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Magic flare(マジック・フレア)

作者:とよね
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第6話 回転木馬ノ永イ夢想(前編)


 ―1―

 歌う小鳥。二足歩行するキジトラ猫。優雅な尾鰭を誇らしげになびかせ泳ぐ金魚。それらの装飾が施されたレンズを、女は次々とハンドバッグから取り出す。
 打ち上げられては花開き、また打ち上げられる花火。鐘楼と飛行船。輪を描いて飛ぶ大きな鳥。目の中で動く模様たち。すべて彼女のお気に入りだ。
 祝祭の夜が死と炎の夜に変わる瞬間、彼女は高層オープンカフェの化粧室にいた。ミサイルが来たのは、レンズケースの中から二足歩行のキジトラ猫を選び、目にはめていた、回る大輪のダリアのレンズを外した直後だった。

〈表題:電磁体を利用した他者への記憶および人格の転写について〉
〈啓明3年5月23日〉
〈日本国陸上自衛軍第三方面国防技術研究所
 可視電磁情報研究室所属:向坂五英〉
〈はじめに:人間の人格を電磁体に転写できるのならば、電磁体の人格を人間に転写することは可能か。
 上記について、死亡した桑島盟美の記憶ならび人格が転写された電磁体と、新生児であるその姪・須藤初芹を用いて試験する。〉

 暗闇の化粧室で、女がはいつくばっている。泣きながら、なくした物を探している。
「私の……キジトラ……」
 指で床をなぞる。化粧台の下を探り、膝立ちになり、蛇口周りを探る。
「私の、茶色い鳥……」

 ―2―

 怖い風鈴と雨の下で、クグチは遠い強羅木ハジメの反応を待っている。
「どうして……」
 強羅木は掠れた声で尋ねた。
「どうして彼女のことを知っている?」
「親父の遺言だ」
「あの動画を見たのか」
 クグチは黙った。
「誰がデータを渡した? 向坂か?」
「さあな」
「向坂はどうしてる」
「行方不明だ」そして付け加えた。「桑島メイミも」
 強羅木が何か言いかけるのを、クグチは遮った。
「話せよ。あさがおというのは俺の実の姉なのか? 今どこにいる? なぜあんたは黙ってた? 俺の母親は?」
「ちょっと待て、桑島は――」 
「先に俺の質問に答えろ。あんたは俺を騙してた」
 素早く言葉をかぶせた。
「騙してただと?」
「違うか? あんたは子供の俺に記憶がないのをいいことに、大事なことを黙ってたじゃないか。俺にはもう家族がいないと思いこませて、訂正しなかった。それが騙したんじゃないなら何なんだ? 言ってみろよ」
 答えない。
「言えよ!!」
 何か、うめくような声が聞こえた。クグチは沈黙して待った。強羅木が口を開くまで黙り続けるつもりだった。強羅木は通信を切らないだろう。養子に対して、彼にそんなことはできない。ならば話すしかない。イヤホンが重い。耳の中で沈黙が木霊する。
「……そうだ。あさがおというのはお前の姉だ。根津あさがお。道東で、母親と暮らしていた」
「根津?」
「お前の母親は、精神的な病に罹患していた。それで明日宮と衝動的に離婚した。あいつがQ国に行っている間にな。娘さんのほうは母親といることを選んだが、お前はまだ幼すぎた」
「だとしたら親父は? 精神病の妻と娘と俺をほったらかしてQ国に居残ったってのか?」
「そんなわけねぇだろ馬鹿野郎!」
 突然怒鳴られ、クグチは体をこわばらせた。
「Q国に残る結果になったのは事実だ。そのせいで死んだのもな。だがあいつは家族をほったらかしになんかしなかったぞ。遠く離れたQ国から仕事の合間を縫って二人に後見人をつけた。道東の自分の実家に住めるように手配をした。お前のことだって親戚や知人に引き取ってもらえるように散々当たってだな!」言葉を切り、呼吸を整えて「……お前にはあっちこっち転々とした記憶は残ってないようだがな」
「根津あさがおは道東の、俺の親父の実家にいるんだな」
「そうだ。もう五年近く音沙汰なしだが、去年俺から出した手紙は配達されたようだから、恐らく今でもいる」
「場所はどこだ?」
「今の道東居住区、東三十三区十号二十一番」
「東のほう……被害がひどかった場所じゃないか」
「祭りの夜だった」
 弁解がましい声に聞こえた。クグチは激しい嫌悪の衝動に駆られ、それに耐えた。
「だから?」
「彼女がその時、家にいなかったことを祈っている」
「勝手に祈ってろ。もし姉と母親が死んでいたら、俺は間近にいながらあんたのせいで家族の死に目に会えなかったことになる。死ぬまで恨むからな」
「……そっちはどうなっている?」
 強羅木が苦々しげに話を変えた。
「面白いことになっている。向坂ルネに会った」
「何を馬鹿な、向坂の息子なら二年も前に亡くなった」
「冗談で言っているとでも? そうだ。桑島メイミにも会った」
「どういうことだ」
 クグチは通信を切った。強羅木はこれまで自分に大事なことを黙っていた。今度はこちらの番だ。

 ―3―

 何かがくる。
 女は予感した。
 黒髪に櫛を差したまま、女は待った。それがいつまで経っても来ないので、窓辺に寄った。畳の上にはらはらと、長い髪が落ちた。
 一階の屋根の下、玄関から少し離れた場所に、ACJのジャンパーを羽織った男が立っている。レインコートを頭からかぶり、自転車に跨ったままだ。櫛を置き、階段を下りた。玄関扉を開けた。男はまだ同じ姿勢のまま家の前にいた。
 視線が合うと、男はさっと顔を強張らせた。眼鏡の向こうの目の焦点が、はっきり自分に絞られる。男は若く、青ざめている。
「何かご用ですか?」
 黙っているので、自分から尋ねた。
「ACJの人ですか?」
「ええ――」男は顔を背け、「巡回に」そしてまた顔を見て、「根津あさがおさんですね?」
「そうですけど」
 あさがおは首をかしげる。警察でも消防団でもなく、ACJの特殊警備員が巡回に。何故?
「あまり、外出しないでください。他にも特殊警備員が来るかもしれませんが……危険ですから」
「はい?」
「それじゃ」
 ペダルに足を乗せ、漕ぎ出そうとする。
「待って」
 あさがおは呼び止めた。
「私、外出はしないけど、ここに食糧の供給は来ないんですか?」
 特殊警備員は真顔で、不気味なほどあさがおを見つめた。
「よそには来ている場所もあるみたいだけど、ここには来ないから。何か知りませんか?」
「その内来るでしょう」
 と、何の根拠もなさそうな返事をし、
「明日もまた来ます」
 一礼した。あさがおは見送った。
 クグチはある程度離れてから眼鏡を外し、来た道を振り返った。
 どの家も無惨に崩壊した、廃墟と化した区画だった。

 死者たちが町を作っている。実在しない人間たちの、実在しない家々が、肉眼で見える人間たちの廃墟に重なって存在する。
 事態に対処するために、よその居住区から警察隊が道東に派遣されてきた。彼らには死者を、すなわち廃電磁体たち取り締まることはできない。生き残った人々の保護と、廃電磁体たちからの隔離を目的として来ている。
 廃電磁体を消去できるのは特殊警備員たちだけだ。その特殊警備員たちにしても、指示する上司も行動指針も失い、班ごとにてんでばらばら、勝手な行動をとっているのが現状だ。
 十三班の待機室に戻ると、今日も警備員たちが意味もなく集まっていた。
 とにかく命令がない内は何もするなと、無駄に待機室に詰めているだけの班がある一方で、岸本は班員たちにUC銃を所持しての自由行動を許し、避難場所に近付く廃電磁体を撃つことを許可していた。その代わり日に一度は待機室に顔を出し、日報を提出しなければならない。
「今日も星薗は来ないのか」
 岸本が舌打ちし、デスクで日報を書いている島を睨んだ。島はびくりと震え、日報に集中している演技で決して岸本を見ない。
「おい島」
「……はい。何でしょうか」
「昨日、星薗にここに来いって伝えるように言ったよな。どうなったんだ」
「行ったんですが、留守でした」
「何で留守だとわかったんだ」
「呼んでも返事がなかったんです」
「居留守に決まってるだろうがそんなもん。部屋開けてみたのか」
「でも……鍵が……」
 島はペンを持つ手を震わせながら、消え入りそうな声で「すみません」、岸本が当てつけのような溜め息をついた。
 だったらあなたが行けばいいじゃないですか、とクグチは思う。けれど言わない。怖いわけではない。面倒だからだ。今の自分に、岸本の他罰的な性格と攻撃性に平常心でつきあいきれる自信がない。
「わざわざ星薗さんをここに来させる理由があるんですかねぇ。こんな非常時ですよ」
 名前を知らない、深夜勤組の初老の男が荒い声で言った。
「こんな非常時だからだ。俺たち以外の誰が電磁体の幽霊どもに対処できると思って――」
「いやいや、そうじゃなくてですね。民間企業の一従業員が何でそこまでしなきゃいけないんだって聞いてるんですよ」
「はぁ?」
 岸本は顔に動揺を走らせながら、なお強気で口を開く
「お前なに――なん――何言ってんだお前。仕事を何だと思ってるんだ?」
「いやだからさぁ、仕事なら何か手当が出てもいいわけでしょ? でもそういう話ないじゃない。勤務シフトだってあってないようなもんだし、ね、岸本さん。あんたウチらの出退勤管理してるの?」
「そういう金の話なら、上役が」
「上役じゃなくてぇ、あんたが何をしてるかって聞いてんだよ。上役ってねぇ、いるの? 今。いないでしょ? 全然姿見ないけど? おおかた死ぬか逃げるかしたんでしょ。なんでうちらがどうせただ働きにしかならんのに、ここに縛られなきゃならんのですかね」
 岸本が怒りに顔をどす黒くして絶句している間に、警備員は馬鹿にしたように短く笑い、ドアに歩いて行く。
「やる気がないなら出てけってあんた、今まで散々偉そうに言ってたよな。そうさせてもらうよ。大阪に家族がいるんでね」
「出ていく? 勝手なことを言うな! 契約期間が」
「うちはあんたに雇われてるわけやないんでね」
 本当に出て行った。
 気まずい沈黙の後、若い女性の特殊警備員が立ち上がり、顔を背けて呟くように告げた。
「すみません……私も実家の両親が心配してますので」
「おい」
 出て行く。ソファから、デスクから、ぞろぞろと同僚たちが立ち上がった。本当に様々な年代の男女が集まっていたのだと、クグチは今更気付く。様々な理由で守護天使を手にすることなく、居住区の平和な暮らしから弾き出されていた人間たち。
「待て。おい、ちょっと待てよ」
「私らにも心配する相手がいるんですよ」
 ごま塩頭の老人が言った。
「あんたの奥さんとお子さん、今頃泣いてなきゃいいですな、岸本さん」
 老人が通り過ぎ、岸本は殺気とともに拳を肩の上まで持ち上げた。殴る気だ。その後ろ姿をクグチは冷ややかに傍観した。岸本は結局老人を捕まえも、殴りもしなかった。特殊警備員たちは去り、ドアが閉まる。拳は役目を果たすことなく、力なく下ろされた。
 部屋に岸本とクグチ、島とマキメが残った。
「残るの?」
 クグチはマキメに頷く。
「マキメさんこそ。いいんですか?」
「私の家族はずーっと南の方にいるからね。私を心配するような人たちじゃないし。私も別にどうでもいいからさ、あんな人たちさ」
 複雑な家庭らしい。
「明日宮君は家族いないの?」
「……姉が」
「えっ? 本当?」
「もう、いませんから」
「ごめん」
「いなくていいんだ、あんな奴ら」
 岸本がぶつぶつと自分に言い聞かせている。
「どうせあんな中途半端な奴だから社会から爪弾きにされたんだ。守護天使なんざ関係ねぇ。あんなのいても足手まといだ。給料泥棒だ」
「まだそんなこと言ってるんですか?」
 クグチは鬱陶しさに耐えられなくなり、言った。
「どうしてあの人たちが出て行ったか、まだわからないんですか」
 マキメも島もクグチを止めはしない。四人が共有しているものは面倒くささ。無気力さ。そして、ACJの特殊警備員であること以外に、この社会での居場所はないという自覚。それだけだ。
 岸本はどかりとソファに腰を下ろした。
「フレアが来る」
 急に言った。
「大きなフレアが来る。ラジオで言っていた。前々から予測されていた奴より先に来る。だからあんな奴らいらないんだ」
 話が見えない。
「フレアと今の状況がどう関係あるんですか」
「わからないのか、お前。そのフレアが外の廃電磁体どもを一掃するって言ってるんだよ」
 顔に血が上る。心臓が高鳴り、脳裏にさきほど目撃した、根津あさがおの顔がよぎった。
「それがここに影響するとは限らないですよ」
 知らず、強い口調になった。岸本の濁った目が上がり、クグチと視線をあわせ、形を歪めた。
「するんだよ。数日以内に北日本を直撃する。幽霊どもはこれで終わりだ」

 雨が家を閉ざす。古くて静かな家を。根津あさがおは畳に寝そべり、アルバムをめくっている。電磁体を映し出すカメラで撮影されたものだ。守護天使は何にでもなった。大きな茶色い鳥。鰯の群れ。自分と同じ大きさの、二足歩行のキジトラ猫。
「キジトラ」
 暮れゆく部屋、あさがおは写真を冷えた指でなぞる。
「もういないの?」
 悲しみに目を曇らせる。レンズをなくした目を。守護天使が見えない目を。
 アルバムをめくる。
 次のページには手紙が挟まれていた。

 午後から、クグチは向坂ルネの高校に行ってみた。いやに賑やかしくなっている。近付いてみてわかった。救援の医療チームやボランティアの拠点になっているのだ。校庭に泥をかぶったトラックが停まり、迷彩柄の軍服を着た男たちが黙々と積み荷を下ろしている。
 このあたりには廃電磁体がうろうろしているのに民間のボランティアがいるのはおかしいと思い、中に入ってよく観察し、理由がわかった。彼らは目にレンズをはめていない。おかしなものを見ないようにというボランティアの規則だろう。耳にイヤホンもない。
 校舎の裏に回り、向坂ルネが転落死した場所に立った。すると声が聞こえてきた。女がすすり泣いている。若い声だ。同年代だろうと思った。
 はたして二十歳前後の女が二人、非常階段下の掃除用具置き場にたたずんでいた。
「もうやだウチ帰りたいわほんまに」
 泣いている方の女が言った。
「なんであんな怒られなあかんの? ウチかて昨日から立ちっぱなしで疲れとるやん」
「そうやね。私もムカつくわあのおばはん。自分偉そうに突っ立ってああだこうだ言うだけで何もせぇへんし」
「おばはんの私物、救援物資の中に混ぜこんだろか」
「だねぇー。ぶっちゃけそれくらいのウサ晴らししても許されることない? ここ来てから自分の守護天使にも会えんへしさ。初めてやわー、こんな長いこと守護天使ログインさせてへんの。高いポイントもらえる言うから来たのに、ほんまエエことないわ」
 クグチは嫌な気分になって、そっと遠ざかった。
「ウチら善意で来てやってるのに、調子乗ってんじゃねえっつーの」
 裏の校門から、高校の敷地を出た。
 出たところは児童公園になっていて、午前の雨と午後の小雨で泥沼のようになっていた。
 通り過ぎる時、滑り台とイチョウの木の間に立つ、スーツ姿の男に気付いた。遊具と木の陰に隠れて、顔に右手を当てて肩を震わせている。
 クグチは声を出して呼ぼうとした。
 向坂ゴエイだった。声を上げて泣いていた。雨が泥と木々と遊具を叩く音に紛れて、耳を澄ませば聞こえる。
 四十過ぎの男が児童公園で、たった一人、あたり憚らず泣いている。
 傘も差さずに。
 その見てはいけない光景を振り払うように、クグチは踵を返した。

 電磁体の消滅は、人の死と同じ意味を持つものなのだろうか。その電磁体の持ち主だった人間の遺族にとっては、家族の二度目の死に等しいものなのだろうか。
 だとしたら、自分は向坂ルネを殺したことになるのか?
 馬鹿な。クグチは寮のプレイルームで一人、不機嫌な表情で貧乏揺すりをしている。酒に強い人間ならば、こんな時は気が済むまで飲むのだろう。残念ながらクグチは下戸だった。プレイルームにはクグチしかいない。卓球台には卓球のラケットが、座卓には碁盤が、テーブルには雑誌が出されたままだ。みんな、あの祝祭の夜に、卓球も碁も雑誌も放って出て行った。その時のままだ。
 電磁体は人間などではない。人間のように振る舞うとしても。人間の姿をしていても。人間のような思考や人間のような表情の変化を行うとしても。人間らしく見えるだけだ。電磁体は人間にはならない。電磁体の人格や人権などを認めたりなどしたら、そもそも自分のものとして所有することすら許されなくなるではないか。
 けれど、では何故……俺は根津あさがおをUC銃で撃たなかった? 
 貧乏揺すりがぴたりと止まった。
 持ち主の生前の姿で現れる廃電磁体は、遺族や生前の知り合いの心をいたずらにかき乱すだけの存在だ。あれを人間だと思っていないなら、UC銃で消せばよかったのだ。今までと同じように。
 なのに……なのに、岸本から数日以内に規模の大きなフレアが来ると聞いて、ひどく動揺した。
 あさがおが消えてしまう、と。
 いや、違う。いやいや。あれは電磁体だと、俺はそう正しく認識している。あれは……だって……そう……家族の遺品だ! だからこのまま壊れてしまうには惜しいと思っている。ただそれだけのことだ。そうに違いない。それ以外の理由で廃電磁体の消去を躊躇うなどありえない。俺はあれを実の姉そのものだなんて思っていない!
 俺はこないだ、向坂ルネが生前所持していた守護天使を、廃電磁体を、消去した。それまでも同じように消し続けてきた。仕事だからだ。何とも思わなかった。例えばルネを消したことについてだって、今だって何も思っていない。
 クグチはソファのクッションに拳を叩きつけた。一日中自転車で広い都市を移動し続けて、疲労しているはずなのに、まだ力が有り余っている感じがする。
 俺は、と、そして更に思う。「ひとでなし」と散々言われてきた。顧客から。消去対象の廃電磁体のもとの持ち主の遺族から。あるいは自分の守護天使をあえて廃電磁体にリンクさせて汚染し、廃電磁体が持つ生前の持ち主の面影を保存した人々から。人ではないのはこいつらだ。廃電磁体たちだ。そう言い続けた。それが仕事だからだ。他に自分に就ける仕事がないからだ。
 俺は人間じゃないのか? 無言のまま、更に自分に自分が問う。廃電磁体たちは人間の姿に見え、人間のように思考し、動作し、人間のように扱われている。この自分も人間の姿で、思考し、動作する。けれど感情はこんなに鈍磨して、冷ややかで、色々なことがもうどうでもよくて、自分の未来や人生にももはや興味がもてなくて、ひとでなしと評されている。自分と廃電磁体とを真に隔てるものはなんだ?
 あるいは、根津あさがおが生前所持していたあの電磁体がいざ消えたら、こんな俺でも悲しくなって泣くだろうか?
 そこで、違和感が思考に歯止めをかける。
 そうだ。
 向坂ルネが死んだのは、強羅木によれば二年前だ。それが何故、今頃になって廃電磁体となって現れたのだろう?
 島が部屋に入って来た。暗い顔をしている。
「どうしたんですか」
 クグチは何も考えていない、ただぼうっとしていただけだというふりをして、島に尋ねた。目が赤く充血している。
「また岸本さんに何か言われたんですか」
「ああ、うん、何でもないよ」島はうっすらと笑い、「いいんだ」
 隣に座った。島の重みでソファが沈んだ。
「俺さ、駄目なんだよね。撃てないんだ」
 横目で島を伺った。取り繕うような笑みを浮かべてクグチを見ない。
「今まではみんなの後ろついてって、それで誤魔化してたんだ。でももうそうもしてられないよね。だけどさ。駄目なんだ。どうしても撃てないんだ」
「廃電磁体は大概人の姿をしてる。人の姿をしてるものを撃てないのは人間の本能です。そんなの仕方がない。誰だって最初はそうですよ。島さんまだ半年めじゃないっすか」
「俺中学出てすぐ軍隊入ったから」
 そういえばマキメがそんなことを言っていた気がする。
「そこでも撃てなかったんだ。すごい苛められてさ。結局居着けなかった。俺どこ行ってもそうなんだよね。なんでなんだろうね」
 島は両手で顔を覆い、「それでさ」声を絞りす。
「遺族の人が庇うから……この人は生きてるって。撃つならあなたは人殺しだっ、て……」
 クグチは話を聞くのが辛くなった。かといって喋るなとも言えず、この場から離れることもできず、黙って聞く形になった。
「だって……悲しいじゃん。たとえ人間じゃなくたって、UC銃で撃ったら、消えてしまったら、もうその姿を二度と見ることができないんだ。二度と声を聞けないんだ。考えちゃうんだよ。廃電磁体が存在するのは、遺族のそばにいてあげたいからなんじゃないかって。この電磁体の生前の持ち主はそういう人だったんじゃないかって。それが……死んでしまった今でももてる、唯一の希望なんじゃないかって」
 奴らに存在するよすががあるとしたら、それは何だ?
 別れ際の強羅木の質問を思い出した。あの時は、人として弔われたいからだと、クグチは答えた。なるほど。遺族になってしまった家族のそばにいてやりたいから。あの時は思いもしなかった。しかし島なら、同じことを聞かれたら迷いなくそう答えるだろう。どちらが正しいとかよりよいというものでもないだろう。けれど島は葛藤している。どうすれば自分の考えの通りに行動できるかわからなくて、泣くほど苦しんでいる。
 俺は何も苦しんでいない。何も考えていない。
「ごめんね、俺、鬱陶しいよね」
「いえ。全然」
「明日宮君は強いよ。俺と同い年の人が来るって聞いた時嬉しかったけど、俺より全然しっかりしてる」
「別に強くもしっかりしてもないっすよ。多分……こういうの……流されてるだけって言うんだと思うし。世の中に」
 島は何か反論したそうだったが、言葉が見つからなかったようで、聞いてくれてありがとう、と言って立った。
「俺寝ることにする。おやすみ」
 クグチは無言で片手をあげ、応じた。
 島がいなくなってから、深く息を吸って吐いた。
 消えてしまったら、二度と姿も見れないし、声も聞けない。あさがおの姿の廃電磁体を消去できないのは、そういうことだろうと、クグチは理由をつけて納得した。自分に家族がいたことについて、それを伏せられていたことについて、納得していないからだ。
 向坂ルネの守護天使を保存したのは向坂ゴエイだろうか。クグチはその可能性に気付いた。
 持ち主を亡くした守護天使は、すなわち廃電磁体だ。速やかに消去しなければならない。
 けれど向坂ゴエイは、もともと電磁体の研究者だった。下手なACJ社員より遙かに電磁体の仕組みに精通しているはずだ。向坂ルネの守護天使を凍結・隠蔽する何らかの手段を持っていたとしても不思議ではない。
 けれど、そんなものをいつまで隠しておける。
 いや。
 いつまでも隠しておく必要はないのだ。
 守護天使が写し持つ向坂ルネの記憶と人格は、他の人間に移植できる。ハツセリが、桑島メイミが、それを証明したじゃないか。
 クグチは立った。抱えていたクッションが床に落ちた。
 何故、初めて会った時、ハツセリは南紀にいたんだ? あれは向坂が強羅木に会いに来た時、一緒について来たんじゃないのか?
 ハツセリはあの廃ビルでどうやって生活していたんだ? 誰が彼女の面倒を見ていた? 向坂ゴエイじゃないのか?
 証拠はない。けれどそう考えるのが一番しっくりくる。
 ハツセリはどこにいる? いるとしたら向坂ゴエイの近くが考えられる。
 あの時、やはり向坂に声をかけるべきだった。この広い都市の廃墟で、たった一人の人間を見つけた、奇跡のようなチャンスだったのに。
 クグチは寮を飛び出した。自転車の鍵を解除し、壊れた都市に漕ぎだした。向坂ゴエイを探し出すあてもないままに。

 ―4―

 闇、襖が開け放たれた。その音であさがおが目覚める。
 音は一階からで、夢だろうか、現実だろうか、目を見開いたまま、体が動かないと気付く。
 一階の廊下が軋む。
 軽い女が、床の古くなった部分を踏んでいる。
 続けて、さーっ、と紙をなで回す音。
 部屋の襖を撫でているのだ。片手で撫でながら、一階の廊下の奥の階段に向かってくる。
 あさがおは開け放たれた窓、網戸の向こうの雨雲の明かり、そして、風を通すために開け放たれたままの寝室の襖を見た。その向こうの廊下の闇で、何かが、階段に足をかける。
 指に力を入れ、動かし、全力で背中を敷き布団から引き離した。
 とん。とん。上がってくる。
 あさがおは這って襖に手を伸ばす。
 とん。とん。
 襖に手が届く。音を立てぬように、襖を閉ざす。
 こんな、紙と木でできた小さな戸であっても、「入ってくるな」と閉め切られたら入って来れないものだ。上がってきた女は、やはりその軽い体重で廊下をわずかに軋ませて、寝室の前に立った。
 小雨が、襖にやさしく影を揺らしていた。襖一枚を隔てて、それは中の様子を窺っている。あさがおは夏布団を抱いて身じろぎひとつしない。
 それが、両手で襖を撫でた。
 さー。
 左から右へ、直線を描くように。下から上に向けて、輪を描くように。
 さー。さー。
 けれど、閉ざされた襖はかたく、開かないことを悟ると、静寂の後軽い女は、廊下を引き返して行く。
 それが階段を下りて、一階の廊下から仏間に戻るまで、耳をそばだてて待った。
 音と気配が消えてから、そっと寝室を出た。懐中電灯を頼りに一階に下り、開け放たれた襖から仏間をのぞくと、ああ、やはり、仏壇の扉を閉め忘れているではないか。
 ぱたん、ぱたんと仏壇を閉めて、静かな心持ちで背を向けると、
 バン!
 仏壇の扉が、内側から激しく叩かれた。
 バン! バン!
 その衝撃で、扉が内側からたわむ。
「ああ……」
 あさがおは嘆き、仏間の襖を今度はきちんと閉めきって、寝室に戻った。
「ごめんね……」
 二階の寝室に戻るが、一階から、まだ、音が聞こえ続ける。バン! バン!
「ごめんね……お母さんごめんなさい……ごめんねぇ……勘弁してねぇ……」
 夜はまだ長い。

 ※

あさがおへ。お元気ですか? お母さんは病棟を移ってようやく、ここでの暮らしの楽しみを見つけました。それはラジオを聞くことです。なぜかというと、ラジオがこの間、いつかあなたと見たトンビのお話をしていて、トンビを指さして笑っていた女の子のお話ですが、あれはあなたのことなのでしょう。あなたが手紙が盗まれている可能性に気付いて、お母さんを励ますために、ラジオを利用したのでしょう。大変賢い手段を考えたものだとお母さんは喜んでおります。とはいえ私の楽しみをあいつらは片っ端から取り上げるか、破壊しようとしますから、お母さんもまた大変慎重に、そして賢く振る舞っているのですよ。まず、ラジオは幸いにも、交流室の一番窓のところにありますから、お母さんはまず誰も見ていないときにラジオに無線イヤホンをさして、自分の耳にも無線イヤホンを入れて、窓の外を見るふりをしてラジオを聞いているのですが、ある時私がラジオを聞いていると、この病院のいまいましい看護師どもがどうやってかラジオを盗み聞きして笑っていることに気がついたのです。あの連中はイヤホンをしていませんから、イヤホンがなくてもラジオが聞ける機械を手術で埋め込んでいるに違いありません。そうして私だけのたった一つの楽しみをかすめ取って嘲笑っていたのです。だからあさがお、次の連絡手段にラジオを使うのはやめた方が賢明でしょう。看護師たちにラジオの手術をして、お父さんを小人にする手術をした悪い連中はもう、この方法に感づいています。けれどおかげでお母さんは気がついたのです。あの時私のラジオを盗み聞きして笑っていた看護師は、何年か前に、私の鞄を置き引きした犯人です。あの看護師は、笑う時、くねくねと体をよじって私に背中を向け、それからすぐ、布がかかったた台車の持ち手の中に、両手を隠したのです。あのこそこそした動きは泥棒の動きです。だいたい、台車の持ち手の部分にまで布をかけて隠すなんて、おかしいと思いませんか。他の愚かな連中は騙せても、私の目は欺けませんよ。私はあの看護師が、私を孤立させるために、あなたから私への手紙を隠していることを知っています。でなければ、あなたから届く手紙の数が少なすぎる理由にならないからです。あの看護師だけではなく、病院の人間全員がそうなのです。だけどお母さんはあなたを信じていますよ。彼らは全員正義の裁きを受けなければなりません。お天道様は全てを見ているのですよ。お母さんより。

 ※

 大きな鳥が何羽も空を回っていた。あさがおは木馬の上にいた。木馬も回り、回りながら浮き、沈み、さびた真鍮の持ち手を握るあさがおを、二周目も、三周目も、飽きもせず笑わせた。
 世界で一番素晴らしい日だった。二十数年生きてきて、結局あの日が一番素敵な日だった。
「お母さん、あの鳥なに?」
 メリーゴーラウンドの柵の外を、若かった母が一緒に回ってくれた。
「どの鳥?」
「あのねー、あのいっぱい回ってる鳥」
「あれはね」
 トンビって言うのよ。
 記憶がある。
 この遊園地で、持っていた揚げパンを落とした記憶がある。理由は忘れたが、手に怪我をしていた。怪我をした痛みでパンを落としたのだのだろうか。よく思い出せない。
 そして、駆けつけた母の顔が夕日の中で険しく変わっていった記憶。

 仏壇の果物を下げる。完熟しきって、腐敗する一歩手前の段階だ。今日、これを食べてしまおう。
 供えていた菊の花束が茶色く枯れている。困って菊を見つめた。あの日以来、花などどこにも売っていないのだ。
 予感がした。
 特殊警備員が来る。あさがおは玄関に出た。果たして家の前の道を、昨日の特殊警備員が自転車に乗って走ってきた。
 その頭上をかすめるように、茶色い、大きな翼を持つ鳥が、のんびり飛ぶ。鳥は上昇気流に乗って回りながら高度を上げていった。
「あの鳥」特殊警備員が目の前で自転車を止めても、あさがおはその姿に見とれていた。「こんな町にもいたんだ」
「どの鳥ですか?」
「ほら、あれ」
 特殊警備員は一面の曇り空に目を凝らす。けれども、あんなに大きな鳥を、どうしても見つけられないでいる様子だ。顔をあさがおに戻した。
「お一人で住んでらっしゃるのですか?」
「ええ、まあ」
「他にご家族は……」
「いないんです。もう」
 あさがおは愛想笑いを浮かべ、
「でもこの家を出たり、避難しようって気はありませんから。一人でも大丈夫です」
「でしたら、極力家から出ないようにしてください」
「心配してくれるのね。ありがとう」
 クグチは躊躇い、尋ねた。
「ご家族は……あの夜に?」
「いえ、二年ほど前の夏に。だから、一人暮らしには慣れてますから。そんなに気にしないでくれても大丈夫ですよ」
「そうですか」そう返事しながらも、「明日も様子を見に来ますから……念のため」
「ありがとう」
 実の姉だという女の姿をした電磁体に背を向けて、クグチは自分だけの巡回路を巡る。次の目的地は居住区の外だ。簡易ゲートの内側に自転車を置いて、貧民外のその区画の、掲示板がある場所を周る。
 伊藤ケイタを捜す張り紙の多くは、他の張り紙に埋もれて見えなくなっていた。貼り直そうと考えて、しかし思いとどまる。
 その全てが、自分の無事と居場所を家族に伝えたり、あるいは行方不明者を捜す、自分のものよりも遙かに切実なものだったからだ。

 
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