負いばかりでは何事も上手く運ばぬものだ」
「ですけど、わたくし……」
「不安と重圧に苛まれている、そんなところか」
 麗羽は頷く。
「麗羽。……私とて、不安がない訳ではないのだぞ?」
「え? お師様が?」
「そうだ。未知の地に放り出され、何とか生きながらえてきたが……。また、見知らぬ地へ向かわねばならぬ」
「ええ……」
「だがな。それを嘆いていても何も解決せぬ。となれば、如何に微力であろうとも、精一杯足掻くより他あるまい?」
「お師様……」
「お前は一人ではないのだ。全てを抱え込む事はない」
 麗羽の手が、私の手に重ねられた。
「お師様。わたくし、その……」
「姫ー! 食事の仕度整いましたよー!」
 麗羽の言葉を遮るかのように、猪々子の声が響く。
「も、もう! 猪々子さん、少しは空気を読む事もなさいな!」
「あれ? もしかしてお邪魔でした?」
 屈託なく笑う猪々子に、思わず苦笑してしまう。
「腹が減っては戦が出来ぬ。麗羽、参ろうぞ」
「……はい」
 麗羽は何を語るつもりであったか。
 ……ふっ、野暮は止しておくか。 
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