相棒は妹
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由実「葉山君って、本当に変わってるよね」
俺が望んでいるのは、平穏だけだ。それ以外は求めていない。
それなのに、俺の周りではいつも望みと背反した事象が発生する。神に見捨てられたと言っても大袈裟じゃないと思う。
今週は長かった。毎回の休み時間が俺限定の罰ゲームみたいなもんで、嫉妬するクラスの男子達に追い掛けられる羽目になっていた。原因はただ一つ。でも、その存在はナイアガラの滝と同じぐらいにデカかった。いや、飛躍しすぎなんかじゃない。実際に絡めば分かる。
本山由実。俺の左前斜めに座る女子。運動神経抜群、容姿端麗、おまけに元気いっぱいな、エロゲではテンプレな奴。
だが、そこに取り込まれたらおしまいだ。何故なら、あいつはそれらを全て計算してやっている、超絶腹黒野郎なんだから。
毎日毎日俺の席にやってきて、勝手に話を始める。他のクラスメイトとも仲良く話すが、恐らく俺と一緒にいる時間が一番長いだろう。木曜日なんて、マジでトイレまで着いてきやがった。
そして、理不尽な事に俺はクラスメイトから猛烈な嫉妬を受けている。おかしい。おかしすぎる。俺の反応を見れば誰でも分かる筈なのに。もはや、年上の威厳なんてあったもんじゃなかった。
そんな中、志乃はクラスの空気に溶け込まず、いつも静かに本を読んでいるかヘッドフォンを付けているか、五十嵐や周りの女子との会話に参加していた。だが、この間のような態度を取るわけでも無く、帰りに「今日も大変だったね」と、哀れみの目を向けるぐらいだった。
そこで、「そんな事言うならあいつを説得してくれ」と言ってみたら、あいつは鼻で笑いながら呟いた。
「私がいちいち首突っ込むと思ってんの?」
……ですよね。
とまあ、そんな悪魔のような女に振り回された五日間を乗り越え、ついに俺はゴールデンウィークという神的行事に到達する事が出来た。良くやった俺。ナイス俺。
五月三日。ゴールデンウィーク初日である今日、俺は何をしようか迷っていた。カラオケに行くのもアリだし、健一郎や綾乃を呼んで遊ぶのも良い。あ、でも二人とも部活とかで忙しいかも。
そう考えると、今の自分が本当に暇人状態である事をついつい意識してしまった。こんなにのんびりしたの、いつ以来だろう。
でも、今はやるべき事がちゃんと目の前にある。志乃が作りだしてくれた、俺の目標。これを完遂した時に、俺は『感動』と『楽しさ』を味わえるのだろうか。答えは簡単だ。味わえるに決まってる。
そこで、昨日壊したマイクの事を思い出した。ああ、まずここからだな。
現時刻は朝の九時。まだ近辺の量販店は開いてない。つか、この辺に楽器専門店があるかどうか探せばいいんじゃないのか?そこならマイクだって売ってる筈だし。
充電が完了した携帯でインターネットにアクセスし、近くにそれらしきものがあるか探してみる。すると、すぐに検索結果が出された。
この近くに楽器を取り扱う店は無い。だが、隣町にまで行けば駅の近くに一件だけ経営しているようだ。
隣町にまで行くのは面倒な気もしたのだが、雑多に多くの物を販売している量販店よりは可能性がある気がする。俺は地元にある量販店に行って、目的のマイクが無かったら隣町の専門店に行く事にした。
そうと決まれば、支度しないとな。
*****
リビングに行くと、母さんがコス作りを、志乃が朝飯のパンをチビチビ食べていた。寝ぼけ眼なその顔は、まだ寝足りないといった感じだった。
先に朝飯は済ませてあった俺は、志乃に今日の予定を伝えた。
「今日、マイク探してくるわ。志乃はどうする?」
俺としては、志乃がいた方が道に困らずに済むから一緒に来てほしかったが、志乃はゆっくりとこちらを向いて、自分の意見を口にした。
「私は別の所を探す。連絡取り合ってマイク見つけた方が効率が良い」
「そっか。分かった。じゃあ俺は駅のビッゴカメラとか他の所見てくるから、連絡頼むな」
「うん」
志乃の返事を聞いた後、軽く支度を済ませて家を出る。ここから駅までは自転車で五分程度。ちゃっちゃと見て専門店に行こう。もし見つかったら早く準備を始められるわけだし。
俺は心中に溢れる高揚や期待を抑え、静かに自転車を漕ぎだした。
*****
家を出てから数分で駅周辺に辿り着く。前まで止めていた駐輪場に自転車を置き、荷物の無い身軽な身体を前進させる。所持品は携帯と財布と……あれ。携帯が無い。もしかして置いてきた?
参ったな。これじゃ志乃と連絡が取れない。つか、志乃の外出時間聞き忘れちまった。これじゃすれ違いになっちまう。
さっきまでの気分が一気に萎える。仕方ない。取りに帰ろう。全く、こんな時に何をしてんだか。
俺はトボトボと駐輪場に戻り、自分の自転車のロックを解いて走り出す。この帰り道で志乃と会えれば良いんだけど。もしかしたらあいつが俺に届けてくれるかも……いや、それは無いな。
さっき通った道を引き返していく。まぁ別に、今日は始まったばっかりだ。時間はいくらでもある。
そう自分に言い聞かせながら、家までの道のりを漕いでいると――
「きゃっ!離して!」
「姉ちゃんが俺達に見せ付けっからいけねぇんだろ?ああ?」
「はい、大人しく一緒に来ようね~」
「つか、お前自分からぶつかりに来たよな?これ喧嘩売ってんだよな?」
道路の反対側、俺から見れば右斜めにある黄色いビルの入り口付近で、三人の男が一人の女性を囲んでいた。男達は、いかにもな服装やタトゥーのようなものを付けており、周囲から明らかに浮いていた。比較的治安の良いこの街では尚更だ。
一方の女性は、ピンクのミニスカートに白のTシャツという明るい色で身体を纏っている。だが、薄地のTシャツは女性の持つそれを否応に強調させ、通行人の、特に男性の目を釘付けにするには十分な威力を持っていた。しかし、俺の視界の中に女性の顔は映っていない。男の身体が顔の部位だけを隠しているのだ。
……ここで、俺は『助けなきゃ』という正義感より先に、違和感を掴み取った。一体これが何なのか分からない。だが、今の風景がどこか計算されている気がするのだ。
明確な証拠はどこにも無い。現に女性はチンピラ三人に絡まれ、危険な状態にいる。しかし、周囲の人間は我関せずとばかりに彼らの一帯を避け、自分に被害が及ばないようにしている。
それらが変だと思っているわけでは無い。人間はどうしようもなく自分が大事だ。赤の他人が目の前で不幸に晒されようと、それに介入する人間は限りなく少ない。歳を重ねれば重ねる程、そうした勇気ある行動は消えていく。今の光景のように、知らないフリをして自分を守るのだ。
ただ、何かが違う。女性の顔だけが見えない。これが狙ったものだとしたら?ナンパされるような恰好をしている。これが狙ったものだとしたら?逆の観点で見ると、これだけの可能性が浮かび上がってきた。
つまり、女性が自分で今のフィールドを作りだしたという事だ。
そう考え、やはりそれは無いと思った。最近の俺は人間不信過ぎるのだ。だから、変な捉え方をしてしまう。やれやれ、俺も本山に感化されすぎたかもな。それと志乃の口車にも。
さて、これからどうしようか。通行人が静かに区画から離れていく一方で、俺は先程からその場を動いていない。とはいえ、俺が一人で飛び込んでも何とかなる筈が無い。俺は誰にでも優しい正義のヒーローじゃないんだからな。
結論を出したところで、俺は自転車を逆に向け、違う道から引き返す事にした。携帯を持って、改めてマイク探しをしなければならない。妹を困らせると、それはそれで面倒な事になるのは目に見えてるんだし。
俺が自転車にまたがり、いざ出発しようとする。しかし、そんな予定調和な流れはあっさり崩れる事となる。
「きゃあ!葉山君!葉山伊月君!助けて!」
……今、後ろから俺の名を呼ぶ声がした。気のせいだと思いたい。気のせいだと、思いたい。
後ろを振り返りたくなかった。知らんぷりをして、このまま自転車を漕いだ方が良いと、心の中の俺が叫ぶ。だが、今の声は明らかに知っている人物だった。
「県立藤崎高校一年の葉山伊月君!私を助けて!」
ヤバい。非常にヤバい。俺の個人情報が周囲に広がっている。そして、さっきの俺の推理が当たっていた事に気付いた。あの違和感、やはりいつも俺が受けているのと同じ……!
計算された展開、態度、結果……心当たりがありすぎて、自分を否定する自信が無くなってきた。
「意外とイケメンなのに妹にゾッコンな……」
「うっせぇちょっと黙ってろ!」
気付けば声を張り上げてしまっていた。というか、今の台詞はだいぶヤヴァい奴だろ。
「あぁ?誰だこいつ」
「この姉ちゃんの彼氏か?」
「彼氏じゃねぇよ。被害者だ」
とはいえ、こんなんでもクラスメイトだ。チンピラ達に連れ去られたりしたら、学校の問題になってしまう。とりあえず、時間だけでも稼ぐ。後は誰かが通報してくれるしか無い。
方針が定まった俺は、まず女性――本山由実に話しかける事にした。
「で、これは全部お芝居か?」
「さあ、どうでしょう?」
誤魔化す気かよ。材料は揃ってるってのに。つか、俺が話しかけたらすげえ余裕な顔し始めやがった。あいつ、マジで狙ってたぞこの状況。
でも、何が目的だ?何でわざと捕まるような真似をしたんだ?
「今、何でわざと捕まるような真似したんだ、って考えてた?」
「どうだろうな。で、お前こんなところで何やってんの?」
チンピラ達が空気になっているが、こっちは後回しだ。つか、俺に何か出来るわけじゃないしな。
そんな中、チンピラ達に囲まれている本山は、やはり危機感を覚えていない風に、ニコリと笑って見せた。学校で見せるものと全く同じだった。
「葉山君が助けてくれたら、教えてあげる」
だが、奴の口から吐き出された言葉は、これからの俺の行動に制限を掛けた。
本山は、自分が女であるという点を利用して、助ける以外の方法を封じたのだ。相変わらずタチが悪い。
が、そんなものが俺に通じるとでも思ってんのか?彼女いない=年齢な俺が、そんな大それた行動をぶっつけ本番で取れるとでも考えたのか?なら、それは間違いだ。
俺は、本山と呆けた顔をしているチンピラ達に堂々と宣言する。
聞き間違いだとか、空耳だとか言わせないために、バカでかい声で、じっくりと聞かせてやる。
「なら……別にいいや」
その瞬間、空気が凍った。
俺の返答に、本山は目を丸くしている。チンピラも同様で、互いに「は?」という顔をして俺を見つめている。
どうやら、俺が条件を拒否するとは考えていなかったようだ。まぁ、そりゃそうだよな。同じクラスの女子がピンチなのに後ろ向いて逃げるとか、ガチな外道だし。
だが、俺の意向に変更は無い。第一に、何故奴を助けなきゃならない?こっちは学校で憎まれ口を叩かれてるぐらい評判悪くされたんだぞ。助ける理由が無い。
「ちょっと、待ってよ」
後ろから不安げな本山の声がする。いやぁ、ここで振り返って突っ込んで行けばカッコいいんだろうなー。それか、突然ビルの陰から俺の仲間が登場してチンピラを負かしてやるとか。
でも、残念ながらそんな優しい展開は無いんだな。
「おいおい、あいつお前を見捨てっちゃったぜ」
「代わりに俺らが可愛がってあげないとじゃね?」
「それなー」
そんなチンピラ達の声が、下卑た笑い声と共に聞こえてくる。
俺は早めに自転車を漕ぎ、周囲から逃れる。その光景を見ていた人達に批判的な視線を送られたが、別に気にしない。あいつの自業自得なんだし。というか、お前らが俺にそんな目を向ける事出来るのかよ。話しかける以前に逃げたくせに。
そんな事を考えながら、本山達のいる道の一つ隣の道路をのんびりと漕ぐ。ビルを挟んだ隣の道から本山の悲鳴が聞こえてくる。
だが、その次に聞こえてきたのは、先程のチンピラの怒号だった。……って、どういうことだよ?
自転車の速度を落としながら走っていると、「ぐあっ!」「てめぇぁ!おぶっ!」「グボケァ」などという苦痛に訴えるような悲鳴が耳を打つ。
何が何だか分からない。でも見に行きたいとは思わない。俺はペダルを勢いよく押し、その場を離れる事にした。
そして、十字路に差し掛かり、それを左に曲がろうとしたのだが――
「葉山君って、本当に変わってるよね」
十字路の右方向から、楽しげな声が聞こえてきた。そして、声の主と目が合う。まるで透明の糸で縛られているように、俺の身体は硬直していた。
びっくりしたんじゃない。恐怖したのだ。
声の主――本山が拳から赤い液体を垂らし、白いTシャツに赤い斑点を付けながら、いつも通りに笑っているのが。
そして、本山は自分の状態など気にせず、まるで文化祭に好きな人を誘うように笑顔で言葉を紡いだ。
「葉山君、これから一緒にお出かけしない?」
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