真鉄のその艦、日の本に
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第十一話 人として、人でなしとして
第十一話 人として、人でなしとして
「うわぁあーーーっ!」
長岡を営倉にぶち込む時、気を遣ってくれた名越船務長。その人の良さそうな顔が恐怖に歪み、手に持ったマシンガンを撃ちまくるが、迫り来る触手にはたかがマシンガンでは心もとなく、鋭く尖った触手がその胸を深々と貫いた。
「ごぁっ……」
口から大量の血を吐き出して、名越船務長はぐったりと動かなくなった。触手はスルスルと引っ込んで、遠沢の下へと帰っていく。
返り血にまみれた遠沢は表情一つ変えなかった。
その後ろに、何とも言えない表情の長岡がついてきていた。
遠沢は圧倒的である。
幹部達が襲いかかるが、全くそれを寄せ付けない。そもそも、人体改造を施された辻達でも一瞬で屠られてしまったのだから、皮下装甲を仕込んでいる訳でもない潜入型の複製人間達にはもうどうしようも無いだろう。遠沢は遠慮会釈なく、堂々と、ゆっくりと歩みを進めていく。機関室で長岡と決めた、荷電粒子重砲の管制室を陥落するという計画はどこへやら、遠沢はCICに向かって歩いていた。回りくどい事はせず、幹部達が集うCICに一直線。明らかに、皆殺しにする気であった。
ガチャッ
遠沢と長岡の進むその先に、マシンガンと拳銃が投げ出された。ハッチの陰から、両手を上に挙げて脇本航海長が出てきた。太い眉、鷲鼻、クリクリとした大きな目は充血し、唇は震えていた。
「も……もう嫌だ…………助けてくれよ……命だけはとらないでくれ……」
幹部達の中で最も気が弱く、大人しかったのはこの脇本だ。気が弱いというのは、作られた記憶でもキャラでもなく、この男の本性だったようだ。長岡はイマイチ当てにならなくなった自分の記憶の、それでも当てになる部分を振り返った。建御雷乗艦前の研修でも、いつも本木にバカにされていた。そんな気がする。
「俺……俺は廃棄処分にさえならなかったら良かったんだよぉ……例えこの命が短くったって、その命を穏やかに全うできたら良かったんだぁ……本木も風呂元もどうかしてる……俺は日本を変えたいとか、そんなんじゃなくて、普通に普通の生き方がしたかっただけなんだよぉ……降参だっ……降参…………もう俺もこんなのまっぴらなんだぁ…………」
脇本は床に両手をついて、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、懇願の目つきで、冷たく尖った遠沢の顔を見つめる。遠沢は実に、モノを見るような目つきで脇本を睨んでいるが、その啜り泣きに対して一瞬で命を奪うような事もせず、歩みを止めて見下ろしていた。長岡は、脇本の情けない姿を見るに見かねた。遠沢の後ろから前に出て、脇本を怒鳴りつけた。
「うるせぇっ!そんなに嫌だったんなら、どうして本木らと袂を分かたんかったんや!それが出来んかった、仲間と離れる勇気が無かったんなら、結局お前も同罪じゃい!一体何人死んだと思ってやがる!今更俺は違う、許して下さい、そげな理屈が通る訳なかろうが、このボケ!」
「すみませんすみませんすみませんすみません…………」
長岡に詰られながらも、脇本は土下座して震えて許しを乞うばかり。怒鳴りながらも、長岡は段々と脇本に同情し始めていた。自分が無い。周囲に流される。流された結果、とんでもない事をしでかす。それが、どうしようもなく弱い、他人の話だとは長岡には思えなかった。例えば、二神島海戦で死んだ曹士達に、「なぜさっさと敵ヘリを撃ち落とさなかった?」と聞かれれば、自分は「俺はそうすべきだと言ったんだが……」と言うだろうが、それで曹士達が納得するだろうか?結局、彼らから自分は、「俺たちを見殺しにした幹部達の一人」と思われるだろう。自分一人の意思なんて、集団の中では紛れて消える。そして集団に全く帰依せず一人で生きるというのも、それはそれで不安にならずには居られない……
「なぁ、お前の……確かにお前に人は殺せそうもないわい、だけどの……その片棒を立派に担いでしもうた時点で、お前は罪人なんだけん」
土下座して頭を床に擦りつけて震えている脇本に長岡は歩み寄り、膝をついて語りかける。
「だから、何も無しに許されるはずは無いんだ。だけどの、かといってお前をこのまま殺すんも気持ちが良くはないわい。だからの……」
その時、長岡の肩越しに触手が飛んできた。
その触手は鋭く尖って脇本の右手を抉り、手首から先を切り裂いた。
「うぎゃぁあああああああああ」
「!!遠沢ッ!」
悶絶する脇本。長岡は背後の遠沢を振り返る。
「遠沢ッ!こいつは無抵抗だろーがや!無抵抗の、こんな情けない奴を嬲るのは止せ!」
「無抵抗?違いますよ副長。これを見て下さい。」
遠沢は触手を器用に動かして、千切れた脇本の右手を拾った。その右手には拳銃が握られていた。どうやって隠していたのか、長岡には全く気がつかなかった。
「同情を誘って、無抵抗を装って、滑稽ですね……泣き落としとは……」
「…………」
無くなった右手を押さえて転げ回る脇本を見て、長岡は怒りが湧いてきた。同情していた。また俺は、騙されたのか。いや、こんな奴らに同情するのがおかしい。そもそもおかしい。こいつらは人を殺すのに何のためらいもない。自分の信頼をのっけから裏切っていた連中なのだ。絶対に許さないと決めたはずだった。それが……少し泣かれるだけでつけ込む隙をくれてやってしまうとは。情けない泣き落としに走った脇本なんかより、自分自身への怒りが湧いてくる。
「脇本ォ!お前ホンマに情けねぇ奴だなぁ!自分の誇りもかなぐり捨てて騙し討ちか!卑怯だのぉ!お前みたいな奴ぁ生かしちゃおけんわい!複製人間か何か知らんが、そんなのはどうでもいい!卑怯者は死ねェ!」
長岡はポケットに忍ばせていた拳銃を取り出して、銃口を脇本に向けた。この拳銃にやっと出番が来た。脇本は壁を背にして、右手を押さえて動かない。その気の弱そうな顔が強張る。今度こそ、本当の恐怖が見て取れた。その目から実にあっさりと涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「…………」
長岡は中々引き金を引けなかった。何故か、人差し指に力が入らない。自分をまるで化け物を見るような目で見て、カタカタと震えている脇本。殺す。殺すつもりなのだが、何故か引き金を引けない。長岡は焦った。何でだ、どうして撃てない?殺す。殺せ。殺さなきゃいけん。
「ごぉあっ!」
「!!」
そうこうしているうちに、遠沢の触手がまた飛んできた。脇本の心臓を突き刺して、すぐ触手は引っ込み、脇本は胸に空いた大穴から血を吹き出して絶命した。目は空いたまま、涙はまだ乾いていなかった。
「…………」
長岡は銃口を下ろした。
どうして撃てなかった?そんな苛立ちもあったが、一方でどこかホッとしている自分も居た。
「…….副長は優しいですね」
遠沢のこの一言は、撃てなかった苛立ちが膨らむ長岡の神経を逆撫でした。長岡は遠沢に駆け寄り、その薄い胸ぐらを掴んだ。
「優しさなんて今、必要ない事だろうがぁ!そんなもん、ただの甘さなんだって!どうしてお前がとどめを刺しちまうんだ!俺に殺らせろよ!でないと俺は……いつまでも人を殺すのが怖いままだ……」
「それで良いじゃないですか。普通は……普通の人間は殺すのが怖いんです。相手も同じ人間だと思うと、怖いはずなんです。それが普通で、真っ当なんですよ。」
「俺は軍人だぞォ!?殺す事を仕事にしてるんだ!二神島でも戦争やって、それは沢山殺したって事だ!それが今更よ、殺すのが怖い、普通の人間だなんだって、そんな訳があるか!そんなの許される訳がねぇよ……」
「無理に人でなしになる必要はありません。人を殺す事に慣れてしまったら、中々元には戻れませんよ。そういった普通の人間の感覚こそ、大事にして下さい。」
「だからそんなのは許されねぇんだって!」
「許します!私が!」
不意に大きな声を出されて、長岡は固まった。
遠沢は長岡の目をジッと見ていた。その目は、少し怒っていた。
「殺す事に慣れて、段々人を人と見れなくなっていく……そんなのは私達だけで十分です。これ以上、こちら側に来て欲しくないから、私達は、東機関はコソコソと、影に隠れて、誰にも感謝されないまま、殺すべき人間を殺し続けてるんです。戦い続けてるんですよ。だから、副長。殺せないなら、私にだけ殺させて居れば良いんです。私のような人でなしに。あなたは人間のままで居て下さい。」
遠沢の目は長岡を捉えて離さない。
その目つきに、長岡はどこか魅入ってしまい、胸ぐらを掴んだその手を下ろした。
その目は、あのプラットフォームで見た時と同じような、ちゃんと感情のある、人間の目だった。
「……何を言ってやがるんだ。お前も俺と同じ人間だろうが、アホ」
長岡が静かに言うと、遠沢の目が、また表情を変えた。戸惑い。明らかに戸惑っていた。
それを見ると、やはり人間だ。ロボットのように冷たく見えるし、まるで化け物のような力を持っているが、それでもやはり、表情のある人間だ。
「副長こそ何を言ってるんですか。私の力を見たでしょう?これが人間にできる事ですか?」
「いーや、違う!お前は人間だ。俺が認めるんだけん、間違いない!」
「それは無茶苦茶です……」
目を逸らした遠沢の両肩を長岡は掴んだ。
肩甲骨が浮いている。実に華奢な、若い女の体だった。整った鼻筋、形良く尖った顎、切れ長の目、そんな遠沢の顔を長岡はじっと覗き込む。
「良いか、遠沢。お前も俺と同じ人間なんだ。だけん、自分だけで背負いこもうなんてすんな。こういう状況を作ったのには俺にも責任がある。いや、東機関の連中がコソコソ戦ってる事を知らず、知ろうともせず、かろうじて得られていた安定に乗っかってただただ生きてきた日本人全員に責任があるんだ。その状況の歪が今吹き出してるって事なんだろ。少数の人でなしを便利使いして、守られてきたツケが今回ってきてるんだ。人でなしなんて居ねぇんだよ。全部、同じ日本人がした事なんだ。だから背負うとしたら、日本人全員だ。俺にも背負わせろや。」
「…………ッ」
長岡はハッとした。遠沢の目が充血し、そして少しだけ潤んでいた。そんな顔を見たのも初めてだが、やはり確信する。遠沢は人間だ。
次の瞬間、遠沢の首筋に、長い待ち針のようなものが突き刺さった。
「!!」
「感動的な場面に悪いけど」
女の声が響く。
いつの間にか風呂元がそこに立っていた。
勝ち誇った顔をしている。
「やっぱりこの子は化け物よ。長岡副長、あなたが何をどう言ってこの子が人間だと言い張っても、世の中で同じ事を思ってくれる人がどれだけ居ますかね?ここまでの力を持つ子を普通の人間だと思ってくれる人が。障害児ですら受け入れられない世の人間が、こんな人外を受け入れられるものですか。」
「何ィ!?」
「ま、心だけでも人間か、それを今から試してあげましょうか」
風呂元がにぃ、と笑う。
遠沢は首筋に刺さった針を抜こうとしたが、そうするより早く、遠沢の視界が暗闇に落ちていった。
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遠沢法代の父親は内務省官僚だった。
それなりに裕福な家庭に一人娘として育ち、大人しく、しかし心根の優しい子どもとして育った。
将来の夢は何だっただろうか。しかし、婦人の社会進出著しい中で、意外な夢を語り、周囲の友人や両親に驚かれた事は遠沢の記憶に残っている。
そんな遠沢に転機が訪れたのは12歳の頃、小学校最後の夏休みだった。その転機というのは、思いもよらない災難だった。
交通事故。大型トラックと、両親と乗っていた乗用車が激突した。助手席の母は原型を留めずして即死。父と遠沢は瀕死の状態で病院に運び込まれた。この時の記憶は、ハッキリせず曖昧である。ただ、痛く、苦しく、辛かった。死にたくない、本気でそう思った。
ある日、麻酔が切れて、また痛みに悶えていた時、医者が毒々しい色の薬を持ってきた。
ここだけは記憶がハッキリしている。身体中につながれた点滴のどれかに、その薬は流し込まれた。その薬は、体に入ってくるのがハッキリと分かった。その薬は体内で、“暴れ始めた”。
先ほどまでの苦しみが馬鹿らしくなるくらい、その薬は凶暴だった。言葉では表現できない苦しみが遠沢を襲った。これが死か。死の苦しみなのか。そうぼんやりと思った遠沢は、また思った。
死にたくない。
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気がついたら遠沢は、健康体に戻っていた。
体の傷は綺麗さっぱり無くなっていた。
事故の前より、体に力が漲るようになっていた。
「……嘘みたいだ」
ズタズタになっていたはずの遠沢の体が跡一つ無くなっていたのを見て、医者は目を丸くした。
信じられない。顔がそう言っていた。
そして、“迎え”が来た。
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「東機関局長の上戸です。今日からあなたのお世話をさせて頂きます」
初めて会った上戸は、50歳近い、“綺麗なおばさん”だった。
「え?お父さん、お母さんは……」
「亡くなりました。ご冥福をお祈りします。」
遠沢は、不思議な事にショックも受けなかった。あの事故で、生きているはずも無いか。そう冷静に判断できている自分が居て、そこに遠沢自身が驚いた。どうして、涙の一つも出ないのだろうか。
「お父さんとは、旧知の仲でした。私たちが最近手に入れた、新しい薬がありまして、お父さんがそれをあなたに使って欲しいと。その薬のおかげであなたは助かりました。多分、その薬が無いとあなたは今頃死んでいたでしょう。」
「…………」
その薬とは、あの不思議な色をした薬の事なんだろうな。遠沢は薬を使われた時の苦しみを思い出した。薬は毒とも変わらないと聞いた事があるが、なるほど、とても良く効く薬らしい。
「……お父さんが、死に際に奇跡的に目を覚まして、そして私に頼んだのです。幸せ草を使えと。運命というものがあるのなら、恐らくこれがそうなのでしょうね。」
そう言って上戸は目頭を押さえた。
上戸が泣いているのを見たのは、遠沢はこれが最初で最後である。
こうして、東機関での日々が始まった。
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事故以来、遠沢は自分の変化が怖くなった。
学力が上がった。習った事がすぐ理解できる。自分でも不自然に思うくらい進度が上がり、一年足らずで中学の内容などは全て終わらせてしまった。
体力も上がった。こちらは学力以上にびっくりした。そんなにスポーツは得意では無かったのに、スポーツテストの数値は高校生男子の基準でもオールAに。機関の大人と柔道の試合をしても、全く相手にならない。遠沢が軽く大人たちをいなしてしまう。明らかにそれは異常な光景だった。
「……どうやら、私たちが投与した薬は、あなたに効きすぎたようです。」
上戸は遠沢に言った。
「……もうあなたは普通の人ではありません。それは分かりますね。」
「……はい」
遠沢は頷いた。自分でも自分が恐ろしくなっていた。もう元には戻れない。漠然と、そんな気がしていた。
「……でも、あなただからこそできる事も、この世にはあるのよ」
あれよあれよと、気がついたら、こうして遠沢は東機関の工作員になっていた。
13歳の遠沢には、親代わりの上戸の言うことに逆らう選択肢は無かった。逆らったとして、どうなったかは分からない。やはり、選択肢は無かった。遠沢は今でもそう思っている。
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「朝鮮半島へ?」
「ええ、中共が朝鮮半島にどれだけの兵力を割いているか確かめてきて」
工作員として実戦投入され始めてから3年目の、18歳の時。遠沢は中共の支配下にある朝鮮半島に行く事になった。この時には、何故か上戸もメチャクチャに見た目が若くなっていた。自分自身にも幸せ草を使ったらしい。そのせいで暫く休んでいたが、復帰した上戸は実に若く美しく、そして恐ろしくなっていた。上戸はただの上司ではなく、戦士としても一流になっていた。
「分かりました。すぐに行きます。」
その作戦は遠沢が初めて実行するハニートラップの作戦だった。
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遠沢がターゲットにした相手は、実にうだつが上がらなさそうな人民解放軍利川基地の、朝鮮系の将校だった。流暢な中国語、そしてプライベートでは朝鮮語で話しかけ、一気に接近した。
それほど一気に接近する気は遠沢には無かったが、相手の側が女を求めている様子だった。見た目は全く好みではなく、身体を重ねるのも苦痛でしか無かったが、そんな自分の本音をおくびにも出さないくらいには、この頃の遠沢はよく訓練された工作員だった。
「親族からは、中共に媚びるのかと言われるし、職場では朝鮮系だと言って虐められるし、大変だよ。せめて家族には労って欲しいよ、独立運動なんかで飯は食えないんだから。」
相手の将校の愚痴を聞いているうち、遠沢は悲しいな、と思った。この将校は暮らしの為に働いているのに誰にも認められない。チンケなナショナリズムと現実の間に挟まれて、現実を見ようともしていない連中に責められる。人でなしと詰られる事の多い自分たちと同じではないか。
そういった同情、共感。それが命取りになったのかどうかは、遠沢には分からない。
遠沢は身柄を拘束されてしまった。
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暗く湿った、臭い部屋に遠沢は両手を天井に縛られていた。ライトの光が眩しい。服は全て剥ぎ取られた。捕まるまでに12人の敵を殺したが、拘束そのものは避けられなかった。よって、こんな惨めな姿で縛り付けられている。
捕虜の扱いの規定、人権擁護の国際社会のルールは一応、存在するが、そんなものは今関係なかった。敵は“人間”ではない。化け物だ。殺すべき生き物だ。だから人権も何もあったものではない。
違法?違法というなら、スパイ行為も違法なのだ。
「ぐ……あッ…………あああッ……」
どこの国の工作員なのか。協力者は誰か。
そういった事を聞かれ、勿論答えなかった遠沢は拷問にかけられた。が、最初から拷問される事自体は決まっていただろう。中共の敵偵処からしたら、若い女が捕まったのだから、凄惨なゲームを楽しむ事は決定事項だった。
ひとまずされた事は爪剥がし、殴打、水責め。どれもこれも、平気で居られるような仕打ちではなかった。が、遠沢はそれ以上の苦痛を味わった事があった。あの事故の怪我と、幸せ草の投与。それを知っているからと言って、拷問の苦痛が薄れる訳では無かったが、しかし生来の我慢強さもあいまって、この程度の仕打ちで情報を漏らしはしなかった。この程度では死なない。そう思うと、気持ちを強く持てた。
ビシッ!
「ウウッ……」
バシッ!
「グウッ……」
ゴシゴシ
「あぁぁあああああッ…………!!」
次に始まったのは鞭打ち。古典的だが、有効な手段である。細い鞭に打たれる衝撃は重く、遠沢の華奢な身体がみるみる内に傷だらけになっていく。この鋭い痛みは、何度か遠沢を失神させた。傷に塩を塗り込まれた時は、悲鳴を堪え切れなかった。
拷問担当の連中は、遠沢の回復の早さに気づいた。異常だった。遠沢の身体についた傷はみるみるうちに塞がっていく。
化け物だ。
華奢な女をいたぶっても、何の躊躇いもない化け物達は、遠沢を化け物と呼んだ。
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「ぎゃぁああああああああッ!!」
「あーーーっ!あぅーーーっ!」
拷問は電気ショックに移行していた。
全身の神経に針を刺され続けるような痛みは、気が狂わんばかりの苦しみを遠沢に与えた。
格好つけて、悲鳴を我慢などできなかった。
喉がヒリヒリと痛むまでに、半狂乱になって叫んだ。
普通の人間ならば死ぬような電圧、そして帯電時間。拷問する側は遠沢の生命力を分かっていた。普通なら死ぬような事も、こいつにはやっても良い。そう考えて更に苛烈な拷問を加えてきた。
「あぁぁああああああああああ」
一時間も高圧電流を流され続け、遠沢にある思いが生まれた。
“死にたい”
拷問を“大丈夫。死にはしない”と自分を励まして耐え抜いた遠沢は、この時は死ぬ事のできない自分の身体を心から呪った。死ねば楽になれる。でも私は死ねない。この苦痛は、死ぬよりも辛い。死ぬ事が、一番辛いと思っていた。でも違う。死ぬ事はそんなに苦しくない。苦痛を受けながら生きねばならない事こそが辛い。
そこまでして、自分は生きたいのだろうか?
工作員としての、この人生を。
遠沢の目から涙がこぼれた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
不意に、電流が止んだ。
機械の故障らしい。機械が壊れるほどの拷問とは、何ともイカれている。遠沢は壊れていないのに。
「はぁ……はぁ……」
唐突に訪れた休息の時間。
ぐったりとして、自分の身体を縛る、フレームだけのベッドに横たわる。
悪態をつきながら機械を修理する敵の姿が、ぼんやりと遠沢の視界に入ってきた。
死ね……
遠沢はぼんやりと思った。
この一言が、すっかり壊されたはずの遠沢の心に火を灯した。
死ね……死ね……死ね……
遠沢は自分の傷んだ身体の中に、何かがうごめくのを感じた。熱い滾りが、自分の中で大きくなっていく。
死ね……死ね……死ね……死ね……
「死ねっ!!」
掠れた声で叫んだ時、遠沢は人間ではなくなった。本当の“化け物”になった。
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次に日本に帰ってきた時、遠沢は確実に、自分が失ったのを感じた。
どんな酷い仕打ちでもできてしまう人間が恐ろしかった。それ以上に、そんな醜い“人間”ですらなくなった自分自身が、恐ろしかった。
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「あなたのトラウマ、見ーつけた」
遠沢の頭の中に、風呂元の声が響いた。
実に嬉しそうな声だった。
「何度でも何度でも、繰り返し体験させてあげる。朝鮮半島での、あの拷問部屋!!」
次の瞬間、遠沢は自分の記憶の中の、あの暗く湿った拷問部屋に居た。
「なっ……」
遠沢が戸惑う間もなく、電流が走る。
全身の神経に、無数の針が突き刺さった。
「……ぎゃぁああああああああああ」
遠沢は絶叫した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「おい、遠沢!しっかりしろ!」
長岡は自分が先ほどされたように、遠沢の首筋に刺さった針を抜こうとした。が、かなり深く刺さっているのか、抜けない。そうしてるうちに、遠沢が悲鳴を上げながら転げ回り始めた。長岡も押さえきれずに、暴れる遠沢に吹っ飛ばされる。
「記憶を操作できるって便利です。副長のように、偽の記憶掴ませる事もできますけど、今やってるのは、この子の記憶を再体験させてあげる事です。」
「あぁん!?んな事が」
「出来るんですよ、私には。」
風呂元が勝ち誇ったように笑う。
長岡はもう一度、暴れまわる遠沢に挑むが、再度吹っ飛ばされる。
「この子が今どんな夢を見ているか、興味ありますか?ちょっと凄いですよ。爪を剥がされ、鞭で打たれ、ウォーターボーディングに電気ショック。拷問されてない間は強姦ですか。いや〜可哀想ですね。ま、そういうのをもう一度体験してもらってます」
「なっ!止めろ!今すぐ止めろ風呂元ォ!」
「止めろと言われて止めるもんですか。この子と私たちは殺るか殺られるかなんですよ。面白いですよねー。この子、化け物の癖して、心は人間なんだから。精神攻撃だけは、普通の人間と同じだけ効くんですよ。あともう少ししたら、発狂して心が死にます。ウフフ」
風呂元は拳銃を構えた。銃口が長岡に向く。
長岡は足がすくんだ。
「これで詰み、ですね。今更銃を構えても無駄ですよ。副長が私に銃を向ける前に、私が撃ちますから。さようなら。今後の日本が美しい国である事、あの世で祈っていて下さい。」
バァーーン!
銃声が響いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「なっ……何でよ!何であんたがッ!」
風呂元は血を滴らせている右手を押さえてうずくまった。中野は風呂元に銃口を向けたまま歩み寄り、床に落ちた拳銃を遠くに蹴飛ばした。
「何でだと思う?」
「ふざけるのはよしなさいよ!今更……今更臆病風に吹かれたって言うの!?もう私たち、戻れないのよ!今更、普通の生活なんかにはッ…!」
「俺は臆病風になんか吹かれていないし、戻ろうともしていない。……そろそろ目を覚まそうか。」
風呂元の首筋に中野は手をついた。
そして、あるものを掴んで引っこ抜いた。
「キャアーーッ!」
風呂元が痛みに悲鳴を上げる。中野の手には、風呂元が遠沢に埋め込んだのと同じ、待ち針のようなインプラント。中野はフフン、と鼻で笑った。
「風呂元、お前は優秀だったよ。情報操作、撹乱に特化したお前だけは、複製人間の中でも廃棄処分は決定していなかった。そんなお前が脱走したんだぜ?上戸局長が代わりを立てないと思うか?立てるに決まってるよなぁ。どうせなら耐用年数間近のお前より、ずっと性能が良い奴をさ。」
「……それがあんただったと……」
「その通り。お前らがわざわざ日本に戻ってきてくれたからな、発見も楽だったよ。中央司令部のデータベースの書き換えを見つけてな。そっから中央司令部に潜入してるお前を割り出して、まぁ後は今まで傍に居て、お前らのやってる事を局長に報告してたって訳だ。」
「……という事は、一緒に東機関から脱走した仲間だっていう記憶は……」
「ああ。嘘。全部偽の記憶だ。俺はお前と違って、具体的エピソード記憶まで植え付ける事が可能なんだよ。お前も、自分が騙される事を警戒してはいただろうが、普通の記憶と見分ける事は出来なかったみたいだなぁ。お前が出来なきゃ、誰にも出来ない。」
風呂元の体から力が抜け、くたん、とへたり込む。中野はそれを見てニンマリした。
「楽しかったよ。お前らとやった反逆者ごっこは。すげぇ壮大な復讐だった。いや、それを言ったら可哀想か。これを計画したお前自身は、東機関に捨てられた訳というでも無いし、恨みというより、本気でこの国をマトモにしようと思ってたんだから。」
バァーーン!
銃声が響く。銃弾は風呂元の脳天をぶち抜いて、目を見開いたまま風呂元は動かなくなった。
それと同時に、悶え苦しんでいた遠沢も静かになった。
「遠沢!」
長岡はぐったりと倒れた遠沢に駆け寄り、その首からインプラントを抜きとった。遠沢はゆっくりと意識を取り戻していった。
「…………!!」
遠沢は長岡を突き飛ばし、通路の隅に四つん這いになって、大きくえずいた。胃の内容物を豪快にぶちまける。吐くものが無くなっても、何度も何度もえずいた。その背中を長岡はさすってやった。
「悪い、遠沢。もう少し早く助けに来るべきだったよ。」
こちらに歩み寄ってきた中野に、長岡はどうしようもなく苛立った。こいつこそ、今更何ノコノコやってきやがってんだ。
「おぉいお前ェ!!」
長岡は中野の胸ぐらを掴んだ。中野の雰囲気軽そうな顔をすぐそこまで引き寄せて、大きな声で怒鳴りつけた。
「お前ェ!要するに二重スパイしよったって事だろォ!こいつらが、こんな事起こすって、知っとったって事だろォ!!どうして止めんのや!どうしてこげになるまで放っておいたァ!!一体何人死んだ思うとるんや、このアホンダラがァーーッ!!」
「……それはまぁ……我々東機関にも都合や考えってのがありますからねぇ……」
「何だァ!?その考えって奴を言ってみろや!!今まで死んでいった奴らが聞いて、納得するようなもんなんだろうなぁ!?」
「いや、それはちょっと言えないっす」
「んだとォ!?お前らの、コソコソ人にも言われんようなモンの為に今まで大勢死んでいきよったって事かァーー!!」
長岡は中野を思い切り殴った。殴った拳も痛かったが、そんな事にお構いなくもう一発殴った。
殴らないとやってられなかった。複製人間の連中にも腹が立つし、東機関にも腹が立つ。どうして、こんな!
中野をボコボコにしていると、ズボンの裾を掴まれた。遠沢が四つん這いのままで、長岡のズボンの裾を引っ張っていた。
「やめて下さい……中野さんを殴ってもどうにもなりませんから……」
「遠沢……」
「はぁ……さすがに堪えましたね、あれは……」
遠沢はうつ伏せに崩れ落ちる。
長岡はすぐさま手を貸して、仰向けに寝かせてやり、膝を立ててやった。楽な姿勢である。
「……いってぇなぁ……」
長岡にボコボコにされた中野は端正な顔を鼻血で汚し、顔をしかめていた。
顔をしかめながら、その手に拳銃を持った。
「なぁ、遠沢聞いてくれ」
「……何ですか……」
「俺、この任務から降りる」
中野の突然の言葉に、遠沢は少し戸惑ったが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「そうですか……私も降りたいです……」
「おいおい、お前はしっかりしてくれよ。俺はどっちにせよ耐用年数あと5年ぽっきりだからな。でもお前はまだ、生きていかなくちゃならんだろ。生きていく上で東機関は無視できないだろ?」
「そうですね……それも悲しいですけど……」
「あいつらと一緒に居たらな、俺も複製人間だし、何だかこう、あいつらの事が敵に思えなくなる時があった。こんな俺が東機関に居ちゃ、いつか俺も何かやらかすよ。あいつらと違って、東機関を潰したいとも思わねぇけど……協力したいとも思えなくなった。」
中野は銃口を、自分の頭に向けた。
長岡は中野が何をしようとしているかに気がついた。
「おい!何する気だ!止めろ!」
長岡が中野に飛びかかるが、足蹴にされて吹っ飛ばされる。中野は笑っていた。笑いながら、銃口を自らに向けていた。
「日本の役に立つ為だけに生まれ、生きてる間はまずまず、役に立った自信はある。……あの世では、もっと好き勝手するよ。やっと自由だ。」
バァーーン!
中野は引き金を引き、頭から血を吹き出して絶命した。長岡は蹴飛ばされた姿勢のまま、口を開けてワナワナと震えながらその光景を見ている事しか出来なかった。
「死ぬなんて……良いなぁ……私は死ぬ事も出来ないのに……」
遠沢は呟いて、ぐったりと寝たまま動かない。
長岡も、そのままへたり込みたかった。
が、それはできない。
もう幹部……テロリスト達は殆どが死んだ。
この建御雷の叛乱は、収束に向かっていると言えよう。この艦に残って、生きているのは、長岡と遠沢と、あと一人だけである。
その“あと一人”は、長岡がどうしても決着をつけねばならない相手だった。
長岡は自分を奮い立たせて、重い腰を上げる。
床に落ちている拳銃を拾い、ポケットに入れる。
「おい、遠沢」
「……何ですか……?」
「お前、そこで休んでろ」
長岡は寝ている遠沢に背を向けて歩き出した。
“あいつ”が居る場所は、だいたい分かる。
自ら出向いてこなかった“あいつ”。
……だったらこっちから行ってやる。
「……ダメですよ。死にに行くつもりですか」
遠沢はよろよろと起き上がろうとしたが、長岡は「来んな!」と怒鳴りつけた。
「東機関の目的なんぞ知らん。ただ、俺はあいつとだけは俺自身で決着をつけないけんのじゃ!……あいつは、友達だけんなぁ!」
そう言って、長岡は通路をずんずん進んでいく。その背中は、死地に赴く男の背中だった。どうやっても追いつけない、彼岸の背中だった。
それを見て、遠沢は追うのを止めた。
冷たく、血に汚れた床に、その身を横たえた。
第十二話に続く。
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