相棒は妹
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志乃「じゃ、やるか」
この間まで重苦しく長いとしか感じなかった学校は、あの貧乳大好き宣言をしてから短く感じるようになった。……これも全部、貧乳のおかげなのだろうか。いや、これは口が裂けても言っちゃいけない台詞だ。単に男子に認められてスッキリしただけだ、うん。
まぁ、あの状況下でも五十嵐みたいに気にしないで声を掛けてくれる男子はいたさ。……三人だけ。
志乃はいつもと変わらない様子で、本を読んでいるか曲を聴いている。俺の考えでは、俺を嫌ってる女子群の中で数少ない俺の知り合いとして、ちょっかい出されるものだと予想していたのだが、実際にそういう面倒な事は無かった。本人はクラスなどどうでも良いとばかりに自分の世界に入り込んでいる。
この間俺に大打撃を食らった本山と言えば、あの日以外は元のテンションに戻っており、俺の時のように男子に媚びを売っていた。だが、ずっとというわけでは無く女子と仲良く話もしており、器用に立ち回る様子は全く変わっていなかった。
ただ、俺には話しかけてこなくなった。あまりにも俺に関して無頓着になった。それに悲しさや寂しさを覚えたわけじゃないが、どこか不安な感じがした。でも、その正体が掴めず、俺は依然として本山を警戒している。
男子は言うまでも無い。次の日から何日かは皆で俺の席まで一列に並んで、昼飯を奢ってきた。それ自体あまり好きじゃないのに、それを二〇人ぐらいから貰うって……俺を太らせたいのかって感じだった。で、俺が先を見透かして弁当持って来なかった日に限って、こいつら昼飯奢らなくなりやがった。……偶然とは、時に人を不幸にするものである。
女子もまた、言うまでも無い。あの宣言は、完全に女子を敵に回した。志乃が親しくしている友達すらも俺を避けるようになった。唯一話しかけてきてくれていた五十嵐も、友達に「ラン、そいつキチガイだから止めた方が良いよ!」って言われてて、表では話しかけてこなくなった。これはけっこう傷付いた。代償、マジで大きすぎる。
体育館で女子片側男子片側の授業とかがあるのだが、こういう場合も女子は俺の姿を見ると「へ、変態が」とかほざいて逃げ出していく。俺は近所の欲求不満ジジイとは違ぇんだけど。
でもって、これは他クラスや上級生にも広がっているようで、『葉山伊月には注意』的な警告が成されているらしい。俺の高校生活、一学期まだ終わってないのに、すげえ事になってるよ。生きていけるかな、これ。
変な空気に包まれている俺の周りだが、休みの時は違う。公立だからこそ存在する二日間のオアシス。学校などという退屈で騒々しい空間から抜け出せる魅惑のひと時。休みがあるからこそ、俺は頑張れるというものだ。
でも、俺が人生を諦めずに頑張れるのはまだ理由がある。そして、それこそが休みの日にしか出来ない楽しい事だった。
「兄貴、ちょっと来て」
土曜日の午前九時半頃。まだ休日が始まったばかりの時間帯。俺は八時頃に起きて、ずっと部屋で携帯ゲームに興じていた。今日もマイクを探しに出かけるつもりだった。志乃を誘ってみると、「私は別口から」と言われてしまったが。
そんな時、志乃から呼び出しがあったのだ。街の店が開いてくる一〇時に合わせ、そろそろ支度をしようかと思ってタンスの中の服を漁っていた時だった。
「お前ノックぐらいしろよ」
「兄貴の部屋は、私の部屋」
お前はどこのガキ大将だよ。むしろ言葉と行動で人を追い詰める恐ろしい悪人だろ。
「で、何しに来た?もしかして俺と一緒に行きたいとか?」
「それはない」
即答しないでほしい。冗談で言ったつもりなのに、けっこう傷つくぞ。
では一体何のようなのかと改めて問うと、志乃は少し俺と目を逸らして、小さな声で呟いた。
「……ク」
しかしその声はいつも以上に小音すぎてホントに聞き取れなかった。
「もっとデカい声で言ってくんね?ちょいと聞こえねえわ」
「……マイク」
「マイク、がどうした?それなら俺とお前で互いに探しあう話だろ。それとも、俺と行きたいけど恥ずかしくて言えないとか?」
「それはない」
いやいや、即答はダメだって。ああでも、俺が無駄な事言わなきゃいいのか。これ完全な自滅行為じゃん。
そこで俺と志乃の間に奇妙な沈黙が訪れる。俺は志乃の次の言葉を待ち、志乃は何か言いづらい事があるのか、その場で突っ立っているだけだ。言葉の応対は出来る状態だが、言葉を発する主に問題がある。そんな感じだった。
これ以上は無意味だと思い、俺の方から急かすように声を掛ける。
「まぁ、何か言いたい事あるなら後で聞くよ。俺これからマイク探しに行くから」
「ちょっと待って」
どんだけもったいぶるんだ?まぁ、マイク探しは何時からでも出来るから構わないけどさ。志乃は続けて俺に言ってくる。
「時間は取らない。でも、この先に進める」
「……よく言ってる意味が分からないけど、まぁいいや。お前の部屋に行けばいいんだっけ?でも、お前俺が部屋に入るの嫌がってなかったか?」
ふと思い出して聞いてみると、志乃は俺の予想とは違う顔をした。何故かきょとんとした顔でこちらを見ている。
「私、兄貴にそんな事言ったつもり無いけど」
「いや、だって」
今まで俺が入るのめっちゃ拒んでたじゃん。いきなりそんな顔されても、困るのはこっちなんだけど。
「普通に部屋が散らかってたから入れなかっただけ。後は、準備のためかな」
「準備?」
「来れば分かる」
そう言って志乃は俺の部屋を出て、自分の部屋に向かって歩を進める。慌てて後を追って、俺は数年ぶりに妹の部屋という未知なる領域に到達した。
最後に入ったのはいつだろうか。いや待て、志乃に自分の部屋が作られたのは中学からだった筈。だとすると……
「俺、初めてこの部屋入るんじゃん……」
「そりゃそうでしょ」
数年ぶりとか調子こいてた。俺一度も入った事無かったよ!なんかすげえ悲しくなったぞおい。
だが、視界に広がる妹の部屋は、俺が想像していた物とは違った。俺の家の二階はトイレを除いて全て畳が敷かれた和室となっている。当然志乃の部屋も和室であり、一面に畳が敷き詰められているものだと考えていたのだが、それは間違いだった。
何故なら、志乃の部屋は元が和室であったと想像させないぐらいに――女の子の部屋だった。
約八畳の部屋全体に水色の毛布的なシートが被せられている他、幾つかの棚にぬいぐるみが置かれている。また、部屋の隅には志乃の実力を証明するピアノが佇み、その隣に構えているタンスと並んでいる。どこか違和感が湧き出たツーショットだ。
そのピアノの反対側には、天井の八割ぐらいまで大きい本棚が設置されている。そこには数多くの本――漫画や一般小説、ライトノベルや音楽関係の雑誌――が丁寧に並べてあった。入口から見て右側にある窓の右横に勉強机があり、手入れされた他の家具とは違い、ここだけ異常に汚かった。この間学校で貰った検定申込み用紙がぐしゃりとなったまま教科書の下敷きになっている。うわ、俺より汚ねぇよ。
「そっちは見なくて良いから」
突然聞こえた志乃の声に思わずビクっとしてしまう。いや、目潰しされるかと思って。
「大丈夫、目潰しじゃなくて火炙りだから」
「心を読むな!それと火炙りって、俺を家ごと燃やす気かよ畜生!」
そんないつものやり取りを終え、志乃はゆっくりと歩き出し、ピアノの前で足を止めた。そしてピアノの椅子に置いてあった直方体の箱を持って俺の方に戻ってくる。
ここからではパッケージが見えない。志乃の胸に抱かれており、裏の絵柄も腕で上手い具合に隠されているのだ。
そして、志乃は俺と話せる距離に来て、ようやくその箱の正体を明かしてくれた。それを見て、俺は思わず息を飲んだ。
「おい、これって……」
それは俺がこの一週間追い求めていたもの。それを見つけて、喧嘩していた志乃との仲を修復したいと考えていたもの。何より、この先の手順を踏むために必要不可欠なもの。
「そのびっくりした顔が見たかった」
そう言いながらニヤリと笑って見せる志乃。この間も驚かされたけど、今回はそれ以上に驚愕してしまった。
志乃が持っている箱には、スターターセットに付属していた赤いマイクの絵が映し出されていた。
俺は説明してくれと言おうとしたのだが、あまりにも急激な展開に目で訴える事しか出来なかった。一体、どうやってゲットしたんだ?俺がどこを探しても見つからなかった代物だぞ、これは。
すると、志乃がドヤ顔しながら説明してくれた。
「一件だけ、しかもこれ一つだけしか売ってない店があった。だから、誰かに取られる前にそこで買った」
「一件だけ……あ、もしかして」
俺の記憶の海から釣り上がったのは、一つの『おしい』結果。ネットでいろんな店を探し、試しにその店にも行ったのだが、売り切れてしまっていた。しかも、俺が店に入った三十分前に。苛立ちと悔しさを今まで以上に経験したのを、俺は明確に覚えている。
「あの時あそこで買ったのは、お前だったのか……」
「ダメ元で入ったら見つかって買ったの。最初はパチなのかって疑ったけど」
いや、店に並んでるんだからパチモンじゃないだろ。まぁ、ずっと探しても見つからなかったのにいきなり姿を現したんじゃ、そう思っても仕方ないよな。
「兄貴、開けていいよ」
「俺が?」
「他に誰がいるの」
そこで僅かに浮かび上がった志乃の微笑を見て、俺は本当に素晴らしい妹を持ったものだと実感した。ここまで兄妹の仲が良いところなんて、最近はあまりないんじゃないか?
俺は箱に付けられたテープをハサミで切って、丁寧に中身を取り出す。普段は何をやっても雑なところが見受けられるが、これはとても綺麗に開けられた。
そして、中から出てきたのはコードが黒のモールで結ばれた赤いマイクだった。それは当たり前の事で、逆に違う物が入ってたら怒り狂うのだが、その時俺は涙腺が崩壊しそうになった。
やっと手にする事が出来たマイク。一度ぶっ壊れてしまい、何もかもが停滞してしまった。でも、これさえあれば出来る。これさえあれば、俺は歌える。
「志乃、ありがとう」
そこで志乃に感謝の言葉を呟いた。『ありがとう』なんて五文字の言葉で、どれだけ感謝の気持ちを伝えられるんだろう。俺はもっと『ありがとう』って言いたい。
「ありがとう。マジでありがとう」
「兄貴どうしたの?頭のネジ吹っ飛んでありがとうしか言えなくなった?」
常に状態キープな毒舌も、今なら笑って返せた。志乃は少し笑みを浮かべていたが、それは本当の笑顔では無いと俺は知っている。昔の志乃は太陽のように明るい笑顔を周囲に振り撒いていたんだから。
俺はその志乃の笑顔を取り戻したい。志乃が作ってくれたきっかけの中で。そのためには、俺と志乃の特徴を合わせた一つの作品を仕上げないといけない。
でもこれは義務じゃない。『やりたいこと』だ。
マイクがこうして揃ったのは嬉しいが、やはりこれはまだ始まりに過ぎないのだ。
「それと、兄貴にはもう一つ」
「まだなんかプレゼントしてくれるのか?」
「まぁね」
そう言って、志乃はピアノの椅子に座り、ピアノの台を上げて鍵盤を外の晒した。
「?」
「課題曲の伴奏、聴いてて」
それだけ言って、志乃は軽く息を吐いてから、静かに指を鍵盤に添え、演奏が始まった。
まず言いたいのは、志乃がピアノを本当に好きなのだということ。
志乃の使うグランドピアノは、電子ピアノよりも鍵盤がやや重い。それなのに志乃は涼しい顔して鍵盤と足のペダルを器用に押して、俺の耳に『音楽』を送り込んでいる。
俺は立っているのも目障りだと思い、静かに腰を下ろした。そして、志乃がピアノを弾く様子をじっと見守っていた。
志乃がピアノを弾いている時、あいつ少し笑ってるんだ。それも、普段とは違う清々しいような表情。まるでそれこそが自分の楽園とでも言うように。その姿が、彼女の操るピアノ自体にマッチし、とても絵になるなと感じた。
外見だけじゃない。志乃の演奏は神レベルだった。課題曲であるボーカロイドの曲は、元が生演奏で人がやっているから簡単だと思っていた。だが、それはアレンジすればの話であり、本家の曲をそのまま弾くのは難度が高いというのが、実際の志乃の演奏を聴いてて分かった事だ。曲に合わせた疾走感がハンパじゃない。あれを間違え無しで弾き通す志乃が輝いて見える。
一つ一つの音が透き通って俺の鼓膜を揺さぶってくる。頭にその情景を連想させるような、耳が感動する感覚。俺は考えるのを止めて、ピアノの音色に聞き入っていた。
そして、たった三分近くの曲は終焉を迎え、ピアノの音が止む。その時に俺は酷い落胆を覚えた。もっと聴いていたかったという、個人的な要望だった。
「お前凄いよ。あの曲をあそこまで完成させてるなんて」
と、ここで改めて志乃のピアノを見てみた時に、俺はもう一つの驚愕する点を発見した。
「なぁ志乃。お前、これ暗譜してんの?」
「まぁね。でも、今の演奏の中にも少しだけ音間違ったから、そこ直しておく」
その言葉を聞いて、俺は全身に鳥肌が立った。ヤバい。こいつは本当に凄い。ピアノに関して膨大な知識と実力を併せ持ってる。これを圧倒的と言わずしてなんと称せばいいんだ?
「じゃ、やるか」
その時、志乃が突然そんな事を言い出した。
「やるって、何を?」
「マイク探しまくって大事な事忘れるとか兄貴らしい」
褒められたのか貶されたのか(多分貶された)、志乃はそう呟いてから再び言葉を紡ぎ出した。
「作品、作るなら始めないと」
「……お前、言葉足らずなんだよ。そう言ってくれればすぐ分かったっての」
苦笑しながら呟く俺に、志乃は不満そうな顔をしながら言った。
「私の言葉の意味を完全攻略してないなんて、兄貴失格ね」
「お前わざと変な言葉作って俺をバカにするだろ?」
それから、俺達はついに動画作りの作業を始めた。長かった。最初にこの話が持ち上がったのはいつだっけか。うわ、ホントに思い出せない。まぁ、それ程までに俺の新しい高校生活は他の奴以上に色濃いって事だ。
俺の部屋に置いてある機材を持ってきて、説明書を見ながらセットしていく。とは言っても、別に難しい事じゃない。オーディオインターフェイスという音質向上機器をUSBでパソコンとマイクに装着するだけだ。後はDAWソフトとエフェクトウェアソフトという音楽編集のためのソフトをパソコン内に読み込んでいつでも使えるようにするぐらい。俺が想像していたのは徹夜漬けだったんだけど、あまりに簡単に済んでしまって少し心配にもなった。
「ああ、でも俺まだ曲完璧じゃないんだよな」
「私ももう少し練習したい」
機材のセットが完了した際、俺がそう言うと、志乃もそれに同意した。珍しく意見が一致したようだ。という事で、俺達はもう少し練習してから本番に臨む事にした。
その本番は、カラオケ店の中でやる事に決まっている。志乃のピアノを先に録音し、軽く編集を加えて完成させる。最後に、俺の声を動画に吹き込むわけだが――家でやるのは近所迷惑なので、近くのスタジオが無いか探したのだが、あいにくそんな運の良い展開は訪れなかった。
結果、防音のカラオケ店ならいけるんじゃ?という俺の提案に、志乃も賛成し、そこで歌う事になった。そのためにはパソコンなどの重たい機材を持っていかないといけないが。
俺は志乃と今後についていいろいろ話した上で、パソコンと機材のドッキングを切り離した。今はやらないのだから、あっても邪魔になるだけだ。
「じゃあ、来週の土曜に録音な」
「分かってる」
そう言って志乃の部屋を出る。機材はここに置いて良いと言われたのだが、俺の部屋の方が荷物が少ないので再び自室に持ち込んだ。
そして、時間を見る。午前一〇時半。ざっと一時間ぐらいしか経っていない。
だが、その間に俺が身を持って経験した最高峰の感動は、余韻となって俺の耳の中に残り続けた。
後書き
このままゴールイン出来るかどうか、最後まで見守って下さると嬉しいです。よろしくお願いします。
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