大阪の蕎麦
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第二章
第二章
「お客さんの顔は。どういったわけかね」
「わかんねな。このままだとやばいぜ」
文太はこれからのことに危惧を覚えだしていた。
「今はお客さんがいるけれどまずいってなったらよ」
「商売あがったりだね」
「それだよ。恥かいて江戸に戻れるか」
そうしたプライドもあった。
「気合入れてやってくぞ。いいな」
「わかったよ」
そんな話をしているところに大阪では珍しい腰に刀をかけた者達がやって来た。二人は早速彼等を出迎える。見れば三人連れだ。三人はそれぞれ屋台の席に座る。そうしてそこで文太とおゆかに対するのだった。
「いらっしゃいませ」
「お武家様で」
「うむ」
だが格好は立派なものではない。刀を下げているだけだ。それを見ると彼等が浪人であることがわかる。
「河内神保という」
「河内様ですか」
「見たところ御主等は蕎麦屋だな」
「ええ、まあ」
三人の中央にいる浪人に対して答える。三人共浪人だった。
「成程な。拙者は蕎麦には五月蝿いぞ」
「左様ですか」
「江戸から来たからな」
にやりと笑って見せてきた。細面でまばらに髭があるが決して卑しい様子ではない。見れば左右の二人も同じだ。
「江戸では蕎麦ばかりだった」
「では蕎麦通ですね」
「河内殿の蕎麦好きは異様でな」
「全体的に食道楽だが」
左右の浪人達も笑いつつこう二人に言って来た。
「とりわけ蕎麦なのだ」
「わし等もそれに付き合ってるわけよ」
「左様ですか」
「大阪はよい街だ」
河内はまた笑ってみせてこう述べた。
「酒も美味いし食い物もいい。それに少し動いただけで金が入る」
「お金が」
「寺子屋をやっていてな」
浪人の仕事としてはよくあるものだった。江戸でも普通にあった。
「それで子供達を相手にしておるのだ」
「そうだったのですか」
「わしは剣の道場じゃ」
「わしは書道を教えておる」
仕官先がないとこうして金を稼いでいたのである。浪人だからといって少し何かやればある程度は困らないのが江戸時代なのだった。
「いや、仕官するよりも大阪でこうしていた方が」
「実に気楽でいいものよ」
「気楽だからこそ食うのが楽しいものよ」
河内の言葉だった。
「さて、では蕎麦を貰おうか」
「わかりました。それで何にしますか?」
「せいろじゃ」
河内はせいろを頼んできた。
「それを頼もうか」
「わしもじゃ」
「わしも」
後の二人も同じものを頼むのだった。
「さて、では楽しませてもらうぞ」
河内は腕を組んで笑いながらまた文太に言ってきた。
「御主の蕎麦をな」
「こう見えても江戸じゃ名うてだったんでさ」
自慢してみせる。これが彼の癖だった。
「期待しておくんなせえよ。存分に」
そう言いながら蕎麦を用意する。早速そのせいろを三つ出す。当然つゆもだ。これを忘れてはどうにもならない。
河内達はそのせいろをまず見る。その顔は喜んでいる顔ではなかった。文太もそれに気付いた。それですぐに河内達に対して問うた。
「何か?」
「うむ、せいろだな」
「ええ、そうですが」
「実によくできている」
まずはそれを認めてきた。
「蕎麦粉や水だけではない。打ち方も考えているな」
「当然でさあ」
文太は胸を張って言ってみせた。
「打ち方がまず大事。ですから」
「麺の切り方もいい」
彼が次に見たのはそれだった。
「よく切れている。蒸し方もな」
「悪いところは無い筈ですよ」
「しかし。これでは売れぬ」
「えっ!?」
「またどうして」
文太だけでなくおゆかも今の河内の言葉には思わず声をあげた。
「この蕎麦が売れないとは」
「どうしてまたそんな」
「一つ言っておこう」
河内はその二人に静かに告げてきた。
「ここは大阪だ」
「ええ、それは」
「わかってますけれど」
「それを考えるのだ。そうでなくてはここでは売れぬ」
それを言うのだった。
「よくな」
「大阪では売れない」
「江戸ではあんなに売れていたのに」
「では聞こう」
訳のわからない顔になった戸惑い続ける二人に対してまた言ってみせてきた。
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