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白鳥の恋

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第七章


第七章

「あの二人がどうしたというんだ」
「見ればわかるさ」
 それが返事であった。
「見ればか」
「ああ、見ろ」
 そう言って二人を見るように告げるのだった。
「あの二人は完全になりきってるだけじゃない」
「いや、完全になってしまっている」
 これは舞台だけでの言葉ではなかった。
「ローエングリンとエルザに」
「なってしまっているな」
「なってるのか」
「ああ、なってる」
「流石にこんなことははじめて見た」
 第一幕が終わるとその声はさらに高いものになっていた。
「今まで数多くの舞台を見てきた」
 一人の老人が言った。
「しかし。これ程までは」
「見たことがないのですか」
「ローエングリンとエルザは見たことがない」
 それがこの老人の言葉であった。
「名唱、名演は数多く目にしてきて聴いてきたが」
「そうなのですか」
「まさにローエングリンとエルザだ」
 老人はまた言った。
「素晴らしい。これ程までとはな」
「では余計にです」
 それを聞いて観客達はまたローエングリンという作品について言及する。真剣な顔で。
「あの二人が例え本当に惹かれ合っていたとしても」
「結ばれることはないのね」
「あの二人なら」
 また言われる。あの二人だと。
「それはない。絶対に有り得ない」
「そうね。それは」
「ないのか」
「住んでいる世界が違うのだ」
 このこともまた言われるのだった。ローエングリンとエルザのそのそれぞれの世界も。これもまた深いところまでここで話されていた。
「だから二人は決して」
「そうなるのね」
「しかし」
 だがここで言われる。
「この世界ならどうか」
「この世界?」
「ここは違う世界はない」
 少なくともモンサルヴァートはありはしない。特別な場所から来た異邦人も存在してはいない。それだけは確かなことであった。
「だからだ。この世界ならば」
「しかし。あの世界なら」
 ここで彼等は。それぞれの世界が完全に別なものだと思っていた。
「結ばれはしないな」
「そうなりますか」
 彼等はそう考え話していた。その話が一段落ついたところで第二幕となる。エルザの心が揺れ動いていく。しかしエリザベートの心は別であった。
「私の胸の奥底は疑いに震えてやまない」
(いえ)
 エルザになってはいたが。同時にエリザベートでもあり続けていた。
(私は疑ってはいない)
 アーダベルトを見ての言葉であった。
(きっと。私は)
「例え私の名と素性は申し上げなくとも」
(そんなものは必要ない)
 アーダベルトもまた同じであった。やはり心の中で言っていた。
(私はもう)
 二人はローエングリンとエルザでありながらアーダベルトとエリザベータになっていた。それぞれ二つの心が完全に混ざり合っていた。その中で。さらに言葉となっている歌を紡ぎ合うのであった。その白い絹の様な歌を。
 声を紡ぎ合わせ第三幕に入りそうして。二人の婚礼の場でもそれは同じであった。
「最早世の煩わしさに悩まされてはならない」
 ローエングリンは歌う。
「エルザ、我が妻よ」
 今妻と呼んだ。
「貴女は幸せか」
「私の呼吸する歓喜こそ神だけが与え得るものなのです」
 これがエルザの返す言葉だった。エリザベータの。
「これをただ愛と呼んでいいのでしょうか」
 二人は愛を確かめ合う。しかしローエングリンの世界においては別れが近付いてきていた。ローエングリンはこの第三幕で終わる。その最期は二人の悲しい別れなのだ。
「さて、これからだな」
「そうだな」
 観客達は固唾を飲んで二人を見守っていた。
「ローエングリンとエルザか」
「それとも」
 違う二人なのか。それはまだわからなかった。
 だが別れの場面になった。名前を名乗ったローエングリン。
「禁じられた問いに対する私の答えを聞いて頂こう」
 いよいよ名乗る。ローエングリン最大の聴かせ所であるローエングリンの名乗りの歌の中でもクライマックスの場面だ。ここで彼は宣言するのだ。
「聖杯に仕える騎士である私の名は」
 ここでようやく彼のことが舞台の上でわかるのだ。
「ローエングリンという」
 遂に自ら名乗った。その長剣を腕に抱きながら。今白鳥の騎士が自らの名を名乗ったのであった。
 これは同時に別れの言葉なのだ。これを告げたからにはローエングリンはエルザの下から去らなければならない。それがローエングリンの世界なのだ。
「貴方をここから去らせはしません」
(何があっても)
 ここでも二つの心が完全に混ざり合っていた。
 
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