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軽い男 堅い女

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第五章


第五章

 そうした日が数日続いた。やはり友一は洋子の前に姿を現わさない。登校中も休み時間も部活の時も。下校の時にもだ。あれだけつきまとっていたというのに本当に消えてしまったのである。
「どういうことなんだろ」
 それがかえって不気味に感じられた。
「本当にいなくなるなんて」
 いざいなくなると何だか落ち着かない。暫くいつも側にいたからこれは当然であった。洋子はそれを何か次第に物足りなく感じはじめていたのだ。
「どうかしたの?」
 そこに早苗が声をかけてきた。
「落ち着かないみたいだけれど、最近」
「別に」
 洋子はそう言ってしらばっくれようとした。
「何でもないわ」
「そうなの。じゃあいいわ」
「ええ」
 そしてまた数日経った。やはり姿を現わさない。洋子はさらに不安になった。落ち着かなくなって仕方がなかった。
「ねえ早苗」
 洋子はたまりかねて早苗に声をかけてきた。
「何かしら」
「あいつのことなんだけれどね」
「あいつ?」
「あいつよ」
 洋子は言った。
「あいつ。今何処にいるのよ」
「洋子、あいつじゃわからないわよ」
 焦りだす洋子に対してあえて冷静な声をかけたようであった。
「誰なのかしら、そのあいつという人は」
「知らないの?」
「名前を言われないと」
「・・・・・・稲富君よ」
 彼女は仕方なくその名前を口にした。
「どうしたの、最近。全然見ないけれど」
「貴女が言う通りにしたのよ」
「どういうこと!?それって」
「だから言ったのよ、彼に」
「何て」
「もう絶対に貴女の前に姿を現わさないようにって。きつくね」
「きつくって。それって」
「一番わかり易いようにしたわ、彼にとって」
 あまり多くを語らずそう述べただけであった。
「それだけよ」
「だから見ないのね」
「ええ」
「二度と?」
「そう、二度とよ」
 早苗は断言した。
「何があってもね。絶対に姿を見せることはないわよ」
「そうなの」
 それを聞いて寂しい顔になった。
「彼、絶対に私の前に姿を現わさないのね」
「ええ」
「あれだけ声をかけて側にいたのに。もう絶対に」
 次第に悲しさまでその顔に帯びてきた。
「それがどうかしたの?」
 早苗はそんな彼女に声をかけてきた。
「貴女が願ったことじゃないの、それは」
「それはそうだけれど」
 それでも悲しい顔は元には戻らなかった。
「けれど」
「けれども何もないわ」
 早苗は突き放すようにしてそう言った。
「貴女が私にそう言ったから。それで私は貴女の願いを彼に伝えただけなのよ」
「そうなの」
「そうよ」
 何故かその声が極めて冷たいものに感じているのを洋子は感じていた。
「貴女彼が嫌いで仕方なかったのでしょう?」
「ええ」
「だったらこれでいいじゃない。違うかしら」
「うん」
 一度は頷いた。
「それでいいわね」
 早苗は洋子に念を押した。
「全部終わりで。納得しているわね」
「納得・・・・・・」
 洋子はこの時俯いていた。そして心の中にあるものを見ていた。それは自分自身のことであった。
「どうなのかしら」
「それは」
 次第にわかってきた。何故自分が今寂しい思いをしているのかを。悲しい気持ちを含んでいるのかを。そして何故彼と合って顔を赤くさせたのかを。全てを理解した。
「・・・・・・ええと」
 洋子は戸惑いながらも言葉を出した。
「早苗」
「何かしら」
 早苗は顔を変えずに洋子に対して問う。
「あのね」
 洋子はもじもじとしていた。普段の気の強いはきはきとした感じは何処にもなかった。少なくとも友一に対するようなそれは全く見られなかった。
「彼、学校には来ているのよね」
「勿論よ」
 早苗は静かにそう答えた。
「毎日ちゃんと来ているみたいね」
「そう、よかった」
 それを聞いてまずは安心した。
「それでね、早苗」
 洋子は言おうとする。だが言葉が中々出ない。
「あのね、えっと」
「言いたいことはわかっているわ」
 しかし早苗はそんな彼女に対して優しい声をかけてきた。見ればその顔も優しげであった。
「稲富君のことよね」
「・・・・・・うん」
 こくり、と頷いた。その小さな可愛らしい顔を赤くさせている。
「どうしたいの?」
「それは・・・・・・」
「言いたいことがあるのなら言ったら?」
 急に突き放した調子になった。それでも洋子は言う。
「あのね」
 もじもじとしながら言葉を出す。
「うん」
「彼にね、伝えて欲しいの」
「何て?」
「この前のことだけれど」
「何のことかしら」
「覚えていないの?」
「さて」
 わざとらしくとぼける。しかし洋子はそれを見てさらに焦ってきた。
「覚えてないのね、あの時のこと」
「言われないとわからないから」
「わかったわ。この前部室で貴女にお願いしたことだけれど」
「そういうこともあったかしら」
「忘れてるみたいだから言うけれどね」
 次第に泣きそうな顔になってきた。早苗はそれを黙って見ていた。優しげな様子もあえてかどうかはわからないが消してしまっていた。
「ほら、彼にもうつきまとなって言ってくれってお願いしたでしょ」
「そういえやそうだったわね」
 思い出したように頷く。
「そのことだけれど」
「うん」
「取り消せないかなあ。ほら、あいつだって寂しいでしょうし」
 顔を早苗から背けながら言う。俯いてもいるのでその表情は全然わからない。だが顔を真っ赤にさせているのはわかる。手までそうだからだ。残念ながら耳等はその黒くて長い髪の毛で見えはしなかった。
「私は我慢してあげるから。少し位なら側に来てもいいよって。伝えてくれるかな」
「それでいいのね」
「・・・・・・うん」
 顔を背けたままこくり、と頷く。
「お願い」
「わかったわ」
 早苗はそれに頷いた。
「じゃあ明日ね。今から彼にそう伝えておくから」
「お願いできる?」
「ええ。それでいいのね」
「うん」
 洋子は同じ姿勢のまま頷いた。そしてその時はそれで終わった。
 洋子は家に帰って風呂に入った。そして浴槽に浸かりながら友一のことを考えていた。
「どうなるのかな」
 今までのことも思い浮かぶ。いつもまとわりつかれ迷惑だったがいざ急にいなくなるとやはり寂しい。いや、寂しさ以上のものも感じていた。心が次第に苦しくなりだしていたのだ。
「・・・・・・・・・」
 次第に考えが深くなりそれはベッドの中でも続いた。夢にはやはり彼が出て来た。しかしどういうわけか前のそれよりは遥かに受け入れ易いものであった。内容はさして変わらないというのに。それが極めて不思議ではあった。
 翌朝身支度を整え家を出る。普段よりお洒落をしている気持ちはある。ブローチもいつものより可愛いものにし、顔も念入りに洗った。そして靴下も新しいものだ。何処か身構えていた。
「さて」
 辺りを見回す。彼はまだ来てはいなかった。


 
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