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アリアドネの糸

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第二章


第二章

 あどけなく、それでいて大人の雰囲気を併せ持った顔をしていた。つぶらな緑の瞳がまるで牡牛のそれのように大きい。蜂蜜の色をした髪はカールになっておりまるで冠の様に輝いている。大人と少女の間にあるその美貌を見てテーセウスも目を奪われないわけにはいかなかった。
「わかった」
 王がその娘を見たのは一瞬であった。すぐにテーセウスに顔を戻して言うのであった。
「テーセウスよ」
「はい」
「ラビリンスに挑戦するがいい」
 そう彼に告げた。
「よいな」
「有り難うございます。それでは」
「しかしだ」
 ここで王は言うのであった。
「ラビリンスを普通に抜け出ることができた者は今までおらぬ」
「左様ですか」
「そうだ。そして」
 さらに彼に言ってきた。
「中には魔物もいることを忘れるな」
「わかっております」
 本当にいるかどうかわからないがテーセウスはここではいると考えた。最悪の事態を考えてのことである。そうした慎重さも知っている彼であった。
「それではそれもまた。肝に命じております」
「一日だ」
 王は時間を告げた。
「一日経って抜け出ることができなければ失格となる」
「失格ですか」
「そうなればそなたはダイダロスの手で連れ出されることになる。そうして惨めな敗残者となるのだ」
 あえてであろうか。恥を彼に強調してきた。それはまるでその言葉で彼を萎縮させるかのようであった。
「わかったな。それでもよいのならば」
「はい、構いません」
 最初から退くつもりはなかった。だからすぐにこう答えたのであった。
「それでは。すぐにでも」
「うむ。では皆の者」
 王は周りに控える家臣達に命ずるのであった。
「すぐにこの者をラビリンスへ。よいな」
「わかりました」
「それでは」
「父上」
 ここでであった。先程王が少しだけ見ていた娘が王を父と呼び彼に声をかけてきたのであった。
「アリアドネか」
「はい、ラビリンスへの案内役ですが」
 アリアドネと言われた娘はここでテーセウスを見ながら王に話すのであった。既に何度かテーセウスの方を見ていて彼もそれは気付いてはいた。
「私にお任せ願えるでしょうか」
「そなたがか」
「なりませんか?」
 父王を問う目で尋ねるのであった。
「それは」
「ふむ」
 王はそれを聞いて考える顔になった。そうして娘に対して答えるのであった。
「まあよかろう」
「宜しいのですね?」
「うむ、他ならぬそなたの願いじゃ」
 この王も娘には弱いようであった。困ったような苦笑いを浮かべてはいるがそれも悪い顔ではなかった。どうやら普段から目の中に入れても痛くない程可愛がっているらしい。
「わかった。許そう」
「有り難うございます。ではテーセウス様」
「はい」
 テーセウスは今度はアリアドネの言葉に応えるのであった。
「私が案内させて頂きます。それではこちらに」
「わかりました。それでは」
 こうして彼はアリアドネに案内されてラビリンスの入り口に向かうことになった。そこは地下へと向かう廊下と階段でありテーセウスはアリアドネが手に持っている松明の灯りに導かれて先を進んだ。その中で彼女は後ろにいる彼に対して話し掛けてきたのであった。
「あのですね」
「はい、何か」
「貴方にお渡ししたいものがあるのです」
 彼女はこう彼に言ってきた。彼の方を振り向いて。
「私にですか」
「はい、これです」
 こう言って彼に赤い丸いものを手渡してきた。それは。
「これは」
「糸です」
 彼女は彼に答えた。
「糸ですか」
「ダイダロス様がどうして迷宮を行き帰りできるかおわかりでしょうか」
「道を全て知っているからではないのですね」
「それは違うのです」
 彼女の言葉ではそうであるらしい。テーセウスはそれを聞いて意外にも思うのであった。
「実のところは」
「ではどうして行き来されているのですか?」
「それこそがこれに謎があるのです」
 アリアドネは糸の玉をテーセウスに見せながら語るのであった。
「この糸に」
「糸にですか」
「そうです」
 また彼に語る。真剣な面持ちで。
「この糸が先に通った道を教えてくれます」
「垂らすことによってですね」
 これはテーセウスにもわかった。
「それで先に通った道を通ることなく」
「そうです。ではおわかりですね」
「はい」
 テーセウスははっきりとした言葉でアリアドネに応えたのであった。
「では有り難く。お受けします」
「それでですね」
 ここでアリアドネの様子が少し変わった。態度がよそよそしいものになりそうしてその白い顔が少しではあるが赤らんだのである。
「あの、ラビリンスの奥にいる魔物ですが」
「ああ、あれですね」
 話がそこに移った。
「何でも身体が人で頭が牛だそうですが」
「そしてとてつもない怪力を誇っています」
 彼女の方からもそれを語る。
「ですがそれでも。怖れないで下さい」
「その魔物をですね」
「そうです。何があっても」
 ここまで言うのであった。
「それだけは御願いします」
「私は。怪物も魔物も怖れません」
 しかしであった。テーセウスの言葉は変わらない。不敵で自信に満ちた笑みを浮かべてこう言葉を返すだけであった。それで充分であった。
「それでは。そういうことで」
「では。御願いしますね」
「はい。それでは」
 こうして彼はアリアドネから糸を受け取ったうえでラビリンスに向かうのであった。迷宮の入り口にいる兵士達に挨拶をしてから中に入る。そこに入るとすぐに糸を垂らしはじめる。そうして少しずつだが確実に先に進んでいくのであった。
 
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