雨宿り
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第十章
第十章
「それはそれでいいさ」
「いいって?」
「誰だって最初は知らないだろ。誰も」
「ええ」
「俺だって最初は」
ここで棚の本を見る。目に入ったのは紅にアドバイスされ買おうと思っていた夏目漱石の本だ。その本が目に入ったのでその話をすることに咄嗟に決めた。
「夏目漱石知らなかったさ」
「最初は?」
「何だってそうだろ。誰も最初は何も知らないんだよ」
「それはそうだけれど」
「だから知らなくて当然なんだよ。俺はそう思うけれどな」
「そうなの」
御木本は彼の言葉に考える顔になって俯くのだった。
「そういえばそうよね。最初は誰も何も知らなくても」
「当たり前だろう?真っ白なんだからな」
「真っ白だから」
「だからそれはそれでいいんじゃないのか?」
そしてまた言うのだった。
「それでな」
「そういうものなのね」
「そうさ。だからな」
彼はまた言った。
「別にそれを悪く思うこともないだろ」
「そういえばそうね」
御木本は彼の言葉に頷くのだった。
「最初は。誰も何も知らなくても」
「そうさ。それで俺はな」
「ええ」
「加藤啓介」
また自分の名を名乗るのだった。
「F組のな。覚えておいてくれるか?」
「わかったわ」
加藤のその言葉に頷くのだった。
「それで私は」
「A組の」
「御木本優」
彼女もあらためて己の名を名乗った。
「覚えてくれるのね」
「今はっきりと覚えたさ」
実はそれは既に知っていたがそれでも今はあえて言わなかった。あえて言わずに彼女の言葉を聞いてそういうことにしたのだった。
「御木本さんだな」
「加藤君ね」
お互いの名前を言い合うのだった。
「それじゃあ。これから」
「宜しくな」
こうして二人はお互いのことを知った。その日は加藤が漱石の本を買いその話もした。彼にとってはいい話の流れであった。
このことも紅に話す。彼等は今度は自分達の教室でお菓子を食べていた。食べているのはクッキーで袋から出したそれをつまみながら話をしていた。
「随分進んだな」
「進んだか」
「ああ。いい流れだよ」
紅はそのクッキーを口の中に入れながら加藤に対して答えた。クッキーの中にあるチョコレートの味が強く口の中を支配していく。
「最高って言ってもいいな」
「最高か」
「まさか一日でこんなに進むとは思わなかったな」
こうまで言うのだった。
「とてもな」
「そうか。そんなにか」
「ああ。それで漱石の話はしたんだよな」
「それもな」
既に彼女に何を話したのかも名乗り合ったのも話していた。
「それで買ったのは」
「何買ったんだ?」
「こころだ」
漱石の代表作の一つである。
「それ買ったんだよ」
「それか」
「ああ、それ買った」
このことも彼に話した。
「それな。買ったよ」
「そうか。こころか」
「それでよかったか?」
「まあいいんじゃないのか?」
紅は今度は首を少し捻ってから加藤に対して答えた。
「それでな」
「そうか。いいか」
「それでいい。まあそれでな」
あまり何と言っていいのかわからないがそれでもある程度はいいだろうといった感じの返答だった。
「いいと思うな」
「あまりはっきりしない返事だな」
このことは加藤も気付くことだった。彼もそこを指摘する。
「何でなんだ?また」
「こころはな。結構うじうじした作品だからな」
だからだというのである。
「それ買ったのはな。ちょっとな、とも思うんだよ」
「漱石の作品で読んでないのはそれだけだったんだよ」
加藤もだからだというのである。
「それでこころにしたんだよ」
「それならそれでいいけれどな」
「漱石もあれで結構うじうじしてる作品だからな」
「我輩は猫であるとか坊ちゃん以外はそうだな」
紅も知っていることであった。
「そう言ってしまえばそうだな」
「どっちも読んでたからな」
加藤もここで首を少し捻ってみせる。
「だからな。それで」
「それならそれでいいか」
結局そういうことにした紅だった。
「やっぱりな」
「わかった。そういうことだな」
「ああ。それでだ」
彼はまた加藤に言ってきた。
「とりあえずはいい流れだな」
「そうだな。それはな」
「後はこの流れを維持してだ」
こう話すのだった。
「それでこのまま進展させるんだ」
「このままか」
「流れはいい」
このことを強調して話す。
「流れはな」
「流れか」
「流れがないとどうにもならないものなんだよ」
紅はさらにはっきりと言い切ってきせた。
「何でもな。特にこうした恋の話はな」
「そういうものか」
「そうさ。俺もここまで流れがいくとは思わなかった」
「予想以上か」
「ああ、その通りだ」
そのことを隠すこともなかった。
「いいな。このままいけよ」
「わかった。それにしてもあれだな」
加藤は紅の言葉に頷いてからまた述べてきた。彼にしても考えている顔である。
「最近天気がいいな」
「天気か?」
「最近まで随分と雨ばかりだっただろ」
今の季節のことを考えながらの言葉だった。そもそも加藤が彼女のことを知ったのも雨のせいだった。ふと窓の外の青い世界も見た。
「それでも今はな」
「そうだな。晴れが続くな」
紅もそのことに言われて気付いた。
「最近な。結構以上にな」
「天気予報は何てなってたかな」
「晴れが続いたんじゃないのか?」
紅は今はそこまではチェックしていなかった。とりあえず携帯を取り出して見てみた。その結果は。
「ああ、晴れだな」
「晴れか」
「この一週間それが続くな」
携帯に出ているその天気予報を見てまた加藤に話す。
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