お嬢様と執事
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第八章
第八章
「お嬢様御一人で夜に出られるなぞあまりにも危険です」
「私とて何もしていないわけではありませんわよ。それに今何も姿を見せる必要はないと言いましたわね」
「ええ、まあ」
それは事実であった。少なくとも彼女にとってはそうである。
「では。御見せ致しますわ」
そう言うと左手を掲げて指を鳴らす。すると彼女の後ろから黒い服の男達が現われたのであった。
三人いる。そしてその三人が何者なのか正人は知っていたのだった。彼等の名を口にする。
「伊吹さんに郷原さんに若本さん」
「そういうことですわ」
三人共所謂四条家のお庭番である。正規のボディーガードとは別に控えている言うならば陰のボディーガードなのである。その三人が紗智子と一緒だったのだ。
「だから安全ですの」
「そうでしたか」
「おわかりでしたらこれで」
紗智子はその三人を連れたまま前に向き直した。そうしてその場を後にする。
「一つ言っておきますわ。私は今の誓いは忘れませんわよ」
「はい」
正人は紗智子のその言葉にまた頷いた。
「それでしたらこれで。また明日から御願いしますわ」
「わかりました。それでは」
「ただ。明日からは」
紗智子の声がくすりと笑ってきた。
「我儘もありませんわよ」
「えっ、本当ですかそれは」
これは彼にとっては喜ぶべき言葉であった。何しろ今までそのことで散々悩まされ苦労させられてきたからだ。だから今こうして他ならぬ彼女の言葉を誰よりも喜んでいるのだ。
だが紗智子は決して嘘は言わない。それがわかっているから余計に嬉しい。その嬉しさを感じだしている彼に対してまた紗智子が言うのだった。
「おわかりでしょうけれど私は嘘は言いませんわよ」
「そうですよね」
「ですから御安心なさい。それではまた明日」
「はい。また明日」
こう言い合って別れた。二人になった正人はあらためて里佳子に顔を向ける。そのうえで彼女に対して穏やかな笑みと共に言うのだった。
「じゃあ。帰ろうか」
「ええ」
里佳子はいつもの穏やかな笑顔で頷いてきた。
「一緒にね」
「そう、何時までも一緒にね」
先程の紗智子の言葉を繰り返す形になる。
「帰ろうよ」
「帰るだけじゃなくてね」
里佳子はこうも言ってきた。
「何をするのも一緒にね」
「そう。お嬢様に誓ったように」
そこが強調される。それは二人一緒だった。
「僕は里佳子さんを守って」
「私は正人君を輝かせてね」
笑顔でそう言い合いながら帰路につくのだった。その誓いが永遠になることをこれまた誓いながら。二人一緒に歩くのであった。
それから紗智子の我儘はなくなった。これもまた彼女の言った通りであった。しかしある日。佳澄と茜がふと彼女に対して屋敷の中で問うのだった。この時彼女は庭の白いテーブルに座ってくつろいでいた。その彼女に対して控えていた二人が紅茶を入れるついでに尋ねたのであった。
「あの、お嬢様」
「何でして?」
紗智子は優雅に二人に言葉を返してきた。その前には紅茶を入れた白い陶器のカップだけではなく狐色に焼かれたクッキーも置かれていた。それを一つつまみながら二人に応えたのである。
「島本さんのことですけれど」
「ええ、それが何か」
今正人は奥で他の用事をしている。それで彼がいないことを利用しての話であった。
「お嬢様のあれはテストだったんですよね」
「そうですわ」
紗智子の我儘のことである。
「それが何か?」
「いえ、そうだったらいいんですけれど」
「それで」
二人はそれを聞くのであった。
「御安心なさい」
紗智子は二人を安心させるように言うのであった。
「私は我儘を忌み嫌っておりますわ」
「ですよね」
「ではあの時は」
「人は嫌っていても」
ここで彼女は真面目な言葉を述べた。
「時としてそれをしなくてはならない時がありましてよ」
「そうですね」
「それは確かに」
彼女達もそれは実感できた。時として嫌な仕事をしなければならなかったり嫌な客の応対をしなければならないからだ。メイドも何かと大変なのだ。
「そういうことでしてよ」
「ですか」
「ええ。これでおわかりでしてね。ただ」
しかしここでまた紗智子は言うのだった。
「何ごとも素養がなくてはできませんわね」
「あの、それって」
「つまり」
「さて」
しかし二人の問いにはあえて余裕の笑みを浮かべてそれを誤魔化すのであった。あっさりとかわした形になる。
「どうでしょうか。ところで」
「あっ、はい」
「お茶ですね」
「はい、御願いしますわ」
優雅に二人のお茶を受ける。そうして優雅なままでその場を過ごすのであった。己の中にある本当のことはあえて言わずに。そうして茶を飲むのであった。
お嬢様と執事 完
2008・2・23
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