ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜
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追憶の惨劇と契り篇
44.始まりの真実
鉄錆と乾いた血の臭いに満ちた監獄結界で逢崎友妃と仙都木優麻は心配するように椅子に座る少年を眺めている。
緒河彩斗が眠りについてからまだ十数分しか経ってない。
鉄格子が嵌まった窓の外は薄明るくなってきていた。
魔導書“No.014”の応用術式は他人が経験した時間を追体験できる。それは彼が受けた心の傷も苦痛も、自分のものとして受け容れる。
眠り続ける緒河彩斗が、苦悶するように表情を歪める。
「……彩斗君」
この声は決して彼には届かない。彼の意識はここにはないのだからだ。
夢にうなされた彩斗はうわ言のように呟いた。
「…………柚木……」
「……柚木?」
どこかで聞いたことのある名だった。しかし思い出すことはできそうにもない。彩斗と初めて会ったときもこんな感覚だった気がする。
「知ってるの、友妃?」
優麻が疑問を訊いてくる。
「わからない。でも、知ってるような気がするんだ」
その瞬間だった。ガシャン、という乾いた音が監獄結界に響き渡った。
今まで静かに眠りについていた彩斗ががんじがらめされている鎖を引きちぎらんばかりの力で暴れだした。
まるでなにかが引き金になったようにもみえた。それがなんだったのかは考えるまでもなくわかっていた。友妃が思い出すことのできない《柚木》という名の少女。
「仙都木優麻、任せたぞ!」
優麻が暴れる彩斗の前へと歩み出る。そして彼女は自らの唇を噛み切り、彼の唇へと重ねた。吸血行為だ。
わずかな血でも吸血鬼の吸血衝動を押さえ込むことは可能となる。このために優麻と友妃はこの場に呼ばれたと言ってもいい。
あとは万が一暴走した時に彩斗を食い止めるのが友妃と優麻の役目だ。
優麻の血で乾きが解消されたのか彼は再び静かになった。
「……彩斗君」
過去と向き合う覚悟を決めた少年を友妃はただただ見つめることしかできなかった。
白い息が空気を一瞬だけ漂ってすぐに消滅する。
「寒ぅ……」
学校から帰宅してから着替えていない制服では少し肌寒い。これならもう少し着込んでから来るんだったと後悔する。しかしもう一度鍵を開けて自室へと戻り、上着を持ってくるなど面倒でしかない。最寄りの徒歩五分程度のコンビニで飲み物を買ってくるだけなら耐えれないこともない。
寒さのせいか自然と早歩きになってしまう。
彩斗は学生服のズボンのポケットに手を突っ込みながら身を少し丸めて歩く。ポケットの中は、自分の体温でわずかに保温されており、ちょうどいいくらいの温度になっていた。
「…………」
どこか違和感を感じる。
夜の街は彩斗が想像しているより静まり返っていた。まだ九時を少し回った程度で外を歩いている人間がいてもおかしくはない時刻なのにだ。
そのはずが全くというほど人とすれ違わない。辺りにも全く気配を感じない。
この光景に柚木と美鈴の言葉を思い出しさらなる違和感を感じる。
あの二人は何かを知っているのであろうか?
そうでなければこの違和感を事前に彩斗や唯に知らせることなどできないはずだ。
これはただの彩斗の憶測にすぎない。ただただ友人を、家族を心配する彼女たちの優しさなのかもしれない。
その時だった。爆発音にも似た衝撃が大気を劈いた。
あまりに唐突なことで彩斗の身体は吹き飛ばされそうになる。
「な、なんだ……?」
恐る恐る爆発音がした方へと視線を向ける。
「───ッ!」
あまりの衝撃に言葉を失う。
この時、人間というのはとてつもなく無力な生き物だと改めて思い知らされることになった。人間は知らないものに遭遇した時に好奇心と恐怖心の二つの感情がまず最初に現れる。好奇心などただ自分の恐怖を紛らわすための感情でしかない。
本当に訳のわからないものに遭遇した時、人間は恐怖心という感情しか姿を現さないのだ。
まさに今がその状況だった。
彩斗の視界は未知なるものを捉えていた。
黄金の一角が額の中央に生え、艶やかで綺麗な毛並みを持つ馬。いや、馬ではなく伝説上の生物である一角獣だ。
ただ一角獣という未知の生物がいるだけでも理解できないというのにその大きさは三メートルはゆうに超えている。
「なんだよ……あれ?」
身体が震えている。肌を刺す不可思議な感覚に立っているのもやっとだった。
爆発音が、再び彩斗の鼓膜を震わせた。向こうの方でなにかが激しくぶつかり合っている。あの一角獣はなにかと戦っているようだ。
あれほどの化け物の相手をしているのだ。戦っている相手も人間であるわけがない。
そんな戦いに巻き決まれれば、彩斗の無傷では絶対にすまない。最悪死に至るだろう。
だから逃げなくてはならないはずだった。
それなのにあの化け物たちがぶつかり合って場所へと向かおうとする彩斗ではない彩斗が心のどこかにいた。
「……ケンジュウ?」
不意に口からそんな言葉が漏れた。
彩斗はそんな言葉は知らない。だが、知っていた。まるで自分ではない誰かがそれを教えてくれたかのようにだ。
そいつこそが彩斗を危険地帯へと向かわせおうとしている張本人なのかもしれない。
しかしそいつも彩斗の一部なのだろうか。
いつの間にか彩斗はそちらの方へと走り出していた。そちらは危険だ。わかっていても足はその動きを止めようとしない。まるで自分の足ではなくなったかのように言うことを聞かない。
「クッソ! なんなんだよッ!」
自分でも訳のわからない気持ちに焼けくそになったその時だった。
今までにない衝撃波が大気を震わせ、彩斗の身体を吹き飛ばした。突然のことに為す術もなく彩斗の身体は宙を舞い地面へと叩きつけられる。
激痛が走った。右腕の骨が折れたのではないかと思うほどだ。
「い……てっ……」
あまりの痛みに情けないことに目からは涙が溢れる。右腕を押さえながら必死で痛みに堪えて立ち上がる。
右腕の痛みのせいであろうか呼吸が荒くなり、鼓動も通常の何倍も早く動いているようだった。必死で呼吸を整えようとするが身体は全くとしていうことを聞こうとしない。
そんな中で彩斗の視界は再び、ありえない光景を映し出した。
わずか数メートル先で先ほどの一角獣へと突進するもう一体の化け物。暗闇を照らすほどに神々しい黄金の翼を持つ巨大な梟だ。
「あれもケンジュウってわけか……」
痛む右腕を押さえながらも二体の化け物がぶつかり合う方へと向かい駆けだした。
あんな化け物同士がこれ以上ぶつかりあったらこの街は確実に崩壊し、怪我人が何人出るかもわからない。
「あれ……?」
彩斗は足を止めた。
なにかがおかしい。彩斗は往来の真ん中に立ち止まり辺りを見渡す。
……やはりおかしい。
軽々と人が吹き飛ばされるほどの強烈な衝撃波と爆音が何度も大気を震わせているのにそれを見に来ようとする野次馬が一人としていない。さらに辺りの建物は倒壊していてもおかしくないはずだ。なのに彩斗の目に映る全ての建物はなにもなかったかのように無傷だった。
まるで今この場で起きている出来事の全てが彩斗の夢なのではないかと疑いたくなってくる。
夢だったら良かったと思っている。だが、右腕の痛みはいまだにしっかりと彩斗の痛覚を刺激し続ける。これほどの痛みがあって実は夢でしたなんてそんなことあるわけもない。
「……ったく。マジでなんなんだよ」
彩斗は再び、地面を強く踏み込んで駆け出した。
なぜここまでしてあの場所に向かおうとしているかは、多分当の本人である彩斗もわかってはいない。それでも行かなければいけない気がする。
またしても自分ではない誰かの声が聞こえてくる。
『ここで行かなければおまえは、一生後悔することになるぞ』
その言葉を完全に信じることはできなかった。だが、後悔という言葉にどうしても動かずにはいられない。
どうしてもそこまで後悔という言葉に反応しているのかは彩斗自身でもわからない。
だったら確かめるしかない。
彩斗があの場所へと向かおうとする理由を。誰かが一生後悔すると言ってくる理由を。
その答えはすぐ目の前にある。
しかし、この世界というのはとてつもなく理不尽なものだった。必ずしも全ての答えを知ることができるわけではなかった。そんなことができれば、人生など相当つまらないものであろう。
だとしてもこれは理不尽すぎた。
駆け出した彩斗の前方から水が押し寄せてきた。高さはゆうに四、五メートルはあるであろう。それは津波と呼ぶべきなのだろうか。
海に一切面していない地区であるこの土地であれほどの高さの津波が起きるはずもない。
これを起こした原因があの化け物のどちらかというのは考えるまでもなくわかった。
そんなことを考えている暇があれば逃げればよかっただろうか。いや、あれほどの津波から逃れることなど普通に考えても不可能だ。
その状況に彩斗は笑うことしかできなかった。
意味のわからないことに自分から首を突っ込んでその真意さえのわからないまま水に巻き込まれて死ぬ。こんな人生を嘲笑うしかない。
津波が襲来するまでわずか数秒。それまでの間に走馬灯が起きるとも思えない。
───こんなことなら伝えときゃよかったな。
死を覚悟して固く目を閉じた。
激流がこちらへと押し寄せてくる。死の音がすぐそこまで近づいてきていた。
そんな中で彩斗の耳は遠くの音をとらえた。
綺麗な音だった。一瞬天使の声かと錯覚するほど澄んだ音。
「獅子の御門たる高神の剣帝が崇め奉る───」
それは祝詞だ。人間が神に対してみずからの祈願するところや、神を称える心を表現するための言葉。
幻聴だろうか?
理不尽な死に方をする彩斗にせめてもの償いで神が聞かせてくれているのだろう。
「虚栄の魔刀、夢幻の真龍、荒れ狂う生命の源より、悪しき者を浄化せよ───!」
祝詞の終わりとともに彩斗の身体を激流が襲いかかる。
…………はずだった。
彩斗の身体を襲ったのは、コップ一杯程度の水だった。予想外の展開に目を開ける。
目の前に誰かがいる。長い綺麗な黒髪が靡いている少女だ。彼女が彩斗を津波から守ってくれているのだろうか。
死の恐怖から解放された彩斗は安堵のあまり膝から崩れ落ちた。
地面には津波でもたらされた水で濡れており、ズボンへと染みこみ冷たい。冬場の水とはなんとも冷たいものだ。
だが、今回はその冷水のおかげで安堵から飛びかけた意識が保たれている。
「大丈夫、キミ!」
黒髪の少女が彩斗を心配するように振り返る。長い髪を翻して少女はこちらを向いた。その可愛らしい顔立ちに少しだけ見惚れていたが、一瞬で我に戻る。
「あ、ああ。大丈夫だ」
地面に手をついて立とうとするが、膝が笑って立ち上がれない。そんな彩斗に彼女は手を差し出す。手を掴み立ち上がろうとした時に彩斗の目はまたしても現実離れしたものをとらえた。
それは彼女が差し伸べてきた逆の手に握られている物体。銀を主の色とした日本刀を模した近未来系のフォルムの武器。
ここまでくると彩斗はもう驚きすらなかった。
差し伸べてきた手を掴んで彩斗は立ち上がった。
あの、と質問をしようとしたときに少女はその手を掴んだまま走り出した。
「色々と聞きたいことはあると思うけどここは危険だから逃げるよ!」
彼女に手を引っ張られるまま彩斗はその場を後にした。
黒髪の少女に手を引かれて連れてこられたのは、道路のすぐ横に立っていたなんらかの店の屋上だった。通常屋上という所は鍵がかかっており一般人は入れないものだ。そもそも店へと入らずに屋上へと向かうことは不可能だが、運がいいことにその店は横に非常階段で屋上まで繋がっていた。しかしながら不法侵入を防ぐためにそこに行くためにも鍵がついているもの。
ならばどうやって入ったのか?
答えは彼女が握っている刀にある。
……もうお分かりだろ。
彼女はなんの躊躇もなくその扉を刀で叩き切ったのだ。同様に屋上の扉も切り裂いて不法侵入を果たした。
よほど切れ味がいいのか豆腐でも切るようにスパッと綺麗に斬れてなんとも気分がよかった。
屋上から先ほどまで彩斗たちがいたところを見下ろして嫌な汗を背中にかいた。少女がここは危険だ、と言った意味をようやく理解した。
津波の恐いところは押しだす力より引きずりこむ力だという。先ほど二人がいた道路は先ほどよりも強い激流に包み込まれていた。
「それであんたは何者なんだ?」
闇夜の中を二体の化け物がぶつかり合う光景を見ていた少女へと問いかける。
少女がゆっくりと振り向いた。
「ボクは獅子王機関の剣帝。獅子王機関三聖の命で、“神意の暁”の戦いの監視に来ました」
また訳のわからない単語が増えた。
シシオウキカン? ケンテイ? オリスブラッド?
どれもこれも聞いたことが全くないものばかりだ。どうやら危険なことではなくかなりの面倒ごとに首を突っ込んだのだとようやく理解する彩斗だった。
「それでそのシシオウキカンさんはあの化け物について何を知ってんだ?」
整理が追いつかない頭を押さえながら彩斗は訊く。
少女は少し考え込むような素振りをしたのちに口を開く。
「あれは眷獣だよ」
「……ケンジュウ?」
先ほど誰かが教えてくれた言葉と同じことを言う。
「うん。吸血鬼が従えてる意思を持った強力な魔力の塊」
そこまで来て彩斗がかろうじて知っている言葉が登場した。
吸血鬼───不老不死の肉体を持つ種族。日差しに弱く、人間の血を吸うことができる人の形をした化け物。
「ってことは、あそこで化け物を操ってるつうのが吸血鬼ってわけか」
「そういうことになるね。でも、ボクもまだ見習いだからそこまで詳しくは知らないんだけどね」
今頃気づいたが、この少女はボクっ娘だ。この可愛らいい顔立ちでボクっ娘というのは若干反則くさい気がする。
そんな邪念を振り払いながら彩斗は上空を睨んだ。
空中では、何度も二体のケンジュウが激突し合う。その度に爆風を生み出し、彩斗は吹き飛ばされないように身体を必死で堪える。
「ボクからも一つ聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「人払いの結界があるはずなのにどうやってキミはここまで来れたの?」
「……どうやって来たと言われても」
普通に家から出てきた以外に正しい解答があるのだろうか?
それに人払いの結界とはなんだ?
またしても訳のわからない単語の登場に困惑する。
これまでの経緯を思い出そうと彩斗は過去に意識を向けた。
そんな時に限って一角獣が咆吼し、鼓膜を激しく振動させる。
耳を塞ぎながら鬱陶しげに咆吼が聞こえた方向を睨みつけた。
「え……?」
思わず声が漏れた。
今度こそ理解することができなかった。
今までも理解できない状況や理解できない単語が次々と出現したが、まだかろうじてではあったが理解することはできた。しかし今回だけは本気で意味がわからなかった。
彩斗の脳が思考できる範疇を完全に超えている。
「どうしたの?」
心配そうに話しかけてくる少女の声もわずかにしか聞こえない。
そんな機能を失いかけた脳がなんとか命令を送り出し、言葉を紡いだ。
「な、あ……ケン、ジュウを操れ、るのは……吸血鬼だけ、なんだよな?」
うん、と少女は頷く。
「吸血鬼以外でも使用することは出来るけど眷獣は宿主の寿命を代償に実体化するものだから不老不死の肉体を持つ吸血鬼にしか実質使えないよ」
つまり……そういうことだ。
それは彩斗の中で一つの答えを出した。
考えたくなかった答えではあった。
信じたくなかった答えではあった。
しかし彼女の言葉が全ての解答のようなものだった。いや、その言葉を聞く前にハッキリと答えは出ていた。それでも違う結果にすがりたかった。
それでも彩斗の瞳は確実にその光景を映し出した。神々しい黄金の翼を持つ梟の背に乗る人影。紺色のブレザーを着ており、横でしばった髪が風で靡く少女。
「なんであいつが……」
その姿を彩斗が見間違えるわけがなかった。
今日の夜は出るな、と彩斗へと忠告した少女───
「…………柚木」
後書き
いかがだったでしょうか?
全く魔術のことを知らないかこの彩斗を書くのが案外難しいです。
あとようやく話が進んできました。
次回は、四番目との戦いです。
誤字脱字、感想、意見などがありましたら感想でお教えください。
また読んでいただけたら幸いです。
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