素顔は脆く
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第六章
第六章
「僕ただトラックを避けようとしてこけて手をすりむいただけなんだよ」
「えっ、そうだったの」
「はねられたんじゃないの」
皆ここで真実を知ったのだった。はねられたという話はデマだったのだ。
「こけただけって」
「そうだったの」
「だからそんなに泣かないでよ」
昇はまだ泣き続けている兎に対して述べ続けていた。
「大丈夫なんだから」
「本当に心配したんだから」
それでもまだ泣き続けている兎だった。顔を俯けさせてそのうえで左手で涙を拭き続けている。病院の入り口でひらすら泣き続けている。
「もしかしたらって」
「心配してくれて有難うね」
昇はこのことは素直に感謝していた。実際にその言葉を兎本人にかけてもいた。
「本当にね」
「ええ。けれど無事でよかったわ」
それでもまだ泣き続けている兎だった。だがその泣きは次第に嬉し泣きになっていきていた。
「ちょっとした怪我だけで」
「うん、それは確かにね」
二人はそう話していた。そうしてそんな二人を見て皆は気付いたのだった。今の兎を見て。
「そうか。兎も」
「明るくてしっかりしてるだけじゃないんだ」
「こうした一面もあるのね」
そのことに気付いたのである。兎のもう一つの顔にだ。
「成程ね。人はそれだけじゃないんだ」
「兎も」
このことがよくわかったのだった。兎はまだ泣き続けている。しかし皆が彼女のそのもう一つの顔を知ったことには気付いてはいなかった。
それから皆ただ兎に頼るようなことはしなくなった。彼女への気遣いも見せて気配りも欠かさないようになったのである。
兎は親切にされるとつい苦笑いになって。こう言うのだった。
「いいよ、そんなの」
「いいからいいから」
「困った時はお互い様よ」
皆こう言って彼女に気配りをするのであった。彼女も自分達と同じ顔もあることがわかったからこそ。頼り切らないようになったのだった。
「それよりも昇君とデートなんでしょ」
「今日も」
「ま、まあね」
それを言われると照れ臭そうに笑うのだった。実はその通りなのだ。
「放課後にね」
「じゃあそっちの用意しなさいって」
「今度こそファーストキス決めなさいよ」
「キスだなんてそんな」
そう言われて顔を真っ赤にしてしまう兎だった。これもまた彼女の顔であった。素顔は幾つもあり兎はここでもそのうちの一つを見せたのである。
素顔は脆く 完
2009・9・20
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