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四重唱

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第十四章


第十四章

「宜しいのですか?」
「貴方が仰りたいことは先程のものとは別ですね」
「はい」
 マゾーラ自身もそれを認めて頷いた。
「その通りです」
「私があの方と共に長い時間を過ごしたのは事実です」
 彼女が答えたのはハンナのことに他ならない。
「それも今まで」
「これからは?」
 マゾーラは顔を上げて彼女に問うた。悲痛なまでに奇麗な声で。
「これからはどうなのでしょうか」
「これからですか」
「はい、貴女はこれからは」
「私とあの方の恋は終わりました」
 ヒルデガントは静かに述べるのであった。
「舞台と同じで。そのまま」
「マルシャリンとオクタヴィアンのように」
「そうです、そのままです」
 また述べるのだった。
「終わろうとしています。いえ、今終わりだしています」
「終わりだしている」
「そう、舞台と同じように」
 また舞台を出す。
「終わろうとしています。あの方とも」
「では私とは」
「今はじまっています」
 こう述べるのであった。
「そう考えていますが」
「左様ですか」
「それではいけませんか?」
 ここまで話したうえであらためて彼女に問うのであった。
「貴女を愛することは」
「不思議な気持ちです」
 これがマゾーラの返答であった。
「不思議な気持ちですか」
「はい、ゾフィーと同じ気持ちです」
 そうヒルデガントに述べるのであった。
「私はあの方に対して複雑な感情を抱きはじめています」
「それはやはり」
「はい」
 また彼女に対して答えた。
「敬遠に跪きたいですし。同時に」
「ひっぱたいてもやりたい」
「本当にこんな気持ちになったのははじめてです」
 最後の三重唱そのままの言葉であった。
「こんな気持ちになるなんて。本当に」
「そうですね」
 それはヒルデガントも同じであった。だからこそわかる。
「私も。オクタヴィアンになろうとしています」
「それは」
「いえ、本当です」
 そうマゾーラに告げた。
「オクタヴィアンは不思議です。男である筈なのに」
「演じるのは女」
「だからでしょうか。私は彼が男には見えないのです」
 この不思議な役はシュトラウスがこの作品を作るにあたりモーツァルトのフィガロの結婚を参考にしたからである。フィガロの結婚にはケルビーノという美少年が登場するが彼を演じるのは女性である。メゾソプラノの役である。オクタヴィアンもまたメゾソプラノの役だ。これはシュトラウスが狙ったものなのだ。
「男にはですか」
「はい、どうしても女だと思うのです」
 そうマゾーラに述べたのであった。
「やはりこれは」
「魔力ですね」
 マゾーラはそう表現したのであった。
「これは」
「おそらく。シュトラウスの」
 ヒルデガントもその言葉に頷く。
「魔力なのでしょう。オクタヴィアンを女性だと思えるのは」
「実際に彼は女性ではないのですか?」
 彼を女性と呼ぶ。不思議な言葉になっていた。
「やはり。ですから貴女もまた」
「そうなのですか」
 ここで彼女も気付いた。
「そうだからこそ私はオクタヴィアンを女性だと」
「彼女は女装します」
 遂にオクタヴィアンを『彼女』と呼んだマゾーラであった。
「それは彼女の本来の姿に戻ったということなのでしょう」
「だからこそ私はオクタヴィアンの心がわかる」
「そうなります」
 そう彼女に告げた。
「そして私もまた」
「私達もまた。同じになっているのですね」
 ヒルデガントは今それを感じたのであった。
「やはり。そうだからこそ」
「お互い今こうしてここにいる」
「私も。貴女と共にいたくなりました」
 ヒルデガントはまた言うのだった。
「オクタヴィアンとゾフィーのように」
「舞台だけではなく」
「そう。私がオクタヴィアンなら」
「私はゾフィー」
 もう二人はヒルデガントでありオクタヴィアンになっていてゾフィーでありマゾーラになっていた。そうした二人になっていたのだった。そうした意味での二人であった。
「そうして二人で」
「ずっと」
 二人はそれぞれそっと手を出し合いそれが触れ合った。そうして今二人になったのだった。

 舞台がはじまった。それは前評判はスキャンダラスであったが実際の舞台は。初演前にはまだ様々な雑音が聞こえていた。
「やはり前評判はかなりスキャンダラスだな」
「気にしてはいないよ」
 大沢はそうバジーニに答える。今二人は初演前日に最後の打ち合わせを終えて大沢の家で楽しく飲んでいた。赤いワインに様々なチーズがある。シンプルだがそれだけに中々味わいのある組み合わせである。ワインとチーズは神が考えた最高の組み合わせの一つである。
「そんなものはね」
「そうか。やはりな」
「むしろそっちの方がいい」
 大胆にもこう述べるのであった。
「最初悪評の方が実際の舞台は映えるものさ」
「それは日本的演出かな」
 バジーニはワインを飲みながら楽しそうに問うた。これは冗談と演出家としての興味の二つがミックスされた言葉であった。
「あえてよいものを悪いものの次に出すというのは」
「いいや」
 しかし大沢はそれは否定した。そうしてモツァレラチーズを一口食べるのだった。その独特の弾力が歯に伝わり絶妙な感じである。味が極めて淡白なのもいい。
「僕の考えさ」
「そうなのか」
「日本的演出だと薔薇の騎士はどうなるかな」
 そのうえで不意にこう言うのであった。
「少し考えてみたいな」
「そうだね。それも面白いかも知れない」
 バジーニもそれに乗ってきた。言われてみればそれも案外面白そうである。
「モーツァルトでは魔笛に多いけれどな」
「あれは元々日本を意識しているしね」
「そういうことだね」
 これは本当のことである。初演での主役達の衣装は日本のものであったのだ。今でも時折日本的な演出が為されることがある。当時の欧州においては日本というのは実に不思議で神秘的な国であると考えられていたのである。このウィーンのシェーンブルン宮殿においても日本の間という部屋も存在している。
 
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