トワノクウ
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トワノクウ
第三十夜 冬ざれ木立(三)
前書き
親友 の 死
くうは体を丸めてきつく目を閉じた。
しかし、恐れた灼熱地獄はいつまでも訪れない。代わりに誰かが倒れたくうの上に覆いかぶさっている感触がある。
くうは恐る恐る目を開けた。
周りは炎が踊り狂っているのにちっとも熱くない。炎からくうを守っていた人物がいたのだ。
「薫、ちゃん……?」
初めて見る陰陽衆の正装をした友人は、ほっとしたようにくうの頬を撫ぜた。薫の手は雪のように冷たい。
「だいじょうぶ? 起きられる?」
「う、うん。ねえ、何でくうは無事なの?」
「あたしに憑いてる妖。万年氷の付喪神って言ったでしょ。冷気を操る妖なの。長くは保たないし、本当は一人が限度なんだけどね」
「……一人?」
「うん。もうすぐあたしのほうは効果が切れるから」
薫は己への死刑宣告をあっさりと口にした。
「やだ、やめて! 今すぐくうを置いてって! くうなら死んでも生き返れるから!」
「嘘つけ。さっき泣いてたくせに。痛かったんでしょ? 苦しかったんでしょ? だったら素直に受け取んなさい」
「薫ちゃんが死んだら意味ないです!」
――薫が塔に来た日に、くうの中で薫の問題には決着がついていた。少女たちは等しく愚かで自分がキライで、先に我慢が利かなくなったのが薫だっただけ。だから二人で新しいスタートを切ったのに。
「守れるのにさ、治るからって何もしないのは人間としてどうよって、思っちゃってね」
薫を掴んでいた腕からにわかに力が抜けた。
分かってしまった。薫は薫自身を守るためにくうを庇った。
これで薫は命を落とそうが、己は篠ノ女空の友としての義務はまっとうしたと胸を張れる。同じ場に居合わせながら何もしなかったという罪悪感を抱くこともなければ、二度もくうを殺したと苦悩することもない。
完全無欠の自己愛。
くうは薫の頬を全力でひっぱたきたかった。
(知ってた。薫ちゃんは、それに潤君も、いつも自分のこと考える人だった。くう自身そうだった。私達はみんな〝他人〟って部分が欠けた人間の集まりだった)
その欠落を補いたくて、同じ欠落を持つ人間に手を出した。
そして今、篠ノ女空を補完していた最後の存在が、とん、と彼女を炎の外へ送り出した。薫だけが炎の中に残された。
焼き尽くされているはずなのに、皮膚は爛れず骨も溶けず。冷たい膜に守られて薫は美しいままだった。
まだ中学生だった、あの雪の日の教室で出会った、冬の妖精のまま。
「くう……ごめんね?」
手が離れた一瞬ののち。薫を守る膜は失せて、瞬く間に彼女は焼失した。
焼け爛れた屍を残さない死の様は、虚構のように美しかった。
のどの奥が痙攣した。震えが上ってくる。くうは自分の頬に両の爪を立てた。引っ掻き傷さえすぐに癒えた。
また喪った。潤に続いて薫まで喪った。
――この世界は、どれほどのものをくうから奪えば気がすむのか。
「世界はどうして、こんなに私達がキライなのかな」
くうはゆらりと立ち上がる。白い翼を展開する。
「潤君も薫ちゃんもあまつきに殺されちゃったんだ。二人とも一生懸命生きてただけなのに。私の友達、みんな世界に殺されちゃったんだ」
一歩を踏み出すと真朱は肩を跳ねさせたが、すぐ三枚目の符を出した。
退こうとしない勇気は買うが、この状況ではミステイク。
「私もいつか死ぬんだね。あまつきのせいで」
くうは真朱まで残る十歩を二歩で駆け抜け、真朱の顔面を殴り飛ばした。
「――げ、ほ! げほ、げほ!!」
苦しい。胸を掻き毟る。ともすれば咆哮してしまいそうだ。
「もういい。許してあげない。全部消えちゃえ」
玉砂利に転がった真朱に歩み寄り、腹をブーツの底で踏みつけた。
「かっ……は!」
可憐な口から落ちる声は、鈍痛に喘いでなお鈴の音のようだ。その美しさがかえってくうの中の暗い怒りを煽った。
くうが足をどけると、真朱は横に転がって咳き込んだ。隙だらけだ。
背中の翼から両手で毟れるだけ羽毛を毟って点火した。頭の中は「死ネ」一色。これを手から零せば、薫と同じようにこの美しい少女は焼け爛れる。
傾けようとした、両手が、不可視の力で停められた。
「 掛まくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓へ給ひし時に成り座せる祓戸の大神等 ――」
ふり向けないが声で分かる。菖蒲だ。これは神道ではポピュラーな祓詞。
奥歯を噛んだ。己の体は妖だと忘れていた。
手の中の炎が鎮火する。
真朱がようよう体を起こし、くうの背後、おそらく菖蒲の下へ駆けて行った。
「 諸々の禍事 罪 穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞食せと 恐み恐みも白す 」
ようやく後ろを顧みた。菖蒲と、彼の背に隠れる真朱。
「真朱、大丈夫ですか」
「ひめさまぁ……!」
限界まで剥いた眼球に映る光景の不条理さといったら!
「略式ですが、小さな結界を張りました。貴女の炎は私達を焼くことはできません」
「……だったら」
くうは今度、羽毛ではなく翼そのものの発火を試みる。心中覚悟で燃える己をあの少女にぶつけてやろうと画策し――
「そこまでだ」
まさに翼に鋭利な刺突を無数に受けて、その場に膝を突いた。
「梵天、さん」
どうして、と問いたいのに声が続かない。
翼に刺さっているのはカナリア色の羽毛。くうのそれと異なり、ダーツのように硬く鋭い羽毛が背中の翼を滅多刺しにしている。もちろんそれらも自動的に治癒し、刺さった羽毛は玉砂利に落ちる。
その間に梵天はくうの前まで歩いて来て、いつかのようにくうを俵担ぎにした。
「騒がせたね。これは持って帰っておく」
「是非お願いします」
くうは暴れた。真朱をこのままにして帰るなど、許せない。せめて薫が味わった灼熱の一部でもぶつけてやらねば気がすまないのに。
梵天の腕は細さに反して力強かった。
結局、くうは梵天に担がれたまま、坂守神社の敷地を出ざるをえなかった。
梵天がくうを連れて去ってから、菖蒲は長い溜息をついた。
くうが前触れもなく唐突に走り出した時には何かと思ったが、まさか真朱と戦っていたとは。
(そもそも真朱が戦巫女をやれるようになっていたことさえ知らなかった)
まだ不安を残して菖蒲を見上げる真朱は、菖蒲が知るよりずっと大人らしく、少女らしい姿をしている。かつて妹として可愛がったあの真朱はもういない。
『姫様!!』
決して少なくない数の巫女と、各地の祓い人、それに陰陽寮も。騒ぎを聞きつけて駆けつけたようだった。
何があったのか問われる。素直に梵天たちのことを話すわけにはいかない。
「鳥がいただけです。変わった種類の鳥が二羽、ね」
群衆の困惑の気配が強まっても、菖蒲は意に介さなかった。どうせ後で真朱がありのままを話せば伝わることだ。
さて、と菖蒲は陰陽衆の中から、黒鳶を見出す。
亡骸も遺品も遺さず逝った弟子の訃報。彼にどう伝えれば納得してもらえるだろうか。そちらのほうが頭の痛い仕事だった。
Continue…
後書き
真朱のハーモニカの音色はくうにしか聴こえませんでした。
楽研でくうの耳がよくなっているのはすでに今までの話で書いたので、くうだけにしか聴こえなくて、聴こえなかった菖蒲と梵天が駆けつけるのが遅れたのは、お分かりいただけるかと思います。
真朱ファンの方々には申し訳ない描写があったと思います。ご不快な思いをさせますこと、申し訳ありませんでした。
オリキャラ二人目が死亡しました。これがくうの精神にどう影響するかは乞うご期待です。
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