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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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A's編
  第三十二話 前




「……う、ううん」

 半ば夢から覚めるように唸りながら、上半身を起こした。そのせいで今までかけられていた白い布が僕の胸から滑り落ちてお腹あたりで山になる。

「………ここ……は?」

 頭をはっきりさせるために頭を左右に二、三度振ったあと、あたりを見渡して思わずつぶやいてしまった。

 部屋……とはとても言えないだろう。天井には西洋のランプともいうべきものがぶら下がっており、布の天井が見える。僕の記憶の中で一番近いものといえば、テントだろう。しかし、その割には床は地面に直に敷かれたような布ではない。木の板が並んでいる。フローリングのようなものである。

「起きたのか?」

 ぱさっ、と布が擦れるような音がして、透けた布の向こうからしか入ってこなかった光が直接入ってくる。太陽の直射日光のような光であり、誰かが扉を開けたのだろうと思った。

 急に光を浴びてしまって、思わず目を細めた。やや目が慣れてきたとき、光の向こう側から誰かが覗き込んでいることに気付いた。生憎、姿は逆光のせいで見えないが、ほっそりとしたラインは女性のようにも見える。

「ずいぶん寝坊していたな。向こうの世界でもそうだったのか?」

 ようやく目が慣れた僕の視界に映ったのは長身のピンク色と形容するべき髪をポニーテイルにした女性だった。やけに親しげに話してくる女性だったが、僕はそんな彼女にどんな反応をしていいのかわからなかった。

 相手は僕のことを知っているようだが、僕は、彼女のことを――――知らない?

 なぜか首をひねりたくなる。知らない、知らないはずだが……本当に? いや、知らない、知っている、知らない、知っている、知っている? 知っている。

 ―――ああ、そうだ、そうだ。

 僕はどうやら寝ぼけていたようだ。今までずっと旅をしてきて、時にはともに隣で戦った女性だというのに忘れるなんて。

「今日は昨日の疲れがたまっていただけだと思いますよ」

 僕にだって、原因はわからない。僕が起きる時間は大体みんなと同じぐらいなのだが、今日は最後まで惰眠をむさぼっていたようだった。昨日に特別何かをした記憶はないが、それでも疲れていたのだろう。そうでもなければ、この時間まで一人で寝ているということはないはずだ。

 それをシグナムさんもわかっているのだろう。僕をからかっていたことを示すようにクスッと苦笑すると「そろそろ、朝食ができるから起きてこい」という言葉を残してカーテンのような布を閉じて、この場を離れて行った。

 僕は、シグナムさんが離れたことを確認して、大きく伸びをして、着替えや靴など外に行く準備をして、この場所―――馬車の荷台から外へと飛び出した。

 僕の身長より少し低い程度の高さを飛び降りる。トスン、という軽い音を立てて地面に着地する。朝日が昇ったばかりの朝の空気は、まだまだひんやりとしているが、それが心地よいと感じる程度には気温は上がっているようだ。

「あら、ショウくん、起きてきたのね」

 声のしたほうを振り向いてみれば、そこには金色の髪をショートカットにした女性が丸太に座って、火にかけた鍋をかき混ぜていた。

「おはようございます、シャマルさん」

 はい、おはよう、と柔らかい笑みを浮かべて返事してくれるシャマルさん。

 返事をもらったあと、僕はきょろきょろと周囲を見渡した。僕が寝ていた馬車には僕しか残っていなかった。つまり、おこしに来てくれたシグナムさんとここにいるシャマルさん以外の仲間も周囲にいると思ったからだ。

 しかし、彼らの姿はどこにも見えなかった。

 そんな僕の様子が可笑しかったのだろうか、シャマルさんは、何か面白いものを見たようにクスリと笑うと仕方ないなぁ、というような色を帯びた口調で口を開く。

「はやてちゃんとヴィータちゃんなら、水浴びに行ってるわよ」

「近くに湖でもあったんですか?」

「ええ、昨日の夜にシグナムが見つけたらしいの」

「そうですか」

 なるほど、旅の途中で体をきれいにできる場所というのは貴重だ。特に昨日は戦闘も行ったから、彼女たちとしてはさっぱりしたかったのだろう。しかも、シャマルさんの口調からするとシグナムさんとシャマルさんは昨晩の内に水浴びは済ませてしまったようだ。

「ショウ君、気になる年頃でしょうけど、のぞきに行っちゃだめよ」

「行きませんよ」

 くすくす、と子どもを見守るお姉さんのような口調で、でも、どこか少年である僕をからかうような口調で注意してくる。シャマルさんがこういうことでからかうことは、いつものことであり、思春期を迎える直前の少年であれば少しは動揺するかもしれないが、その年齢ははるか昔に通り過ぎてしまった。

 そもそも、僕と同じ9歳の女の子に欲情するほど、鬱屈した趣味は持っていない。いや、そう思えるのも僕が少々特殊だからだろう。10年前の僕では思いもよらなかっただろう。突然、目が覚めたら幼子になっていて、まあ、なるようになるさ、とか考えていたら、漫画や小説のように異世界の飛ばされるなんて。しかも、聖剣を抜いた勇者として呼び出されたのだから、世界は何を考えているのかわからない。

「どうした、ショウタ。まだ寝ぼけているのか?」

 少々、現状について考え事をしていたのだが、傍から見れば寝ぼけているようにしか見えなかったのだろう。バカにしたような声でもなく、ただ現状を確認するかのような無機質な声をかけてきたのは青い毛の犬耳と尻尾を持ったこの世界では獣人と呼ばれる種族のザフィーラさんだ。

「そんなわけありませんよ。僕みたいな子供が数奇な運命をたどっているな、としみじみと思っていたところです」

「………さすが勇者というべきか、お前はもう少し年相応であるべきだ」

「そうかもしれませんね。でも、仕方ありません。これが僕ですから」

 ザフィーラさんが言いたいこともわかる。だが、僕の精神年齢は一度、二十歳まで達しているのだ。そこから十歳相当の態度をとれと言われても無理な話である。

「ふむ、そんなものか」

 僕自身を否定したくないと思ったのだろう―――ザフィーラさんはそんな人(?)である―――褐色で、男の子である僕から見ても驚くような筋肉を持った腕を組んで深く何度か頷いていた。そんな彼に僕も、そんなもんですよ、と返そうとしたのだが、そのタイミングは、先ほどまで鍋をかき混ぜていたはずのシャマルさんの布を切り裂くような悲鳴によって逃してしまった。

「きゃぁぁぁぁぁっ! ザフィーラっ! なんで上半身裸なのよっ!」

 そう、確かに今まで僕と話していたザフィーラさんは上半身裸だった。しかし、それが見苦しいか、と言われるとかなり鍛えていると一目でわかる上半身は、見たとしても不快な気持ちにはならない。だから、平気な顔をして話していたのだが、女性であるシャマルさんは違うらしい。

 もっとも、ザフィーラさんが上半身裸である理由は、彼の右手を見れば明らかなのだが。

「なぜ、と言われてもお前が魚を獲ってこいというからに決まってる」

「服ぐらいは着なさよっ!」

 シャマルさんが手を無茶苦茶に振り回したのだろう。先ほどまで鍋をかき混ぜていたお玉が手からすっぽ抜け、ザフィーラさんの頭にカツーンと当たった。本当は何か言うべきなのだろうが、僕は口をつぐんでただの傍観者に徹した。理由は言うまでもないだろう。

 ―――首を突っ込んでとばっちりはごめんだからだ。



  ◇  ◇  ◇



「主よ、今日も我らに恵みを与えてくださったことに感謝を」

 シャマルさんの言葉に続いてその場にいた全員が「感謝を」と唱和する。もちろん、僕もだ。これは、要するに僕の世界で言うならば「いただきます」という感謝を示す言葉だ。祈りと言い換えてもいいのかもしれない。

 次元すら異なる世界だというのに、神がいるとか、祈りをささげるとか、似通ったところが見つかるのが面白い。こういうのは、確か共時性……というのだったのだろうか。

 神への感謝の祈りをささげた後は、ちょっと遅い朝食の時間である。朝から鍋を混ぜていたシャマルさんお手製のスープとザフィーラさんが獲ってきた魚の丸焼きという朝食。これでご飯があれば、僕の世界と変わらない朝食になるのだろうが。

 僕の世界、というとじゃあ、この世界はどうなんだ? ということになるだろう。

 僕がこの世界―――僕の世界とは異なる世界に来ることになった詳細は省略でもいいと思う。あれは何と言っただろうか、いわゆるお約束が並んだことだから。つまり、この世界には魔王がいて、近々復活しそうな気配があるから、聖剣に選ばれた君が倒してよ、というわけだ。

 そして、当然のことながら一人で魔王退治なんて不可能なので、仲間が付けられた。もちろん、軍勢などではなく少数精鋭の面々だが。

 僕はなんとなく確認するように僕の旅の仲間たちを見渡した。

 早速、すごい勢いでスープを飲み始めたのは、今朝の水浴びから帰ってきてまだ髪が乾いていないのだろうか、しっとりと濡れた赤い髪をもつヴィータちゃんだった。彼女は、この世界の教会という組織の神官騎士である。彼女の武器はハンマー。シグナムさんと並ぶ特攻隊長である。どうやら、この世界の教義では、殺生を許していないようで、教会を世俗の悪から守る神官騎士は、基本的に鈍器が主な武器になるらしい。ちなみに、彼女の身長は僕たちと同じぐらいではあるのだが、年齢は16歳というから驚きだ。本人はとても気にしているらしく、いうと怒られるのだが。だったら、せめてそんながっついたような食べ方はやめればいいと思うのだが。

 そんなヴィータちゃんを見守るような慈母の眼差しで見守るのが、僕たちの料理人であるシャマルさんである。シャマルさんは、法衣のようなゆったりとした服を着ている。その実、彼女はヴィータちゃんと同じく教会の神官である。神官騎士は、教義をけがす者たちの討伐だが、シャマルさんは教義を広める神官である。シャマルさんは、戦うという点で見れば、戦力にはならないが、神の力を借りたとされる魔法で怪我の治療や防御力の増強をしてくれている。

 シャマルさんとは逆にあきれたような表情で見ているのは、僕を起こしに来てくれたシグナムさんだ。赤を少し薄くしたようなピンクと形容すべき髪をポニーテイルにした僕たちの仲間の中で単体戦力だけで言うと一番の戦力である。シグナムさんが所属しているのは、僕を召喚した王国の第一騎士団であり、シグナムさんは騎士団の副団長だったらしい。だが、今回の旅で引き抜かれたようだ。そこには、男女の確執やらいろいろあったらしいが、僕は知るべきではないのだろう。

 シャマルさんやシグナムさんのように微笑ましいような表情もせず、あきれもせず淡々と自分の食事に集中しているのは、青い毛並みの耳と尻尾を持った獣人族のザフィーラさんだった。実は、彼だけは僕を召喚した王国とは無関係の武者修行としている武人だった。僕たちと一緒に旅している原因は紆余曲折あるのだけど、今ではすっかり僕たちの旅の仲間の一人だった。

 そんな風に見守られているとはつゆ知らずスープを飲むヴィータちゃんの隣で、姉妹のようにスープを飲むショートカットの茶髪を持つ少女。年齢は僕と同じ程度の少女。彼女の名前は―――八神はやて。先代の勇者だったらしい、らしいというのは本人も覚えておらず、王国の古書に少しだけ記録が残っているだけだからだ。もっとも、彼女は前回の召喚のときに魔王と相打ちに会って、その身を聖剣とともに封印したらしいが。そのため、魔王を倒した後は彼女を棺桶のように閉じ込めた紫水晶を称して―――紫水晶の聖女と呼ばれていた。彼女の態度を見ていると聖女というよりも子狸とでもいうべき、子憎たらしい少女ではあるのだが、僕たちの中で、ヴィータちゃんと同じくムードメーカーでもある。

 最後に僕―――蔵元翔太。今回、呼び出された勇者である。聖剣を抜いた―――抜いてしまったのが原因なのだが、まあ、あそこで抜けなかったら僕はこの場にはいないだろうから、そこで聖剣を抜いてしまったのは正解だったのだろう。

≪主、どうかしたのですか?≫

 その声なき声は僕の頭に直接響いてきた。

 ああ、そうだ。忘れるところだった。僕たちと一緒に旅してくれる仲間。最後の一人―――聖剣の名をとってリインフォースト名乗る聖剣に宿った精霊のことを。彼女―――そう称していいのかわからないが、聞こえる声から察するに女性であることは間違いないだろう―――は、僕がはやてちゃんが閉じ込められた紫水晶から抜いた瞬間から、僕の聖剣の精霊になったらしい。だから、僕を主と呼ぶ。実は、人型を取ることができ、魔法を使うときはサポートしてくれるのだ。彼女の容姿は、銀髪をストレートにし、黒い装束に包まれている。いや、聖剣というよりも魔剣じゃないだろうか? という容姿だが、それでも聖剣らしい。

「いや、なんでもないよ」

 独り言のようにリインフォースに対して返事をしながら、僕も目の前でおいしそうに湯気を立てているスープを口にする。

 その後は、ちょっとした会話をしながらも手と口を動かした。街の中の食事処であるならば、会話も楽しみながら朝食という洒落た行為もできたかもしれないが、ここは外。しかも、野営だ。いつ敵が襲ってくるかもしれない時に悠長にご飯を食べられる時間があるのなら、腹を満たすことが優先される。

 ……旅の最初のころは、シグナムさんとヴィータちゃん以外はそれをわかってなくてつらい目にあったこともあったからなぁ、とやや過去の辛いことも思い出しながら僕もぱくぱくと食事を進める。

 全員が朝食をほとんど食べ終わったころ、後片付けをするシャマルさんを気にしながら口火を開いたのはシグナムさんだった。

「今日の午後にはリガルドの領域に入ることになるのだが、作戦は頭に入っているな?」

 僕たちは、街のギルドから依頼を受けていた。それが、先ほどシグナムさんが話したリガルドの討伐だった。

 僕たちの本来の目的は魔王の討伐ということになるのだろうが、残念ながら魔王が復活したということはわかっても、その居場所まではつかめていない。だから、僕たちは大陸を一つのパーティ―――ファミリアとして行動しながら魔王の居場所を調べているのだ。

 もっとも、そこの目的には僕を実践に慣れさせるためという目的も入っているが。

 今回もギルドの依頼でリガルドの討伐の依頼を受けたのは、南の街と西の街をつなぐ街道の近くの森にリガルドが異常繁殖し、荷馬車を襲うようになったからだ。いや、異常繁殖だけではこの依頼はこない。さらに悪いことが重なったのだ。

 話によれば、通常であればリガルドは、異常繁殖の末でも森の中の縄張り争いで自然と数を適正値にもっていき、街道へはなかなか出てこないのだそうだ。出てきても、食物を積んでいる荷馬車が街道の近くを縄張りにしているリガルド単体に襲われる程度で、その程度であれば商人の護衛で何とかなるのだが、今回は様子が違った。それがさらに悪いことである。

 異常変種が現れたのだ。

 魔王の復活は、それ単体が魔物を統括するというだけならば、まだよかったのかもしれない。だが、さらに厄介なことに魔王は持っている自分が異常ともいえる魔力を呼び水にして魔物の中に異常変種を誕生させることだ。

 そうして生まれた異常変種の力に通常の魔物が敵うはずもなく、結果として彼らの長として収まる。獣の世界は弱肉強食なのだ。

 今回もそれに付随したものだろう、とみられている。でなければ、商人たちを群れでリガルドが襲うわけがない。現に赤いリガルドを見たという目撃情報も入っているのだから。ゆえに、ギルドへの依頼。そして、僕たちが受けたというわけだ。

 依頼には、内容に応じて難易度が決められるのだが、リガルド単体では難易度はD程度である依頼もさすがに異常変種と組み合わされて、群れになったため、難易度は跳ね上がってBにまでなっていた。最高位がAと続いてSであることを考えれば、どれだけ難易度の高い依頼か理解してもらえるだろう。

 もっとも、僕たちの面々はいわば魔王討伐のために集められた少数精鋭なのだから、むしろこのくらいの依頼はこなしてもらえないと、という感じらしいのだが。

 そして、こういった依頼のときリーダーとなるのはシグナムさんだ。もともと騎士団としても副団長だったシグナムさんであるがゆえにこういった事前の確認や戦場での指揮には向いている。

 もっとも、僕たちのパーティでは戦術らしい戦術はない。基本的には、ヴィータちゃん、シグナムさん、そして、僕が前線を維持し、後衛を護るザフィーラさん、そして、魔法のはやてちゃんと回復のシャマルさんといった布陣だ。

 この中で一番心配されるのが勇者である僕というのが何とも情けない話なのだが、戦いどころか小学生の身分でこの世界に呼ばれたのだから、多少は目をつむってほしいものである。

 ―――閑話休題。

 シグナムさんの確認に僕たちは全員がコクリとうなずく。基本的な陣形は変わらないものの今回は異常繁殖と異常変種という二つの原因を取り除かなければならない。ゆえに、早々に決着をつけて群れを瓦解させるわけにはいかないのだ。ある程度間引きしてから異常変種をおびき出す必要がある。

 つまり、苦戦しているように見せかけながら、異常変種を森野の奥から引きずり出す必要があるのだ。

 なので、今回はヴィータちゃんとシグナムさんが得意としている突貫による陣形崩しは使えなくなった。むしろ、ザフィーラさんのような敵のつり上げが必要となるだろう。今回はその確認だった。

「ならばいい。全員、準備は念入りにな」

 戦場では一つの油断が、死へと直結する。それを最初に教えてくれたのはシグナムさんだ。今まで戦場に立ってきた人の言葉だ、従っておくべきだろう。

 僕はまだ死にたくないのだから。



  ◇  ◇  ◇



 夜―――僕は、目を覚ましてしまい、馬車の外へと出てきていた。本来、夜に一人で出歩くのは危険なのだが、馬車の周囲にはシャマルさんとザフィーラさんの結界が張ってあるため、基本的には安心だ。もっとも、曰く、シグナムさんもヴィータちゃんもザフィーラさんも街の中でもない限り熟睡はしないので、異変があればすぐに気付くと言っていた。僕が外に出ていることももしかしたら気付いているかもしれない。

 それでも何も言わないのは、先ほど言ったようにザフィーラさんたちの結界もあるからだろう。

 僕は、馬車から少し離れたところで、空を見上げていた。

 空には満天の星空。ただし、地球とは異なり衛星―――月はないようだった。照らし出すのは星空ばかり。しかも、空気が澄んでおり、周りに光がないせいか、地球では見えないような星さえも見える。

「―――主、どうされたのですか?」

 不意に僕の耳に届く女性の声。振り返ってみると夜と同化するような黒い服に夜とコントラストを彩るように白銀の髪をなびかせながら僕の聖剣の精霊が顕現した姿で現れていた。

「……ちょっとね、眠れなくて」

「昼間のことですか?」

 さすが、というべきだろうか。いや、誰だって知っていることかもしれない。

 昼間―――当然、リガルド討伐のことである。

 僕が前世の記憶を持っていたとしても、それでも平和な日本で学生をやっていた男にすぎないのだ。このようなファンタジーはややつらいところがある。相手は魔物と言えども剣を通して感じる肉を断ち切る感触は変わらないし、命を絶つということに対して忌避感を持つのも変わらない。常識が異なる、郷に入っては郷に従え、ということは頭では理解しているが、理性がそうたやすく納得できるわけではない。

 よって、討伐という依頼のあとはこうして空を見上げてしまうのだ。特に夜空を。

「元の世界に帰りたいと思うのですか?」

 突然の質問。だが、僕の心情をしっかりと表わしていて少しだけびっくりした。

 そう、僕が星空を見上げるのは、故郷を偲んでだ。僕が召喚魔法で呼ばれたのは間違いない。世界が違う。そういうことは簡単だ。だが、それがどういった仕組か、までは誰も理解していない。たとえば、遠く離れた銀河の果てから呼ばれたのかもしれないし、次元の壁を越えた向こう側から呼ばれたのかもしれない。

 それは誰も確認していない。ならば、この夜空に浮かぶ万ともいえる星の中に僕の故郷があってもおかしくはないだろう。

「うん」

 隠しても無駄だとわかった僕は、正直にうなずいた。

 彼女がそれで表情を変えたかどうかはわからない。彼女の身長は僕よりも高くて、彼女が隣に立った以上、僕は見上げなければ彼女の表情をうかがうことはできないのだから。

「それは、魔王を討伐した後でもそう思うと思いますか?」

「もちろん」

 僕は間髪入れずに彼女の質問に答えた。だが、彼女は僕の返答には納得がいかないように小首をかしげるような仕草がうかがえた。

「どうしてですか? 魔王を討伐すれば、あなたは英雄です。これからの人生で何も考える必要がないほどの栄華が与えられるでしょう。望むものは与えられ、どんな女性との結婚も思いのまま、あなたが望めば酒池肉林とて夢ではありませんよ」

 ………この精霊は、僕が小学生ということを理解して言っているのだろうか?

 その疑問はよそにおいておいても彼女が言うことは間違いではないだろう。魔王を倒せば、間違いなく英雄というものに列せられることになるだろうし、魔王を倒したほどの戦力を放し飼いにするわけもなく、手元に置いておこうとするだろう。ある種のジョーカーとして。その代わり、僕にはあらゆるものが与えられるだろう。ギブアンドテイクだ。リインフォースが言ったこともあながち間違いではなくなる。

 僕の年齢では例外だとは思うが、それを理解したうえでも僕は言う。

「そんなものはいらない」

 もしかしたらもっと欲深い人間であれば、その道を選んだかもしれない。だけど、僕はそこまで大それたものはいらない。人間、身の丈にあっただけの幸せがつかめればいい。

 僕の身の丈にあった幸せというのは、高く望んだとしても職業は公務員あたりで、美人でなくてもいいから性格のいい奥さんと子どもがいるような困窮していない家庭を築く程度だろう。僕は僕自身が特別だとは思わない。だから、サッカー選手や芸能人という夢は持たない。

 だから答える。そんなものはいらない、と。

「では、現在のようなシグナム、シャマル、ヴィータ、ザフィーラ、はやて様と共に歩む世界であってもですか?」

「それは……」

 その問いには容易には答えられない。なぜなら、僕自身も楽しいと思っているからだ。今の生活が。確かに今のような、街から街へと旅をして依頼を受けていくような生活は楽しい。地球のような平穏さはない。ただ、それでも刺激的だ。向こうでは到底味わえないような。毎日が修学旅行のような、そんな感覚だ。いつまでも続いても文句のいいようがないのかもしれない。

 ただ、ただ、それでも―――

「それでも、僕は帰りたいと思うよ」

「どうして、どうしてですか? この世界が心地よいと思うのであれば、いつまでもいればよろしいではないですか」

「それはできないよ、だって―――」

 だって? だって、なんだというのだろうか?

 確かに望郷の念はある。だが、それでも理由は曖昧だ。曖昧? なぜ? どうして?

 僕は頭の中をひっくり返す。何かが引っかかって気持ち悪いという感覚がある。何が引っかかってる? ああ、理由だ。僕は何かをやらなければならかった。向こうの世界で。何か大切なものを忘れているような気がする。護らなくちゃいけないものがあったような気がする。

 ――――だったら、あたしの家のクリスマスパーティーに来なさいよっ!

 ああ、そうか、すっかり忘れていた。忘れたら、かなり怒られそうだなぁ、と思いながら、それを切り口にして、次々に思い出がよみがえってくる。今まで蓋をされていたものが一気に飛び出してくるように。

 それは、たとえば、なのはちゃんのことだったり、アリシアちゃんのことだったり、ユーノくんのことだったり、アルフさんのことだったり、すずかちゃんのことだったり、アリサちゃんのことだったり、クラスメイトのことだったり、そして、何より―――はやてちゃんのことだったり。

「ああ、そうか……そうだった。なんで忘れていたんだろう?」

「主?」

 突然、独り言を言い始めた僕に対して怪訝な表情を向けてくるリインフォース。

 もしかして、気付いていないのだろうか。いや、もっとも、ここがどこかもわからない以上、気付くも何もないのだろうが。

 ―――もしかしたら、偶然なのかもしれない。

 一瞬、そんな考えが浮かんだが、それはありえない、と一蹴した。確かに共時性というものはあるかもしれないが、ここまで瓜二つということはないだろう。共通性が見いだせるなんてレベルではない。同じ存在なのだから。つまり、これは何らかの形で彼女が仕組んだものだろう。

「ねぇ、そうでしょう? 闇の書」

 僕がそうやって指摘すると、リインフォース―――最後に襲ってきた闇の書と瓜二つな彼女は、虚を突かれたように驚いたような表情をしていたが、やがて何か合点がいったようにふっ、と笑う。そこに浮かんでいたのは諦め? 悲しみ? 僕にはわからなかった。

 そして、次の瞬間、夜に設定されていた世界が一瞬にして白という光によって塗りつぶされるのだった。




つづく














 
 

 
後書き


望む幸福と望まれる幸福は異なるものである。 
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