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仮面の下の恋路

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第一章


第一章

                   仮面の下の恋路
 十八世紀のフランス。ロココ文化が花開いたこの時代はフランスの歴史史上最後の貴族文化の時代だった。
 華やかであると共に何処か歪なもののある美で飾られそこには豪華絢爛と爛熟が同居していた。皆その下で宴と美食、そして恋に遊びその中で舞っていたのだった。
 その中心は言うまでもなくベルサイユである。巨大であると共に華麗で何処か空虚なこの宮殿においてソワソン伯爵は恋の鞘当に夢中であった。
「仮面を着けていれば問題ない筈だ」
 彼は宮殿のカーテンの側でそう友人達に述べていた。カーテンの側は汚物で溢れ返っておりそれを避けて立っていたのである。この宮殿は設計ミスからトイレがなくこうしてカーテンの側や中庭で用を済ませていたのである。女性のドレスもまたある程度は中でする為のものであった。
「そうすれば気兼ねなく告白できる」
「気兼ねなくか」
「そうだ」
 彼は意を決した顔と声で言う。奇麗に整えた金髪に青い目の中性的な、少し見れば女性と見間違うばかりの美しい顔をしている。服は赤と白のシルクの服で金や銀の糸で奇麗に刺繍を施されていた。
「そうすれば私ではなくなるのだしな」
 顔全体を覆う右が黒、左が白の仮面を出して言うのだった。
「それで」
「ではあれか」
 友人の一人がそれを聞いて言う。
「仮面舞踏会で告白するのだな」
「その通りだ」
 その友人の言葉にすぐに答える。
「そうでないと。言うに言えない」
「どうしたものだか」
「またまた繊細な」
 友人達は伯爵のそんな言葉を聞いてあえて笑みを作るのだった。からかう笑みであった。
「おかしいか?」
「いや、おかしくはない」
 それは否定しない。
「ただな。どうにも」
「どうにもって。何なんだよ」
「仮面だな」
 彼等はまた伯爵に言う。
「仮面を着けて告白するんだな」
「だからそれはさっきから言ってるじゃないか」
 伯爵の方も何度もそれを話しているのでいい加減気が立ってきていた。
「私はそうじゃないと言えないしな」
「それだ」
「全くだ」
 友人達はそこを指摘するのだった。
「そもそもだ」
「そもそも?」
「人間とは素直でなければならない」
 いささか啓蒙主義、若しくはルソーめいた言葉の響きに聞こえるのはこの時代に貴族達の間でそうした思想が嗜みになっていたからである。これが極端な危険思想と認識させられるのはフランス革命以降である。なお啓蒙思想という人を善に導く思想が極端にまで達した結果ジャコバン派という急進的で独善的な者達を生み出してもいる。
「仮面舞踏会が悪いとは言わないがそうしたことはな」
「だからそれができないんだよ」
 伯爵はまたしても言い返す。顔をむっとさせている。
「私にとってはね」
「結局そうするのか」
「そうするしかできない」
 いささか自分を決め付けているようにも聞こえる言葉だった。
「だからだ。今からはじまる仮面舞踏会において」
「彼女に告白すると」
「そうしてそれが実ることが夢だ」
 彼はこうも述べた。
「今からな。では」
「まあ頑張ってくれ」
「健闘を祈る」
 友人達は彼を送り出した。何となく賛成していないような言葉の響きであった。
「ああ、それじゃあな」
 伯爵は仮面を着けてその場を後にする。それまで側にあった汚物の匂いを消す為か香水をかなりかけてから向かう。香水はこうした匂いを消す為に流行ったのである。
 友人達は彼を見送る。それから言うのだった。
「彼にも困ったものだ」
「全くだ」
 苦笑いとも困惑とも取れない顔になっていた。そうした顔で言う言葉もまた実に複雑に感情が絡み合った微妙なものになっていた。
「当たって砕けろというつもりにはなれないのか」
「それはな」
 友人の一人がその言葉を否定した。
「無理というものさ。砕けたらそれで終わりだ」
「終わりか」
「人の心はガラスだ」
 今も使われる言葉が出て来た。
「ガラスか」
「そういうものだ、透き通っていてすぐに壊れるもの」
「詩的だな」
 それを聞いた友人達の一人の言葉だ。詩もまた当時の貴族達の嗜みである。彼等は今それを自然に出してみていい気持ちにもなっていた。文化的な生活というわけである。
「では彼の心はガラスか」
「少なくとも強くはない」
 こう評せられた。
「僕達よりはね。透き通っているかどうかは別にして」
「ははは、人の心はそうはいかないさ」
 今度はこうした言葉が出て来た。
「実に汚れているものさ。一見すると美しくても」
「この宮殿みたいに本当は」
 今度はこうした言葉が出て来た。
「汚れているものなのだろうね」
「そうした部分も確かにある」
 それを否定する言葉も出された。
「確かにね。けれど」
「けれどそうではない部分もある。そうか」
「彼だって同じだよ。美しくもあり醜くもある」
 本来人の心とはそうしたものである。美しいものも醜いものも同時に存在しているのだ。片方だけを見て判断することは間違った答えを導いてしまうものだ。
「さて。ではステンドガラスか」
「そうだな」
 人の心が教会のガラスに例えられたのにも理由があった。
 
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