人狼と雷狼竜
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今後の為の方針
酒場はいつも喧しいものだ。
それがどんな田舎町だろうと決して変わらない現象だろう。
今日の仕事を終えた者達が集まり酒を飲む。仲間同士集まるのもいれば、一人で飲む者もいる。
正太郎は後者のようだ。
彼は、全身を寒気に襲われて滅入っていた。今でも、あのナルガクルガの真紅に光る双眸が忘れらない。気を抜くとあの飛竜の両翼に備わった剣呑極まりない刃で膾切りにされる自分まで想像しかねない。
「はぁ……」
だが酒に逃げたのは失敗だった。いつもなら今頃は天国にいるかのような幸福感に包まれているだろうに、今は極寒の地獄にいるような気分になる。
「隣、良いか?」
「……うん?」
テーブルに突っ伏して視界を閉ざしていた正太郎の耳に、不意に入った野太く男くさい声には聞き覚えがあった。
そこには先ほど一緒に帰還した、昔馴染みの男がいた。同い年の癖に顔も声も一回り以上は老けて見える。
「テツか。良いぜ」
正太郎が答えるとテツは机を挟んだ反対側に座る。
テツは自分の分は既に持っていたようで、すぐにお猪口に酒を注ぎ始めた。
「ほら、摘みも持ってきた」
「……おう」
茹でた豆に塩を振りかけたソレは、酒の摘みとしては定番中の定番であり、正太郎の好物でもあったが……
「何だ? 疲れてるのか?」
摘みに手をつけない正太郎を見て思わず声を掛けるが、その時に気付いた。今の正太郎は肝を冷やし過ぎてソレを誤魔化す為に酒を飲んでいることに。
「お前、変わったな?」
「俺が? 何処が?」
急に話を振られて、虚ろな目をしていた正太郎は胡乱気に問う。
「アオアシラやドスジャギィからも敵わないと見ればすぐに逃げ出してたお前が、まさかナルガクルガから逃げようともしないとはな……ストラディスタから受けた訓練の賜物か?」
「ああ。あの時逃げようと思わなかったのは、それのせいかもな……」
正太郎は答えながら今までの訓練を思い出す。
「アイツの訓練マジでキツくて付いて行くのがやっとだけどよ。それでも強くなりてえんだ」
「ほう」
テツが男臭いが愛嬌のある笑みを浮かべる。
「何だよ?」
「ヘタレ門番は完全に卒業したんだな」
「うるせえよ!」
テツの言葉で思い出したくも無い過去を思い出した正太郎は、真っ赤になって摘みを皿ごと奪い取ると大口を開けて流し込んだ。
「ああ! お前何独り占めしてるんだ!」
テツが抗議するがもう遅い。適度な硬さが実に良い歯応えと旨味を持つ豆は正太郎の胃袋の中へと消えた。
「知るか! 余計なこと思い出させたのはそっちだろが!」
「言ったな? ならもっと昔を思い出させてやろうか。例えばファンゴに尻を突かれたとかな!」
「止めろ莫迦! その口を閉じろ!」
「やってみろ!」
「言いやがったな!? よっしゃ! やってやる! ここでの勝負ッつったら酒だ酒! 飲み比べだオラアア!」
「上等だ! 代金は負けたほうが全額だ!」
「かかって来いや! 酒持って来い!」
際限なくヒートアップしていく二人を他の客と店員は、面白そうに、または呆れながらも楽しそうに、またはどうしたものかとオロオロとして見ていた。
そんな騒ぎの中で正太郎の胸中にあった不快感と全身を襲う寒気は綺麗サッパリ消えて行った。
「明日、山に入る」
四季上家の夕食の食卓にてヴォルフが唐突に告げた言葉は、他の三人を凍り付かせるには十分な威力を持っていた。神無に至っては持っていた箸を落としてしまっている。
「えっと……ヴォルちゃん? 順を追って説明して頂けませんか?」
逸早く冷静さを取り戻した夏空が尋ねてくる。それを聞いた神無は首を縦に何度も振って説明を促してきた。
「先程俺はみんなの前で言ったな。“ジンオウガを討伐しない”と」
「はい。仰いましたね」
「でも、それはアンタがこの村に派遣された事の意味その物を否定する事柄でしょ? アンタがやらなければ他の誰かが実行に移すかもしれないわ」
ジンオウガに勝てるかどうかは別にしてね……と、小冬は言外に滲ませながら言った。
「ああ。だから、奴が元の縄張りから出てきた原因を調べる。遅くても三日程で戻れる筈だ」
「そっか。原因さえ取り除ければ何とかなるかもしれないもんね。でもヴォル君……」
神無が一旦言葉を切ってヴォルフを見詰める。
「どうかしたか?」
「……ジンオウガの縄張りって霊峰の頂上付近でしょ? 三日で戻れるの?」
ややあって神無は言葉にした。
霊峰は雲の上だ。そこまで行くには道中は長すぎる上にモンスターも生息しているだろう。とても三日で帰ってこれる距離ではない。……一つの例外を除けばだが。
「問題無い。俺一人だ」
神無が懸念していた事をサラリとヴォルフは告げた。
「強行偵察を行う。その間、皆には自主訓練を……」
「ダメ!」
自分が不在の間の指示を出そうとするが、テーブルに両手を叩きつけながら立ち上がり身を乗り出した神無に遮られた。
「どうせまた無茶なことするんだから! 一人でなんて絶対ダメ!」
「……そうですよ。ヴォルちゃんを一人で向かわせるなんて危なくて出来ません」
「……右に同じく」
神無の剣幕に面食らっていた二人も反対の意見を出す。
「……なら逆に聞こうか?」
ヴォルフは一度言葉を切って三人を見据え――――
「俺についてこれるか?」
――――と、剣呑な意味を含んだ言葉を放った。
その碧の双眸には刃物の輝きが宿っており、それが齎す威圧に三人は思わず硬直した。
「先に言っておくが、俺はその気になれば二日間は不眠不休で行軍できる。無論、外敵との接触は控える。だが……」
三人はヴォルフの言わんとしている事が理解できた。
「一人でも人数が増えればそれも不可能になる。力量不足ならばより確実に」
つまり、全力を持って強行偵察を行う以上、このユクモ村に居る人間は足手纏いにしかならないのだ。
「やっぱり無茶じゃない!」
が、神無は却って大きく出た。
「二日間も不眠不休で歩くなんて絶対ダメ!」
「……神無?」
「ヴォル君が平気って言っても私は絶対に許さないからね!」
ヴォルフが神無を嗜めようとするも、彼女は聞く耳持たんとばかりに捲くし立ててきた。対するヴォルフは言葉に詰まって反論出来ない。
「そうですよぉ~。神無ちゃんの言うとおりですぅ」
「同感ね」
夏空と小冬まで神無に同意してきた。
「三日で済むといっても、そんな無茶は絶対にダメだよヴォル君!」
神無は更に身を乗り出して説得してくる。前屈みになった事で着物の隙間から彼女のふくよかな谷間が強調されたが、生憎とヴォルフはそちらの方面には疎すぎた。
「アンタなら何度も経験あるんでしょうけど、今のアンタは一人じゃない。私達って言う仲間が居るでしょ?」
仲間。この言葉はヴォルフの中に深く染み渡るものがあった。暖かくて、何処か安心する響き。同時に自分に対する疑念が沸いて来た。
結局自分は、仲間達の安否を言い訳にして、皆を足手纏いにしているんじゃないのか?
「そうですよ。無茶は体に毒ですからいけません」
仲間とは何か? それはお互いに頼る物であり、助け合う物であり……否、理屈で考えている時点で意味は無い。
「……一人だけだ」
『え?』
ヴォルフの言葉に全員が硬直する。
「今回はあくまで偵察だからな。人数は最小限で行く。武器が壊れた正太郎は無しだが」
正太郎は数時間前の戦闘でナルガクルガに銃槍を破壊され、大楯も穴だらけにされている。銃槍の予備は無く、訓練所にも無い。とてもじゃないが参加は不可能だ。
よって、明日からの偵察は神無、夏空、小冬、梓、椿の五人の中から誰か一人が、ヴォルフと共に偵察に出る事になる。
二人だけでの行動など初めての事だ。明日からの事柄に期待と不安の入り混じった顔をする三人だった。
「ただし、装備は軽装の者のみに限らせて貰う」
が、その一言で場の雰囲気は一変した。ヴォルフの言葉の意味を察したのか、夏空が目に見えて落ち込む。
彼女の装備は火砲だ。他の面々に比べて大きくて重い為、偵察には全く向いていない。更に言えば使用する事になれば砲声という大音響を発する。
そしてこの場には居ないが大槌を用いる椿と弓を用いる梓も除外された事になる。二人の武器は大きく嵩張る為、山道での隠密行動には向いていない。
よって、ヴォルフに付いて行けるのは神無か小冬のどちらかになる。
「悪いが夏空、俺が不在の時は訓練の監督を頼む」
「え? あ、はい! お姉さんに任せて下さい!」
ヴォルフから直々に頼まれた事で夏空は嬉しそうに両手を合わせる。
「……なら、私は残るわ」
「えっ?」
「何故残る?」
小冬の発言に神無は驚き、ヴォルフはその理由を問うた。いい加減な理由なら彼女を偵察に同伴させるつもりで。
「夏空に監督をさせるのは良い選択じゃないわ。確かにスケジュール通りにやるでしょうけど、肝心のスケジュールが甘々になる。だから私が補佐になれば訓練も上手く回るかもしれない」
私は夏空みたいに甘くないからね、とニヤリと笑って小冬は告げる。
ヴォルフは彼女の言葉に納得して頷いた。
「私って甘いんですか?」
「……何を今更?」
夏空の言葉をジト目の小冬はバッサリと切り捨てた。がーん、と夏空が言葉に出してショックを受けているようだが、ヴォルフは同行者に決まった神無を見て言った。
「明日からしばらく二人だけになるが、気をしっかり持て。良い経験になる筈だ」
「う、うん」
神無はヴォルフの目には緊張と、姉妹と友人に暫く会えない事から不安になっているように見えた為に励ますように言った。
しかし、対する神無はあっさりと明日に同行する事が決まった事で、少々の戸惑いと嬉しさと他諸々の事柄で頭が一杯になっていた。
神無のそんな状態を全く察していないヴォルフは再び箸を握って食事を再開する。
「……何時まで立っているんだ?」
が、流石に目の前に呆然と立ったままの神無が居るのは流石に気になったので声を掛けた。
「あ、うん」
神無はヴォルフに指摘されるとすぐに腰を下ろした。
「ヴォル君、明日から宜しくね」
「ああ」
改めていう神無に、ヴォルフは頷きながら返事をすると焼き魚に噛り付いた。
「……ヴォルフ」
「ん?」
「神無に変な事したらタタじゃおかないわよ」
「ちょっ!? こ、こふゅう!?」
小冬のニヤニヤ顔の一言で、神無は誰の目にも明らかなほどの狼狽するが、
「偵察は覚えなければならない事が多い。中には変な事柄も混ざって入るだろう」
ヴォルフはそんな二人の論点を完全に勘違いした上で答えた。
『……』
神無達三人はそんなヴォルフに何かを言いたいようだが、何と言えばいいのか分からず閉口していた。
「どうした?」
「何も……」
「何でもないですよ?」
「……ハァ」
小冬に至っては溜息を吐く始末だった。
「でよお、正直ナルガクルガよりもアイツの方がぶっちゃけ、怖いんだよぅ」
一方、飲み比べの最中にすっかり出来上がってしまった正太郎は、机に顎を乗せたまま語りだした。喋る度に顎が机を打って妙な音を立てている。
「あーそーかい。いいから水飲め。酔い覚ませ」
テツは正太郎が語り始めると共に正気を取り戻したらしく、今は水を勧めた。吐いたりしたら面倒だ。
自分達を見ていたギャラリーもいつの間にか引いていた。
「きーけーよー! 初めてアイツと剣を合わせた時なぁ! 俺が太刀を持ち上げた時にはぁ、俺の鎧と太刀をバラバラにしちまったんだぜぇ!」
テツはその時の光景を見ては居なかったが他の者から聞いて知っていた。
正太郎の太刀はお世辞にも速いとはいえないが、それでも遅い訳ではないとテツは思っている。
それを数回もの先手必勝を決めたとあれば、その実力は並外れている……では済まない。バラバラにされた太刀と鎧を切った回数分、正太郎はあの時死んでいる事になるのだから。
「まー、そのお陰なんだろなぁ……ちょっとやそっとの事じゃ怖いって思えなくなったのはさぁ……」
だが正太郎はその事を、自嘲気味だが少し嬉しそうに語った。
「どんだけ怖くてもさぁ。アイツに色々教わんのも大変だけどさぁ。それでも今度ばかりは逃げちゃあいけねえんだよなぁ。そうなったら俺はずっとヘタレのまぁまぁ……」
と、最後まで言い終わることなく正太郎は机に突っ伏してしまった。
「……お前はもう、ヘタレじゃねえさ。ま、今回は俺が払っといてやるよ。ヘタレ卒業に乾杯ってな」
テツはだらしなく涎を垂らし始めた正太郎に苦笑しながら、杯を掲げた。
次の日の訓練所。
「ええ!? 神無と二人で偵察!?」
いつも通りの時間に集まった梓と椿に、完全装備のヴォルフは今日から暫く偵察に行く旨を伝えた。
「……私達は?」
「俺達が戻って来るまで訓練だ。内容はこれだ」
ヴォルフが訓練内容を記した紙をテーブルに広げる。
「……字、汚い」
「椿、思っても言わないの」
「……悪かったな」
椿の言葉に少し傷付いたらしいヴォルフが小さく言う。
「大丈夫ですよヴォルちゃん。お姉ちゃんはちゃんと読めますからね~」
夏空は慰めのつもりなのか背伸びしてヴォルフの頭を撫で始める。
ヴォルフは何となく逃げようとしたが、夏空はどちらに逃げようとしているのか分かっているようで、ヴォルフの頭は彼女の掌から離れられなかった。
しかし、振り払うのもどうかと思ったので大人しく撫でられておく。何処かむず痒さを覚えた。
「……あはは」
「意外な弱点?」
苦笑する梓と首を傾げる椿。
「ん……成る程。一応、アンタがいなくても何とか出来る内容ではある訳ね」
小冬が訓練内容を読み終えたようだ。
「ああ。今回は基本のお浚いと体力向上だ。ところで正太郎はどうした?」
「あの莫迦なら二日酔いで寝てるわよ。さっきテツさんが伝えに着たわ」
ヴォルフの問いに梓が溜息混じりに答えた。
「そう言えば神無は?」
「お弁当作るって張り切ってた。良かったわね?」
「へ~。ヴォルフ君も隅に置けないわね?」
「……もしかして逢い引き?」
「遊びに行くわけじゃ無いんだがな……」
小冬達の冷やかすような言葉にヴォルフは居心地が悪くなって、溜息混じりに答えつつ夏空に視線で助けを求めるが、夏空はニコニコと笑顔で返してくるだけだった。
「お待たせー!」
完全装備の神無が訓練所に走って来た。その背中には鞄を背負っており、内圧で膨れ上がっている。
「……まぁ良い」
流石のヴォルフも、早朝から朝食作りも兼ねて頑張っていた神無の姿を見ているので、その厚意を無碍には出来なかった。決して彼女の料理に釣られた訳ではない……はず。
「では行ってくる。正太郎が莫迦をやらないように頼む」
「任せて。その時はお宝に蹴りを入れるから」
「……行ってらっしゃい」
「えーっと……気をつけてね二人とも」
小冬の物騒な回答に苦笑しながら、椿と梓が言う。
「無茶しちゃダメですからね?」
「大丈夫だよお姉ちゃん。じゃ、言ってくるね皆!」
神無が告げると、ヴォルフは背を向けて村をでて森の奥へと歩き出し、神無もヴォルフを追って小走りに駆け出して行った。
「……ねえ夏空」
二人の姿が見えなくなると、椿と梓がヴォルフの悪筆で書かれた訓練内容の解読に掛かり始める中、小冬が夏空に話しかけた。
「どうしたのですか? 小冬ちゃん?」
今の小冬はいつもの何処か不敵な態度ではなく、恥ずかしそうに何処か不安気で弱々しく揺れていた。
「私に料理教えて。神無に負けたくない」
小冬の言葉に夏空は少し驚いて少しばかり目を見開いたが、すぐにいつもの優しい笑顔を浮かべた。
「勿論です。お昼も夕食も一緒に作りましょうね。この前の湯治のお客さんから頂いたお料理の本は、私も興味ありましたし」
「な、何で知って……」
「お姉ちゃんは何でも知ってますよ~。さ、始めましょう。まずはヴォルちゃんの訓練です」
「分かった」
小冬が返事をすると、夏空はテーブルで内容の解読に悪戦苦闘している椿と梓の方へ向かった。
後書き
感想、ご意見お待ちしております。
11月も近付いてきました。2012年もソロソロ終わりを迎えようとしています……いやはや、最近すっかり寒くなって参りましたね。おかげで風邪を引いてしまいました。喉の痛みとクシャミ鼻水が止まりません。薬は役に立ちませんし……皆さんも気をつけてくださいね。
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