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至誠一貫

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第一部
第五章 ~再上洛~
  五十六 ~洛陽城外にて~

 
前書き
2017/8/20 全面改訂、感想欄でご指摘いただいた箇所も見直しました 

 
「見えてきたわね」
「……うむ」

 二度目となる洛陽は、この時代に来てより見たどの城塞都市よりも壮大である。
 華やかな頃は、さぞかし威圧感に満ちていた事だろう。
 ……だが今は、それは感じられぬな。
 陳留やギョウの方が、軍事拠点としては優れているやも知れぬ。

「やはり、何処か斜陽の雰囲気を禁じ得ませんね」

 そんな顔色を読んだか、稟が言った。

「稟もか?」
「はい」
「主ー!」
「お兄ちゃん!」

 と、星と鈴々が、こちらに向かってきた。
 ……いや、疾風(徐晃)や風も後から来ているようだ。
 そして、典韋もいるな。

「残念だけど、お迎えのようね。もう少し、貴方とは語り合いたいところだけど」
「また、機会もあろう。では、な」
「ええ」
「あ、流琉だ。おーい!」

 季衣が、ぶんぶんと手を振る。

「……はぁ」

 一方、典韋はガクリ、と肩を落とす。

「あれ? どうしたの、流琉?」
「季衣。……私の役目、忘れてるでしょ?」
「えーと、何だっけ?」

 悪気はないのであろうが、華琳もこれには苦笑を浮かべるのみ。

「もういいわ、流琉。ご苦労様」
「やはり、典韋はお前の差し金か」
「そうよ。どうせ気付いていたんでしょう?」

 やはり、悪びれもせぬか。

「ああ。だが、何故典韋のような者を遣わしたのだ?」
「さて。どうしてだと思う?」

 まだ、私を試す気らしいな。

「一つは、典韋自身が優れた武人。何かあっても切り抜けられると見たのであろう」
「正解よ。でも、まだ理由があるわよ?」
「性根が素直で、疑われる危険が少ない。また物事を先入観なしで見る事が出来る……そんなところか」
「その通りよ。流琉のそんなところを見込んで、歳三を観察してくるように命じたの。歳三なら、気付いても流琉に危害を加える事はないでしょうしね」

 典韋は、私に向かって、頭を下げた。

「本当に、済みません。騙すつもりはなかったのですけど」
「気にするな。お前が妙な色気を出せば話は別であったが」
「流琉がそんな事する筈ないし、余計な事はしなくていい、そう言っておいたもの。流琉、言った通りだったでしょう?」
「は、はい。土方さまも皆さんも、本当に良くしていただいて……」
「ならば良いではないか。誰も損をしてはおらぬし、な」
「……土方さま」

 と、典韋は真っ直ぐに私を見据える。

「でも、せめて私の感謝の気持ちです。……以後、流琉と呼んで下さい」
「ふむ。良いのか?」
「はい」

 些か、真名を許すのが安易という気もするが……魏の者は、こんな感じなのであろうか?
 いや、夏侯惇や夏侯淵は違う、人によるのであろうな。

「では流琉。また、料理の腕、見せて貰えるか?」
「あ、はい! 喜んで!」

 流琉は、良い笑顔を見せた。

「さて、皆が待ちくたびれていよう。参るか」
「はっ」
「あ、待ちなさい。まだ、あれの答えを聞かせて貰ってないわよ?」
「そうであったな。まずは、これを返すとしよう」

 懐から竹簡を取り出すと、

「いいわ。それは写しだから、歳三にあげるわよ」
「良いのか?」
「ええ。だって、写しを取られても仕方のない事をしているのだから。だったら、あげても問題ないわよ」

 流石に、稟も驚きを隠せない。
 大胆というか、これが華琳なのだろう。

「どうかしら?」
 この態度で、確信が持てた。
「これはお前の夢。そして、実現させるという決意の表れだな?」
「そうね。それだけかしら?」
「……それ故、いずれは私も軍門に降る、そう言いたいのであろう?」
「ふふ、よくわかってるじゃない。それに、もう一つあるわ」

 と、華琳は馬を下り、私の方に近づいてくる。
 身構える鈴々らを制し、華琳と向き合った。

「歳三。これはただの白い地図に過ぎないわ。これを完成させるのは貴方よ」
「ほう? 私が、か」
「ええ。それで初めて、私の理想が現実となるもの。その日を楽しみにしているわよ」

 それだけを言うと、ひらりと身を翻した。
 あれが、覇王たるべき者の姿なのやも知れぬな。
 だが、私とて譲れぬ物は譲れぬ。
 それだけの事だ。



 皆と合流し、何点かの報告を受けた。
 まず、新たな皇帝陛下に弁皇子が即位された事。
 それぞれの思惑があるとしても、これが本来あるべき姿であろう。

「だが。十常侍らがよく、黙って認めたものだな?」
「それがですねー。何皇后さんがどうも、前の陛下からご遺言を預かっていたと仰ったみたいなのですよ」

 と、風。

「ご遺言だと? そのような話、今まで出てこなかったではないか?」
「それもですねー、喪が明けるまで伏せておくように、と何皇后さんに指示されていたとか」
「ふむ。……だが、そのご遺言、紛れもない本物であるという証拠はあったのであろうか。そうでなければ……」

 風が、ジッと私を見る。

「お兄さんは、気になりますか?」
「些か、腑に落ちぬな。風はどう思うか?」
「……ぐぅ」

 また、寝たふりか。
 だが、その手はもう通じぬぞ。

「疾風。難しいやも知れぬが、調べてみよ」
「確かに、不可解ではありますね。畏まりました」
「噂や風聞でも構わぬ。とにかく、情報を集めるのだ。風も良いな?」
「はっ」
「やれやれ、人使いの荒いお兄さんですね。御意ですよー」

 そして、今一つ。
 密かに、我が陣に忍び込もうとする者がいたとの報告。
 無論、未然に防いではいるのだが……何れも捕らえる前に逃げられているとの事。

「申し訳ありませぬ。何とか捕らえたいのですが、なかなかに相手もすばしっこいのです」

 愛紗が唇を噛む。

「素性もわからぬのだな?」
「はい。夜陰に紛れての上、面体を隠しているようでして」
「ならば、泳がせてみてはどうか?」
「泳がせる、とは?」
「何度も忍び込むとあらば、余程探りたい事があるのであろう。ならば、探らせてやれば良い」
「ですが……。ご主人様に危害を加えるような輩の可能性もあります」
「愛紗。私は己を過信するつもりはないが、少なくとも易々と刺客如きの手にかかるつもりはないぞ」
「ふむ。ならは主、私が傍に控えると言うのは如何ですかな?」

 星がさらりと言うと、案の定と申すか……我も我も、と相成った。
 私を気遣っての事ではあろうが……何故、風までその輪に加わるのだ?
 ……全く、我ながら因果な事だな。



 勅使到着までは、洛陽の外にて待機する事になる。
 それは袁紹や華琳も同様で、程近い場所に各々が陣を構えた。

「袁紹殿。此度の協力、感謝致す」
「いえ、お安い御用ですわ。土方さんこそ、よくぞご無事で」

 私は袁紹に礼を述べるべく、陣を訪れていた。
 供は連れるまでもないのだが、

「風はお兄さん分が不足しているのですよ? そんな風を見捨てるお兄さんじゃありませんよねー?」

 と、強引について来ていた。

「そうそう。程立さん、これ、読んでいますわ」

 と、袁紹は傍らから竹簡を取り出す。

「風、何の事か?」
「はいー。袁紹さんから、人の上に立つ為に必要な事を学びたいと言われましてですねー。風が、お薦めの書物を紹介したのですよ」

 袁紹が変わろうとしている、その一端を垣間見た気がする。
 だが、一口には申せぬ程、幅広く学ぶ事になるのではないか?

「成程な。だが、どのような書を薦めたのだ?」

 すると、風は口に手を当て、不敵に笑う。

「それは、乙女の秘密なのですよー」
「……何だ、それは?」

 袁紹を見ると、此方も意味ありげに笑みを浮かべている。

「袁紹殿も、私には教えられぬ、と?」
「ええ。程立さんと、女同士の約束ですから。いくら土方さんにもお教え出来ませんわ」

 妙に意気投合したようだが……私のいぬ間に何があったのか。
 ……まぁ、良かろう。
 袁紹がどのように変化するのか、見せて貰うだけだ。

「ところで土方さん。道中、華琳さんの処に立ち寄られたとか?」
「予定外であったが、な。渡河したところで一騒動が起き、結果華琳に捕捉されてしまったのだ」
「そうでしたの。華琳さんも、土方さんにいたくご執心と聞いてますわ。確かに、華琳さんの性格からして、土方さん程の人物に目をつけるのは当然ですけど」
「だが、私は今のところ、誰かの下につくつもりはない。貴殿にも断りを入れた通りだ」
「……あの事は、今でも後悔していますわ。土方さんのような方を、あのようなやり方で傘下に加えるなど、無理に決まっていますのに」

 そう言って、袁紹は息を吐く。

「……わたくしが仮に土方さんの立場だったとしても、わたくしにも斗誌さんや猪々子さん達がいますもの。上に立つ者として、ついてきて下さる皆さんの事をもっと考えるべきでしたわ」

 以前の袁紹ならば、正体を疑いかねぬ言葉。
 上に立つ者として、あるべき方向に向かっているのであろう。
 ……だが、言葉にするのは容易くとも、事を為すのはなかなかに困難を伴う。
 それに、人は良きところはなかなかに認めぬが、悪しきところは忘れぬもの。
 かつての傲岸不遜な様を見ている者に、その認識を改めさせるなど、長い刻が必要であろう。
 風と何を企んだのかはわからぬが、しつこく詮索するのも無粋であろう。



 夜更けを迎えた。
 星らが何としても傍に、と言い張った。
 それを件の者の正体を見定めるまでは、私は一人でいるべきと諭した。
 今宵現れてくれると良いのだが、そうでなければ長期戦も覚悟せねばなるまい。
 大事の前の小事、と割り切るには、何故か引っ掛かりを禁じ得ぬ。

「……歳三殿」
「疾風か。来たか?」
「はっ。では、手筈通りに」
「うむ、頼んだぞ」

 どうやら、要らぬ懸念であったか。
 ……さて、どのような者が姿を見せるのか。
 私は素知らぬ顔で、手元の書に目を落とした。
 そして、

「おのれ! 何処へ行った!」
「関羽様、見失いました」
「ええい、探せ! 鈴々、向こうを頼む」
「合点なのだ!」

 愛紗の怒声が響く。
 ふっ、なかなか皆、芝居が堂に入ってるではないか。
 む、かすかだが気配を感じる。
 どうやら、此方を窺っているようだな。
 ならば、私も少しばかり、道化を演じてみせるか。
 頬杖をつき、舟を漕ぐ真似をしてみる。
 ……それに安堵したか、気配がじりじりと寄ってくる。
 少なくとも殺気は感じられぬが、無論油断は出来ぬ。
 息を殺してはいるが、この距離では流石に気配を隠しきれるものではない。
 一呼吸置いてから、兼定を抜き、気配に向けて突き付けた。
 同時に、疾風が天幕に飛び込んでくる。

「動くな」

 私は、ゆっくりと顔を上げる。
 布で口や鼻を覆い、兜を被っているのでしかとはわからぬが……やはり、女子(おなご)か。

「何者か?」
「……ふう、やはり罠でしたか」

 存外、幼き声のようだ。

「私と承知の上で、ここまで忍び込んだようだが。何用か?」
「はっ。土方様に、さる御方がお会いになりたい、と仰せです」

 曲者は、面体を隠したままそう告げた。

「正面切って堂々と……という訳ではないのだな」
「そうでなければ、このような危うい真似はしません」
「うむ。それで、その御方とは?」
「……申し訳ありませんが、この場で申し上げる訳には参りません。ご同行願えないでしょうか?」
「素性は明かせぬ、それはやむを得ぬとして。何用なのだ?」
「……それも、私の口からは」

 少なくとも、華琳や袁紹ではあるまい。
 何進だとしても、素性を隠す必要はない。
 ましてや、月や睡蓮がこのような真似をするなどあり得ぬ。
 不審な点が多過ぎるが、それにしては目の前の密使が理解出来ぬ。
 何やら企みがあるのであれば、此処まで忍び込める程の者を失いかねぬ手段は採るまい。
 私が斬らぬであろう事を見越している……それは勘ぐり過ぎか。

「歳三殿。如何なさいますか?」
「……とりあえず、剣を収めよ。少なくとも、私を害するつもりはないようだ」
「……は」

 私も、兼定を鞘に戻す。

「今宵は見逃してつかわす。戻ってお前の主に伝えるが良い」
「…………」
「私は逃げも隠れもせぬが、用向きがあるなら正々堂々と来られよ、とな」
「……では」
「使者の務めを果たせぬ事にはなるが、不確かな理由だけでこの時に陣を抜け出す訳にはいかぬ。一度、出直すが良い」
 曲者の眼に、無念が浮かんだ。
 む、いかん。
 私は、咄嗟に当て身を食らわせる。
 崩れ落ちた女子の口から、血が滲んだ。

「急ぎ、手当を。何としても死なせるな」
「御意!」

 よもや、舌を噛み切ろうとは。
 私は、面体を覆う布を取り払ってみた。
 まだ年若く、整った顔立ちをしている。
 事情もわからぬ中、おめおめと死なせる訳にはいかぬ。



「医者によれば、命には別状なさそうとの事です」
「うむ、ご苦労」

 騒ぎも静まり、再び皆が集まった。

「それにしても、何者でしょうな、主?」
「わからぬが、覚えがない事だけは確かだ」
「そうですね。歳三様をご存じの方であれば、あのような真似を好まない事も承知の筈です」
「となると、かなり絞り込めそうですけどねー」
「ともあれ、目を離すな。あのまま逃せば、また自害するやも知れぬ」
「御意!」

 皆が頷いたのを確かめ、私は腰を上げる。

「皆、ご苦労であった。休むが良い」
「では、私が主の傍に」
「ま、待て星! もう曲者は捕らえたのだぞ?」
「愛紗よ。ならばこそ、ではないか。そうですな、主?」
「星、抜け駆けは許せぬ。わ、私とて、歳三殿と共に!」
「ではでは、間を取ってここは風がですねー」
「ふ、風! あなたまで何ですか!」
「むー。稟ちゃんは、お兄さんを暫く独り占めしてたじゃないですかー」

 ……結局、こうなるのだな。
 今宵も、安眠とは無縁となりそうだ。 
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